小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

戒名彫刻 母島編 これから広がる可能性∞‼

2023年01月17日 | 便利屋 こまわりさん
戒名彫刻 父島編の続き
■信州・松本から海を越えて小笠原諸島へ。
目的はお墓に戒名を彫ること。

何故なら、こんな離島まで墓石彫刻という、
特殊な技術を行うことが出来る人は見当たらず、
20年以上も彫れなくて困っている人が何人もいたから。

戒名彫刻師、彫枡(ほります)の杉本弦洋さんは言いました。
「これからはこういう事をやっていきたいんだよね。
 僻地で本当に困っている人の為に
 自分の技術が助けになるのなら、
 ぜひ行って彫っていきたい!」

小笠原だけでなく、他の離島も視野に入れた、
とても嬉しい一言でした。
僕もそのコーディネートで他の離島の方のサポートが出来ればと思っています(#^.^#)
これからのご縁、可能性の広がりにワクワクしちゃいます(#^.^#)

今回は父島と母島の沢山の方から感謝の言葉を頂き、
僕と弦洋さんはとても嬉しさで満たされていました♡



■さてさて無事、おがさわら丸2航海の工程、すべての戒名彫刻作業を終えることができました。
一言でいうならば、心底ホッとした、になります。
まさかここまでプレッシャーを感じるとは…

雨では一切作業が出来ないデリケートな戒名彫刻。

しかし、滞在日程は決まっており、
もし仕上がらずに延長になった場合は滞在費用も増えてしまうし、
何より母島の場合、延長した場合は宿があるのか、出発時に車を載せる空きがあるのか、
様々な不安要素の塊が見えるので、
何としてでも予定の日程で終えなければというプレッシャーとの戦いでした。

なので、彫る時期も台風の来ないかつ、雨の少ない時期である1月を設定しました。

しか~し、その直前の12月はほとんど雨模様という、
例年だと12月中旬以降はいい天気が多いのに、
なかなか心配な天候でした。

ですが、その心配も杞憂に終わりました☆
年末年始からずっと海も天気も最高のコンディションとなりました!

結果的に1/7父島来島から、1/16母島出発まで、
日中の雨はほとんどありませんでした!
もうこれは奇跡としか言えないほどです☆
※現に16夜から毎晩雨が降っているのです!
本当に天候にも感謝です♪

お陰で様で彫刻作業は順調に進み、
父島は5件 6名分
母島は10件 17名分
計23名分の彫刻を終えることが出来ました♪
本当にありがとうございました!!


全ての仕事を終えて、母島の集落を見渡せる小剣先山を登る弦洋さん


■この15件、23名分という彫刻量は内地の作業であれば
約10日間の工程で全然無理のないボリュームなのだそうですが、
忘れ物が出来ない小笠原という超遠隔離島であること、
船のアクセスが不便であること、
お墓と車の距離(最大250m超)、
車を船に載せるタイミングと工程の調整、
車を載せる予約と、人が乗る予約、
そして宿の確保と、
天候以外にも色々と難しい調整が必要でした。

ここがもう高齢化が著しい墓石彫刻の職人さんを
島に呼ぶことが難しい背景だったと思います。

今回は幸運にもSNSで呼びかけて、
友人が40代という若い弦洋さんを僕に紹介してくれたお陰で、
事前にオンラインビデオ通話やLINEで画像のやり取りなど、
出来る限りの調整を事前にやりまくったお陰で、
最高のスケジュールで成功したのだと思います。

改めて、紹介してくれたNちゃん、本当にありがとう♪


■父島は村営の大根山霊園があるのに対し、
母島は村営の墓地はありません。

大根山霊園は
利用している方から聞く所によると、
30年くらい前に整備されたばかりの新しい墓地で、
永代使用料 400,000円~
年間管理費 3,600円 / 年
だそうです。

母島と違い、今回の彫刻件数が父島の方が少ないのは、
こうした墓地の整備があったからかもしれませんね。

弦洋さんに内地事情を聞くと、
近年はお墓の維持管理も問題になっていて、
「墓じまい」のケースがとても多いそうです。

僕自身も自分のお墓にはあまり興味なく、
海とかそこら辺で自然に還ればと思っていたりします(法律の問題を除く)。



■また、今回墓石の彫刻をする上で、
僕は事前に今墓石に彫られている文字を大きさも書体も、
そのまま写す「拓本」をいう作業を事前に行いました。

これは彫刻する際に、ゴムの型を事前に作って来る為に必要な作業でした。

その時はただ、今ある文字を映して長野に送るという事をしただけだったのですが、
さすが本職です。
いざ弦洋さんが現場に来て、墓誌などを見ると、
そこから色んな意思が見えたりするそうなのです。

すでに彫られている方の年齢や性別から、
人間関係、意思を感じて、ご依頼者に確認をするのです。

例えば、
ただ単に亡くなった順に彫る場合もありますが、
旦那さんと子供が先に亡くなり、間に一行開けてある場合は、
奥様がそこに入る用に空けてあったりするのです。

親より先に亡くなってしまった場合など、
親の分を空けてあったりと、家庭によって様々なのだそうです。

今回、複数人の彫刻依頼の場合などがそのケースがあり、
ただ拓本を取っただけの僕には全く気付かない部分でした。

そう思ってくると、墓誌というのもとても興味深く思えるようになってきました。


人口450人の母島を見渡す小剣先山。
戦前1940年、小笠原の人口は6207人との記録が残っているので、
この今見える沖村の人口ももっと多かったと推測できます。

僕たちが数日作業した沖村墓地は都住の上の森で、
小剣先山からは全然見えませんでした(#^.^#)
大海原ではザトウクジラ達が盛んに動いたり跳ねたりしています。

きっとお墓に名前を彫った方たちも、
この景色を見て過ごしていたのだなぁと思うと、
とても感慨深いです。


■僕の想像を遥かに超えていた戒名彫刻作業。
これまでの様に顔が見える作業は、実は文字の型のゴムを貼る作業だったり、
貼る位置を正確に測っている場面で、実は上の写真の様に、
シートに潜って削る作業をしているので、まったく映えない構図なのでした(#^.^#)

まさに頭隠して尻隠さず状態(^_-)-☆

型を貼った石に対して、
車のコンプレッサーから高圧空気を使って、
カーボンと石の粉みたいな砂を一文字ずつ、1筆ずつ削っていきます。

その際にものすごい粉塵が発生するので、シートでくるんで、
弦洋さんは頭を突っ込んで作業する訳です。
その中で火花が飛び、その明かりで見ながら削っていくそうです。

仕上がりを見ると、見事に加減などが絶妙で、
文字通り職人技というのをヒシヒシと感じました!
本当に凄いです!!

僕は遠い現場の場合は、
車のコンプレッサーが焼け付いたりしないように
連絡を受けてON,OFFをしたり、
足りないもの、食事やモノの運搬を手伝う程度でした。


■僕は一応、母島で介護の仕事を少ししているので、
今回、母島の彫る方のほとんどが顔も性格も知った方達が多かったです。

生前も知っていると、お墓に向き合った時の気持ちがまた深くなります。

でも、それ以上に無事に彫り終えた報告を、
ご依頼の方に連絡した時のホッとした顔が忘れられません。

「ずっとね、何年も名前を彫ってあげれてなくて、
 ずっと気持ちがソワソワしてたの。
 ようやく、何かホッとしたわ。
 どうもありがとう」

と言ってもらったり、
「いつか無縁仏になっちゃうんだよねと思いつつ、
 お墓は今いる私達の心の供養だから、
 こうやってお墓に戒名刻んでもらうことで
 やっとまた一つ、私達の心の供養ができたんだよねって、
 朝から母とありがたがってたよ。
 生前もなくなったあとも
 寄り添ってくれるジャイアンに感謝」

と言ってもらって、すごく嬉しかったです。

こんな時代なので、現場からLINEで内地に写真を送り、
その返事を現場で読んで弦洋さんにも伝える。

迫りくるリミットを気にしながらも、
こうした気持ちを受け取って、とても幸せな気持ちになりました。

確かに手配や調整、お金のやりくりは楽ではなかったのですが、
そのすべてが報われる瞬間でした♡


■父島も母島もいざ現場に来てみれば、
戒名彫刻だけでなく、お花立ての破損、交換だったり、
彫った文字の白入れなど、
細かな作業があったりしました。

これらは弦洋さんがいなくても、
僕ができるように色々教わりました☆

新規で墓石を設置するオーダーも頂き、
十二分に充実したお墓の仕事となりました。
これも便利屋さんの仕事なのです(#^.^#)

彫刻の仕事を終えて、
「やった~!無事に終わった~!」
と墓地に通じるフルーツロード終点での達成感、忘れられません。

まだ細かな作業はありましたが、
雨が降ると絶対的にできない彫刻作業が無事に終わった時の
ホッとした気持ちは、言葉にできないです。

途中雨があって、日程がズレたら、
夜間作業も覚悟していたほどです。

それらが無事に終えた時の空はあまりに青かったのです。


■過去に住んでいたとはいえ、
お邪魔している立場、アウェイの父島と違い、
入港配達など色んな用事が発生する母島。

滞在中に島を引き揚げる友人の為の
ライヴイベントも主催していたり(#^.^#)

そんな中でも無事に仕事を終えれたので、
空いた時間は存分に母島を楽しんでもらいました♪

さすが元バンドマンの弦洋さん。
父島でもジャズフェスというタイミングでしたが、
母島では僕が主催するライヴというタイミング!!

なんか、すべてもっている感がぬぐえない、今回の滞在。
主催の僕は非常にいっぱいいっぱいなのですが、
みんなのお陰で最高のライヴになったと思います☆
それについては後日記事にしますね(#^.^#)


島に来る前からずっと体験させたかった、
アウトリガーカヌーも一緒に漕げました!

海なし県の信州から来ている弦洋さん。
最初から最後まで
ずっとクジラが途切れない、
ホエールボヤージングでした☆


終始海には「怖い!怖い!」ばっかりだったのが、
カヌーでクジラ三昧だったら
いつの間にか怖さは薄れ、
「海は友達♡」と言えるまでになりました(^^♪

漕いでる途中で作業に使っていた彫枡号(ほりますごう)、
松本ナンバー、スタッドレスタイヤの車がははじま丸の上にちょこんと載っているのを
カヌーから見送れたのはとても面白かったです。
※車を出港日のおがさわら丸に載せる場合は、前日のははじま丸に載せないと間に合わないのです。


父島母島の両方のお墓に名前を彫りたくても、
ずっと彫れずに落ち着かなかった皆さんを、
安心させれる偉業を成し遂げてくれた弦洋さんに感謝!

僕にとっても学びと喜びに溢れる日々でした☆
どうもありがとうございました(#^.^#)


■弦洋さん自身にとっても、
この小笠原に来る仕事というのは、
とても大きな意味を持っていたようです。

僕にとってもとても大きな意味がありました。
こうして人と人のご縁が、より深くなりました。
本当に有難い限りです。

とても感謝されているのに、こちらも感謝の気持ちで溢れている。
それって最高の仕事なのなのではないでしょうか?

島の困っている人を支える便利屋さんを始めたのに、
逆にいっぱい元気をもらっています!


そんな素晴らしきご縁を頂いた弦洋さんを見送る日がやって来ました。
もちろんレイを作って渡したのはもちろんですが、
それだけでは僕の気持ちが収まりません。

しかも、自分が主催するほどのお別れライヴの主人公マナイも同じはは丸です。
これはできる限りの事をしなければ、僕は後悔します。

少し風が強く、海が悪かったのですが、
僕はSUP、妻はカヤックで見送りボヤージングを行いました。
その様子を友人が望遠カメラで撮ってくれていました。
どうもありがとう!

写真で見るとかなり近く見えますが、
安全な距離にいますし、
定期船の航行に邪魔にならない様に、
事前に船長さんにも話してあります☆

見ようによっては助けを求めている様にも思えますね(笑)

自分にできる精一杯の行動で以て、感謝の気持ちを表現したつもりです。
もう2年もSUPをやり続けていると、こんな海況でも難なく立てるようになったので、
自分にしかできない見送りだと思っています(#^.^#)

その日の夕焼けは、なんだかとても不思議な竜が飛ぶような雲がある夕陽でした。
ライヴもお墓仕事も無事に終えて、超ホッとした瞬間の景色でした☆

おがさわら丸が着いた竹芝の夜(今!)は、
紹介してくれたNちゃんと弦洋さんが久しぶりの再会を果たし、盛り上がっている頃でしょう。

僕自身にも沢山の気付きと学び、
そしてご縁を頂いた今回の便利屋仕事。
これからの展望にさらにワクワクします。

どうも有難うございました!!

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋









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