丹敷戸畔(ニシキトベ)の頭と胴体の下半分、上半分を見つけたのは満月の日。

 

600年に一度の皆既月食。

 

雲がかかって見られなかったけれど、足が見つかるように願いを掛けた。

 

翌朝、目星をつけた神社に北上予定で車を進める予定。

 

出発しかけて急遽寄る事にした、気になる神社へ。

 

そこは昨日散々迷ってウロウロした交差点にある神社。

 

 

 

 

熊野荒坂津神社。

 

地図上では昨日行った、おな神の森の中にある金光稲荷社と目と鼻の先。

 

 

 

 

真新しい社の脇には高倉大明神。

 

神武東征の折、手助けをした高倉下(タカクラジ)を祀ってある。

 

 

 

 

屋根の下には小さなお社。

 

ここなのか。

 

 

 

 

ここでも長先生に封印を解いてもらう。

 

するとやっぱり丹敷戸畔(ニシキトベ)。

 

 

 

 

封印されていたのは、やはり手足。

 

これで身体が揃った。

 

 

 

 

身体全部が繋がり、完全の解放された丹敷戸畔(ニシキトベ)さん。

 

「これから饒速日(ニギハヤヒ)の解放に向かいます」と。

 

 

 

 

あっけなく見つかってしまって気が抜けたけれど、やはり身体が揃って嬉しい。

 

最初の串本町の墓所で、姉である丹敷戸畔(ニシキトベ)の首を大事そうに抱えた疾風天女さんが言われた言葉。

 

「女性が女性らしく活き活きと生きられる世の中を....」

 

 

 

これからそんな時代にシフトしていくのだろうと思う。

 

あとは今を生きる我らがやる番。

 

境内には11月なのに綺麗な桜が咲いていた。

 

美しい丹敷戸畔(ニシキトベ)さんと疾風天女さんの姿のように。

 

 

 

ここで完了なのだけど最初に行こうと予定していた神社にも行ってみることに。

 

各々車で走ったのだけど途中で私だけインターを降り損ねた。

 

遠回りして集合場所に急ぐ途中には大きな鳥居の神社。

 

なんとなく目を惹かれてそのままに。

 

肝心の行くべき神社は道が封鎖されていてたどり着けず。

 

その足で先ほど見かけた神社に行ってみた。

 

 

 

 

飛鳥神社。

 

何かあるかな。

 

 

 

 

 

 

 

本殿の脇には何やら奇妙は石碑が。

 

囲いの外からしか見られないので何と彫られているのか分からない。

 

 

 

 

何とここには本当の高倉下(タカクラジ)が。

 

タカクラジ(髙倉下)は神武天皇の率いる軍が熊野で窮地に立たされた時に、タケミカヅチの神剣フツノミタマをもたらし、神武東征の手助けをした人物。

 

熊野側の丹敷戸畔(ニシキトベ)から見たら裏切り者。

 

しかし、兄弟に殺されてすり替わられてしまっていた。

 

 

 

 

 

本当だったら最後まで熊野を守るために戦ったのかもしれない。

 

この事も、丹敷戸畔(ニシキトベ)さんは知って欲しかったのかな。

 

去年の夏から始まった丹敷戸畔(ニシキトベ)さんの旅。

 

あれこれあって感慨深いけれど、これにてひとまず完了。

 

 

 

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