Rayです。
読んでくれてありがとう。
娘を亡くして知ったのは、
肉体がなくなったとしても、
愛し続けることができるということ。
娘も私も、今も愛し合っている。
それは、私も娘も愛でできているから。
言い切れるのには訳がある。
わたしは娘を亡くした時、
自分は何も持っていないと思った。
過去は見たくないし、
未来もお先真っ暗、
仕事もやめたし、
友達とも会いたくない。
痩せこけて、
顔はやつれていた。
とりあえず息だけはしようと思ったものの、
何の価値もない物体のように思えた。
家族がいてくれたけど、
そのことに気づけないほど、
絶望の底は真っ暗だった。
でも私は愛を出していた!
見えなくなった娘に対しても
周りの人たちに対しても、
幸せでいて欲しいって思っている自分。
紛れもなく愛が私の中にはあった。
もう何にもないと思ったのは、
外側に身につけてきたものだった。
そして何も持っていないはずなのに、
尽きることなく出てくるってことは、
私自身が愛を生み出す存在だってこと。
人間は愛を出す生き物なんだ。
私たちは愛を出させてもらえた時、
自分が愛の存在だと気づかせてもらえる。
無尽蔵に愛を出せる自分を知ることは、
自分が豊かさの源だと知ること。
絶望して、何もないって思える瞬間を体験できる人は、
自分が愛だと知る近道にいる。
愛の存在として生きる人生が始まるんだよ。
そして自分自身が豊かさだと知るので、
あらゆる豊かさに恵まれる人生が始まるんだよ。
絶望は愛なんだよ。
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