南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第44話「王者・谷原の気迫!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 f:id:stand16:20190713083954j:plain

【目次】

  


 

【前話へのリンク】 

stand16.hatenablog.com

 


<外伝> 

stand16.hatenablog.com

 

 第44話 王者・谷原の気迫!の巻

www.youtube.com

 

 

 

 

1.それぞれの表情

 

 三塁側スタンドは、最高潮の熱気に包まれていた。

「ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!」

「かっとばせー、ヨーコーイッ」

 一点差に迫った勢いのまま、墨高応援団にも熱がこもる。まるでうねりのようだ。そこに観客達の様々な声が入り混じる。

「信じらんねえ。あの谷原のエースを、つるべ打ちにしちゃうとは」

「墨高……強くなったとは聞いてたが。こりゃホンモノだな」

「うむ。かけつけた野球部OBの連中も、きっと鼻が高いだろう」

 その野球部OBの一人、田所はスタンドの最前列にて、半ば放心状態にあった。口をあんぐりと開け、微かながら両手が震える。

「こ、こんなことってあるのかよ」

 自然とつぶやきが漏れた。

「おれだって善戦を望んでたし、谷口達がほんきで谷原に勝とうとしてたことも知ってたけどよ。まさか……ここまで食い下がるとは」

 周囲では、一期下の後輩達が無邪気にはしゃぐ。

「よく打ったぞ島田! さすが昨年からのレギュラーだっ」

 中山が右こぶしを突き上げ、叫んだ。傍らで、長身の山口が「オイオイ」と苦笑いする。

「さっきまでの憂いは、どこ行ったよ」

「今さらいいじゃねーか。やっと勝てそうな潮目になってきたんだしよ」

 む、と太田も同調した。

「ピンチの後にチャンスありと言うが、そのとおりの展開だな」

 太田の一言に、中山が「オウヨ」と応える。

「こうなったら同点、いや一気に逆転だぜ」

 田所は「やかましい!」と、中山の脳天にゲンコツを喰らわせる。

「てっ。な、なにするんスか」

 頭をさすりつつ、中山は恨めしそうな目になる。

「まったく調子のいいやつらめ。さっきまでグチってたくせに、潮目が変わったとみるや、もう手のひらを返しやがる」

「べ、べつにいいじゃないですか」

 なだめるように言ったのは、気のいい山本である。

「げんに今、流れがきてるんですし。ここで応援してやらなきゃ」

「いい気なもんだな。見ろよ、谷原の連中を」

 そう告げて、田所は眼下のグラウンドを指差した。マウンド上に、谷原内野陣が集まっている。皆一様に険しい表情だ。

「あの村井は予選じゃ、ずっと無失点できてたんだ。それを墨高に破られたとあっちゃ、えらくプライドにさわったろう」

 小さく吐息をつき、田所は話を続けた。

「ほかの連中もだ。やつらきっと、ここから血眼(ちまなこ)で向かってくるぞ」

「……あ、あのう」

 ふいに太田が、おずおずと話に割って入る。

「なんだよっ」

「誰です? さっき、だまって応援すりゃいいと言ってた人は」

 あらっ、と田所はずっこけた。

 

 

 バックスタンドは、まだざわめきが収まらない。

「う、うそだろ……」

「あの村井が、墨高に三連打を浴びるなんて」

 思わぬ展開に、東実ナインは互いに目を見合わせ、一様に驚きの表情である。

「フフ。やるね、墨高」

 周囲をよそに、エース佐野は腕組みしつつ冷静に言った。口元に微笑が浮かぶ。

「たしかに今日の村井は、カーブが不安定だった。そこに目をつけるとは」

「カーブだけじゃないぞ」

 後列より、二年生捕手の村野が口を挟む。

「今の島田には、シュートまで打たれちまった」

「む。だがシュート打ちなら、墨高には井口がいるし、いくらでも練習できるだろう」

 ええ、と一年生の倉田が同調した。

「しかし墨高、勢いが出てきましたね。こりゃ一気に同点……逆転もありますよ」

「さあ。それは、どうだろうな」

 佐野の意外な返答に、後輩は「えっ」と目を丸くする。

「なんだ倉田。おまえ、気づいてなかったのか」

「は、なにがです?」

「あの村井が、まだほんとうの力を隠してるってこと」

 訝しがる倉田を横目に、佐野はグラウンド上へ険しい視線を向けた。

 

 

 マウンド上。谷原のエース村井は、左手にロージンバックを握り、しばし無言で佇む。

「おい村井。切りかえろ、あまり気にするな」

 傍らで、正捕手佐々木が励ます。

「カーブの制球が悪いのを、つけこまれただけだ。勢いにのせちまって、さっきの五番にシュートまで打たれたのは、ちと計算外だったが」

「……勢いにのせちまって、だと?」

 村井は顔を上げ、一瞬睨む目になる。

「気休めはよしてくれ。一本目はともかく、その後はちゃんと制球したのを、ジャストミートされたんだぞ。勢いやマグレで、俺のタマが打てるかよ」

「む、村井……」

 気圧される佐々木。村井はフフと、今度は自嘲の笑みを浮かべる。

「甘かったのさ」

「あ、甘かった?」

「決勝にそなえて、余力を残そうと考えたことじたい、墨高を甘く見てたんだ」

 そうだな、と佐々木も同意する。

「春先の練習試合で大勝したこともあって、どこか油断があった。あれから三ヶ月、やつらがこれほど力をつけてくるなんて、思いもしなかったからな」

「ああ。だがそれも、ここで終わりだ」

 エースは決然と言い放つ。

 

 

 三塁側ベンチ。反撃ムード一色にも関わらず、墨高のキャプテン谷口は厳しい表情を浮かべ、眼前のグラウンドを見つめていた。

 マウンド上では、谷原バッテリーが何ごとか言葉を交わす。

「ハハ、さすがだな」

 つぶやきが漏れた。傍らで、倉橋が「どういうことだ?」と問うてくる。

「もう少し動じてくれると思ったんだが」

 苦笑いして、谷口は答えた。

「見ろよ倉橋。谷原のベンチを」

「む……そういや、何の動きもないな」

 一塁側ベンチでは、谷原監督がさして顔色を変えることなく、静かに戦況を見つめていた。さらにマネージャーや控え選手達も、まるで動揺する様子は見られない。

「初めて点を取られたんだし、監督がバッテリーを呼んで指示するなり、ベンチから伝令を送るなりしそうなものだが」

「ああ。これぐらいで揺さぶられるチームじゃないってことか」

 そう言ってうなずく谷口。周囲では、仲間達がネクストバッターズサークルの横井へ声援を送る。

「いけーっ横井、遠慮することはねえぞ」

「流れはこっちだ。一気にたたみかけようぜ!」

 盛り上がるナイン達。その列に、谷口は「ちょっと」と割り込み、サインを出す。

 えっ、と横井は目を丸くした。しかしすぐにキャッチャー佐々木がポジションに戻り、アンパイアから「バッターラップ!」と声が掛かる。

「ど、どしたい谷口」

 戸室が怪訝げに言った。

「いま出したサイン。一球まてって……」

 そうですよ、と井口も同調する。

「せっかく勢いがついてるんですし、もっと積極的にいくべきじゃありませんか」

「バカいえ」

 口を挟んだのは丸井である。

「島田が一塁にいるんだし、ここはバントでかく実に進めなきゃ」

「そういうことじゃない」

 谷口の返答に、丸井は「あれ」とずっこけた。

「みんな。もう一度、気を引きしめ直すんだ」

 ベンチの全員を見回し、キャプテンは険しい表情で告げる。

「たやすく押しきれるほど、谷原は甘くないぞ」

「ぼくもそう思います」

 同調したのは、やはりイガラシだ。

「忘れたんですか。あのピッチャーが、まだほんらいの投球をしてないってこと」

 後輩の言葉に、谷口は無言でうなずいた。

 

 

 右打席にて、横井はバットの握りを短くした。

「さあ来い!」

 視界の端では、一塁走者の島田が離塁していく。

 そして前方のマウンド上。谷原のエース村井は、こちらに鋭い視線を向ける。明らかに怒りの形相だ。やれやれ……と、横井は胸の内につぶやく。

「二点取られたもんで、あの村井も気を入れてきたな。それで『まて』のサインか」

 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールする。

 村井はセットポジションに着くと、すぐに投球動作を始めた。クイックモーションから右手のグラブを突き出し、左腕をしならせる。

「……うっ」

 投じられた一球に、横井は思わず呻く。

 ズバン。快速球がうなりを上げ、懐の奥深くを突き刺した。その迫力に、先ほどまで盛り上がっていた三塁側ベンチとスタンドが、一瞬で静まり返る。

「す、ストライク!」

 心なしかアンパイアのコールも掠れる。

「こ、ここでインコースか!」

 驚愕の横井は、咄嗟に味方ベンチを振り向いた。キャプテン谷口が帽子のつばに触れ、次のサインを出す。

「……む、送りバントね。しっかしあのタマ、当てるのもカンタンじゃないぞ」

 二球目。またもインコースに、快速球が投じられた。まるで閃光のように、横井の寝かせたバットの上を通過する。

「ストライク、ツー!」

 あっさり追い込まれ、横井は「くそっ」と唇を歪めた。そして再び打席を外す。

 

 

「……な、なんだよ。あのタマは」

 三塁側ベンチ。谷口の横で、丸井が顔を引きつらせる。

「ミートのうまい横井さんが、バントもさせてもらえないなんて」

 ええ、とイガラシもうなずいた。

「打たせてとる投球から、一転してチカラでねじ伏せにきましたね」

「む。それにしても、さっきより数段速くなってねえか」

 驚愕と動揺が、ベンチ内に広がっていく。

「まだあんなタマ、投げられるのかよ」

「こりゃひっくり返すどころじゃねーぞ」

 そんな声も聞こえてきた。まずいな、と谷口はひそかにつぶやく。

「村井のタマに、みんな圧倒されてしまってる。ここは何としてもチャンスを広げないと」

 束の間思案した後、谷口は横井と一塁走者の島田へサインを送る。傍らで、倉橋が「おいおい」と目を丸くした。

「ヒットエンドランって、さすがに危険じゃねえか。空振りすりゃ併殺もあるぜ」

 谷口は「いや」と、首を横に振る。

「たしかに危険だが、何もしないよりはマシさ」

 やがて横井が打席に戻り、試合が再開された。

 横井はまたもバットを短く握り、村井と島田を交互に見やる。相手投手は再びセットポジションに着いた。この間、走者は一歩二歩と離塁していく。

 次の瞬間。くいっと村井が身を翻し、一塁へ牽制球を放った。

「なんだとっ」

 谷口は思わず声を上げた。逆を突かれた島田は、頭から滑り込む。

「……せ、セーフ!」

一塁塁審のコール。ベンチから「フウ」「あ、あぶねえ」と、安堵の声が漏れる。

「ちぇっ、やるじゃねーか」

 イガラシが呆れ顔で言った。

「てっきりバッターのことしか頭にないと思ったら。向こうのバッテリー、わずかなスキも見せないってか」

 ああ、と倉橋が苦笑いする。

「しかし……いくら左投手だからって、なんて牽制なんだ。あれじゃ、おいそれとリードもできねえぞ」

 グラウンド上。一塁手坂元が「ナイス牽制よ!」と声を掛けつつ返球した。おう、と村井が応える。谷原ナインの動きを注視しながら、谷口はさっきと同じサインを出す。

 島田は一瞬「えっ」と驚いた目をした。それでも無言でうなずく。

「お、おい谷口」

 再び倉橋が目を見開く。

「ちと無謀すぎやしねえか。あんな牽制をする投手相手に、足を使おうなんて」

「だからこそさ」

 キャプテンはきっぱりと答えた。

「しかけをためらえば、ますます向こうは調子づく。ここは引いちゃダメなんだ」

 語気を強める谷口。その迫力に、さしもの倉橋も口をつぐんだ。

 村井がマウンドのプレートを踏む。その斜め後方では、一塁走者島田が決心を固めた表情で、じりじりとリードを広げていく。

 そして、また村井が牽制球。島田は手から飛び付くように帰塁した。際どいタイミングだったが、間一髪セーフ。

「またまた……」

「あぶねえぞ、ランナー気をつけろって」

 内外野のスタンドから、溜息混じりの声が漏れる。

「もういいだろ村井」

 今度はキャッチャー佐々木が、聞こえよがしに言った。

「それだけ釘を刺しときゃ、ランナーはもう動けねえよ。あとはバッターをちゃちゃっと料理すりゃ」

 なにいっ、と横井は目を剝く。

「このヤロウ。言わせておけば……」

 迎えた三球目。村井が投球動作を始めるのと同時に、島田はスタートを切った。

「……くっ」

 インコースのシュート。横井の眼前で、ボールは膝元を抉るように鋭く曲がる。何とか当てようと差し出したバットは、しかし空を切ってしまう。

「ストライク、バッターアウト!」

 捕球するや否や、佐々木は二塁へ送球した。バシッと二塁手のグラブが鳴る。

「くそうっ」

 島田はタッチを搔い潜ろうと回り込むも、その指先をグラブがはらう。

「アウト!」

 無情な二塁塁審のコール。ああ……と、ナイン達から溜息が漏れる。

「一瞬にしてツーアウトかよ」

 ベンチ後列で、戸室が顔を歪めた。隣で丸井も唇を噛む。

「やられた。同点のランナーまでも……」

 ほどなく三振を喫した横井と、タッチアウトとなった島田が引き上げてきた。二人とも重い足取りである。

「す、スマン」

 謝る横井に、谷口は「いいや」と首を横に振った。

「おれの方こそ、焦りすぎたかもしれん。すまなかった」

 その時、ポンと肩を叩かれる。

「どしたい谷口」

 振り向くと、倉橋が微笑んでいた。

「試合序盤に、勇気が大事だと言ったのは、オメーじゃねえか」

「く、倉橋……」

「たまたまうまくいかなかったからって、キャプテンが弱気になってどーするよ」

 傍らで、イガラシも「そうですよ」とうなずく。

「向こうが本気になったのは、われわれが攻勢をかけたからです。残りのイニング、またねばってスキを見つけて、たたみかければいいじゃありませんか」

 ふと気付けば、ナイン達の視線が集まっていた。倉橋、丸井、イガラシ、戸室、横井、島田、井口。さらに控えメンバーも。

 幾分表情を和らげ、谷口は言った。

「そうだったな。ありがとう、みんな」

 結局、次打者の片瀬も三球三振に仕留められる。スリーアウト、チェンジ。

 

 

2.執念の谷原

 

「フウ……」

 本塁上にボールを転がし、佐々木は踵を返す。その背中に「ナイスキャッチャー」と、村井が声を掛けてきた。

「二塁で殺してくれて、助かったぜ。向こうも無謀(むぼう)なことをしたものよ」

「ああ。この回に限っては、だが」

 正捕手の返答に、エースは訝しげな目になる。

「気になることでもあるのか?」

「おまえのインコースとあの牽制を見せられて、エンドランを仕かけてきたチーム、今まであったか?」

 あっ、と村井は小さく声を上げる。

「そういや怖じ気づいて、なにもできなくなるチームばかりだったな」

「む。やつらの闘志は、並大抵のものじゃないってことさ」

 二人がベンチに帰ると、自然にチームメイト達が集まってきた。すぐにダッグアウト前で円陣が組まれる。皆一様に険しい表情だ。

「秋から無失点の村井が、ここで打たれちまうとは」

 まず坂元が口を開く。

「後ろで見てて、どうもカーブがよくないと思ってたが。やつらそれをねらって」

「ま……やつらは、負けてもともとだからな」

 苦笑い混じりに言ったのは、岡部である。

「チャレンジャーの向こう見ずが、たまたまうまくはまったんだろう」

 む、と細見も同調した。

「力量はともかく。思いきりよくぶつかってくる相手は、けっこう怖いからな」

「……ほほう」

 ふと佐々木が腰に手を当て、二人を睨む。

「おもしろいこと言ってくれるな。墨谷がチャレンジャーなら、こっちは王者気取りか。春の甲子園で、西将にやられた俺達が」

 厳しいキャプテンの言葉。二人はバツの悪そうに、うつむき加減になる。ナイン達の間に、しばし気まずい空気が流れる。

「まあ待て、佐々木」

 ふいに口を挟んだのは、監督であった。すっとナイン達の輪に入ってくる。

「か、監督」

 さしもの佐々木も、恐縮した表情を浮かべる。他のメンバーも直立不動の姿勢になった。

「気持ちは分かるが、そういきり立つことはあるまい」

「は、はい……」

「侮れない相手だということは、今さら言うまでもないがな」

 そう言って、監督はちらっとグラウンド上を一瞥する。すでに墨高ナインが、七回表の守備に散っていた。

「ただ向こうを警戒するあまり、こっちのペースを崩すこともない。墨谷がねばりの野球で来るのなら、うちはうちの野球を貫けばいいだけだ」

 指揮官の言葉に、谷原ナインは「はいっ」と応える。

「それよりワシが気になるのは、あの片瀬というリリーフ投手だよ」

 ふいに監督が声を潜める。

「あのボウヤ、たしかにいいタマを持ってるが……見るからに足腰が細い」

「まだ一年生なので、きたえ不足なのでしょう」

 宮田の発言に、指揮官は「うーむ」と渋い顔になる。

「きたえ方が足りないのは、たしかだろう。しかし同じ一年生の井口やイガラシは、いかにも頑丈そうな足腰をしていた。このちがいは、なんだろうか」

「ひょっとして……」

 佐々木がハッとしたように、目を見開く。

「やつは故障上がりなんじゃ?」

「その可能性が高いとワシは思う」

 指揮官の返答に、ナイン達は「ああ」とうなずいた。

 

 

 グラウンド上。片瀬の投球練習の間、墨高内野陣はボール回しを行う。

「へいっ、サード!」

 イガラシからのボールを、谷口はグラブに受けた。そしてすかさず「もういっちょ」と声を上げ、一塁方向へと体を向ける。

「ファースト!」

 送球が、一塁手加藤のミットに吸い込まれた。パンッと小気味よい音が鳴る。

「……もう七回か」

 三塁ベース横に移動して、谷口は一つ吐息をつく。

「さすが谷原だ。やっと流れをつかめたと思ったのに、すぐまた引き戻されてしまった」

 ほどなく片瀬が投球練習を終え、いつものように倉橋が二塁へ送球した。

「せめてナインの気持ちが、受けに回らないようにしなければ」

 そう胸の内につぶやき、谷口は「バッテリー」と呼んだ。

「二番からだ。さっきと同じく、思いきっていこうよ」

 キャプテンの掛け声に、片瀬と倉橋は「おうっ」と声を揃える。

 

 

 七回表。先頭打者の宮田が、右打席に入ってきた。

「二番からか。この後、クリーンアップに回るな」

 さりげなく打者の様子をチェックしつつ、倉橋はマスクを被る。

「長らく話し込んでたのは、おそらく片瀬のことだろう。点を取られた直後だし、きっと攻め方を変えてくるだろうから、まずそれを探らねーと」

 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールした。倉橋はすかさず、マウンド上の片瀬へサインを出す。

「まず、これよ」

 片瀬はうなずき、すぐに投球動作を始める。その瞬間、何と宮田はバットを寝かせた。投じられたのはスローカーブ

「なにっ」

 驚きながらも、片瀬はマウンドを駆け下りる。同時に谷口と加藤もダッシュした。だがミットにボールが収まる寸前で、宮田はバットを引く。

 アンパイアの判定はボール。うーむ、と倉橋は小さく首を傾げる。

「まともに打ち返せないもんで、小ワザを仕かけてきたか」

 倉橋は「それなら……」と、次のサインを出した。

 二球目。片瀬が左足を踏み込むと同時に、またも宮田はバットを寝かせた。投球はアウトコース低めに、小さく曲がる速いカーブ。再び三人がダッシュするも、やはり捕球寸前にバットが引かれる。

 フン、と倉橋は鼻を鳴らす。

「打つ気がないのなら、さっさと追い込むにかぎるぜ」

 続く三球目も、同じくアウトコース低めに速いカーブ。またしても宮田はセーフティバントの構えを見せたが、三たびバットを引いた。これでツーストライク。

「……しかし、みょうだな」

 宮田の大柄な体躯を、ちらっと横目で見やる。

「このバッター、なりにしちゃ俊敏だが、どう見てもパワーヒッターだ。そんなやつに、なぜわざわざセーフティバントを」

 訝しく思いながら、倉橋はマスクを被り直した。その時である。

 バント処理から戻った片瀬が、膝に両手をつき、フウと大きく吐息を漏らす。倉橋はギクッとした。すぐさまアンパイアに「タイム」と合図して、マウンドへと駆け寄る。

「おい片瀬。なんだ今の、ヘンな深呼吸は」

 まさか……と、囁き声で問う。

「どっか傷めたか」

「あ、いえ。スミマセン」

 端正な顔立ちの一年生は、苦笑いして答えた。

「続けてダッシュしたもんで、ちょっと息が切れちゃって」

「なんでえ、おどかしやがって。あれぐらい……」

 叱咤しかけて、途中で口をつぐんだ。そういや……と、胸の内につぶやく。

「こいつは故障上がりなもんで、ひざに負担のくる練習メニューはしてこなかったんだったな。それで谷原を一イニングおさえたんだから、大したものだが」

 黙り込む正捕手に、片瀬が「先輩?」と訝しげな目を向ける。

「あ……いや。とにかく」

 倉橋は一つ咳払いして、ミットで軽く後輩の背中を叩いた。

「いいボールはきてる。自信を持って、投げ込んでこい!」

「は、はいっ。ありがとうございます」

 そう言って、片瀬は朗らかに微笑む。

 ポジションに戻り、倉橋は「どうも」とアンパイアに合図する。ほどなく試合が再開されると、宮田は始めからバットを寝かせた。

「こいつ、なに考えてやがんだ」

 さすがに倉橋は、不気味に感じ始める。サインを出し、ミットをわざと外角のボールゾーンに構えた。

「ちと探ってみるか」

 投球と同時に、またも三塁手谷口と一塁手加藤がダッシュした。少し遅れて、片瀬もマウンドから駆け下りる。

「……なんだとっ」

 しかし宮田は、一転してヒッティングの構え。バットをはらうように、辛うじて外へ逃げるボールに当てて、ファール。

「ランナーなしでバスターか」

 倉橋は渋い顔になる。どうもすっきりしない。

「普通に考えりゃ、ボールの軌道がよく見えるようにってことだろうが」

 ふとマウンド上を見やる。片瀬がまた、数回深呼吸していた。無理もねえか……と、倉橋はひそかにつぶやく。

「ただでさえ体力不足な上に、試合経験も少ない。しかも相手が相手だ」

 この時ふと、思い至ることがあった。自然に一塁側ベンチへ視線が向く。

「まさか。谷原のやつら、片瀬の弱点を見抜いて……」

 マスクを被り直し、倉橋は「いや」と小さくかぶりを振る。

「谷原ともあろう連中が、うち相手にそこまでやるか?」

 五球目。宮田はまたもバントの構えから、一転してヒッティング。そして今度は速いカーブをカットした。

 くっ、と倉橋は口元を歪める。

「片瀬のいちばんのタマも、あっさりカットされたか。こりゃキツイな」

 

 

 一塁側ベンチ。その前列の隅にて、谷原監督は静かに佇んでいた。

「いいぞ宮田。この調子で、もっとゆさぶれ」

「あの一年坊、もうアップアップだぞ」

 盛り上がるナイン達を横目に、複雑な視線をグラウンド上へ向ける。

「……悪く思わないでくれよ、墨高の諸君」

 腕組みしつつ、監督は一人つぶやく。

「これも君らを認めるからこその、最善策だ」

 

 

 その時である。ふいに谷口が「タイム!」と合図し、片瀬に歩み寄った。すぐに倉橋も、マウンドへと駆ける。

「倉橋。どうやら谷原は、片瀬の弱点を突いてきてるな」

 キャプテンの指摘を、倉橋は「ああ」と首肯する。

「まさかとは思ったが。一点差にされたもんで、なりふりかまってられねえんだろう」

「む。そこで片瀬」

 後輩に顔を向け、谷口は端的に告げた。

「バント処理は、もう俺とファーストの加藤にまかせるんだ。向こうのねらいが分かった以上、まんまとそれに乗っかることはない」

「は、はい。ぼくもそうしたいのですが」

 そう言って、片瀬は苦笑いする。

「ピッチャーの習性で、どうしても足が出ちゃうんです」

 一年生投手の返答に、先輩二人は思わず目を見合わせる。

「ほう。いぜん誰かが同じこと、口にしてたな。しっかり教育が行き届いてることよ」

 倉橋の言葉に、谷口は「ハハ」と少しバツの悪そうに笑う。

「たしかにピッチャーも内野手の一人だ。反応するのは、悪いことじゃねーよ」

 生真面目な後輩に、正捕手は目を細める。

「しかしそれも、時と場合によりけりだ。今後はそういったことも学んでいくんだぞ」

「は、はいっ」

 素直に返事する片瀬。その背中を、倉橋はポンと叩く。

 

 

 やがてタイムが解かれる。

 倉橋は、アンパイアから替えのボールをもらい、片瀬へ返球した。この間、なぜか宮田はバットを立て、通常の構えに戻す。

「あの手この手とよくもまぁ」

 ひそかに溜息をつく。倉橋は呆れながら、半ば感心もしていた。

「谷原のやつらも、それだけ必死なんだな」

 そして六球目。片瀬が左足を踏み込んだ瞬間、宮田はすっとバットを寝かせる。

「やはりセーフティか!」

 マスクを放った倉橋の眼前で、小フライが上がる。ちょうどマウンドとホームベースの中間地点だ。そこへ片瀬が猛ダッシュして、グラブの左手を伸ばしダイブした。

 なっ……と、思わず目を見開く。

 片瀬はすぐさま、土にまみれた顔を上げ、グラブを掲げて見せる。その先端に、ボールは引っ掛かっていた。

「あ、アウト!」

 アンパイアのコール。そして一年生投手の気迫の好プレーに、内外野のスタンドから拍手が沸き起こる。

「……か、片瀬!」

 しかし倉橋は気が気でない。すぐに助け起こし「おまえひざは?」と、尋ねる。

「これぐらい、どうってことありませんよ」

 少し息を弾ませながらも、片瀬は力強く言った。

「バカめ。故障上がりのくせに、ムチャしやがって」

 軽く叱った後、倉橋はポンと後輩の背中を叩く。

「だが見かけによらず、いい根性してるぜ」

 内野陣からも、次々に声が掛けられる。

「ナイスプレーよ片瀬!」

 谷口が小さく右拳を突き上げた。さらに丸井も「見上げた闘志だぜ」と讃える。

「……さて。どうにかワンアウトを取ったが」

 ホームベース手前に屈み、倉橋は気を引き締め直す。

「問題はここからだぜ」

 ほどなく右打席に、三番打者の大野が入ってきた。こちらも眼差しが険しい。

「やれやれ。始まった頃のよゆうは、どこへ消えたんだか」

 横目で打者を観察しつつ、苦笑いする。

「どうやら俺達。完全に、谷原を怒らせちゃったらしいぞ」

 初球。片瀬が投球動作に入ると、この大野もバントの構えをした。

 すかさず谷口と加藤、さらに片瀬もダッシュする。ところが捕球寸前で、またもバットが引かれた。速球がアウトコースに決まりワンストライク。

「おいおい……さっきホームランを放った打者にまで、バント戦法とは」

 倉橋は思わず、一塁側ベンチを睨む。

「やつら本気で、片瀬をつぶす気だな」

 続く二球目。大野は始めから、バットを寝かせる。

「今度はバスターかよ。まったく、いろいろとご苦労なこった」

 皮肉を胸の内につぶやく。そして片瀬の投球。大野はやはりバットを立て、ヒッティングへと切り替えるかに見えた。

 しかし次の瞬間。大野はまたバットを寝かせた。

「な、なんだとっ」

 低めに投じられた速球を、大野は三塁線へ転がした。まさかのフェイントに、バント守備のスタートが遅れる。

「……いや、まて」

 三塁線上で、谷口が冷静に言った。白線上を転がってきた打球は、ベース手前で僅かに外へ切れる。

「ファール、ファール!」

 塁審が両腕を交差した。

「フフ。今のは完全に、意表をつかれたな」

 打席に戻ってきた大野が、倉橋に向かい不敵に笑う。

「パターンどおりの攻めしかできない、谷原と思うな」

 倉橋はぐっと、右こぶしを握り込む。

「言わせておけば……しかし、谷原め」

 正捕手の視線の先で、一年生投手が肩を上下させている。

「こうもしつように、ゆさぶってくるとは」

 ザシッ。低めをねらった片瀬の投球が、ホームベース手前でワンバウンドした。

「おっと」

 倉橋は咄嗟に、ミットを立てて捕球する。

「す、すみません」

 頭を下げる片瀬。倉橋は「力が入ってるぞ」と言って、ぐるんと両肩を回す。

「ほれ、こうやって体をほぐすんだ」

「分かりました」

 後輩は素直にうなずいた。マズイな、と溜息混じりにつぶやく。

「得意のカーブまでも、制球できなくなってきてる」

 アンパイアが「スリーボール・ツーストライク」とコールした。その傍らで、大野は一旦打席を外し、数回素振りする。

「このヤロウ、さっきからネチネチと……」

 倉橋はつい、打者を睨んだ。

「つぎで九球目だぜ。その気になりゃ、もっと早く打てたろうに」

 その九球目。こうなれば……と、ミットをど真ん中に構える。

「しめくくりはシュートよ」

 胸の内につぶやき、サインを出す。

「もうコースより、ボールのキレで打ち取るんだ。思いきり腕をふれっ」

 片瀬はうなずき、すぐに投球動作へと移る。

 その瞬間、大野はすっと立ち位置をピッチャー寄りにずらした。そしてバットを前へ放るように、軽くスイングする。パシッと小気味よい音。

「せ、セカン!」

 倉橋の掛け声も虚しく、速いゴロが片瀬の足下をすり抜け、二塁ベース右を破る。センター前ヒット、ワンアウト一塁。

「くそっ、やられた……」

 技ありの一打に、正捕手は唇を噛む。

「体力をけずった上に、まがりっぱなを叩くとは」

 その時、再びキャプテン谷口の声が響く。

「タイム! 内外野、みんなマウンドに集まるんだ」

 

 

 各ポジションは、ほぼ無人である。墨高ナインはマウンド上にて、力投の一年生片瀬を囲むように集まった。

「……片瀬」

 まず谷口が、穏やかな口調で告げる。

「よく投げてくれたな。流れをもってこれたのは、おまえのおかげだ」

「いえ……あっ」

 顔を上げた片瀬だったが、すぐマウンドに片膝をついてしまう。

「お、おいっ」

 慌てて加藤が屈み、寄り添う。

「まさかひざを……」

 片瀬は「いいえ」と苦笑いした。

「足首です。急にダッシュをくり返したせいか、両方ともつっちゃって」

「トレーニング不足だな」

 冷静に言ったのは、やはりイガラシだ。

「ひざをかばった練習量じゃ、このぐらいが限界ってことだ。故障上がりだったから、仕方ないけどよ」

 歯に衣着せぬ指摘をしつつも、イガラシは「ほら」と右手を差し出し、力投の同級生を助け起こす。

 立ち上がると、片瀬は全員を見回し、いつもの朗らかな笑みを浮かべる。

「期待に応えられず、申し訳ありません。みなさん後をたのみます」

 ぺこっとお辞儀して踵を返し、三塁側ベンチへと駆け出す。その背中に敵味方問わず、観衆から拍手が送られた。

「てやんでえ」

 ぼやいたのは丸井である。

「なにが期待に応えられず、だ。一時はベンチ入りも危ぶまれながら、あれだけのピッチングをして見せたくせに。気取りやがって」

 口調とは裏腹に、目には涙が溢れている。

「さあ……井口、イガラシ、片瀬。みんなそれぞれの役目を果たしてくれた」

 谷口はそう言って、ナイン一人一人の顔を見回す。

「つぎはおれの番だ。なんとしてもおさえて、ウラの攻撃につなげて見せる」

 キャプテンの決意に、ナイン達は「オウ!」と力強く応えた。

 

<次話へのリンク>

stand16.hatenablog.com

 

 

※感想掲示

9227.teacup.com

 

【各話へのリンク】

stand16.hatenablog.com