フリーランス日本語教師です。

 

日本語学校での授業と

企業でのプライベートレッスンをしています。

 

大学院で日本語教育専攻で学んでいます。

 

 

 

私がフォローさせていただいている方、

いつも前向きで奥が深い記事を書いてらっしゃる方、

その方がまたも興味深いことを書いていらしたので

ここで、それに関してのあきたこまち考を書こうと思います。

 

たまには、まじめに書くよ。

 

 

 

日本語教育のスタンダードについてです。

 

まず「スタンダード」をどう定義するかですが

辞書によると「標準、基準、標準的であるさま」とあります。

ここでは「標準」として話を進めます。

 

日本語教育に「スタンダード」はあるか?ないか?

と問われれば、、、

 

私はやはり「ある」と思います。

 

学習者や学習目的、環境、または時代によって

そのスタンダートは、もちろん変化すると思いますが。

 

スタンダードがあるからこそ

非スタンダートとの対比や比較が可能であり

また、基本的な情報の共有が容易に行えると思います。

 

 

 

例えば、「動詞のテ形」という表現。

 

これをもし、「、」の前につく形という人がいたり、
14課で勉強する形という人がいたり、

独自に作成した「A形」という人がいたりすれば、

間違いなく混乱が生じます。

 

それは教師ではなく、学習者にとっての混乱です。

学習者の学びに阻害が生じることは

一番避けなければならないことだ、と私は考えます。

 

「テ形」にしても「ナ形容詞」にしても

日本語教育従事者には一般的な、

いわゆる業界の専門用語で

他業界の人には、理解されない用語です。

 

しかし、この表現が日本語業界においては

「スタンダード」だと言えます。

 

 

 

あるいは、方言。

 

標準語(共通語)があるからこそ

方言という概念が存在すると考えます。

 

 

 

あるいは、結婚式や葬式などのセレモニー。

 

結婚式についていえば、お色直しというものがあります。

衣装替えなどしなくてもいいんですが

お色直しという名目で

座りっぱなしの新郎新婦は中座が可能になります。

 

その中座で

トイレに行ったり、軽食を取ったりできるのではないでしょうか。

 

再入場のキャンドルサービス。

ただ着座するのではなく、来客の近くに寄って挨拶すること

そういう目的を叶えることができます。

 

最近見かけない、こういうスタイルの結婚式ですが

こうした「スタンダード」、一般的、標準的なものが

構築された背景には、目的を合理的に達成する

という意図があるのではないでしょうか。

 

 

 

以上は、あきたこまち的スタンダード考です。

 

ただ、だからといって

「スタンダード」が最強、最高と考えることはない

と思います。


(続編に続く)

 

 

 


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