今日も天使の喜ぶ生き方を!
Rayです。
読んでくれてありがとう。
我が子を亡くしたのに、
最近は穏やかに暮らしています。
私はおかしいのでしょうか?
そんなメッセージが届きました。
同じように思う方、多いと思うから、
ブログでも回答しますね。
遺族なのに幸せになっていく自分を、
薄情なのではないかと恐れたこと、
私もあります。
愛を生きはじめた人が、
超えなくてはならない関門ですね。
そんな時は、
「遺族が穏やかに暮らしていたらおかしい」と思う人は誰かな?と考えてみましょう。
私が思い浮かべるのは、世間かな。
遺族になるということが他人事だった頃の、
無知な自分が混じっていた世間。
では、当の亡くなった私の娘は、
私が苦しんでいないと不満でしょうか?
「娘は不満なはずだ」なんて言ったら、
娘にとても失礼ですよね。
私だったら心外です。
鬼滅の刃の映画でも同じようなシーンありましたよね。
亡くなった家族が炭治郎を責める夢を見せられて、
「俺の家族を侮辱するな!」って怒るところ。
もうめっちゃ共感しましたわ。
もしも私が苦しんでいたら、
娘は自分を責めてしまうと思います。
もしも私が心穏やかに生きていたら、
きっと喜ぶと思います。
愛に溢れた優しい子でしたからね。
だから私は誰かに薄情だと思われてもいいから、
とにかく娘のために幸せに暮らすことを心がけています。
そして娘のためという口実で自分を幸せにさせてもらっていることに娘の愛を感じ、感謝しています。
そもそも、薄情だって思う人がいるとしたら、
過去の無知な自分と同レベルなわけですから、
合わせる必要なんかないのです。
むしろ、その人たちが人生や輪廻を経て
同じことを知るタイミングが来た時のために、
先に幸せになっておいてあげることが愛なのです。
そうやって生きている私を
娘は喜んでくれると思っています。
そう生きるように仕向けてくれたのだと思っています。
あの世の愛する人のために、
この世の自分を幸せにする。
それが愛し合う世界です。
そんな文化、世界を作っていきたいですね。
先駆けになるものって、
初めはみんな「おかしい」って思われるもの。
でもその数が増えると「普通」になるから、
2022年も地道に発信していこうと思います。
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