【神社】茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮

「茱萸木八幡宮(くみのきはちまんぐう)」は、大阪府大阪狭山市茱萸木にある神社です。南河内有数の難読地名ともいわれる茱萸木(くみのき)地区は、市の中心にある日本最古のダム式ため池「狭山池」の南に広がる歴史ある西高野街道沿いに発展したもともとの集落と、西側の丘陵地に開かれた新興の住宅地から成ります。

茱萸木八幡宮の正確な創建年は不祥ですが、茱萸木新田の開発が始まった江戸時代の1637年(寛永14年)以降と考えられます。大阪狭山市の資料では、現在の河内長野市寺元にある観心寺槇本院(まきもといん)の法印(僧位の最上位)照秀(しょうしゅう)が村の鎮守として勧請した八幡神社がその始まりであるとされます。

御祭神は、八幡社ということで誉田別命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)のみだったと考えられますが、大正時代の書物では天照皇大神、保食神(うけもちのかみ)の三柱となっており、現在境内にある石碑には御祭神が八幡大菩薩(誉田別命)、愛宕大権現、天照皇大御神、稲荷大明神(保食神)と刻まれています。

明治時代末期の神社合祀政策により、1907年(明治40年)に今熊の熊野神社(現在の三都神社)に合祀され旧社地も処分されました。しかし、第二次大戦後に「やはり地元に神社を」という声が高まり、昭和50年代に茱萸木中央公民館(正法寺公民館)前の広場に八幡神社を勧請し、地域住民でこれを祭祀することとなりました。1985年(昭和60年)7月29日に竣工式と遷座式が執り行われ、茱萸木地区は三都神社の信仰圏(氏子地区)から脱することとなりました(三都神社に合祀された池之原神社山本稲荷神社狭山神社に合祀された狭間神社も後に復社していますが、いずれも氏子地区は合祀先の神社のままとなっています)。


かつての茱萸木八幡宮は丘の上に鎮座する長い参道を持つ神社だったようですが、現在は公民館前の広場の一角に鎮座しています。参道沿いには「東照大権現」や「大悲界燈樓」と彫られた石像物があります。また、茱萸木八幡宮の西側、公民館の建物の北側には補陀落山正法寺のお堂や手水鉢、灯籠など石造物、さらに茱萸木地区の墓地があります。


●茱萸木八幡宮について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2021/01/kuminokihachimangushrine.html

アクセス

国道310号「茱萸木南」交差点から陶器山通りを西に約140m進み「茱萸木公民館前」交差点を右折します。西高野街道に入り北に30mほど進んで石灯籠と石碑のある交差点を左折すると30mほど先の右手に公民館があります。

公民館前の駐車スペースは通常一般参拝者は駐車出来ないと思われます(狭山ニュータウン内などにコインパーキングあり)。

公共交通機関では、大阪狭山市内の駅などから乗車できる市のコミュニティバス(さやりんバス)に乗車し「西山台二丁目南」バス停下車。陶器山通りを東に300m少々進み左折、さらに40mほど北に歩くと右前方に公民館があります。


2021年1月撮影

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)

茱萸木八幡宮(大阪狭山市)



コメント

人気の投稿