【神社】杜本神社(羽曳野市)

杜本神社

「杜本神社(もりもとじんじゃ)」は、大阪府羽曳野市駒ケ谷にある神社です。平安時代に記された「延喜式神名帳」に河内国安宿部郡(あすかべぐん)の名神大社としてその名が記載された、いわゆる式内社です(杜本神社の後裔と推定される神社は当社と隣の柏原市国分東条町にある杜本神社の二社が論社(比定社)となっています)。明治時代以降の近代社格制度では村社に列格していました。

駒ヶ谷は羽曳野市東部の古墳や寺社などの歴史スポットが多数存在する地域で、杜本神社は駒ヶ谷を通る日本最古の官道、竹内街道沿いに鎮座しています。


杜本神社の正確な創建年は不祥です。御祭神は延喜式に「二座」とある通り経津主神(ふつぬしかみ。香取大明神)と経津主姫神(ふつぬしひめかみ)の夫婦神となっています。

社伝によれば、第10代崇神天皇の頃、経津主命14世孫である伊波別命(いわわけのみこと)が祖神である経津主命の御陵のある石川の東辺に住んで経津主命を祀ったとされ、伊波別命の子孫が代々奉仕し、弘仁(810年~824年)の頃には矢作忌寸(やはぎのいみき)と呼ばれたそうです。同時代に編纂された新撰姓氏録には河内国に経津主神(布都奴志乃命)の子孫である矢作連の名が見られます。

天正年間、織田信長が安閑天皇陵を本丸とする高屋城を攻めた際の兵火に罹り社殿を焼失。豊臣秀吉には社領を没収され社頭は衰微しました。杜本神社には聖徳太子ゆかりの寺院とも伝わる真言宗の古刹で神宮寺の金剛輪寺(近飛鳥寺)があり、江戸時代に入ると金剛輪寺住職の覚峯(覚峰)阿闍梨によって杜本神社は再興されました。明治時代になると金剛輪寺は廃寺となり、杜本神社は1872年(明治5年)に旧社格制度で村社に列し、1908年(明治41年)12月に神饌幣帛料供進社に指定されました。

杜本神社は駒ヶ谷駅や飛鳥川の東の丘陵地に鎮座し、表参道入口は南西の竹内街道に面しています。本殿は江戸時代に高津宮(現大阪市中央区)から移築されたもので、その側には人身獣面の石像「隼人石」があります。

境内社としては、反正天皇、伊波別命、遠登売命を祀る維日谷稚宮(若宮神社)、正一位橘朝臣楠木正成公を祀る南木神社、菅原道真公を祀る天満宮(菅原神社)、天照皇太神社、光国稲荷神社、光吉稲荷神社、猿田彦大神などがあります。また、境内には藤原永手の墓碑や亀ノ石、さらに大楠公首塚などもあります。


杜本神社周辺を見ると、歴史を感じさせる竹内街道と沿道の町並みをはじめ、600mほど南西に大祁於賀美神社、1.6kmほど南東に飛鳥戸神社、1.6kmほど南には壺井八幡宮といった神社の他、小さな古墳が点在するなど見所が多い地域となっています。

●杜本神社について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2021/06/komagatanimorimotoshrine.html


アクセス

近鉄南大阪線「駒ヶ谷」駅からは北東に進み、チョーヤ梅酒本社前の交差点から飛鳥川を渡って右折。すぐにある分岐を左に入り、竹内街道(国道(酷道)166号)を道なりに約200m進むと左手に杜本神社の参道入口があります。

近鉄南大阪線「上ノ太子」駅方面からは国道166号(竹内街道)を西に2km弱ですが、途中に狭いところもあるので車の場合は要注意です。

国道から一の鳥居までの参道は広くなっていますが、参拝者用駐車場となっているのかは不明です。

2021年3月撮影

杜本神社(羽曳野市)


杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

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杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

杜本神社(羽曳野市)

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