今日はちょっと小難しい話を書きます(何で?)。
よく分かったような分からんような理屈っぽい話が好きとか、
ぐちゃぐちゃって丸め込まれて、
ケムに巻かれたい人だけがお読みください(えらいニッチやなぁ)。
▼昨日の記事▼
昨日の記事で「願望によってアナタの幸せは左右され云々」と書きましたけど、
実はこれはちょっと語弊があるというか、
誤解してる人も多いんじゃないのかなって思うんですね。
まあ、ボクが「幸せ」っていう言葉を使っちゃったのがいけないんですけど…。
そもそも「幸せ」って「在り方」なわけで、
何かを達成した暁に「得られるもの」ではないんです。
「在り方」だからいつでもそうなれる(“なれる”という表現も厳密に言えば違うんですけど)ので、
願望を達成しようがしまいが、本来、僕らは「幸せ」です。
「幸せ」っていうのは、
何かが「ある」と認識していることです(これこれがある、これこれが出来る、これこれを感じる…など)。
不幸というのは、何かが「ない」と認識していることです。
つまり、「幸せ=ある」という概念なわけですから、
人間は存在しているだけで(存在=意識や身体が“ある”から)「幸せ」ということなんですね。
だから、生まれてきた時点で、存在している時点で、どんな人も「幸せ」ということです。
多分、もうここら辺で、
「は?コイツ何言ってんだ?」となっている人も多いと思いますので、
その場合はもうここでページを閉じて、
お気に入りフォルダにでも入っている違う人のブログでも見に行ってください。
まだついて行くぜという物好きな人だけ続きをどうぞ。
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さて、不幸を感じてしまうのは、
いつだって思考で「〇〇がない(残高がない、仕事がない、パートナーがいない…など)」と、
「既に何もかもある世界(幸せ)」から「ない世界」を認識したからです。
まあ、認識するまでは良しとして、
その「ない世界を何とかしなきゃ!(困ったことになる)」という思考になった途端に、
不幸という在り方を選んだということになります。
でも、元来、人は「幸せ」なので、
不幸という在り方は(“ない”ものは存在していないのですから、それを認識出来ている時点で)錯覚です。
例えるなら、目をつむった状態で「私には目がありません」と言ってるのと同じです。
(視力として)見える見えないではなく、目そのものはありますよね。
それなのに「目がありません」というのはただの錯覚です。
目を閉じて真っ暗だから「私には目がないんだわ」と錯覚しているのと同じということです。
不幸という在り方は、
「ある世界」から「ない」を切り離して騒いでいるだけということになります。
ここまでまとめると、僕らは「幸せ」という在り方しかないということ。
「幸せ」は得るものでも失われるものでもないということ。
だから、願望が達成しようがしまいが本来は「幸せ」だということ。
それを分かっていたら、願望に振り回されることにはなりませんし、
昨日の記事でも書いたように、
「あなたの願いは叶いません」と言われようともビクともしないはずです。
「願望達成したら幸せになれる」とか、
「願望が叶わなかったら不幸になる」って思っているのは勘違いということです。
実際のところ、僕らは「在り方」ではなく「感情」を味わいたいんですね。
なので、「願望達成したら嬉しい」っていうのが正しいはずです。
「お金が入ってきたら幸せ」ではなく、
「恋人が出来たら幸せ」ではなく、
「仕事が見つかったら幸せ」ではなく、
「それが達成したら、実現したら、叶ったら…嬉しい(喜び、安心)」だと思うんですね。
何が言いたいのかと言えば、
僕たちは「嬉しいこと、喜べること、感謝できること、安心出来ること」などを、
「幸せ」と思ってる(感情と在り方をごちゃ混ぜにしている)から
願望達成に振り回されてしまうということです。
叶ったり叶わなかったりで一喜一憂して、
自分は幸せだの不幸だの言ってしまうわけです。
で、不幸という在り方を選んでしまうと、
ずーっと「ない世界」というモノの見方(認識)をする羽目になってしまうんですね。
ここも例えるとするなら、
ゲームで「不幸ちゃん」というキャラクター(在り方)を選んでいると思ってください。
キャラの特徴として、どうしたって不平不満、不足を見つけるのが得意なんです。
それが嫌だから、
願望実現さえしてしまえばキャラクターチェンジ出来ると思っているんですね。
キャラクター変更出来る鍵は「願望実現」だと思い込んでしまっている状態です。
しかし、「幸福ちゃん」にキャラチェンジしたとしても、
ずーっと願望実現に縛られてしまうわけです。
要は、「願望実現し続けなければ不幸ちゃんにキャラチェンジさせられちゃうわ」と、
「幸福ちゃん」でいる間もプレッシャーに怯えて暮らさないといけなくなるんですね。
それは壮大な勘違いに気づけていないからです。
勘違いとは、「願望実現しなければ幸せになれない」ということですね。
僕たちは「幸せ」が初期設定ですから、
その設定を変更することは出来ません。
勝手に変更されてしまうのでは?という思い自体が錯覚です。
そうではなくて、
「願望実現はただ嬉しい感情を味わいたいだけなんだな」と思っていればいいんですね。
初期設定だから願望実現しなくても「幸せ」には変わりありません。
たとえ願望実現しなかったとしても、
「嬉しさ(感情)を味わえなかったわ。次、行ってみよー」
と淡々としていればいいわけです。
「えーんえーん、そんな風に淡々と出来ません。叶わなかったら苦しいよー」
となる人もいるでしょう。
それでいいんです。
苦しむな、悲しむなと言ってません。そりゃ悔しいでしょう。
でも、苦しいけど、それは不幸ではないんです。
それを不幸と結びつけた(関連付けした)のは誰ですか?ってことです。
自分から「不幸ちゃん」キャラクターを選びにいってるようなものです。
もう一度言っておきますが、
不幸というのは苦しい、悲しいなどの感情ではありません。
「ある世界」から「これこれがない」と切り離して認識して、
それを「何とかしなきゃ!(困ったことになる)」という思考状態になることを不幸と言います。
ラーメン食べたかったけど、店に行ったら「もう売り切れです」って言われて、
「ガーン!!!不幸だ(=何とかしなきゃ!)」ってならないと思うんですよ。
「ガーン、最悪だ。ムカつくぜ」とかって嫌な感情にはなるでしょうけど、
「私って不幸だな」って認識しないと思うんですね。
「よし、次はもっと早く店に行こう」とか、
「よし、別のラーメン屋探すか」ってなるはずです。
それは「ラーメンなんてどうにでもなる」っていう在り方(=幸せ)だから、
「よし、別のラーメン屋でも探すか」となるんですね。
不幸の在り方だったら、別のラーメン屋を探そうともしないはずです。
願望実現もそれと同じように考えてもらうといいかと思います。
「私は幸せなんだ」という在り方…
つまり、「たとえ願いが叶わなくてもどうにでもなる」という在り方だと、
願いは自分が思ってもいないところから叶っていきます。
どうか何事も結びつけないでね。
▼参照記事▼
今日はいつにもまして長々と話してきましたが、
今日の記事は、最後のラーメンのくだり6~7行程度で済む内容でしたね(笑)。
自己啓発本などで、
「願いが叶った時の感情をイメージしてください」と言われるのも、
そういうことだったのか!と分かったかと思います。
「在り方をイメージしてください」とは書いてないんですね。
書いているとしたら、「幸せであってください」ぐらいなもんで、
大抵は「叶った時の嬉しい気持ちを先取りしてください」と書かれてあります。
最後はスピリチュアル系ブログみたいになりますが(笑)、
願望実現してもしなくてもアナタは今日も「幸せ」です。
生まれてきただけで「幸せ」です。
だから、(願望は持ってもいいので)願望実現できるかどうかで振り回されないでくださいね。
さあ、屁理屈ブログなんてここらでやめて、ラーメンでも食べに行きましょうか。
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