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名古屋から新宮へ向かうには、JR関西本線・伊勢鉄道・JR紀勢本線の特急「南紀」の利用が常道ですが、今回は敢えて普通列車・快速列車の乗り継ぎで行くことに。
まずは名古屋11時05分発の関西本線快速列車に乗り、
何故大内山で下車したかと云えば・・・・。
その駅名が、昭和三十年大相撲五月場所千秋楽に於いて、敗れはしたものの横綱栃錦と今なお好角家の間で語り草となっている大熱戦を繰り広げた大関大内山を想起させるからです。
最初は、たい平の長男で5月に二つ目への昇進が決まっているという林家さく平による落語「一目上がり」。
明晰な語り口に好感を抱きました。
続いて、三遊亭小遊三による落語「蒟蒻問答」。
飄々とした趣に味わい深いものがありましたが、一方で、普段「笑点」大喜利で視ている小遊三に比べ、心なしか声の大きさや艶に老いを感じなくもありませんでした。
仲入りの後は、まず林家あずみによる三味線漫談。
明るい漫談と艶っぽい端唄が取り混ぜられた愉しいひとときでした。
トリは、林家たい平による落語「抜け雀」。
林家木久扇や六代目三遊亭圓楽等の「笑点」元出演者更には老老介護等をネタにしたマクラで時に笑わせ時にしんみりさせた後の本題では、人物&情景描写や間の巧みさがやはり光っていました。日本も未だ捨てたものではないなと或る種の救われた想いに。
暫く間が空いてしまいました。
今回の飯森&群響の演奏は・・・・。
第1楽章冒頭の導入部はややあっさり感が否めなかったものの、提示部の最初の頂点に達し改めて第1主題が確保される箇所辺りから、その切実な表現に、聴いていて次第にしばしば涙が滲むように。
提示部終盤の音楽の高潮から展開部に於ける生への憧れと死への恐怖との相剋の体現、展開部終盤に於ける冒頭動機の肺腑を抉るような最強奏、そして一層の切実さを伴った第1主題の再現、コーダの夕映えのような美しさ・・・・。
第2楽章の運動性・諧謔性の表出も充分なものがあったと思います。
第3楽章主部の尖鋭性の緻密さと痛烈さとを併せ持った表現と終楽章を予告する中間部の束の間の天上的美しさとの対比の現出、一層の凄愴さを伴った主部の回帰、コーダの悪魔的な迄の壮絶さ。
そして・・・・深々と開始されたアダージョの第4楽章の、心に深く染み通り、時に激しく心を揺さぶる真摯な表現。コーダの最後のAsの音が静かに消え入った後の長い沈黙も素晴らしかったと思います。
先述の第1楽章途中からしばしば滲んでいた涙が、第3楽章中間部以降はもう涙腺決壊状態に。
マーラーの「第9」と云うと、これ迄に聴いた数々の実演の中では、2001年1月のSKO東京公演に於ける小澤征爾、2004年5月の都響横浜公演に於けるガリー・ベルティーニ、2012年12月の読売日響第521回定期演奏会及び2019年4月の大阪フィル第527回定期演奏会に於ける尾高忠明、
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谷山役の安田顕や、皎子の姉佐和子役の江口のりこ、保と皎子の長女浩実役の徳永えり、保を雇い入れ親身に面倒をみた寿司職人逸美役の笹野高史といった実力派俳優も、物語を更に引き締めていました。
過剰になることなく抑制されながらも美しい筆致の岩代太郎の音楽も期待どおり。
そして時折挿入される、鹿が鹿せんべいや草を食む姿や、若草山、浮見堂、平城宮跡、薬師寺、わけても興福寺五重塔と奈良ホテルを遠景とした鷺池の美しい夕景といった奈良の風物の映像が、心に安らぎをもたらしてくれました。