#310 “寒そうの池”とは? ~「猿後家」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

 川上屋という大店の後家さん、後ろ姿は美しいが前へ廻ると猿そっくりの皺くちゃの赤い顔をしており、当人もいたく気にし、劣等感を持っている。店では“さる”という言葉は禁句になっており、奉公人全員、ピリピリしている。今日も外ですれ違った見知らぬ男に「わあッ! お猿さんそっくりや」と言われ、大泣きして家へ帰って来た。店の女中が「お内儀(かみ)さんはちっとも猿に似ていません」と慰める。「そうかい?」「はい、猿がお内儀さんに似てるんです」。即刻この女中は首になった。

 

 川上屋へ出入りしている太兵衛(たへえ)という男、おべんちゃら上手でお内儀に気に入られ、酒食の接待を受けたりお小遣いを貰ったりしている。お内儀を褒めるのが仕事という位のごますり男である。「こんにちは」「まあ、太兵衛さん、よう来てくれました。これ、賄い方、鰻を焼いて一本付けなはれ」「どうぞお構いなく。今日はまた一段とお美しい。大津絵の藤娘かと見紛うほどです」「まあ、お口が上手い。で、今日は?」「はい、今度仲間とお伊勢参りに行くことになりまして、道案内役ですので抜けることができません。で、4、5日顔が出せませんのでお許しを乞いに参りました」「まあ、それはご丁寧に。神信心を止めると罰が当たると言いますから止めませんよ。これは餞別です、取っておきなさい。これ、店の者たち、皆も餞別を出しなさい」。太兵衛は上々の首尾で旅立って行った。

 

 4日後、太兵衛が土産を持って川上屋を訪れた。「まあ、太兵衛、寂しかったやないの、お帰り。これ、太兵衛さんが見えたで、早う鰻を焼いて1本つけてお上げなさい!」とお内儀が奥へ向かって嬉々として命じる。太兵衛が一通りお詣りの様子を報告した後に、「今年は帰り道に奈良を見物して来ました」と切り出した。お内儀が行ったことがないと言うので、南円堂に始まって奈良公園近辺の観光名所の案内をとうとうと話し始めた。

 

(猿沢池・奈良 2002年)

 

 「……、春日大社、灯籠の多い所でございます。ここをちょっと参りますとのの字の形をした池がございまして、魚半分水半分、竜宮まで届くという猿沢の池でございます」「何やて!? ちょっと待ちなはれ、太兵衛。もう一度池の名前を言うてごらん」「池の名? さる、さ、さ、しもうた!」「この恩知らず奴が!! 私の前でそんな名前がよう言えたもんや。もう、出入り禁止や! これ、誰か! 太兵衛に煮え湯を浴びせて追い出しておしまい!」。太兵衛は方々の体で逃げ帰った。

 

(春日大社・奈良 2009年)

 

 後日、太兵衛は番頭に取り成しを頼む。出入りが禁止されては妻子を養うことができなくなるからであった。番頭は以前にも“さる”という言葉を失言して出入りが禁止された手伝いの又兵衛の話をする。

彼は「ある大家(たいけ)」を「さる大家(たいけ)」と言ったばっかりにしくじったということであった。だが彼は、数日後に美人の錦絵を持って訪れ、「お内儀さんによく似たこの錦絵を壁に貼って毎日お詫びを申し上げています」と弁明し、出入りを再度許されたということであった。もっとも、その後で又兵衛は「川上屋さんをしくじったら木から落ちた猿も同然です」と失言してまたしくじったという話ではあった。

 

 

 太兵衛は番頭に昔の有名な美人の名を教えてもらい、川上屋を訪れる。「先日は失礼いたしました。実は、奈良のあの池は深いので傍に立つとゾッーと寒気がするので、“寒そうの池”と言ったのです」と誤魔化す。お内儀は「なんや、私の聞き間違いかいな。許すさかい、また、出入りしいや」「有難うございます。ところで、お内儀を昔の美人に例えますと…」「もうそんなおべんちゃらはええで…」「我が朝では小野小町か照手姫(てるてひめ)はたまた衣通姫(そとおりひめ)、唐(もろこし)では玄宗皇帝の想い者の…」「想い者の一体誰に似ていると言うんや?」「はい、ようひひ(楊貴妃)に似ておられます」。口は禍の元、太兵衛さん、また、しくじりました。

三代目林家染丸が十八番とした「猿後家(さるごけ)」という滑稽噺で、代表的な上方噺の一つである。言い立て(奈良公園周辺の観光案内)に出てくる奈良の名所は、南円堂 北円堂 興福寺 東大寺 手向山八幡宮 三笠山 春日大社 猿沢池である。参考までに記しておく。この他にも猿沢池の近くに在って町並みの風情が楽しめる“ならまち”もお薦めである。なお、猿沢池は興福寺が生き物を放した人工の放生池で、亀が観察できる。

 

(ならまち・奈良 2002年)

 

 

 

 

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