Reikibudo’s blog

オーストラリア バス旅 超意識の旅  現在地:NSW州 Mount Warning

立ち上がる時

お久しぶり。

相当お久しぶり。

みなさまお元気だったでしょうかね?

私は色々思うところがあり、

しばらく仕事お休みしてました。

 

2019年にライトワーカー講座を初め、

去年デトックスハンドセラピーに移行してから

ずーっと仕事中心に生きてきて、

その傍に旅だったり家族の時間があった。

 

それが5月のある日

 

もう仕事休も!

 

となった訳である。

 

休むのも最初は数週間と思っていたけれど、

休み始めるとそれがどんどん長くなり

今まで3ヶ月も休むことになった。

 

バスの改造のためにお金を貯めようと

思っていたけれど、

なかなかうまくいかなかった。

 

あと少しで改造開始できるるぞ!

と思う側から

夢を打ち壊すかのように予想外の出費がかさむ。

 

去年はクラッチ壊れる、

ギアボックス死ぬ、

ハンドル固まる、

トレーラーを買う、

ギアボックスの修理に4週間もかかり

宿泊費用と合わせ100万かかる

 

今年は

夫が浪費する、

タイヤがパンクする、冷蔵庫が壊れる、

トイレが壊れる、水道が壊れる、

野ネズミが住み着いて、

電気の配線をかじり火災寸前になる、

食料を食い荒らし排泄物を残す。

ロックダウンで動けなくなる。

 

そこでふと気がついた。

夢って何?豊かさ?それはお金?

お金を貯めてバスの改造をする?

島を買う?

なんかそれって違うんじゃない?

 

5月のあの日、なんだか

情けなさでいっぱいになった。

 

だけど休業するにあたって、

決めたことがある。

ただ休むのではなく100%本気で休むこと。

「今この瞬間」を感じ切ること。

 

初めの数日は寝ても覚めても

仕事のことばかり考えていた。

だけど残りの講座をやり切った後、

集客にまつわる全ての動きを止め、

今まで我慢してきたことを

全部やってやると決めた。

 

朝起きて水平線から上る日の出を見る。

日が昇ったらコーヒーを片手にビーチを眺める。

子供との会話に真剣に向き合う。

自分の心と体に従い、

明日死ぬなら今何をするかという心持ちで

その時やりたいと感じたことをやる。

 

クラッチアートに集中した。

 

スケボーで盛大に転んだ。

冬のビーチをダッシュした。

真剣に本を読み、映画を見て、家事もやった。

 

その時の体の感覚が忘れられない。

全身に血が流れている感覚、

肺が開く感覚、目の動き、筋肉や骨格の感覚。

「ああ、私、体があるんだ」

と不思議と感動を覚えた。

 

だけど楽しいことをやることは

楽をすることじゃなかった。

 

同じ「楽」の漢字だけど全く違う。

自分と家族と精一杯、

目の前のやりたいことをやっていくと

楽しいんだけれど実は辛い。

 

次の日に起こる

疲れ目や筋肉痛や打撲傷。

子供の我儘と真剣な思いの重さ。

 

欲しいものなんかない、夢なんかない、

 何かを欲した瞬間にそれは遠ざかる

 

と夫が語る言葉と

レーニングや講座でやっている

「夢を叶える」ことへのギャップ。

頭の中でエンドレス再生されている

うるさい思考。

 

特に思考は仕事のことでいっぱいだったので

うるさいと思いつつも

自分の今までの考動を見返した。

 

無料のSNSが巷に溢れる中、

メルマガに月々数万もお金を払っているのに

自分が綴るメルマガ文章に

真剣に向き合えていたのか?

・・・向き合えていなかったんじゃないか。

 

魂のこもった言葉を伝えられていたのか?

・・・いや、うわべだけの言葉になってたんじゃないか。

 

だから苦しかったんだ。

だから書けなくなったんだ。

だから仕事したくなかったんだ。

 

それから体の動き、感情の動き、

無意識に出していた波動、

身の回りの景色、うるさい思考の

これら一つ一つを「今この瞬間」感じてみた。

 

すると不思議なことに、

それは常に変化しており

いつかなくなるものなんだと感じた。

 

こんなにも仕事を言い訳という盾にして

自分の感覚を蔑ろにしていた。

いや、感じていると思ってたけれど、

感じきれてなかった。

 

そして気づいた。

家族の温かさ、オーストラリアの深い空の青さ、

風の柔らかさ、太陽の明るさ、水や電気などの資源、

今この一瞬を生きるためのお金や食べ物・・・

 

全ての豊かさはすでにあった。

去年苦しさを乗り越えて

バスの旅に出た瞬間に夢は全部叶ってた。

その瞬間に涙がどっと溢れ出した。

これを今まで「フェイクの夢」のために

感じ切ってなかったと痛感した。

 

バスの改造も

「お金が貯まってから」やると思っていたけれど

そうじゃなくてもカーテンを変えることから始められた。

すると、どんどん次のアイデアが出てくる。

そのアイデアをどんどんこなす。

 

目標金額にお金が溜まってなくても、

予想外の出費が嵩んで心許なくても

「今」立ち上がれということだった。

 

また、本気で島を買いたかったのなら、

借金してでも

数百万円程度の長崎の無人島を

その時買ってたと思う。

 

島を買うことなんて、誰かの目を気にして立てた

「フェイクの夢」だったのでは?

 

旅を始めて地球が住所になったんだから

わざわざ所有しなくてもいいよね。

将来的には変わるかもしれないけれど、

今は島じゃない。

 

「島を買う」ことから、

「国」「大陸」「もう持ってるよね?」

キーワードが次々に浮かんでたのに、

向き合ってなかった。

自分の内側から出てくる声を無視してたと後悔した。

 

「欲しいものなんかない、夢なんかない」

という夫の言葉も

 

「明日のための今日なんかない」

「今しかない」

「必要なものは全部揃ってるじゃないか」

の意味が奥にあって、

 

未来や過去に意識を飛ばして、

現状に不足感を感じたり

できていない自分の粗探しをするんじゃなく、

夢は想像して「今この瞬間」

ワクワクを感じるためにあるんだということが

バシャールの言葉と重なってやっと腑におちた。

 

するとその次の日に不思議なことが起こった。

 

働かずして臨時収入があった。

その翌月も同じくらい臨時収入があった。

 

そしてそのお金でまた家族と向き合い、

その時々でやりたいことをやる。

 

悩まされた野ネズミも全ていなくなった。

壊れていたものも全て修理できた。

痛いところも無くなった。

この不思議な何かの力のことを

すっかり記憶の彼方に押しやっていた。

 

だけど葛藤は続いていた。

私の次の夢・・・どうしよう・・・

 

そしてこのままでも十分幸せなのに

自分がわざわざエネルギーを削ってまで

仕事をする理由もわからなくなった。

 

 

確かに講座は楽しいし

受講生さんはものすごい変化を遂げている。

 

だけど、

本当に私がそれをやる必要があるのか?

 

私は毎日毎日自分の中にあるはずの答えを探った。

 

そんな時に1本のYouTube動画に出会った。

長くなるので続きはまた今度。