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05.14.13:00

家畜達の哀しみを代弁する!【ヴィーガンと動物愛護、そして時々、霊的真理】リンク集!第8弾!!


ヴィーガン

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「≒」は、「ほとんど等しい」という意味で「ニアリーイコール(nearly equal)」と読みます。つまり、平飼い卵とバタリーケージの卵は、ほとんど変わらないということです。

卵食べたさの余り、平飼い卵に逃げている人は多いでしょう。そして、後ろめたさを忘れるために、「私は、鶏達のために、より良い選択をしたのだ」とご自身を騙しているのです。

では、ここで、皆様がもし奴隷の境遇に置かれていたら……と仮定して考えてみましょう。

1. A農場は、無慈悲な農場です。食事は一日に古くて痛んだパン100グラム程度を支給するだけです。住環境も劣悪です。ギュウ詰めのあばら家はダニ、ノミ、南京虫などがうじゃうじゃ。もちろん、お風呂もお手洗いも冷暖房もなし。しかし、労働時間は長く、生産ノルマは厳しい。達成できないと見せしめのために手足を切断したりします。

2. B農場は、A農場よりあらゆる面で多少ましです。しかし、農場幹部に「コイツは生産性が落ちたな。もう用なしだ」と判断されれば、回収業者がやってきて連れて行かれ、容赦なく処分、つまり、殺されます。殺害方法も効率最優先ですから、安楽死など望むべくもなく、生きたまま喉をナイフで掻き切ったりという惨い方法を採ります。

3. C農場は、心ある農場主によって経営されています。労働はそれなりにきついですが、良い福祉が維持されています。そして、最後は慰労金を給付し、必ず自由の身にしてくれます。

この三つのうちで、より良い選択とはどれですか?

3.に決まっているでしょう。1. は論外として、誰が好き好んで2. を選ぶでしょうか。

しかし、自分を誤魔化して平飼い卵を食したり、推奨したりしている人々は、より良い選択として2. を選ばなくてはなりません

2.の B農場の奴隷達は、平飼い鶏と全く同じ処遇を受けているのですから、この境遇を鶏達に強いるのであれば、「自分が同じように扱われても全く問題はない」と心の底から考え、かつ、そのような扱いを受けることを実際に許容できる人でなければならないからです。

平飼い卵を食したり、推奨したりしている人々は、天地神明に誓って、このように断言出来る人達なのでしょう。

 平飼い鶏も、卵を産めなくなって「用済み」と判断されると、業者によって回収され、劣悪な環境に置かれた後、生きたまま首を切られたり、熱湯に漬けられたりして殺されます。

もし、3. を選ぶようならば、「自分がされて嫌なことは、他の存在に対して絶対にしてはならない」という神の根本法を犯しながらも、恬(てん)として恥じない自己中心的な卑怯者ということになるのです。

さて、皆様は何番をお選びになられるのでしょうか。
http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-321.html





それは、レイプ、拘束、そして屠殺です。

この動画には、この内の一つである「拘束」が映し出されています。

皆様、どうか「若く元気で、活発に活動することが出来るにも拘わらず、薄暗い部屋の不潔なベッドに縛り付けられ、固定された状態で生涯を過ごす」という、ご自分の人生をご想像なさってみて下さい。

立つことも座ることも出来ません。もちろん一切の娯楽もありません。寝ることしか出来ません。

しかし、そうそう寝てばかりもいられません。体を一切動かしませんから、疲労を感じることもなく、いずれ眠れなくなります。

そうなると、ただ、ひたすら横たわるのみです。それが皆様の人生の全てとなります。

それでも、「耐えられる。何でもないよ」と心から確信を持って断言できる方は、どんどん豚肉を召し上がってよろしいでしょう。

その人は、「自分がされて嫌なことは、他の存在に対しても絶対にしてはいけない」という根本的な神の法(真理)を何ら犯していないからです。

しかし、そうでない方々が豚肉を食するということは、ご自分がされて嫌だと感じることを、他の存在に対して平気で行っていることになります。

なぜなら、豚肉を食するということは、「さんざん拘束して苦しみを与えた挙句、無慈悲に殺し、解体処理をして食べる」という養豚の一連のプロセスの最後の「締め」としての行為だからです。
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なぜ私達は、動物を拘束し、虐待、殺害する「畜産」を当たり前のように行っているのに、人に対しては、「人産」を行わないのでしょうか。

この地球上には、「人喰い人種」と呼ばれる人々が存在します。その人々にとっては、人間は普通に食材として認識されており、彼等の文化においては、これを食することは異常なことでも何でもありません。

また、飢餓に陥れば、人喰い人種ではない人でも、生きるために人間を食することもあるでしょう。※1

※1 飢餓のため人肉を食した人が、その味に魅了されてクセになり、食料があるにも拘らず、食人をした事件があります。


つまり、私達は人間を食材として扱おうと思えば十分できるのです。※2

※2 実際、現在でも中国には闇の「人肉市場」が存在するようです。人肉食は中国の伝統文化です。あの有名な孔子の好物は、醢(ししびしお:人間の肉の塩漬け)でした。

しかし現在、私達のほとんどは、食材として人間を飼養し、殺して精肉するということを行っていません。そのターゲットになるのは人間以外の動物のみです。

これは、何故でしょうか。

畜産ではなく「人産」を行うと刑法に触れる犯罪になるからでしょうか。

が、それは人間が勝手に決めた法律に照らして、そうだということに過ぎません。将来、「動物も人間と同じ権利を持つ存在である」との認識が当たり前のように共有される社会が到来すれば、畜産も犯罪になるのです。

動物は知能が低い低級な生き物だからでしょうか。

ならば、明らかに知能が低い知的障害者は「人産」の対象として良いでしょう。似たようなことを考えていたのがナチスドイツです。国の維持発展に寄与しない障害者達を絶滅させる『T4作戦』を遂行していました。

家畜は、そもそも家畜は食べるための存在、つまり、モノに過ぎないのだから、その目的に沿うように扱っても良いのでしょうか。

だとすれば、人喰い人種が人間を同じように扱って、大規模かつシステマティックに「人産」を行っても全く問題ないことになります。

人産(じんさん) ― その1 ―

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人に対しては認められないことが、なぜ、動物に対して許容されているのでしょうか。

それは、現状、この社会で畜産が広く行われ、種による差別が許容されているからです。

「動物達が可哀相(かわいそう)だ」と思いながらも、頬かむりをして、お肉、卵、乳製品を毎日のように摂取している人々が大勢いるでしょう?

ちょうど、本当は歩行者は赤信号を無視して横断歩道を渡ってはいけないのに、ほとんどの人が信号が青だろうと赤だろうとお構いなしに渡っているのと同じことです。

「皆がやっているから」「社会がそれを許容しているから」という思いが規範のハードルを低くし、乗り越えやすくしているのです。

動物性食品の摂取の場合でも同じことが言えます。

「畜産は残酷だ」「悪いことだ」と思いながらも、畜産製品を食するのは、皆がそうしているから、社会が種による差別を認め、畜産を支持しているからです。悪いこと、間違っていることでも、皆でやれば平気なのです。

私達は、このような、「種による差別を土台とする畜産システム」を許容している、誤った社会のあり方を突き崩して行かねばなりません。

合理的理由のない差別は、絶対的に悪なのですから。

もし、人に対する差別が許されないのなら(←当然そのように考えられています)、種による差別も許されてはなりません。「人産」が認められないのならば、畜産もやってはいけないのです。


社会で行われていることが正しいとは限りません。裏口入学、犯罪の揉み消し、いじめ、各種ハラスメント、児童虐待……これ等は、社会で行われていますが、悪いことです。畜産も、間違いなくその一つなのです。

人産(じんさん) ― その2 

http://duckfoot.blog.fc2.com/blog-entry-327.html







Mataderos - Slaughterhouses | Investigación de Igualdad Animal - Animal Equality investigation←動画に飛びます。

殺戮が、ごく普通のありふれた風景だというのは、実に恐ろしい世界です。

皆様は、戦場の悲惨な情景や、ジェノサイド(民族浄化)の対象となって虐殺された犠牲者の痛ましい姿をご覧になれば、正視に絶えず顔をそむけたり、「ひどい」、「許せない」という気持ちが沸き上がって来たりするでしょう。

しかし、そのように強い義憤を感じ、「自分は平和を愛する正義の人だ」と信じている人々のほとんどが肉料理、あるいは動物性食材(乳製品、鶏卵等)を使った料理に舌鼓(したつづみ)を打っています。

また、愛玩動物を溺愛し、「自分は動物に優しい、慈愛に溢れた人間だ」と思っている人も、やはり、食事時にはビフテキや豚カツ、フライドチキンなどを好んで食したり、自分が飼っている愛玩動物に、家畜や犬猫の死体入りペットフードを平気で与えたりしています。

そのような人々は気付いていないのです。自分が、ジェノサイドの加害者側の人間や、無慈悲な畜産業者、あるいは悪魔のようなレンダリング企業の人間達と全く同じ種類の人間だということに。

それなのに、「自分は愛と正義の素晴らしい人だ」などと、とんだ勘違いをしているのです。何というお笑い種(ぐさ)でしょう。

もし、動物達が人間の言葉を喋ることが出来たならば、そのような人々に向かって、きっと、こう指弾するでしょう。

「お前が言うな!」と。

自然な殺戮風景

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