〜母の大好きな桜の季節に寄せて〜


314日といえば


世の中はホワイトデー。私にとっては最愛の母の命日。


今年で4回目の命日。

四年経っても、母が好きだった山口百恵さんの「いい日旅立ち」と「秋桜」は泣けてしまうので歌うこともできない。聴くのもつらい。


それでも月日が経つのは本当に早い。

あのときも羽生結弦選手はがんばっていたなぁ。なんて思いながら先日テレビを見ていた。

母は羽生結弦選手の大ファンだった。

言葉も出なくなり自分で手を動かすこともできなくなった状態なのに、羽生結弦選手がオリンピックで登場した時には一生懸命テレビに顔を向けたのにはびっくりしたものだった。


母が死ぬ時は家がいいと昔からしつこいほど言っていたし、父も在宅で看取ったので、私には選択肢がなく(と言っても自分で決めたことだが)ワンオペ在宅看取り。最後の何ヶ月かは睡眠時間も最大1時間半だった。ほんとにきつかった。何度も、自分の方が先に死んじゃうんじゃないかと思うほどだった。


文字通り体力も精神的にも地獄の日々だったが、24時間母と一緒にいることなんて、母のお腹の中にいたときか、もう覚えていない0歳児のときくらいであったろうし、後になって思えば、もっともっと元気なうちにそばにいればよかったと思っているので、苦しかった看取りの時間も神様がくれたプレゼントだったのだろう。


それに、ワンオペと言っても、私には助けてくれるヘルパーさんや訪問看護さんや心配してくれる友達もいて、今でも、感謝の念に絶えない。

人に恵まれた人生を与えてくれた母にもありがとうと言いたい。


ただ、看取りの間、泣いていいのはシャワーの間だけだった。


母は私が笑っているのを見るのが好きだったし、気にしてくれてる人たちにそれ以上心配をかけたくなかった。


年内も難しいと言われながら、桜が大好きな母が心待ちにしていた桜の開花まで生きながらえてくれたのも、陽気に振る舞ってくれる訪問看護さんたちがいてくれたからじゃないかと思う。私も一緒になって母の前で歌い笑って過ごした最後の日々を忘れることはできない。

そういえば、葬儀にはどうにか無理を言って取り寄せた桜で祭壇を飾ることができた。あの時の斎場の人も無理を聞いてくれてありがとう。


と、ここまで書くと、看取りが素晴らしいような印象を受けるかもしれないが、正直に言って100%看取りをお勧めはできない。


もちろん、助けてくれる家族が複数あり、睡眠を確保出来るだけの交代制でみることができ、本人も強く望んでいるなら別だが。

現実的には、いろいろと有料レンタルや、器具の購入、入浴も訪問入浴を頼んだり、代わってくれる家族がなければヘルパーさんも自費で頼む時間も多くあり、訪問診療も高い。

高額療養費以外の自費分はかかるものと思っていた方がよい。

それに、何より声を大にして言いたいのは、在宅で使える薬は限られているのだ。


ガンなどの終末期における痛みのコントロールは、どうしても病院でケアをする方が優っていると言わざるを得ない。

大切な人が苦しんでいるのを見てもどうにもできない悔しさは、どう表現していいかわからない。


今、在宅看取りを推進するような風潮もある中で、この点だけは、言っておきたい。


全員が在宅看取りが良いですよ!とは言えないのである。


逆に、ホスピスの方が、家族も一緒に過ごすことができたり、痛みのコントロールができたりで、個人的にはよほど本人がどうしても家でと言わなければホスピスをお勧めしたいくらい。


母の命日にあたって、私のこの小さな声が、自分や大切な人の今後を考えるきっかけになる事を願う。




(写真は母が亡くなった2018年の桜)