今日は、お山ではなく、街へ!

江戸時代の町並みが残っているという、日向市の美々津に向かいます。

 

神武天皇が船出をしたという神話が生きている港町でした。

 

 

 

 

ホテルから一本の国道10号線から美々津の信号を海側に入ると、雰囲気が一変します。

到着するとスコールのような激しい雨で、車から出られませんでした。

 

趣のある家の、少し開けた雨戸の奥からこちらをうかがうお顔があり、そこまで車で移動。駐車場の場所を聞くと、斜め向かいの空き地を指さし、そこにとめていいと仰います。

 

大丈夫なのかなと思いつつ、雨脚が弱まるまで車内待機。宮崎に入ってから突然の雨が多い。

 

雨が上がったところで先ほどの古民家へ向かうと、暖簾を出し、雨戸を開けて中を案内してくれました。

 

 

 

90歳だという、たみこさん。

 

 

美々津の何百年もの歴史と文化を詳しく話してくれたのは、90歳になるという、たみこさん。

案内してくれた古民家は廻船問屋の旧矢野家で、一般公開されている美々津軒です。

 

 

 

回旋問屋や船大工など、

マリーン関係の家の玄関には波の飾りがある。

 

 

その日は普段案内をしている方の代行だということだったので、私はラッキーでした。

 

元々美々津の歴史民俗資料館に勤務されていた経験から、年代から日付から船のサイズなどハッキリした数字をつらつら並べてのノンストップなお話はとても楽しかったです。

 

 

 

玄関を入ると二階へ続く大きな船箪笥。

 

 

 

餅臼。

 

 

 

この辺りに並ぶ豪商の家には必ずある、

「秋月」というスタイルの中国式の庭。

赤を差さないのが特徴だそう。

 

 

 

舟床天井と呼ばれる二階の天井。

 

 

美々津は九州に鉄道が敷かれる前、瀬戸内海を介して大阪、京都までの交易が盛んで、花街もある賑やかな港町だったようです。

 

船大工が建てた家ゆえ、どこも頑丈でしっかりした作りなのですが、京都の影響か格子戸がはめられていたり、美しい木彫り細工や障子が洒落ていました。

 

 

玄関に掲げられている屋号は、取引先の名前です。

紋も素敵。

 

 

 

大阪の名前と想像される「近江屋」。

 

 

神武天皇が船を建造して大和に向かったという神話が生きている、日本海軍発祥の地でもあります。

 

たみこさんが子供の頃、その神武天皇が乗ったという船が復元されたそうです。

美々津軒にはその時に使われた建材や、船に積んだ飲み水を溜める大きな樽も残されています。

 

 

 

 

神武天皇が船出をしたのは夜明け前で、「おきよ、おきよ」と地元の人たちを起こしたことから、旧暦の8月1日に子供たちが戸を叩いてまわる、「おきよ祭り」の話もしてくれました。

 

その出向時に急いで作ったという「つき入れ餅」がお隣の元呉服屋さんでいただけるというので、お茶をしに。

 

 

 

素朴で美味しい。お抹茶と。

 

 

たみこさんは神武天皇の船出も、結局和歌山に上がったみたいね、などどひいおじいさんのそのまたひいおじいさんの事のように話すので、まるで実在の歴史上の人物のように思えてきます。

 

そう、そしてその船出のあとに熊野で神武天皇をご案内したのは八咫烏。

熊野の友人ヤッチャンも、山伏の衣装は尻尾のような長い垂れがついていて3本足のように見えるから、実際は八咫烏ではなく山伏だったんだろう、と話してました。

 

神話が生きている土地に住んでいる人のお話は好きです。

 

 

 

船出の準備の際、神武天皇が腰かけて

休まれたという石も祀られている立磐神社さん。

 

 

歴史民俗資料館も素敵な建物で、そちらも見学してから美々津から遠くない、クルスの海に向かいました。

 

岩礁の波の浸食が「叶う」という文字に見えることから、願い事をする場所になったそう。

クルスはポルトガル語の十字から。

 

今朝はスコールのような土砂降りだったのに、日向灘を見下ろす時には快晴で暑いくらい。

 

何だか久しぶりに海を見ました。沖縄を思い出す。

 

宮崎の海、きれいですね!

 

 

 

 

たみこさん、ありがとうございました。

いつまでもお元気で。

 

 

 

 

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