只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。

 

本日は第10弾「名古屋城 東南隅櫓、西南隅櫓」「西尾城 二の丸丑寅櫓」の3基です。

 

名古屋城 本丸西南隅櫓、本丸東南隅櫓愛知県名古屋市中区)、いずれも現存櫓(重要文化財)

 

「織田信長」が父親「信秀」から受け継いだ「那古野城」跡に、「徳川家康」が西国大名に命じて天下普請により築城したお城です。

 

1610年から取り掛かり、「天守」は1612年に、「御殿」が1615年に完成して、「家康」の9男「義直」が1616年に入城します。その後は、御三家の一つとして幕末・維新迄「尾張徳川家」の居城でした。

 

「名古屋城」の「櫓」は、現存する「本丸西南隅櫓」「本丸東南隅櫓」「御深井丸西北隅櫓(清洲櫓)」の他に8基、合計11基の「隅櫓」が建ち、「多門櫓」は「江戸城」「大坂城」を遥かに凌ぐ史上最長の長さ(総延長約1.2㎞)を有していたそうです。

 

本丸西南隅櫓」(重文)は、二重三階ですが一階の面積が、「宇和島城」「弘前城」「丸亀城」の天守よりも広い面積を有しています。

 

外観は、「白漆喰総塗籠め」で堀側の西面と南面に「出窓」を設けて石落としとしています。「本丸」側には、窓は殆ど無くて白壁のままで出入口が設けられているだけです。

 

また、「出窓」上の二重目の屋根は、西面は「入母屋破風」ですが、南面は「入母屋破風」の軒先に「軒唐破風」を入れた「重破風(かさねはふ)」という珍しい形式を採用し意匠をこらしています。次に紹介する「東南隅櫓」とはこの箇所が違います。

 

重文「西南隅櫓」と外観復元「天守」

重文「西南隅櫓」(二箇所の「出窓」、南面の「出窓」上は「重破風」)

重文「西南隅櫓」(南西方向から)

重文「西南隅櫓」(北西方向から)

重文「西南隅櫓」(内側は破風、窓も殆どなし、「天守」より)

 

「本丸御殿」第三期工事完了後の訪城時に、「本丸西南隅櫓」の櫓内公開があり見学しましたが、前述したように一階面積の広さや武者走りの幅の広さにも驚かされます。

 

また「武者走り」と「身舎(もや)」との間や、「身舎」内にも敷居があるので襖が入っていたのではと思われます。そして「武者走り」ではあるものの、廊下沿いの釘隠しには立派な金具が取り付けられていました。

 

三階には、「御窓台」という「天守」の4隅に置かれていた台の1台が保管されています。これは藩主が「天守」から外を眺める際に使用した台ということが書かれていました。

 

重文「西南隅櫓」内の1階(広い「武者走り」)

重文「西南隅櫓」内の1階(「身舎」にも敷居)

重文「西南隅櫓」内の2階(広い「武者走り」)

重文「西南隅櫓」内の3階(「釘隠し」も立派)

重文「西南隅櫓」内の3階(天井)

重文「西南隅櫓」内に保管されていた「天守内の御窓台」(藩主が天守からの物見の際に使用したとか)

 

 

本丸東南隅櫓」(重文)も、「本丸西南隅櫓」と同様に二重三階で同規模を有して、外観も「白漆喰総塗籠め」で「本丸」側には窓がないというのは同じですが、「出窓」は東面と南面の堀側に付いています。

 

当櫓の「出窓」上の破風の違いは「西南隅櫓」で触れましたが、二重目の東側(二の丸御殿跡側)の屋根には「軒唐破風」が設えられています。

 

重文「東南隅櫓」(二重目の東側の屋根には「軒唐破風」)

重文「東南隅櫓」(南面の「出窓」下は「石落とし」)

重文「東南隅櫓」(西南方向より」)

重文「東南隅櫓」(「本丸御殿」前から見上げる)

重文「東南隅櫓」(内側は破風、窓も殆どなし、「天守」より))

 

 

 

 

「西尾城 二の丸丑寅櫓(愛知県西尾市)、木造復興櫓

 

「西尾城」は、古くは三河守護となった「足利義氏」が築城、その後「今川家」に対抗して敗れて「今川家」のお城となるが、桶狭間の戦いで敗死した「今川義元」から独立した「徳川家康」が手に入れた。

 

「家康」は、「酒井重忠」に命じて大改築をさせて近世城郭にしました。その後も入城する「田中吉政」を始め、「本多家」「大給松平家」「太田家」等が築城工事を続けて1655年に完成しました。その後も藩主は譜代大名が入れ替わりしながら幕末・維新を迎えました。

 

二の丸丑寅櫓」は、江戸時代初期に築城されたと想定され、外観は二重ですが内部は三階になっている望楼型櫓です。

 

古写真は残っていないですが、「正保城絵図」等に描かれた絵や各種資料、専門家の意見に基づいて、2020年に復興されました。下見板張りで石落としも付いています。

 

また、当櫓から西側に延びる土塀2箇所に「屏風折れ」を設けて横矢を掛けやすくしています。

 

木造復興「二の丸丑寅櫓」(二重三階の望楼型、東方向から)

木造復興「二の丸丑寅櫓」(二重三階の望楼型、南方向から)

木造復興「二の丸丑寅櫓」(「二の丸」跡南西方向から)

木造復興「二の丸丑寅櫓」(二重三階の望楼型、西方向から)

木造復興「二の丸丑寅櫓」(「屏風折れ」土塀が続く)

 

 

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