『地獄の沙汰も金次第』 はある意味正しい。

 

 

何故なら地獄とは、

 

 

人間の意識の中にしか存在しないからだ。

 

 

ただこの世の全ては神の一部である以上、

 

 

正確には地獄も神と言う世界の中にあることになる。

 

 

だが、それは人間の価値観による狭義の認識であって、

 

 

そこに神の本質は無い。

 

 

よって人間の作ったものだから、

 

 

人間の決めた価値であるお金によって

 

 

どうとでもなると言う事だ。

 

 

では天国はどうか?

 

 

それは人生と言う日々の過程において、

 

 

どれだけ神の本質を表出できるかどうかにかかっている。

 

 

それは徳を積む人生とも言う。

 

 

それを可能にするには、

 

 

自己の根源から、

 

 

意志をもって、

 

 

思考・行動を為さねばならない。

 

 

それを自覚しながら、

 

 

意図的に繰り返す事で、

 

 

無意識下でも為されるレベルまで高める必要がある。

 

 

気を緩めると後戻りするようでは、

 

 

あなたの在り方は、

 

 

無理して作っているレベルと言う事だ。

 

 

お金を儲ける事が目的では無く、

 

 

その過程で神の本質をいかに世界に表出できるか、

 

 

大金を使う事で、

 

 

どれだけの神の本質を表出できる可能性を広げられるかである。

 

 

物質的に豊かさを体験するために、

 

 

お金を稼ぐ自体は悪くない。

 

 

しかしそこで留まることなく、

 

 

その先にある徳を掴むことが、

 

 

真の生きる目的であり、

 

 

そのために与えられたものが自由である。

 

 

だから自由をはき違えてはいけないのだ。

 

 

自己だけの豊かさを満足させる過程に留まり、

 

 

その先にある徳の積めないお金儲け、

 

 

徳の積めないお金の消費を繰り返す人々は、

 

 

何故か世間には下品に映る。

 

 

外見だけ着飾って、

 

 

中身が無い、

 

 

つまりは心に徳が無い人々は、

 

 

薄っぺらく、重みが無い。

 

 

言葉に重みが無い人は、

 

 

その根幹の思考・意志に神の本質が伴わないからだ。

 

 

政治家も、

 

 

日本国のアイデンティティを未来に継承し

 

 

発展させる気概が無ければ、

 

 

言葉の重みも無くなる。

 

 

心の中身を徳で満たし、

 

 

魂を磨く人生をお勧めします。