ブログやめてしまったのですか?という✉を

いただいてから随分とたってしまいました汗

お久しぶりすぎる投稿になってしまいましたが、

体調が悪かったからではなく、私は元気です。

すみません〜🙇‍♀️

 

 

 

さて、

今回のタイトルを見て、

 

「あビックリマーク部屋とYシャツと私!?

と思ったアナタ。

 

そんなアナタはアラフィフ以上!?にひひ

 

 

この曲は、30年くらい前に大ヒットし、

当時のモテ曲で

「女性版関白宣言」ともいわれる。

その頃の私は女として見られることを

良しとしておらず、

この曲の可愛さの影に隠れた芯の強さを

理解できずにいた。

 

 

 母は強し。女でも強し。

 

 

そんな気持ちを痛感させられる仲間とともに

今わたしはいる。

 

その仲間とは、

フラアンジェリカとつぼみフラという

障害者支援者団体Junko Hula Circleの仲間。

(ジュンコ・フラサークルHP→こちら

 

フラとの出会いは 前回 投稿したとおり。

 

 

2015年11月13日金に乳がんの告知をうけ、

まず最初に思ったこと。

 

それは、

 

「私が死んだら

 息子はどうなってしまうのだろう。」

 

 

 

最重度知的障害の息子は、当時高校1年生。

 

息子は小学部の頃

自傷行為やパニックが酷く、

 

自分の頭を

自分の手で殴るだけでは飽き足らず、

 

壁や床に頭をうちつけていた。

 

 

私は息子の頭蓋骨が割れないよう

必死でガードした。

 

 

 

「自分の頭ではなく私を殴ってほしい」

 

 

 

何度もそう思った。

 

 

 

 

毎日、穏やかでいるより

泣いている時間の方が多い息子。

 

 

 

 

 

 

そんな息子が、あることをきっかけに

徐々に変わり(この話しはまた他の機会で)

やっと療育ができはじめ、

ほんの一筋の光が見えたところでの

乳がんの告知だった。

 

 

 

告知直後、

しばらく前向きになれずにいたが、

家族のサポートなどで闘病する気持ちが

スタートする。

 

(母についてはこちら→ 父についてはこちら→ 

 姉についてはこちら→ 主人についてはこちら→

 

 

 

 

乳房以外にリンパ節にも転移があり、

また癌の大きさが5cmほどと大きかった

ことで手術より先に抗がん剤治療を。

 

抗がん剤治療、左乳房全摘出&

リンパ節郭清手術、放射線治療、

ホルモン治療、と続く中、

 

2017年12月11日

ある重大なことに愕然とする。

 

 

「あと3か月で会えなくなってしまう。。。」

 

 

 

2018年3月。

息子は12年通った特別支援学校を卒業する。

 

それはイコール、

同学年のお母さん方との別れを意味する。

 

闘病中、私を救ってくれた大切な仲間。

 

 

 

 

離れたくない。

 

 

なんとか繋がっていたい。

 

 

 

 

 

 

そう強く想い念じていると、

フトある考えが浮かんだ。

 

「私が夢中になっているフラ♪
そうだ!皆でフラをするのはどうだろう!?

 

 

お母さん方に、恐る恐る聞いてみた。

 

「卒業後、皆で繋がっていられるために

 一緒にフラをやるのはどうかな?」と。

 

すると

「やりたいラブラブ!やろうよ!!

 嬉しいビックリマーク

皆も一緒の想い、

離れたくないと思ってくれていた!!

 

「よし!

それなら講師の免許を!」と名古屋へ。

 

恩師カピリ先生から

めでたくデュプロマをいただき

フラアンジェリカはスタートしたキラキラ

 

 

 

 

そしてもう一つのグループ、つぼみフラ。

 

つぼみフラには両親が存在する。

 

 

母は、干し野菜研究家の澤井香予先生。

(こちら

父は、つぼみの家山寺所長。(こちら

 

 

つぼみクッキングに初めて参加したとき、

香予先生が発した

「何か運動したいと思って~ラブラブ

のひとこと。

 

その言葉に、その時一緒に参加していた

アンジェリカのアッコはんが

「フラ楽しいですよビックリマークね、順子先生べーっだ!

とキラーパスをアップ

 

すかさず私は、障害児者支援者限定でフラを

教えてます。良かったらいかがですかはてなマーク

とたずねると、

 

香予先生は、ぜひやりたいです音譜と。

 

そしてその場にいらした山寺所長が、

「つぼみでやってみようかニコニコ」との言葉で

つぼみグループ関連で募集をし、

つぼみフラがスタートした。

 

集まったメンバー間今では強い絆で結ばれ、

お互いを思いやるその気持ちに

心がたびたび熱くなる。

 

 

つぼみフラのスタート間もない頃、

レッスン日などを決めている時

メンバーのある言葉に

涙が溢れたことがあった。

 

それは、こんな言葉だった。

 

「嬉しいわ~ドキドキ 手帳に自分の予定が

書き込める日がくるなんて思わなかったビックリマーク

と。

 

お子さんのことが中心で、

母としてだけの存在になり、

自分の時間を持てなかった、

私と同じ人がここにもいた。

 

 

 

母だけではない、

小林順子としての自分が

大切なことを感じたのは

2016年12月11日

 

この日、初めてステージでフラを披露した。

 

障害児支援者という、

ずっと黒子でいた自分が

スポットライトを浴びて踊る。

 

それは、なんとも表し難い快感ドキドキ

 

 

でも、一番感動したこと。

それは、披露後帰りの電車の中で思った

↓だった。

 

“息子を主人に預けて丸一日外出したのに、

息子のことを一度も考えなかった自分が

いたコト”

 

 

こんなに夢中になれることに出逢え、

そして元気に踊れることに感謝した。

 

そして同時に、

「去年の今頃はたいへんだったなガーン」と

その一年前の2015年12月11日を思う。

 

その日は断髪式日。

 

 

抗がん剤の副作用で髪が

バッサバッサと抜けるのが耐えられず、

「え~い、ならば剃ってしまえグー」と

母と姪っ子がバリカンをハサミ

 

 

 

 

 

 

そして今年、

2019年12月11日の私は、

自身と仲間の写真が掲載された神奈川新聞と

チャレンジドコンサートのチラシを手に

マリンFMのスタジオにいる。

 

 

 

 

 

詳しくはFacebookをパー

アカウント有の方https://www.facebook.com/kobajun5

アカウント無の方https://m.facebook.com/pg/junkohula/posts/?ref=bookmarks&mt_nav=0

 

 

 

 

 

偶然メモリアルデーとなった12月11日

 

 

来年の12月11日

私は何をしているだろう。

 

 

 

 

 

望みはただひとつ。

 

 

 

 

休みを余儀なくされているメンバーが復帰し

全員で踊っている、

 

メンバー全員が元気でいる、

 

その家族全員も元気でいる、

 

そんな12月11日になっていたい。

 

 

Holo i mua.  Aloha nui loa.虹

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき有難うございます☆ 

 

JunkoHulaCircleを主宰してますキラキラ

ホームページはこちら

 

ランキングに参加しているので、応援ポチ↓2カ所して

いただけたら嬉しいデス❤

 

にほんブログ村 病気ブログ がん 初回治療~経過観察へ

 

 

また、広告下の“いいね”ポチもぜひ~♪