11/21(月)〜22(火)の二日間、東海地方にある「若かりし頃の家康」所縁のお城巡りをしてきました。

 

前回ブログでは、「二俣城」から「清瀧寺」に向かいましたが、今回はそこから約15分くらい歩き国道152号線の「鳥羽山トンネル」の手前から坂道を上がり「鳥羽山城」跡の「鳥羽山公園本丸広場」へ向かいました。

 

「鳥羽山公園」(現地に掲出)

 

鳥羽山城」(静岡県浜松市天竜区)は、「徳川方」と「武田方」との攻防の際に、「武田方」の「二俣城」を攻める為に「徳川方」が本陣を置いた場所でした。

 

「徳川方」が攻めて「武田方」から奪い取った「二俣城」とともに「徳川方」のモノになったお城でしたが、「豊臣政権」下で「徳川家康」が関東へ移封となった後に「遠江」を支配した「堀尾氏」が両城に石垣を築くなどの整備を行いました。

 

その際に「二俣城」は「天守」を築くなど戦時用の施設としたのに対して、「鳥羽山城」は城主の居住や政治空間としての機能を持たせたようで、「別郭一城」として存在させました。

 

鳥羽山城」の立地と縄張りは、標高108mの独立丘陵に築城して、「本丸」を頂点に東西南北の下段に曲輪を置いています。そして「本丸」へのメイン入口は幅が広い「大手門」を置き、「搦手門」「東門」を設けています。

 

また、「本丸」には、居住性を重視した建物や庭園も置かれたようです。

 

「縄張り図」(現地に掲出)

 

 

坂道を上がり切った所には広い駐車場があり「史跡 鳥羽山城跡」碑が立ちますが、そこは「南の丸」跡のようです。手前右に入る石段を上がると石垣が現われ、左に折れると幅が広い石段が続き「大手道」が続きます。

 

「史跡 鳥羽山城跡」碑(「南の丸」跡に立つ)

「大手道」

「大手道」沿いの石垣

 

「大手道」の突当り手前右手には「東の丸」跡が拡がっていて、石垣が貼りつき「東門」跡へ繋がりますが後から見ま行きましょう。

 

「東の丸」跡

 

「大手道」の先が右手に折れた所が「外桝形」になっている「大手門」跡で、両脇には低い石垣が積まれています。また水抜きの「暗渠(あんきょ)」の穴が見られます。

 

「大手門」跡

「大手門」跡

水抜きの「暗渠(あんきょ)」の穴

 

「大手門」跡を抜けると拡がるのが「本丸」跡でやや北側に向かって上がっているようです。

 

「本丸」跡

 

南端には「展望施設」があってそこに上ると二俣の町が一望できます。

 

「展望施設」からの「二俣の町」

 

「本丸」跡の周囲は少し高さがある「土塁」によって取巻かれていて、その上に上がることができ周回もできます。「本丸」跡の西側「土塁」下には、枯山水庭園跡と建物跡の岩や石(礎石)が見られます。

 

「本丸」跡の東側「土塁」上

「枯山水庭園」跡

「建物」跡

 

一方、東側の「土塁」が少し切れていて石橋が架かる所がありますが、そこが「東門」跡になっています。「東門」はそんなに大きくはなく「内桝形」となり、石垣の下層部分の「野面積み石垣」は当時のものが残されているそうです。またここにも水抜きの「暗渠」の穴がありました。

 

「東門」跡

「東門」跡の礎石

当時の「野面積み石垣」と「暗渠」

 

「東門」跡を潜り坂道を下りた所に「東の丸」跡があり、「本丸」跡東側の石垣を見ながら「大手道」に繋がります。

 

「東の丸」跡

「東の丸」跡で見られる石垣

 

「本丸」跡の北側は「搦手門」跡があり、急に下り坂となり北東へ下るとそこは「北の丸」跡になっています。

 

「本丸」跡の北側の「搦手門」跡

「搦手門」跡(「北の丸」跡方向から)

「北の丸」跡

 

北西方向に少し上がると「笹曲輪」(西の丸Ⅰ)跡となっていて、そこからかなり下った所に「西の丸Ⅱ」跡がありますが、緩やかな斜面になっています。

 

「笹曲輪」跡

「西の丸Ⅱ」跡

「西の丸Ⅱ」跡

 

「本丸」跡の西土塁西下には、ギッシリと「腰巻石垣」が繋がり積まれていて壮観です。これらは「堀尾氏」の時代に整備されたモノなのでしょう。

 

「本丸」跡の西「土塁」上

「本丸」跡の西土塁西下の「腰巻石垣」

「本丸」跡の西土塁西下の「腰巻石垣」

「本丸」跡の西土塁西下の「腰巻石垣」

 

「鳥羽山城」を見た後、「二俣本町」或いは「天竜二俣駅」に行くべきか、「西鹿島駅」に行くべきかを迷いましたが、国登録有形文化財である筏問屋「田代家」が「鳥羽山公園」から「天竜川」に下りた所に位置していたので、「西鹿島駅」から「遠州鉄道」に乗ることにしました。

 

筏問屋「田代家」は、代々鹿島村の名主で「徳川家康」を助けた功によって、「天竜川」の「筏川下げ」等の御朱印を賜った名家で、その江戸時代の建物が残っています。

 

筏問屋「田代家」は「冠木門」を立てるのを許されている

筏問屋「田代家」

 

外から「田代家」を見た後、「天竜川」を渡り遠州鉄道「西鹿島駅」へ向かいました。「天竜川」の橋下には大きな岩がありましたが、綺麗な水の色をしていました。

 

「天竜川」

「天竜川」

 

「西鹿島駅」からは、初めての「遠州鉄道」に乗車して「遠州病院」で下車して次の訪城地「引間(曳馬)城」と「浜松城」へ向かいました。

 

「遠州鉄道」(「西鹿島駅」にて)

 

 

 

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