(前回の記事)

 

僕らが生きている原点は幸福。

幸福を確認するために生きている。

 

そんなことを前回は書きました。

 

自分で書いておきながら、

 

「おお、我ながら良いこと言ってるなぁ」って思ったわけですが(自分推しでどうもすみません。)

 

幸せって獲得する(頑張って手に入れる)ものではなく、

「ああ、そうだったそうだった。幸せってこういう感じだったわ」と。

この感覚、感情を人生経験を通して確認するために生きているんだろうし、

幸せになるために生きているんじゃなくて、

幸せを思い出すために生きている
んですよね、きっと。

ボクはそういう感覚だと思っています。

言葉遊びや屁理屈に聞こえるかもしれませんが、

「幸せになるために」生きているのだとしたら、

原点は幸せじゃないということになってしまいます
からね。

 

そうなると、気持ち的にはやっぱり「幸せを頑張って手に入れなくちゃ!」っていう

 

不足感満載になりますもん。


いやまあね、もちろん、

 

お金が入ってきた、仕事が成功した、好きな人と付き合えた…など、

願望を達成することで自分で努力して得た幸せ~っていう感じはしますが、

それは物質や関係性を得た、作ったというだけであって、

“それそのものが幸せではない”わけです。

その関係性の中で湧き出た感情が「幸せ」ということです。

 
裏返せば、それを手に入れられないと「幸せを感じられない」ということにもなりかねない。


幸せって獲得していくものじゃなくて、

「そうそう、これこれ!」って思い出す感じ。

だから、「幸せを思い出す」ために生きている。

思い出すっていうことは、既にあるから思い出せるわけです。

ということは、「既に幸せはある(あった)」というところからスタート出来ますからね。

 

願望を達成するのが悪いことではなくて、

 

「今、幸せを持っていないから手に入れるんだ」という

 

“渇望”という名のエンジンを使うと、

 

ずーっとそのエンジンを使い続けないといけないですからね。

 

手に入れて手に入れてもまだまだ足りない、こんなものでは満足出来ぬ!

 

という考えが染みついちゃいますから。

 

かと言って、足るを知る的なことで満足しようって話じゃなくて、

 

原点は幸福であることをエンジンにすると、

 

「元々、何もしなくても幸せだった。でも、おまけでもうちょっと幸せを追加してみよう」

 

みたいな心の余裕が生まれてくると思うんですね。

 

そして、その余裕がまた次の幸せを予約している(呼び込む)状態になるんですよ。

 

 

車や家やパートナーや仕事など手に入れる必要もなかった子ども時代。

 

野原を駆け回って、夜にはバタンキューと眠りに落ちた子ども時代。

 

何も手に入ってないけど、あの頃は幸せだったなぁ…って思いませんか?

 

それは元々、幸せだからです。

 

みんな、何も得なくても元々、幸せだと知っていたんだと思います。

 

だから、子どもの時って延々と悩むこともない(笑)。
 

悩んでいる時って、心の余裕がないし、

 

余裕がないということは、

 

やっぱり(何かを)獲得せねば!という不足の意識が強いと思うんですよね。

 

だから、今一度、生きている原点は幸福だって意識してみる、と。

 

別に行動は変わらないかもしれないけど、

 

その意識が余裕を生み、その余裕が次の幸せを予約することに繋がるんですから。

 

悩み続けても楽しくないなら、野原を疲れるほど駆け回って、

 

ご飯でも食べて、テレビやYouTubeなどでイケメンでも見てさっさと寝てください(笑)。

 

何も得なくても幸せだなぁって感じますよ。

 

「そうそう、これこれ、こういう感じだったわ、幸せって」と。

 

ご飯食べて、イケメン見て、眠って、幸せを感じる。

 

たったそれだけです。

 

でも、きっとアナタはこう言うでしょう。

 

「いやいや、それはほんのひとときの幸せであって、

 

やっぱり私は隣に愛する人がいてほしいわ」

 

と。

 

そうですね、その気持ちも分かります。

 

まあ、でも、今のこの喜びは次の幸せを予約してるって思ったらいいじゃないですか。

 

ほんのひとときの幸せや喜びだけども、

 

その時に「そうそう、これこれ、幸せってこんな感覚!」って浸るからこそ、

 

次の幸せを呼び込めるんですよ。

 

隣に愛する人がやってくるまでそんなに大袈裟に喜べませんって言う人は、

 

結局、幸せを延期してるわけですから。

 

それに愛する人との関係性が出来たところで、

 

最後は自分が「幸せだなぁ」って感じないと誰も幸せを感じさせてくれませんから。

 

イライラしている時とか、めちゃくちゃ疲れてる時にデートに誘われても、

 

上手に楽しめないと思うんですよね。

 

ずーっと頭の片隅でそのこと考えちゃって。

 

だから、愛する人がいようがいまいが(獲得しようがしまいが)、

 

最後は自分が「これが幸せだよね」と認めるかどうかだけです。

 

なので、さっさと原点は幸福だったんだと認めてみてください。

 

何かを獲得しなくても私は幸せだったんだし、いつでも幸せになれる、と。

 

その意識だけでいいんですから。

 

次の幸せを予約しましょう。

 

「仕方ないなぁ、次、幸せがやってきたら楽しんでやるか。元々、幸せだけど」ぐらいの気持ちでね。

 

 

(おわり)

 

 

久しぶりにブログランキングに参加してみようと思い立ちましたので、

 

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