私の思い出の中に
映画 Stand by me にも似た
今も心に残る強烈なワンシーンがある。
小学校卒業制作のモチーフを探しに
大阪南港へと向かった時の
驚愕の事実とは一体何だったのか?
◇2016年投稿/ホーリーの改回顧録より


イメージです
象庁は
“今年、過去最高の猛暑になる”と
毎年同じ様な予想をする。
その年も例にもれず連日の酷暑の中、
朝から出ていく私を
母はかたくなに止めようとした。
しかし私は一瞬の隙をつき
仲間の待つ集合場所へ急いだ。
到着するとすぐさまみんなは
サイクリング車にまたがり
卒業制作の題材を見つける為に
大阪南港へとペダルを漕ぎ出した。
朝の光の中に溶けて行く私達6人は
途中、小さな駄菓子屋に寄って
4個100円のたこ焼きやチューペット、
自販機のジュースなどを買いながら
目的地を目指した。


早く出発した為、
少し惰性で進みがちだった私達は
4時間余りも走り続けると勢いが鈍った。
しかし、時折漂う潮の匂いと
変わりゆく景色が
今日の目的地に確実に近づいていると
誰もがそう思っていた。

しばらく走ると
貯木所やコンテナヤードがある
波止場の空き地に到着し、
私達はそこで休憩を取る事にした。
丁度2畳程のテントの影に涼を求め
おにぎりや麦茶、ジュースを
立ったまま飲食していたが
何気なくテントの表側に回ると
風に揺れる入り口が妙に気になり
みんなはその中へ
興味津々になだれ込んだ。

「 なんやこれ !

静まりかえった目の前には
人の形をした物体に
首から膝元に布がかけられていたが
布からはみ出た肌らしき部分は
どす黒くおびただしい斑点があった。
嗅いだことの無い臭さと嗚咽、
ふやけた顔は眼球が無く、
ポッカリ口を開けていた。
水死体だった。

の死や屍に
直面した事の無い私達小学生にとって
あまりにも衝撃的で
転がる様にテントから離れたが
吐く者やわざと気丈に振る舞う者、
みんな一時騒然となった。

手に持っていたジュースやおにぎりは
テントの中に落としてしまい
それを取りに行く勇気は
誰にも無かった。
ナメクジみたいにしなだれた心や体、
更には容赦なく照りつける夏の光が
みんなの士気を確実に奪った。
沈黙がしばらく続いたが
近藤君がゆっくりと重い口を開いた。

「こんなんで帰られへんで。」

誰も返事をしなかったが
ここまで道のりと4時間の労力が
無駄になる事ぐらい
みんなは分かっていた。
とりあえず、悪夢の場所から離れる為
この先に見えるオーバーブリッジ目指し
自転車を押して行く事に決めた。

さで溶けていくアスファルト、
立ち上がるかげろう。
蒸し返す暑さが容赦なく6人を苦しめたが
オーバーブリッジの麓に着くと、
その壮大さに驚きながら
さらなる橋脚の頂上を目指して
私達は自転車を押した。

港を抜ける潮風は心地よく
もはや味方となって力が沸いた。
途中、
橋のランカンごしに下界を見渡すと
尻のあたりがキュッとなり
暑さも忘れる位気持ちが良かった。

イメージです

誰かがフッと呟いた。

「この風景、題材にできへんか?」

「ウン!」

「ウン!」

賛同の返事がすぐに重なった。
歩道に自転車を寝かせたまま
スケッチブックを取り出すと
だいたいの区域分担をして
デッサンを開始した。
今までの萎びた心を忘れて
6人は一心不乱に描いた。

がて、納得がいくスケッチが
完成した頃には夕陽が沈む少し前。
オーバーブリッジは茜色に包まれ
私達は追い風を味方にして
自転車レースをしながら
下っていった。

イメージです

れから3ヶ月が経ち、
壁画は完成した。
黄色や赤のコンテナ、タグボート、
トラックやクレーンアームなど
細部まで書き込まれた盤面は
見るものを圧倒する程
素晴らしい壁画になった。
片隅には
決して忘れる事の無い
白いテントを描く事が
私達のこだわりだった。

6人だけの秘密と共に。