呪咀の行を日課と致すべく~文豪からの手紙④ | 便箋らぼ(時々切り絵ボトル)

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とある便箋デザイナーが、季節の言葉、便箋リメイク、和風イラストのあれこれを綴ります。
時々切り絵ボトルアートも。

 
「娘の不行蹟言語道断に候(そうろう)、男の浮薄は鬼畜に劣る、かかる刻薄無残の輩を弟子に持ち知らざる顔にて打過ごす貴殿も冷酷の人に候、無学鈍痴の老僧、今日より仏罰を怖れず呪咀の行を日課と致すべく―」
(未知の僧より)
 
ハッピーハロウィーン!って遅い…
ハロウィーンにちなんで今日はちょっとだけ幽霊の話。
文豪からの手紙ではなく、正確には「文豪の随筆の中の手紙」といってもこれ、実体験だそうです。
 
文豪は長谷川伸。「瞼の母」「沓掛時次郎」などが大ヒットした大正~昭和の小説家、劇作家。

 

 

秋の京都、新京極にて世更けに食事をし、冴えた星空の下を連れのTと共に歩いて四条大橋を渡る頃、私(長谷川)はちょっとしたことでTと言い合いになります。
Tはしたたか酔っていたのですが、幽霊など絶対にいないと断固言い張る。私は幽霊を否定しきれない。しかしTは変に熱心に否定を繰り返す。その時のTの顔がなぜか尋常ではなかったそうです。
 
団栗橋近くで突然Tは姿を消します。辺りを探すと川沿いの柳の根方でうずくまったTが、川に向かって何やらブツブツ言いながら泣いている。
「済まない__済まない」
 
『彼がだれかに謝罪しているのだと判った、しかし、彼の向っている方は疏水だった、その先は石を川底に敷いた鴨川だった、勿論、秋の夜の十二時という頃、川に人がいる筈もなし、もしいたら溺死した人でなくてはならないのだ。「おいッ」肩を叩いてやった』
 
Tは我に帰り、何でもない風を装っていたけれど顔面は蒼白。
 
以来Tとは交渉を持たず、その晩のことは酔いのためと解釈していた私ですが、ある時、さる有名な俳優に会った折に、思いがけずTの名前を聞くことになります。
どうやらTは、その俳優の門下生だそう。
 
私は、かの秋の夜のTの有様を俳優に語ります。するとTの師であるその俳優は合点がいったらしく__
「お話しましょう。それはね、あなたが木の下に坐っているTをご覧になったときに当のTは、女を疏水の白い泡の中か何かに見出していたんです、きっと
 
Tは大阪の道頓堀のN座に出勤していたのだそう。目立つ役ではなかったけれど、そこは俳優、カフエーの女給をいつの間にか手に入れて喜んでいた。女給は広島の貧乏寺の僧侶の一人娘で、年は十七
そのうち娘が妊娠して働けなくなり、あまつさえTの一座が解散。どうにもならなくなって、厭がる娘を無理やり故郷へ帰してTは音信不通に。
Tの師は、冒頭に掲げた未知の僧侶からの長い手紙を受け取って初めて、そんな事情を知ったのだそう。
未知の僧侶とは娘の父親。極端に貧乏なので、何十通もTに手紙を送って救いを求めたが完全無視され…。僧侶の手紙は、娘の死、嬰児の死を素朴に伝え、そして
 
今日より仏罰を怖れず呪咀の行を日課と致すべく―』

 

 

 
Tは今、行方不明。自分の師のところにそんな手紙が来たこともきっと知らない。

 

『私は、こんな因果物語のもつ内容を別にどう考える訳でもない、ただ、幽霊を現に見ていた男を私が見ていた、ということが心をいつまでも惹くのだ。京都の秋の星の夜更けだったから特に深さが加えられたのかとも思うが』
と長谷川は結んでいます。
 
『Tの師は老僧のところへ長い手紙を書いて、五十円の為替券を巻き込んで送ったそうだ』
とも。
 
 
写真は紙屋初瀬の和紙コラージュ「鶯の…」部分。
 
今日の便箋らぼ*は、長谷川伸の随筆「幽霊を見る人を見る」(青空文庫より引用)のご紹介でした。
 

 

 
 

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