眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ブログ更新の逡巡

2024-02-27 01:26:00 | ブログ反省会
 下書きは随分と溜まったけれど……。
 何かの拍子にブログ更新の必然性が疑われてしまったら、どうなることでしょう。例えばそれはこんな風にして始まります。

 ここなのか? 
 ここでなければいけないのか。他へまわしてはどうなのか。note へまわしてはどうなのか。はてなブログへまわしてはどうか。

 今日なのか?
 今日でなければいけないのか。明日へまわしてはどうなのか。

 これなのか?
 これでなければいけないのか。これでない方がよいのではないか。もっと他にいいのがあるのではないか。これほどつまらないものはないのではないか。

 今なのか?
 今でなければいけないのか。夜でもいいのではないか。先にご飯を食べてもいいのではないか。お風呂に入ってからでもいいのではないか。今にこだわることもないのではないか。今、今、今、今……。つかもうとしてもどうしてもつかめない。未来はあっても今は存在しない。今はあきらめるしかないのではないか。

 僕なのか?
 僕でなければいけないのか。誰かが更新すればいいのではないか。僕であるべきことがあるのか。誰かにとっての僕の更新に埋もれていくしかない僕がすべきことなのか。これが僕か。あの時の僕はもう僕の中にいない。あの時の僕からすれば僕はもう僕ではないのではないか。どうして僕は僕なのか。僕、僕、僕、僕……。うるさい。何者かと呼んでくれ。元僕と今僕とかけあって、僕は僕を受け継いでいく。価値をつかみ続けるためにはどうすれば……。僕が本当にしたいことを知っている僕を、僕はまだ見つけられないのではないか。

 そんな風にして、疑いは募っていくばかりです。

 ブログ更新に必然性が必要ならば、あらゆるところでそれは崩れていくでしょう。頭の中は混乱し、疑いは簡単に晴れることがありません。

「ああ、ブログ書きたいな」

 やがて、そういう気持ちが心の奥から湧いてきます。
 それが出口です。

「更新したいな」

 逡巡のインターバルは、心の奥に眠っている本当の気持ちが育まれている時間でもあったのかもしれません。
 じわりじわりと湧いてくる魂の声を、打ち消す必要はありません。
 あなたは感情に従って、ブログを更新することができます。

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どうせ誰も聞いていない

2024-02-20 00:06:00 | ブログ反省会
 人前に出るのは苦手でした。人前で話したり、歌ったり、そういう状況は避けて通りたい。そう思ってずっと生きてきました。けれども、年の瀬ともなると人々の輪が僕を取り込もうとする。当時は、そんな時代でした。もうずっと昔の話になるでしょうか。

「どうせ誰も聞いてないよ」

 鬼のように上手い歌を聞かせてくれた後で、友は言いました。
 難しく考えすぎだろう。
 自意識過剰であろうと言うのです。
 勿論、カラオケに上手い下手なんか関係ない。好きなように歌って楽しめばいいだけです。実際、見回してみれば、彼の言うことももっともでした。談笑に盛り上がる者、酔いつぶれて眠る者、2人きりで熱心に話し込む者。誰もカラオケどころではない。ただ少し大きなBGMがかかっているようなものです。
 それもそうかもな……。僕は少し彼の言葉に揺れていました。誰も聞いていないのだから、もはやそこは純粋な人前とは違う。人はいなくなり、そこにいるのは鴉と同じなのです。少しマイクの方に近づきかけた時、羞恥心とは違う感情が湧いてきます。

(どうして鴉の前で歌う必要が?)

 全力で聞かれるのは恥ずかしい。しかし、まるで聞いてもいないというも、寂しいような、必然性がなくなったような。何か馬鹿馬鹿しいような気がしてきたのです。
 僕が前に出られないことは変わらなかったのです。


「どうせ誰もみてないよ」
(気楽にやればいいんだ)

 僕はそう自分に言い聞かせて、ブログを書こうとすることがあります。けれども、それが更新を躊躇わせる理由にもなることは、既に経験済みのことではありました。未だに彼の歌にコンプレックスを持っていて、僕は何も成長していないということかもしれません。

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勝負ブログ ~ライト・ブログ

2024-02-14 19:23:00 | ブログ反省会
「ねえ君、もう一勝負してみたら?」

 人生の大先輩が、少し冗談ぽく話しかけてきました。
 いつも会うと挨拶してくれる人でした。何気ないことを、いつも気さくに話しかけてくれる人でした。(いい人みたいだ。世話好きな人かな。少し干渉してくるようなとこあるな)そんな印象を抱いていました。

(一勝負? なんじゃそりゃ)

 今のままではまるで駄目だみたいなことなの?
 自分なりに少しは前進しているようなつもりもあったので、何か今を否定されているような、僕はちょっと寂しい気持ちになってしまったのです。でも、先輩は、よかれと思って話しているのです。冗談ぽい奴、すぐ終わる話のはずが、意外に熱を帯びて事細かに続いていくのです。

(ああ、やっぱり思った通りの人なんだな)

 適当な相槌を打ちながら、興味がなくはない振りをしながら、僕は話が終わるのを待ちました。その間、僕は先輩も自分自身も、欺き続けていることになります。素直ではない、本音でぶつかっていけない、自分の態度に、僕はだんだん腹が立ってきました。もしも、セールスの電話などだったら、その場限りのことと冷たく断ち切れるはずなのですが。

「ああ、すみません。僕にはブログがありますので」
 例えば、そんな風に胸を張って言える大切な何かがあればよかったのですが……。なければ、へらへら聞いているほかありません。昔からそんなことが、繰り返されてきた気もします。

(そうだ。ずっとそうだったんだ)

 僕は人の退屈な話は雨音に変換して聞くことができたのです。ただ純粋に音だけを聞いて、節々に盛り上がりをみつけ相槌を打てばいいのです。雨はその内に上がりますから。
「一勝負をかけるには車を組み立てねばならない」雨音の中には、激しいメッセージ性が入り乱れ雷のように光ります。へー、そうなんですね。
 

 いつの間にか雨が上がった部屋の中で、僕はしばらくの間ぼんやりと椅子にかけていました。静寂の奥から自分が戻ってくるのを待たなければなりません。

 あなたには、大切に思えるブログはありますか?
 勝ちとか負けとか、そんな些細なものに惑わされる必要はありません。ブログは、好きに書くのが一番です。
 少し気分のわるいような日も、書いている内に心も軽くなってくるかもしれません。

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日記こそが王道だ

2024-02-06 23:35:00 | ブログ反省会
 ブログで何を書いたらいいかわからない。そういう人は、迷わず日記を書くのがいいでしょう。僕も、最近は日記に注目しています。
 今後は、「日常・体験・感情」といったものが、キーワードになってくるかもしません。 革命的な進化をみせる AI は、歌詞でも物語でも論文でもそれらしく書いてみせます。知識・情報という領域となると、もはや人間ではかなわなくなるでしょう。

 だけど、彼も日記だけは書けないのです。彼には生身の体験や感情がないからです。正しいことは話せても、悩んだり感動したり病んだり、恋したり。そういうところは、現在のところはまだ未熟で苦手のようなのです。人間である僕たちは、 AI と向き合う中で、「人間とは何か?」ということについて、考えさせられます。あるいは、「仕事とは何か?」、「アートとは何か?」、「表現とは何か?」そういう問題について、突き詰めて考えることになるでしょう。

 人間とは、考えて行動する生き物と言うことができます。
 考えて、行動すれば、 次に日記を書くのが自然な流れとなります。


 今日はうどん屋さんに行きました。うどん屋さんに入ると、誰も気づきませんでした。一歩目で気づかれないと、嫌な予感がするものですが、やはり歩を進めても誰も気づく様子がありません。帰ろうかとも思いましたが、帰ったら負けだと思いました。足音を立てず、空気のように気配を消して入る僕が悪かったのでしょう。何も黙って入ることもなかったのです。

「あー、腹減ったぞー」とか、「いやー、今日は何食べようかなあ」とか、いくらでも独り言をつぶやきながら入店することは可能だったはずです。

 出汁職人さんも、麺職人さんも、背中を向けて何か作業に追われている様子でした。人は背中に目などついていないのだから、僕が来たことに気づかないのも仕方ありません。
 しかし、僕が見えている店の人は、他にもいるはずです。あなた、あなた、あんた、僕が見えているでしょう。来たって教えなきゃ。教えてあげればいいじゃないですか。いや、僕か。僕が、おーいとか、こんにちはとか、すみませーんとか、うどんくださーいとか、何か言えばいいのでした。
 けれども、僕は元気が出ませんでした。(おつかれさまと言っても返事がなかったな。とか少し前のことを思い出して凹んでいたのです)
 少し水滴のついたトレイと小皿だけ取って、スライドして、海老天を小皿に載せて、そのまま進んで、レジでかけうどんを注文しました。

「かけうどーん!」

 間接的にうどんが注文されました。(よかった)その時、麺職人さんは、少し驚いたでしょうか。
 僕も、接客の経験があるのでわかります。入ってくることに気づかずに目の前に突然客が立っていたら。突然いたら心臓に悪いのです。何か靴音の1つでもさせながら、やってきてほしいのです。いつでも前を向いて、来客に備えているというのが理想ですが、現実はそうもいかないのです。
 うどんを食べて帰る時には、店の至る所から「ありがとうございます」の声が聞こえました。

 僕は、麺職人さんに一言言ってほしかったのです。
「あんた、幽霊みたいだな!」

 そうです。不朽の名作ドラマ『さよなら、小津先生』の中で出てくる台詞ですね。ドラマは、はじまりがあって終わりがあって、はじまりに続くみたいな、スポーツ青春ドラマですが、真剣なところも、少しふざけたようなところもあって、僕はこのドラマが大好きなのです。最初観た時に、いいなとは思ったのですが、最近また改めて観てみると、やっぱり何度観てもいいのですね。
 田村正和と言えば、古畑任三郎を思い浮かべる人も多いと思います。そこでの今泉役の西村雅彦との名コンビもいいですが、『さよなら、小津先生』の中でのユースケ・サンタマリアとの関係性とか、かけあいとか、無茶苦茶面白いんですよ! (騙されたと思って、観てほしいですね) まあ、キャストはめっちゃ豪華です。ああ、あの人が出てる。若いなとか、今だからできる発見もあります。そして、エンディングが、aikoの「おやすみなさい」。もう、しびれるしかないじゃないですか。
 とにかく、楽しくて、かっこよくて、心がホットになる名作ドラマです。

「あんた、幽霊みたいだな!」

 でも、まああんまり客に言ったら駄目な奴ですね。(コンプライアンス的に)

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すぐ切れるものたち(ブログ・アスリート)

2024-02-01 01:20:00 | ブログ反省会
 すぐ使うだろう。と思って買っておいたものが、気がつくと期限切れになっている、ということはないでしょうか。粉チーズ、片栗粉、パスタ・ソース、手巻き海苔。いつのかなと思って見た時には、半年とか1年も期限が切れていたりします。たっぷりとあると思う消費期限も、そうでもないことがあります。気づくと1年くらいはあっと言う間に過ぎるのです。

 1週間の間に2度、3度、パスタ。2日連続でパスタ。それなら切れるはずはないのです。しかし、一度パスタ熱が冷めると、存在を忘れるほどに遠ざかってしまいます。きっと原因はその辺りにあるのでしょう。考えてみれば、最近はおでんとカレーの2パターン化していて、それでは他の食材が入り込む余地もなくなります。言わばひふみん式です。

 本棚に目を移してみると、英会話やビリヤード入門、猫の描き方など、期限の切れた本が並んでいるのがわかります。本には期限がないようにも思えますが、再び熱が向かないと決まっていれば、それはもう切れてしまっているのです。(ビリヤードなど、たまたま一度やっただけで、つい熱くなった勢いで入門書を買ってしまう。でもすぐに醒めてしまうのです)

 日記などの文章においても、同様のことがあります。これはブログに書くぞとペンを起こしますが、走り始めた途端に疲れてしまって、寝かせてしまいます。そして、気づくとそのまま起き上がることなく、眠りっぱなしになっていることがよくあります。

 生きていると、その日その日(その場その場)に書きたいことに出会います。その日感じたことという鮮度には勝てません。過去にときめいたことも、時とともに自然に風化して、何を書きたかったのか思い出せなくなってしまいます。本当にときめいた? そうなると当時の自分の感性さえも疑ってしまうことになるでしょう。

 芯となる部分を思い出せなければ、その文はもう没となることが自然です。(何かのきっかけで、別の何かと結びついて復活するということは考えられますが)

 では、どうすれば期限切れになってしまう文章を救うことができるでしょうか?
 1つは、客観的に見てもわかるほどに、少なくとも形にしておくことです。おおよそ固めておけば、細部は後でどうにかなるものです。
 あるいは、もっとスピード感を持って書くことです。
 なるべく簡単に、無駄を排除して、本質だけみて、ゴールを向いて書くのです。立ち上げたペンが眠ってしまうより早く、ゴールまで走り切ってしまうのです。
 書くという作業は体力を使いますが、ゴールラインに早く到達するためには、瞬発力も大事になるのではないでしょうか。

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グループに参加できない人 ~はてなブログのジャンパーたち

2024-01-30 00:42:00 | ブログ反省会
 グループとは、部活やサークルのようなものでしょうか。お同じ趣味や世界を共有できることは、老若男女問わずに楽しいものです。
 はてなブログでは、ただ記事を書くよりも、グループに参加してから書く方がいいようです。探すにも探されるにも、何についての記事かわからないものよりも、ある程度テーマが絞ってあると便利な面があるでしょう。

「グループは誰でも参加できる」

 確かにそうは書いてありますが……。
 まずは雑談でもとアプリから参加のところをタップすると、画面が切り替わって真っ白いページに飛ばされます。処理中か? と少し様子をみているといつまで経っても、ページは白いままです。調べてみると、どうも現在アプリで問題が生じているようです。

(誰でも参加できるが今はできない)

 気を取り直して、今度はアプリを経由せずにログインして、グループ参加を試みました。(対処法の中にもあったはず)
 すると瞬時に画面が切り替わって、インディードのページに飛ばされました。

「お前はもっと働け」
 そういうことか……。誰でもというのは、建前みたいなものだったのだな。でも、妙な話です。

(ん? インディード)

 インディードは、最近、僕が見たことのあるページでした。誰もがインディードに飛ばされるはずがないではないですか。おでかけネットに飛ばされる人もいるでしょう。

「お前はもっとどっか行け」
 などと言われます。

 退屈なブログのページに飛ばされて、
「お前はもっと眠くなれ」
 と言われる人。

 月までも飛ばされて、
「お前はもっと外から地球を見つめ直せ」
 と言われる人。

 思い切り火星まで飛ばされて、
「もっと孤独の意味を知りなさい」
 と言われる人。

 意に反してグループに参加できなかった人々が、飛ばされる先々で様々なことについて考えさせられる。そんな風景が想像できてしまいます。まさに狐に化かされたような気分ではないでしょうか。

 実際にはてなブログのグループには、どのようなものがあるのでしょう。雑談・日記を書くグループ、小説を書く人、落語研究会、ミステリー・サークル、コーヒー好きの仲間、ドリブラーを応援したい、UFOを観る人たち、将棋同好会、noteを書いてよかった人、パンク・ロックが好きだ……。公式のとは他に、有料のPROでは自らグループを立ち上げることができるとのことで、それならほぼ無数に存在してもおかしくはありません。

「早く私も参加して、グループ人間になりたい」

 そう感じるのも自然でしょう。しかし、逸る気持ちを抑えて、じっくりと自分の記事を書きためておくのはどうでしょうか。
 そして、いつか環境が整備される時を待って、
「待ってました!」
 とばかりにグループに参加し、記事を投稿するのです。

 飛び切り面白い記事を書く必要はありません。
 あまりに自分で納得して満足できるようなものを書いてしまうと、それはそれで怖い話もあるのです。

 実際にそれを読んだ人の反応が、
「何か眠くなるな」
 だったら、それでもあなたは平気でしょうか。
(骨折り損のくたびれもうけだ!)
 と吐き捨ててペンを投げてしまうかもしれません。
 そうならないように、適当なところで切り上げることも考えておくとよいでしょう。

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退屈/孤独/芸術

2024-01-15 18:51:00 | ごく短い日記
カーテンを引く彼女が

今日は現れなかったので

僕は窓の外ウォッチャーになっていた


いつまでも見ていられる気がして

いつまでもそうしている内に気がついた

きっと自分の内に向かうためには

退屈も必要なのだ

孤独も必要なのだ


もしもあなたが芸術家ならば

ただ「寂しい」と感じるのではなく

それも1つのチャンスなのだと

受け止めてほしい

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noteを離れてわかったこと

2024-01-09 11:13:00 | ブログ反省会
 noteを離れてわかったことは、やることが1つ減ったということです。人間の時間は1つ1つの動作によって奪われていきます。1つと言っても決して小さいとは言えないのではないでしょうか。

 noteとは、SNSの一種です。ブログに似たものだと捉えることもできそうです。noteをしていたと言っても、やっているのはgooブログと全く同じでした。ブログで書いて思い入れのある記事を、そのまま時間差で投稿しているだけでした。なので、やめたと言っても、元々やってもいなかったとも言えます。

 noteには「スキ」というのがあって、赤く灯るのは、何かときめくところはあるような気がします。しかし、無差別に「スキ」しまくったり、「スキ」を自動化して量産するツールもある。なんて話をきくと、流石に萎えるものがありますね。 

 SNSにありがちですが、最初は多少の交流的なものもありました。創作活動とは言っても、ささやかな交流は励みにもなるものです。だけど、不思議とだんだん下火になっていきます。(まあ、自分から行くことがないのだから、必然だとも言えましょう)

 自分なりに頑張ったもの(それなりによく書けたと思えるもの)ほど、それに反して共感は得られないような気がします。頑張ったようで頑張っていない。それなりくらいでは何も響かない。そういうことも言えますが、そもそもほとんど誰も読んでいないのです。目につく機会さえ乏しいものです。詩や小説のタグやお題に、どれだけの力があるでしょうか。
 ああ、そうだったな。改めて気づいて、急に思うのです。

「ここで何やってるのだろう?」

 それだったら、もっと他に動作を向けてもいいのではないか。コーヒーを飲んだり、読書をしたり、食べ歩いたり、山にこもったり……。他にすることはないのかなとそんな気持ちになることがありました。

 noteには無料プランと有料プランがありました。(ブログでもそういうのが多いですね)noteには、マガジンというのがあるのですが、gooブログで言う「カテゴリー」みたいなもです。それが無料のだと確か10ほどしかできなかったと思います。たった10? gooブログも以前は少なかったように思いますが、今は無料でも100カテゴリーは作れます。(誰が100ものカテゴリーを必要とするの?)でnoteの有料プランに入るともっと増やせるということで、結局入ってマガジン30くらい作っていた時期がありました。それである時、マガジン(カテゴリ)増やすだけのために月500円とか払ってていいのかなと思い直して抜けました。noteの話も長くなってしまいました。

「何か眠くなるな」

 どこからかそんな声が聞こえそうです。
 それで年の瀬くらいに下書き保存していた記事を全部出し切って、noteはやめてしまいました。何か昔たくさんいた自分の周りの人がみんなやめていったような気が、かなり前からしていて。どうしてかなとか思いながら、モチベーションが下がってしまいました。
 まあ、やめたと言いつつマイページは残っていますし、いつでもまた始めることもできます。

「もうフットボールは引退します」

 と言っても、「引退を撤回します!」と言えば、再び始めることも可能なわけです。将棋ウォーズも1日指さず、2日指さず、と続けていけば、自然と離れていくこともできます。でも、ログインすればいつでも再開はできます。だいたい何でもそうですね。
 何かけじめをつけたくて「やめた」と言ってみたくなることもあります。まあ人間さえやめなければ、いつでも復活することはできるのではないでしょうか。
 何か違うと思ったら、一旦離れてみるのもいいかもしれません。

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祝ブログアクセス2人

2023-12-29 00:12:00 | ごく短い日記
昨日のはてなブログの訪問者

2人だけだったな

年末は誰もが忙しくて

大掃除をしたり

餅をついたり

年賀状を書いたり

田舎に帰ったり

テレビを見たり

炬燵に入ったりしてるから

ブログどころじゃないんかな?

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眠くなるブログ

2023-12-27 19:29:00 | ブログ反省会
「どこかに価値はあると思っていたが」


 随分と昔のこと。僕が書いた長文を読みながら、職場の同僚が言ったことを、思い出しました。
「眠くなるな」 
 その時、隣でスマホ画面をのぞき込んでいた人も、その意見に共感しているようでした。確か夢小説か何かでした。(そのつもりはなかったのに、秘密を勝手にばらす人がいたせいで読まれてしまったのだ)

 あんたにはわからないよ。

 感性が足りないんだろ。面白がって読んだら楽しめるんだよ。その時の僕は内心ではそんなことを思いながら、とぼけた振りをしていました。
 だが、時は巡って、今となっては彼の言う通りではないかという思いが、日増しに強くなっていきます。
「何か眠くなる」
 それこそが、宇宙中の読者を代表する声では?
 夢の話とか、僕がだらだらと書いてしまうような文章は、ただ眠くなるばかりではないでしょうか。結論がなかったり、簡潔でなかったり、論点がぼやけていたり、回りくどかったり、繰り返しだったり。睡魔を誘うことにおいて、伸びているのではないでしょうか。
 だったら、むしろそういう人、眠れない人をターゲットにして、眠たくなるための文章を目指していくべきなのでしょか。

 いったいそれはどんなモチベーションなのですか。
 だいたい逆ではないでしょうか。
 ぱっと目が覚めるような、そんな文章の方を書いてみたいような気もしてきました。

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ちゃんとしたブログ

2023-12-23 17:49:00 | ブログ反省会
 ちゃんとしたブログを書きたくなったのです。そのためには、荒れ果てたカテゴリーの並ぶ、この地を離れてみる必要がありました。
 早速、はてなブログというサービスに登録してみました。アプリは割とシンプルなようです。ちゃんとしたブログなので、お題に参加することにしました。

『最近飲んでいるもの』

 具体的で、自分について考えられる、いいお題です。僕は最初コーヒーを思いついて、結局みそ玉について書いてみることにしました。みそ玉とは、みそを丸めた玉です。YouTubeでやっていました。冷凍してお湯を入れるだけですぐ飲めるという優れものです。詳しく書いてしまうと重複するので、やめておきます。gooブログにも「お題」はあるのかもしれないけど、参加した記憶はありません。ともかく、全く同じことを別の場所でそのまま書く(投稿する)というのは、やめることにしました。

 はてなブログのアプリにも、アクセス解析のようなものがありました。『みそボールの感動をあなたにも』の記事にも、早速5人ほどのアクセスがあったようです。お題に興味があるというユーザーも、それくらいいるということでしょうか。せっかくだから、10人くらいには読んでもらいたいものです。しかし、今の時代、ブログの記事は読まれない。(なかなか読まれにくい)くらいの前提で考えておく方がよいのかもしれません。

 そうい言えば、gooブログに「アピール・チャンス」ってありますが、誰にアピールできるのでしょうか? アクセス解析を見ている人にでしょうか? だとするとすごい狭いスペースでのアピールになるけど、どうなのでしょうね。

 日付が変わって、「スター?」が1つついたようです。noteでいう「スキ」のようなものでしょうか。(noteは懐かしいですね)
 かつて現代詩フォーラムとか、noteもそうですが、お知らせが赤く灯ると、何かありがたげな感じがします。
 家でも、街でも、SNSでも、ブログでも、最初の内は新鮮な気がしていいですね。

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専門性みたいなものもほしい

2023-12-11 22:55:00 | ブログ反省会
 僕はあれこれやりすぎていたのではないでしょうか。
 折句とか短歌とか夢の話とか、日記とか創作ノートとか、ショートショートとか、詰将棋(詰めチャレ)の話とか、将棋ウォーズとか。(だいたい棋譜も譜面もない自戦記なんて誰が楽しめるの)
 そうしたすべてに興味を抱けるとしたら、それは世界で自分のほかにいないのではないでしょうか。あれもこれも好きなように書いてきました。そこに問題はなかったでしょうか。あまりにも1つのブログに詰め込みすぎたようにも思います。

 そこで今日に至っては、考えるべきところにきたと気がつきました。どこかに自分を分散してみたい。もっと方向性を固めたものを、個別に始めたい。ゼロからするために、gooブログではなく別の場所を設けたいと思います。例えば、それははてなブログになるかもしれません。

 詩的なものと自由に小説的なものを書くところ、言葉遊びに特化して書くところ、ショートショート、短い話に特化して書くところ。そうして分けて書いていくのが、自分のためにもいいのではないでしょうか。
 ここはあまりに雑然としすぎていて、作者自身が手に負えないというのもあるかもしれません。

 自分が楽しむということも勿論大事なことですが、もっと読者に楽しんでもらえるような、世界によい影響を与えられるような、そんなものを書けるように、身を削って努力することはできないでしょうか。
 今までは、主に自分の内にいる読者しかみていなかったような気がします。サービス精神に欠けていたのではないかなと思います。

 好きなことを好きに書いて発表できる場があるということは、それにしてもよいことです。
 完全に更新をとめるまでもない。
 ここではもう失うものもないような気分になりました。

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幽霊エレベーター

2023-12-02 18:11:00 | 運び屋
 レインウェアを着て走っている時、早く降り出すことを願う俺がいる。防水キャップに重ねてヘルメット、スマホホルダーも完璧。備えたからには降ってほしい。そうでなければ暑いだけで馬鹿みたいだ。街を走るからには、何でもいいから鳴ってほしい。大げさなバッグを背負ってただ走っているのは空しくなってしまう。何でもいいから運びたい。せめて誰かのために。

 
 どこかのローソンが偶然に俺を呼んだ。誰かが大量の飲料を注文したらしい。2リットルのコーラだけでバッグはパンパンになった。何十本背負えば、俺の罪は消えてくれるのだろう。進む度にバランスが崩れそうだ。坂道に耐えられるか。突っ込んでくる逆走自転車を避けてふくらんだ瞬間、タクシーのクラクション。俺を抜いた後もずっと尾を引いている。もう無理か。元から無理ゲーだった。突然、肩の荷が下りたように軽くなる。星になったか。誰かが背中に字を書いたようでもあった。俺ははっとして振り返った。俺の後ろにパンダが乗っていた。

「降りて! 君も捕まっちゃう」
 俺はまだ倫理的なものに縛られていた。

「大丈夫。前だけを見てて」

「君は?」

「僕はモノトーンだから見つからないよ」

「どうして助けてくれる?」

「好きだからさ。だからじっとしていられない。留まっていられるのは不死のものだけだからね。前を向いてる?」

「もうすぐ着きそうだ。コンビニからいたの?」

「いつだって君の背中にいるよ。思い出がいつも未来にあるようにね」

「ありがとう」

 ドロップ先のマンションに着くとまた重たさが戻ってきた。


 一足先に乗り込んだ女が自分の階のボタンを押した。
(何階ですか?)
 女が言い出すのを俺は待っていた。3秒が過ぎた。5秒過ぎ、10秒過ぎても静寂が続いていた。ほぼ一緒に乗り込んだのではなかったのか。もしやと思い、正面以外のあらゆる面を確認する。右にも、左にも、後ろにも、操作盤はない。見えていないのか……。俺は幽霊になったのか。

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ミニマム・ファッション

2023-11-16 03:47:00 | ナノノベル
 着るものなんて、何でも構わない。それは超越? それともあきらめ? よくわからないな。纏わされてみてはじめて、これ何か違うと思う。昨日はこれだったかもしれないけど、今日はどう考えても不正解。じゃあこれにする? いいえ、この色はちょっとね。何かしっくりとこないというか……。秋じゃない。このふわふわもちょっとね。朝にはこれだったかもしれないけど、夕暮れにはちょっと浮いちゃうっていうか……。じゃあこれにする? いいえ、これはないかな。だって、みんなこういうの着てるじゃない。もう着尽くされてるって言うの。じゃあ、これなんかは? うーん何か冴えないな。何て言ったらわかるかな。落ち着かないんだな。別にかっこつけてるわけじゃないの。周辺視野の中の自分が自分らしくありたいと思うだけ。じゃあこれは……。

「もう裸で行く!」

「寒くない?」

 寒くなんかない。まだ初秋じゃないか。
 あえて着ないという選択もある。それが私に許された当たり前の自由だった。

「さあ、出かけよう!」

 最近少し太り気味の飼い主を連れ出して、この街の夜に染まること。それが私のルーティンなの。

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さらば人間よ(らくご虫)

2023-11-15 19:08:00 | 無茶苦茶らくご
 秋の虫が鳴き始めたからもう秋だ、なんて人間の声が聞こえてきます。わしら虫というのは、何も好き勝手に鳴いているのとちゃいます。ちゃんと班毎に分かれて規律に沿って正しく奏で合っとるんですわ。それはともかく古来人間というものは、やたらと虫を目の敵のようにするんですな。何とかなりませんやろか。

「ひー出たー!」
 いやいや旦那は自分のスリッパが作った影に驚いてる様子だ。
「やっぱり出たー!」
 出たといってもまだ子供でっしゃろ。それに虫の立場から言わせてもらうなら、出るのは主に人間さまの方でっしゃろ。
 さて、虫と鉢合わせたといって旦那は恐ろしい勢いで引き上げていくわけですわ。どこ行くねん。

チャカチャンチャンチャン♪

「あー、危なかったー」
「かったじゃない。またくるでー。人間はしつこいからな」
「きっと武器を持ってくるわね」
「僕が何をしたっていうんだよ」
「人間の抱えた闇が私たちを敵にみせるのよ」
「何だか面倒くさい生き物だな」
「ああ、そうさ。あいつら顔がでかいからな」

 人間一人が帰った後で虫たちの家族会議が開かれるわけですな。とはいえ、これは虫独特の周波数で交わされとるわけですから、仮に人間の耳に入ったとしても何のこっちゃわからへん。その辺の茂みから漏れるポップな歌声とはまた別物ゆーことですわ。それにしても、人が帰ったからいうてすぐに安心しないとこが虫のすごいとこですわ。だいたい人間いうもんは、虫のすごいとこばっかり真似しよんでしょ。科学? ふん。文明? ふん。元々わしら虫から盗んでまっしゃろ。飛び方、隠れ方、乾き方、頑張り方……。数えたらきりがおまへんで。勝手に使うだけ使った上で、何を向けてきはるんや。何やそのスプレーは何ですの。撃退? ふん。何や。なんやねん。なんやねーん!

チャカチャンチャンチャン♪

「ここにいようよ。ちょっとかかったくらいじゃ死なないし」
「ここは俺らの庭だしな」
「いいえ。死ななくても害は害なの」
「どうしてその霧を僕たちに向けるの?」
「存在を消したいからよ」
「あいつらだいたい身勝手だからな」
「私たちが出て行く方がしあわせだわ」

 子供虫にも親虫にもそれぞれに言い分はありまんねんな。しかし相手が人間となると、どうにも理屈が通じるわけがおまへん。だいたい人間という生き物は問答無用でかかってくるもんやさかい、わしら虫の正論なんか蹴散らされることが目にみえとるんやで。そうなる前に、虫は動かなあきまへん。夏やろうが秋やろうが同じ事や。わしら虫は1秒を大事にせなあきまへん。そこいらの人間みたいにだらけとる余裕はありまへん。ほんまやで。そりゃほんまでっせー!

チャカチャンチャンチャン♪

「でも、母さん。ここは僕たちの庭なのに」
「人間はすべて自分の家のように思うのよ」
「あいつら思い上がりが激しいからな」
「すぐに行くの?」
「そうよ。支度しなさい」
「父さん、起きて。もう行くんだって」
「全く、面倒な奴らよのー」
「行くでー!」
「さあ、行きましょう。人間のように意地汚くなることもないのよ」

 さて、武器を手に早速戻ってきた人間はシューッと一噴き「いなくなれー!」と眉間に皺を寄せながら念じるわけであります。そんな雑念からは既に離れたところで、虫の一家は新しい演奏会に加わる手始めに軽く挨拶をしてみせる。殺気と一線隔てたところで実に風流なものでございます。虫に意志あり。

チャカチャンチャンチャン♪

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