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富雄丸山古墳の被葬者は?(^_-)-☆

2023-01-28 11:27:55 | 古代史
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以前、「卑弥呼の巨大円墳が日本最大だよ!」でご紹介した日本最大の円墳としている奈良市富雄丸山古墳で驚くものが発掘されたと報道されました。

発掘調査成果
(1)造出し上段で粘⼟槨を確認し、蛇⾏剣・鼉⿓⽂盾形銅鏡が出⼟円丘部側の被覆粘⼟中には、鼉⿓⽂盾形銅鏡1⾯と蛇⾏剣1本が副葬されていました。
鼉⿓⽂盾形銅鏡は⻑さ約64 ㎝、幅約31 ㎝で蒲鉾状に棺蓋を覆う被覆粘⼟の形状に合わせ斜めに⽴てかけられていました。背⾯中央に鈕があり、その上下には倭鏡に認められる鼉⿓鏡の図像⽂様が確認できます。ほかにも鋸⻭⽂を中⼼とする⽂様があり、類例のない銅鏡です。表⾯が平滑に研磨されており、倭鏡⼯⼈が製作したとみられます。
鼉⿓⽂盾形銅鏡をブロック状の粘⼟で埋めてその上に⽔平⾯を作り出し、⻑さ約267 ㎝の蛇⾏剣が副葬されていました。⽇本最⼤の鉄剣でもあり、蛇⾏剣としては最古例です。
刃部幅は約6㎝ですが、蛇⾏しているため部分的に残存する鞘の幅は復元で約9㎝あります。柄頭・柄⼝・鞘⼝・鞘尻には有機質の装具痕跡が残存していました。


超豪華な副葬品です。古墳時代前期後半(4世紀後半)の古墳ですから、この時代の大王かそれに次ぐ人物のものですから、被葬者を考えてみたいと思います。

まず古墳の形状は先に述べたように奈良市は直径109mで日本最大の円墳としています。しかし、これよりも大きい円墳が三つも九州にあることは以前の記事「卑弥呼の巨大円墳が日本最大だよ!」のとおりです。奈良市の動画でコメントしたとおりです。卑弥呼、その弟赤坂比古と父の先代赤坂比古の順で日本三大円墳としました。つまり三つともムナカタ海人族和邇氏の祖の墓です。和邇氏の首長墓は巨大円墳なのです。富雄丸山古墳も、下図のとおり、小さな作り出しが付いていますが今のところ日本で四番目に大きいものです。


そしてwiki「和珥氏」によれば、和珥氏(わにうじ)は、「和珥」を氏の名とする氏族。5世紀から6世紀にかけて奈良盆地東北部に勢力を持った古代日本の中央豪族である。和珥は和邇・丸邇・丸とも書く。とありますから、地名が奈良市丸山町ですので、和邇氏とかかわりがあると思います。丸山は和邇氏の墓という意味なのでしょう。

和邇氏は藤原不比等が隠したい日本建国で活躍し、7世紀まで天皇に皇后や妃をだした超有力な豪族だったのです。ムナカタ海人族であることを知られると、不比等らが日本書紀で隠したおおきなウソがバレるので、恐らく和邇という氏(うじ)も不比等が作ったものかもしれません。たぶん、墓が丸いのと、山陰地方で鮫をワニと呼んでいたので、海人族をこの氏族名にしたのでしょうか?玄界灘を主な活動域とする縄文系海人族で、国生み神話のイザナミはスサノヲやニギハヤヒを生み、比婆山に葬られています。比定地は出雲と伯耆の二か所ありますが、後者安来市伯太町の比婆山の可能性が高いと思います。つまり、米子市宗形神社を本拠地としていたムナカタ族なのです。和邇氏の祖先代赤坂比古の娘卑弥呼は先代久々遅彦(狗古智卑狗、大国主の父)の姉または妹を母とするので、大国主とはいとこである姫巫女(ひめご)と推理しています。

そして、富雄丸山古墳の富雄(トミオ)は「長髄彦(ナガスネヒコ)の正体も?」で説明したとおり、「トビ(蛇)の尾」という意味だと思います。つまり大国主の子孫ということでしょう。大国主の子ホムダワケが初代祭祀王応神天皇で、その子で母が和邇氏宮主宅媛(みやぬしやかひめ)である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を示唆しています。

wiki「菟道稚郎子」によると
概要
菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国の宇治(現在の京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。

郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。

『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。


とあり、郎子の遺言で散骨するようにしたとあるので、宇治市莵道丸山の宇治墓(丸山古墳)を陵墓にしたということなのかもしれません。しかし、すでに「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?」で述べたとおり仁徳天皇に皇位を継承させるために皇太子だった郎子が自殺するなど、あり得ない話です。ですから、全くそっくりな話を神武天皇崩御後の事件として創作しています。真相は「空白の世紀と倭の五王の謎?(その1)」で述べたとおり、応神天皇崩御後に宇治天皇として即位し、壬申年(372年)に崩御し、仁徳天皇が即位したと推理しています。


富雄丸山古墳の周辺を捜索して霊山寺(奈良市中町)という鳥居のある珍しいお寺を見つけました。霊山寺の奥の院で弁財天を祀っています。つまり宗像女神イチキシマヒメ卑弥呼なのです。霊山寺の縁起から、どうも和邇氏の子孫の右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子)の開基ということのようです。その他に大国主を祀る神社もいくつか発見しています。

これだけ関連するものが出てきましたので、恐らく富雄丸山古墳の被葬者は応神天皇の後に即位した宇治天皇(菟道稚郎子)だとみてよいと思います。不比等や藤原氏が懸命に隠そうとしましたが、地元の人々の心までは隠すことはできないということなのでしょう(^_-)-☆
本日から2日間、第6次発掘調査の現場を公開するそうですのでお近くの方はどうぞ!( ^)o(^ )

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【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆
令和五年(2023年)の大発見第1位です。考古学的にはこの発見が最大の話題だったと思います。
富雄丸山古墳はこの時代(4世紀後半)の他の古墳と比べて全く異様です。
巨大円墳に造り出しがあり、墳頂はすでに盗掘にあっているようですが、造り出しに被葬者があったために空前絶後の超豪華な副葬品二点が出土し、さらに今回青銅鏡が3面出てきました。卑弥呼の鏡といううわさもあります。
また竪櫛がでてきて女性的だという意見が解説した考古学者から出ました。しかし、この時代の古墳に副葬された竪櫛は女性の持ちモノとは限らず、男性の頭部に副えられた例もあり、葬儀に使ったものかも知れません。もしも被葬者が女性であれば耳飾りや首飾りの玉類が大量に出るはずですから、被葬者は男性と見られます。
墳頂の主体部に遺骸の痕跡が無ければ、最初から遺骸はなかったと考えられます。つまり、本当の被葬者を隠すために造り出しが作られたと考えられます。被葬者は大王クラスの人物で、何らかの理由で造り出しに隠されて埋葬されたと考えられます。



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