6月カレンダー(岩国城) | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

6月になりました。

今月のカレンダーは山口県の岩国城です。



今年のお城カレンダーでは2城のみ未訪問のところがあるのですが、そのうちの1つです。

本当は2年前に厳島神社とセットで訪問の計画をしていましたが、コロナ禍による移動制限と私的な事情により延期し、今日までリベンジを果たせずにいます。

なので、今回の記事も書籍やネットで調べたものなのでリアリティがありませんがご容赦ください。

岩国といえば、麓を流れる川にかかる錦帯橋が有名ですね。

それも城山にそびえる岩国城の天守をバックに撮影したショットが定番になっています。

岩国城は、初代岩国藩主吉川広家によって慶長13年(1608年)に作られた山城で、城下を流れる錦川を天然の堀とし、標高約200メートルの城山に築かれました。

天守は三層四階の桃山風の南蛮造りと呼ばれる瀟洒なものでしたが、築城からわずか7年後の元和元年(1615年)一国一城令により取り壊されました。

現在の天守は昭和37年(1962年)に外観復元されたもので、錦帯橋からよく見えるよう、もとあった位置から約50m南側に移動し再建されました。

ちなみに南蛮造(唐造とも)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式で、南蛮(ヨーロッパ)渡来の技術というわけではなく、当時としては新しい、または、変わった形をしているという意味でそう呼ばれています。

岩国城の他にも小倉城、高松城、津山城の例が知られています。

 

一方、錦帯橋は国指定の名勝であり、日本三名橋に数えられているのはもちろん、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として有名です。

延宝元年(1673年)岩国3代藩主の吉川広嘉が城と錦川を挟んだ対岸にある城下町をつなぐため、現在の錦帯橋の原型となる木造橋を架けましたが、錦川の洪水によりすぐに流失しました。

しかし、翌延宝2年(1674年)に再建された錦帯橋は、改良や補強、定期的な架け替えを重ねながら、昭和25(1950)年の台風29号による洪水で流失するまで約270年間その姿を保ち続けました。

翌昭和26年(1951年)には復旧工事が始まり、昭和28年(1953年)には工事が完了。

コンクリート製での再建案もあったそうですが、市民から強い希望もあり、木製で再建されました。 

平成16年(2004年)には劣化した木造部分を架け替える「平成の架け替え事業」が約50年ぶりに行われています。

岩国城はもちろんですが、江戸時代から変わらない伝統の工法で造られた錦帯橋も実際に自分の目で見てみたいです。


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