皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

令和六年 蓮花根植え付け

2024-04-09 21:59:51 | 日記

令和六年の桜の開花は予想から遅れること十日以上、近年では珍しい4月に入ってからとなりました。

桜の花頃が蓮の植え時と言います。田んぼの土を用いて境内にて蓮花根を定植しました。

今年も行田蓮大使木暮照子先生から蓮根を奉納いただいております。ご主人様の木暮桂先生(生物学博士)から昨年蓮植えの基礎を直接ご指導いただいたことから、今年は神社前の田んぼの泥を用いて自力で蓮植えを行いました。

蓮文化研究会のテキストに沿って土の量を計り、手水舎の水を加えて粘土状にします。昨年いただいた元肥と追肥がありますので、鉢の総量に沿って添加します。今年で三年目となりますので、おおよその感覚は身に着いたように思います。

桜の咲く頃が蓮の植え時。そう教えていただきました。美しい桜の風景を眺めながら、夏の蓮の美しさをイメージします。

皿尾城碑脇に撒いたキンセンカも花の盛りを迎えています。冬を超えて花開くキンセンカはとても生命力にあふれています。

夏には美しい蓮の花が見られることを私自身が一番楽しみにしています。

 

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鳥居~神域への門~

2024-03-12 23:18:44 | 神社と歴史

地図記号で神社を表すのは「鳥居」とされています。基本的に鳥居のない神社はありません。(浦和の調神社など例外もあります)
鳥居は神聖な場所である神域への門であるとされ、神域と俗界を分ける結界に当たるものと考えられます。
鳥居の起源は「通り入る」がなまったものとか、古事記の記述によるものとされています。「天の岩戸神話」によれば天照大御神が素戔嗚尊の乱暴により天岩屋戸にお隠れになった際、八百万の神々が鳥を木にとまらせて、鳴かせることにより、岩屋戸からお出ましを願ったことによるものです。
鳥居が複数設けられている場合、最も大きい鳥居が神域全体の門として参道の入口にあり「一の鳥居」と呼ばれます。
本殿に近づくごと二の鳥居、三の鳥居と数えていきます。
鳥居の構造や材質も様々で、神社によって形態が異なりますが、代表的なものは「明神鳥居」と「神明鳥居」の二種類です。

明神鳥居は横柱(笠木)にそりがあり島木と呼ばれる下の横柱が重なっているのが特徴です。また「貫(ぬき)」と呼ばれる下の横柱が縦の柱から飛び出していることが多いことも目につきます。仏教の影響を受けた装飾豊かな形態です。

一方「神明鳥居」は構造がより質素で最上部の「笠木」が真っすぐで「貫」も縦の柱の内側に収まります。
神明鳥居は古代の信仰形態を反映していると考えられえ、質素で伊勢神宮の鳥居の形態もこの形になるようです。
木造の鳥居の多くは魔除けの朱色を塗ることが多く、神域を守る意味合いが強いようです。

日本最大の鳥居は紀州(和歌山県)の熊野本宮大社。世界遺産としても有名です。



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桜を待つ気持ち

2024-03-11 11:57:32 | 生活
勤務地が蓮田になって一年が経ちます。ちょうど桜が蕾の頃でした。西城沼公園の様子を見にきています。毎日のようにこの公園の脇を通りますが、歩く機会はなかなかありません。

市役所からほど近く、天気の良い日曜日には多くの市民が集う場所なのでしょう。
北埼玉と比べまだクビカアカミキリの被害が少ないようです。もう二週間もすれば色鮮やかな桜色が広がるようです。

花咲く時を待つ間、穏やかな日々を過ごします。卒業式を無事に迎えられれるように願っています。



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蓮田市黒浜 久伊豆神社

2024-02-19 20:26:41 | 神社と歴史

蓮田市黒浜は元荒川左岸に位置する農業区域でその台地上には椿山遺跡や黒浜遺跡など考古学上重要視される遺跡が数多い。特に黒浜貝塚においては縄文海進と呼ばれる時期に現在の東京湾の入り江となった場所で、その貝塚からは「黒浜式土器」と呼ばれる縄文土器が出土し、人々の当時の生活様式が映し出される貴重な遺跡となっている。<
時代は下り永禄七年(1564)国府台合戦で北条氏に敗れた太田資正の郎党野口多門はこの地に帰農し住居したことも知られ、室町時代後期には相応の村落が成立していたと考えられている。『神社明細帳』によれば享禄年間(1530年頃)騎西の玉敷神社から勧請されたと伝わる。祭神は大己貴命。宝暦二年(1752)神祇官領卜部兼雄から『久伊豆大明神幣帛』を授かり現在の社殿は天明八年に竣工。昭和五十八年に本殿が市の指定文化財となっている。
また社殿を囲む社叢も平成二年に市の保存樹林に指定され大切な鎮守の杜として保存されている
初午やお日待ちなどの年中行事も長らく伝わり、氏子の住環境が変わる中でそうした慣習が薄れつつも多くの記念碑が境内に残り古い歴史を今に伝えている。
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梅ノ木天神

2024-02-19 18:03:18 | 神社と歴史

川口神社の境内に梅ノ木天神がありました。駅から歩いて神社を探していたところ正面鳥居ではなく北東の鬼門口から入ったところ美しい紅白の梅が咲いていました。
目に見えぬ神の心にかよふこそ 
 人の心の誠なりけれ
学問の神菅原道真公を祀る天神様に多くの人々が願いをかけにお参りしています。

頭を垂れて親の恩 社会の恩 
 神明の加護をこの梅に託して 感恩の垂れ梅と命名す 宮司


学ぶということに対して学ぶ環境があることを忘れてはならないと改めて思います。私自身も若いころ学ぶことに対して横柄であったと悔やんでいます。
親があって、学び舎があって、神の導きがあってここそ社会の一員として生きている。
美しい紅白の梅も植えて育てた人があってこそその花を愛でることができる。
感恩の垂れ梅を見ながらそんなことを思っていました。
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