一刻も早く、誰かにこの事を伝えなければならない────。そう、僕は思った。

 それを知ってしまった以上、誰かに伝える事は僕の責務であり、定められた宿世なのかもしれないと、家路を走る車のハンドルを握りしめ、アクセルを踏み込んだ。

 仕事柄、食関連の仕事に就いている友人が多い僕は、昔からレストラン情報には事欠かなかった。

 ドバイでは毎日のように新しいレストランが開業し、そして何処かで、閉業していく。
 残酷な程に逞しい、先進都市のその新陳代謝は、何もしないでいても、いち早く僕の耳に届いた。

 どこそこに何とかという店が出来た。どこそこの店は潰れた。あそこの店は業者への支払いをしないままトンズラかました。なんかやべえ奴が来て胡散臭い店を始めた────。などなど。

 ドバイは金持ちが多いから、高級レストランなどはさぞかし大儲けするのだろうと、愚かしい程に安直な発想をする人が少なからず居るようだが、飲食業が厳しい業態であるという事は、ドバイでも当然同じだ。

 特に、富裕層を狙った高級店をやるのであれば、東京の方が単純に金持ちは多い。

 そうであるにもかかわらず、ドバイでは危機感の薄い金持ちが、先に述べた様な勘違いから、挙って高級店を作る。

 乱立したそれらによって少ない需要は分散、供給過多となり、最終的に、ただただ莫大な負債を生み出して閉店していく。

 月収10万円以下の人口が圧倒的な比率を占めるドバイでは、高級飲食業は難しいのだ。

 税金は無いものの、初期投資と固定費はべらぼうに高く、外国人労働者の賃金は安いように見えて、保険やビザ代などを考えると実はそれ程安くは無い。
 さらに、労働法も衛生基準も世界トップクラスに厳しいドバイの労働環境下においては、店ひとつやるのに想像以上の人員が必要となる。

 小さい街だから、アドバタイジングも簡単そうに思えるが、人種も国籍もバラバラのドバイでは、日本のようにメディアに取り上げられたら名が知れるというような、単純な宣伝効果は得られない。

 そういった特殊な環境の中で生き残り、定着する店の多くは、庶民的で安価な店なのだ。


「高級レストラン、とりわけ高級ホテルにあるレストランじゃあ高い食材なんて使わねえよ。それが、ドバイ流ってやつなのさ」


 食品業者で働く知人は皆、そう口を揃える。

 豪華な内装、ドバイの絢爛を臨む眺望、そして、特に何かする訳でもなくレセプションに突っ立て、ただただ胸の谷間をさらけ出すだけで高い給料をとっていく美女────。高級レストランが最大の経費をかけるのはそれらであって、食材ではない。

 勿論、高級食材を扱う店もあるが、そういうところはぶっちぎりに値段が高く、そして信じられないくらいに量が少ない。

 食材そのものは良いとしても、ポーションが異常に小さいので、値段に対する食材原価は圧倒的に低いのだ。
 

「じゃあさ、Chef Tatsuは、どのレスランに行くんだい?」


 日本人である僕がドバイのどのレストランへ行くのか?────。外国人の友人たちからしたら、料理屋に生まれ、由緒ある懐石料理屋で長年修行を重ね、天皇陛下へ料理を作ったことのある僕は、さぞかし食に対するこだわりがあり、きっと良い店を知っているはずだと、そう思っているのだろう。

 この手の質問に対し、僕の答えは決まっていた。


「だから俺もね、外食って言ったら近所の安いカレー屋にしか行かないよ」


 こだわりが無いからなのか、或いは、極度にこだわりがあるせいなのか────。僕がこのドバイで惜しみなく金を払う店というのは極々限られていて、それらは必ず、安価な店だった。
 期待はずれであろう僕の答えに、友人たちは意外な反応を示した。


「やっぱそうだよね! ドバイにあるレストランって見たくればっかりで、本当に美味しい店ってなかなか無いんだよね!」


 僕などより余程食通で、名だたる有名店を行き尽くしている彼らのその言葉に、僕はどこかほっとしたような、穏やかな安堵感を覚えた。

 
「だったらね! Chef Tatsuにめっちゃオススメのお店があるよ!」


 そうして僕は、そのレストランの存在を知る事となったのだ────。

 ほんの少しだけ前置きが長くなったようだが、友人から勧められたパキスタン料理の店へ行って来た。

 彼らに教えられたその店は、ブルジュ・ハリファのある中心地から南南西へ約15km、倉庫や安アパートなどが立ち並ぶAl Quozという地区にあった。

 ここがあの煌びやかなドバイであるとは到底思えない、砂色に染まったくすんだ街並み────。鄙びたアパートが建ち並び、通りには出稼ぎ労働者であろう、民族衣装を着たパキスタン人が溢れている。

 その一角で、不自然に目立つ看板を掲げた一軒のレストラン────。
 舌の肥えた食通たちを唸らせる激安パキスタン料理店、それがこの【Pak Darbar】だ。

 実はこういった感じの店はドバイのみならず、アラブ首長国連邦の至る所に沢山あるわけだが、友人たちによると、ドバイの中ではこの店が最も安く、そして美味しいのだという。
 店内は当たり前のように雑多であり、むしろこれこそがこの店の正しい姿なのであるという説得力に満ちている。
 僕くらいになると、この手の店が妙にオシャレで綺麗だったりすると逆にガッカリする。

 メニューの写真も、雑でとても良い。

 決して飾らず、ありのままの姿を正直に示すその潔さは、久しく忘れていた高潔という言葉を、僕に思い出させた。

 実にわかりやすいメニュー。

 写真は明解であり、構成もこれ以上ないという程にシンプル。
 ただ単純に、写真、名前、値段、直列────。

 ドバイにもよくあるおしゃれカフェなどの、ゴテゴテに弄り回したフォトブックのようなメニューは見ていて素敵な感じではあるが、決して見やすくはない。

 我々が求めているのは、オシャレさなどではないんだ。安くて、美味しくて、分かりやすい、それだけなんだ────。このメニューには、追い求めていたその願望に対する希望と、そして本来あるべき真実の姿までもが、示されていた。

 笑顔こそないものの、とても親切で手際の良い店員さんに、友人に教えて貰っていたメニューを注文する。
 程なくして、こういったお店では定番のザク切りサラダ(※ヨーグルト付き)が運ばれて来た。
 基本的にこれらは無料であり、人数に見合った量が供される。
 人気店だから回転も良いのだろう。野菜はとても新鮮で瑞々しい。
 拍子切りに整えられた深紅のビーツルーツをかじっていると、頼んでいた料理が一気に運ばれて来た。

 たちまちのうちにテーブルの上は料理で埋め尽くされ、ある日のパキスタン家庭の食卓へと姿を変える。

 これは是非とも食べて欲しい────。そう言われていたのが、右上の方にあるふたつ。Mutton chopsとChapli kababu。

 しっかりとマリネし、炭火で焼き上げたマトンチョップはしっとり柔らかく、ふくよかなスパイスの香りがマトンの臭みを完全に消し去り、特有の風味に昇華させている。

 その味、そしてそれを実現する調理技術にも驚愕したが、それ以上に驚いたのは、値段。

 一皿に結構な大きさのマトンチョップが五本入って、なんと驚きの21dhs。
 日本円にして600円くらい。

 スーパーで生のラムチョップ買うより安い。

 流石、みんなが勧めるだけある────。風味豊かなマトンと驚異的な安さを噛み締めながら、もうひとつのオススメメニュー、チャプリケバブに手を伸ばした僕は、驚嘆した。

 なんだ……この感触は!?────。決して食欲をそそるとは言い難いその漆黒の塊は、いかめしい歪な姿からは想像もつかない嫋やかさで僕の差し込んだプラスチックのフォークを受け入れた。
 そして、一切の抵抗をすること無く、まるで自ずから食される事を望んでいるかのように、一口大に分断された。

 違和感にも似た感覚に戸惑いつつ、フォークに留まる黒の断片を口へと運ぶ。

 その瞬間、僕はどこか異国の公園へと足を踏み込んだ。

 透き通る空から注がれる陽の光が、噴水に踊る水を煌めかせていた。
 そのまわりでは無数の鳩が、地面に降りて翼を休めていた。
 僕は無邪気に噴水へと走った。鳩たちを驚かせようと思ったわけじゃない。ただ、噴水へ行きたかった。でも鳩たちは一斉に翼を羽ばたかせ、光に溢れる蒼天へと、飛び立って行った────。
 ひと噛みで、僕の口の中にはその光景が、遠い異国の香りと共に広がった。

 形容するなら、ふわふわのつみれとでも言おうか、浮き上がるほどに軽い食感のそのケバブは、まさに飛び立つ鳩の群れのように口の中で解れた。

 一頻り食べ終わると、結構な量を頼んだからか、サービスでデザートを出してくれた。
 おそらく、ライスプディングだと思う。

 そうでないとしても、その優しく仄かな甘味は、僕にそう感じさせた。


 デザートを平らげ、チャイを飲み終える頃には、店内はタクシードライバーなどのパキスタン人で満席になっていた。


 この日の会計は、四人でお腹いっぱい食べて、140dhs。約4200円。一人あたり1000円ほど。


 誰かに伝えなければならない────。そう思うのはきっと、僕だけではないはずだ。


 一体どうすれば、この衝撃を伝える事が出来るだろう?


 とりあえず、あの鳩のくだりは分かりにくそうだから、人に言うのはやめておくとしよう。


 

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