岡城②(大分県) | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

大分県の岡城訪問レポートその2です。


三の丸の奥には巨大な石垣があります。この上が本丸に当たります。

岡城では江戸時代を通じて、天守は建てられませんでしたが、天守に相当する三重櫓が右奥の一段高い櫓台の上に明治初年までそびえていました。


ARで再現された三重櫓


二の丸跡 

三の丸の奥には細長い二の丸があります。東側には二階建の風呂屋が築かれ、風呂屋の二階からは箱階段(屋根のある階段)から本丸へ直接あがるというルートも築かれていたようで、現在二の丸にある休憩所も内部の階段を上って本丸に通じる造りになっています。


空井戸

二の丸入口付近には井戸がありました。しかし、当初から水はなく空井戸であったといわれており、抜け道として使用されていたとか、財宝が隠されているなどの伝説も残されているようです。


月見櫓跡

二の丸の先端部には月見櫓が建っていました。月を見ながら城下を眺める。これぞ殿様の醍醐味だったことでしょう。


滝廉太郎像

二の丸中心部には滝廉太郎の銅像が建っています。

「荒城の月」の他「花」「箱根八里」「お正月」などを作曲した明治を代表する音楽家です。結核により23歳の若さでこの世を去っています。少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた彫刻家の朝倉文夫の手により、昭和25年に制作されました。

滝廉太郎は、少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1901年)に「荒城の月」を発表しています。 

一方、作詞をした土井晩翠は仙台城や会津若松城から着想したといわれ、以前訪れた会津若松城、仙台城にも荒城の月の歌碑がありました。いずれにしても日本を代表する名城跡で作られた名曲です。  


ピアノ

「滝廉太郎先生が聴いているかもしれません。ご自由に良い音を奏でてください」

二の丸にある休憩所の中には廉太郎をしのぶピアノが設置され、誰でも自由に弾けるようになっています。

残念!私は「チューリップ」しか弾けません。


三重櫓跡

初代藩主の中川秀成が建てた三重櫓は明和6年(1769年)に地震で崩壊し、安永3年(1774年)に再建されたといわれています。したがって、明治初期に撮影された写真は再建後のものです。完全に天守と呼んでも差し支えない規模のものですが、幕府への遠慮か「御三階櫓」と呼ばれました。


本丸跡

本丸は二の丸、三の丸よりも広く作られています。本丸には藩主の御殿が建てられ、御殿を取り囲むように三重櫓や多聞櫓、金倉などが配置されていました。


ARで再現された本丸


岡城天満神社

本丸跡には神社が建てられています。祭神は学問の神様菅原道真公。岡城が島津の大軍を寄せ付けなかったことから、「落ちない城」として受験生から人気らしいです。


西の丸石垣

V字に築かれた岡城の曲輪。今回ご紹介した三の丸、二の丸、本丸とは谷を挟んで西側にも立派な石垣が築かれた西の丸があります。山の上に大規模な城域をもち、但馬竹田城にも劣らない規模だったことがわかります。その広さは東西2500メートル、南北362メートル、総面積は23万4千平方メートルという広大なものでした。



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