自分が大変だというのに

毎日、毎日私を支えてくれる友達。

 

 

その大切な友達が

今、とても辛いけれど踏ん張っている。

 

 

辛いという言葉ではないか。

 

言葉が浮かばない。

表現しきれない。

 

 

苦しいという言葉にも当てはまらないのかもしれない。

 

 

色々と考えては心配する。

今頃どうしているだろうか。

 

 

敢えて連絡を控えた日。

 

 

私に何か出来る事があったら何でも言って

 

 

そう最後に電話した時に話したら

「たんたんぴちゃんが元気になること」

 

 

そう言ってくれた優しさと強さ。

 

 

そして明るく笑っていたから

凄いと思う。

 

 

そうでなければ逆に踏ん張れなくなる。

それは感性が似ているから分かる。

 

 

気が張っている状態が続くと

とても疲れてしまう。

私の経験から言える事。

 

 

パパさんの在宅介護をしていた頃を思い出す。

 

 

気が張っていても

連日、眠る時間もなくなってくると

体力が追い付かなくなってきた。

 

 

精神を奮い立たせていた。

 

 

精神が折れてしまい

私が動けなくなってしまったら

パパさんは望まない入院になってしまう。

 

 

この想いが強かったらから頑張れた。

 

 

誰が何を言おうと

絶対に入院はさせないと腹を括って

在宅介護を貫き通せた事は良かった。

 

 

友達は今

とてつもなく不安だと思う。

 

 

落ち着かない日々が続いている。

 

 

近かったら何かお手伝い出来るのに。

 

いや待て。

 

友達が言うように

私が元気にならなければ

家が近くても何のお手伝いも出来ないではないか。

 

 

目を閉じて想像する。

 

 

家が近かったとしたら

私は足底筋膜炎と線維筋痛症の悪化で

悶絶激痛ではあるが

駆けつけて何かお手伝い出来る。

 

 

もっと距離が近かったらと思う。

 

 

しかし住んでいる距離は遠くても

心はとても近くにいるのだ。

 

 

心のおとなりではなく

心の中に存在してくれるのだ。

 

 

 

お昼に寝ていたというのか

寝込んでいたのか分からない私。

 

 

電話の音では必ず起きるというのに

起きれなかった人がいた。

 

 

友達に深夜だろうが早朝だろうが

いつでも私で良かったら電話してねと言ったが

無責任な言葉だったと反省している。

 

 

気が張って寝ていると

電話には気付ける。

 

 

今日、私が電話に気づけなったのは

入院中のママさんと電話で話した直後だったからだ。

 

 

 

電話に気づけた時もあったが

スマホを見てママさんではない事で安心して

出られず寝落ち。

 

 

また私は寝ても電話には出れる。

 

 

元々、ママさんの病院から電話があった場合を考え

電話だけは起きれるようにしているからだ。

 

 

 

気づけばそんな生活が3年続いている。

 

 

但し、ラインなどの音には気づけない。

ブログの更新の音にも気づけない。

 

 

今夜私よりも

友達の方が少しでも多く眠れますようにと祈る。

 

 

 

祈る事しか出来ないのはもどかしい。

 

 

でも友達の後ろに再び回り

踏ん張って友達を支える気持ちは強い。

 

 

友達の心が万が一折れても

私が悶絶激痛であったとしても

支えたい。

 

 

友よ、そう思わせてくれてありがとう。

とにかく祈り続けています。

 

 

みなさんもぐっすり眠れますように。

 

 

 

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