1月カレンダー(姫路城) | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。



さて、2023年1月のカレンダーは朝焼けの中の姫路城です。1年の始まりを飾るのに相応しい城です。


日本が誇る世界文化遺産、国宝、そして現存12天守の一つですが、江戸時代初期に池田輝政が築城して以来、実は何度も消滅の危機に接していることはあまり知られていません。


1度目の危機は慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いの際、当時の姫路城主酒井忠惇は老中を務めていたため、当然幕府方であり、将軍徳川慶喜とともに江戸にありました。

藩主不在の姫路城は朝敵の城とされ新政府軍の兵1,500人に包囲されました。

この時、新政府軍の部隊が大砲で姫路城に向けて威嚇砲撃を行い、その中の一発が姫路城南西の城門に命中し破壊されています。

両者の緊張は高まり、新政府軍の姫路城総攻撃は不可避と思われましたが、藩主の留守を預かる家老達は新政府に恭順することを決定し、城を明け渡します。

こうして姫路城を舞台とした攻防戦は回避されました。しかし、譜代の姫路藩があっけなく開城したことは嘲笑の的となり、藩主に従い江戸にあった藩士たちは国元の者たちの行為をのちのちまで非難したといいます。 


2度目の危機は明治6年(1873年)。廃城令によって日本の城の多くが破却されました。 

姫路城天守も競売に出され、城下に住む金物商が23円50銭(現在の貨幣価値でたった10万円!)で落札しました。瓦や金属を転売することが目的であったといわれていますが、城の瓦を一般家屋に転用するには大きく重いことや解体費用が掛かりすぎるとの理由で結局放置され、その権利も消失してしまいます。

その後、姫路城は陸軍によって買い戻され、解体されずに文化財として保存することが決定します。


3度目の危機は太平洋戦争中、姫路には陸軍の部隊が置かれており、空襲の目標になることは明らかでした。

中でも、町の中心に聳える姫路城の白壁は非常に目立ち、爆撃対象とされるのが大方の予想で、それをカモフラージュするために、黒く染めた網(擬装網)が大天守にかけられました。

1945年(昭和20年)7月3日、姫路大空襲で、姫路の市街地は炎に包まれます。

姫路城の天守にも焼夷弾が直撃しましたが、幸運にも不発弾であったため、

焼失を免れました。

空襲の翌日、焼け野原と化した姫路の町に凛と建つ姫路城の無事な姿を見て、姫路市民は涙したといいます。


私が子供のころ姫路城は京都や奈良と同じく貴重な文化財なので米軍の爆撃対象からはずされていた、と聞かされましたが、上述のとおり城内にも実際に着弾していることから、たまたま運良く破壊を免れただけのことであり、事前に爆撃対象から外されていたわけではなかったことはのちに当時姫路を爆撃したB29の機長だった元米兵の証言からも明らかになっています。


今日私たちが白鷺の美しい城を見られるのはいくつかの奇跡と偶然の産物であり、この間姫路城に関係した多くの人たちの努力によるものを忘れてはいけませんね。


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