山背国の愛宕山めぐり② ~愛宕神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

京都・
愛宕山(あたごさん)の山頂にある
愛宕(あたご)神社です。



全国に900社ほどある
愛宕神社の総本宮だといいます。

 



地元では、「愛宕さん」として

親しまれているようですね。



京都の北西(乾・戌亥)にあたり
都の方位守護でもあるようです。

また、山麓の
嵯峨野(さがの)の地は
化野(あだしの)ともいい

京都の
葬送地でもあったため
愛宕山は霊魄の集まる山
ともされたようです。

 


京都盆地の最高峰であり
古くから信仰をあつめる山
だったようですね。

 



飛鳥時代から
奈良時代へとかわる
700年ごろ、

修験道の開祖である
役行者(えんのぎょうじゃ)と

白山(はくさん)をひらいた
泰澄(たいちょう)

愛宕山に登頂して
神廟を築いたのがはじまり
というようです。



このとき、
山麓にある清滝では

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
毘沙門天(びしゃもんてん)
愛染明王(あいぜんみょうおう)

の5仏があらわれたといいます。

そこで、清滝には
千手観音を祀ったそうです。

 



さらに、中腹の大杉では

天竺の日羅(にちら)
唐土の善界(ぜがい)
日本の太郎坊(たろうぼう)

という3坊(天狗)が、

9億4万ほどの眷属をつれて
あらわれたといいます。

そこで、大杉には
史郎(しろう)明神を祀ったそうです。

 



これらは、後世につくられた
伝承のようではありますが

それほどの神々に守られている山

ということのようですね。

 



奈良時代の
781年になると、

和気清麻呂(わけのきよまろ)
僧・慶俊(けいしゅん)が

愛宕山の5つの峰にそれぞれ
寺をひらいたといいます。

 



朝日峰(あさひがみね)・
白雲寺(はくうんじ)

大鷲峰(おおわしがみね)・
月輪寺(がつりんじ・つきのわでら)

高雄山(たかおさん)・
神護寺(じんごじ・神願寺)

龍上山(たつかみやま)・
日輪寺(にちりんじ)

賀魔蔵山(かまくらやま)・
伝法寺(でんぽうじ)

の5寺だそうです。



朝日峰というのが
愛宕山の山頂のことで、

愛宕大権現を祀った白雲寺が
愛宕神社の前身のようです。

開山は、
泰澄だといいます。



一説には、東の
鷹峯(たかがみね)にあった
阿多古(あたご)社を遷して

白雲寺の鎮守とした
ともいわれるらしく、

鷹峯が
愛宕(おたぎ)郡だったこと
阿多古(あたご)社を遷したことから

愛宕山(あたごさん)とよばれた
ともいうようです。

 



それまでは、
手白山(てしろやま?しゅはくさん?)
といわれていたようですが

「白山」つながりで
「泰澄」が開山したとされる
のかもしれませんね。

ただ、
遷座したのは表参道にある
愛宕寺(おたぎでら)のこと
ともいわれるようで、

混同があるともいうようです。

 

 

さらに、
西の麓にある愛宕神社は
「元愛宕」ともいわれ

鷹峰の阿多古社は
元愛宕を勧請したもの
ともいわれるようです。

ですから、
愛宕山頂に祀られている神は
もとをたどれば

元愛宕の分霊である
ともいわれるようですが、、、

さてさて、
どうなのでしょう?

 


どうやら、このときには

愛宕大権現とは
火の神・迦遇槌命(かぐつち)
のこととされていたようです。

そこで、白雲寺では
カグツチの本地仏(仏の姿)を
勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)
としたようですね。

 


鎧を身につけ
軍馬にまたがった
地蔵菩薩ですが、これは

平安時代の武将・
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
東征(東北のアテルイ征伐)さいにあらわれ

坂上田村麻呂の命を救ったことから
坂上田村麻呂の氏寺である
清水寺(きよみずでら)に祀られたのが
はじまりだといいます。

ですから、
白雲寺の開山からは
20年ほど遅れるようですね。

 



当初はやはり、
愛宕大権現=カグツチ
だったのでしょう。

もしくは、
カグツチ×地蔵菩薩=勝軍地蔵
が生まれたのかもしれませんね。

 



愛宕山の5寺のうち
月輪寺・神護寺は
いまでも残っていますし、

神護寺といえば
空海(くうかい)ゆかりの地
でもあります。

 


愛宕山域を復興させた
和気清麻呂は、

784年の長岡京遷都や
794年の平安京遷都に
かかわった重要な高官であり

治水事業や、それにともなう
物流(水運)も担っていたようですね。

女帝・称徳天皇の寵愛をうけて
天皇にまで成り上がろうとした

道鏡(どうきょう)の野望を
打ち砕いたかたでもあり

皇室の血統を守ったことから
いまでは、護王大明神として
称えられるようです。

 



京都盆地と亀岡盆地をむすぶ
桂川(かつらがわ)など

交通の要衝でもある
愛宕山を復興させることで
都の守護としたのでしょう。

 



おもしろいのは、
修験道の行場でもあったこの地が
天狗信仰の地になったことでしょう。

愛宕山には
太郎坊(たろうぼう)天狗という
大天狗が住みついていて

天狗の惣領(長男格)
とされたようですね。

 



ですから、愛宕神社には
太郎坊天狗も祀られている
といいます。

また、愛宕山の修験者は
愛宕聖や清滝川聖
といわれたようですね。

戦勝祈願の仏である
勝軍地蔵が祀られることから

おおくの武将から
崇敬をうけたようです。

 



なかでも、
戦国時代の武将・
明智光秀(あけちみつひで)は

織田信長(おだのぶなが)

を討つ数日前に参詣して
戦勝祈願をしたらしく、

9人で100韻を詠んだ
「愛宕百韻」を納めたといいます。

そのなかで、光秀は


ときは今 あめが下しる 皐月かな


と詠んだそうです。

土岐(とき)氏の末裔である光秀が
天下(あめ)を領(し)る
5月となった

という意味にもとれることから
思いが読み取れる歌とされるそうですね。



のちには、
豊臣秀吉も朝鮮出兵のさいに
戦勝祈願したといいますし

徳川家康も江戸芝に勧請して
愛宕山としたといいますから

武将たちにとって
重要な地・山だったようです。

 



また、江戸時代には
徳川家におくられる宇治茶の
貯蔵・熟成地でもあったらしく、

茶壷(ちゃつぼ)が
置かれていたといいます。

「ちゃちゃつぼ ちゃつぼ」の
手あそび歌や、

 

「ずいずいずっころばし」の

「ちゃつぼにおわれて」の茶壷は、

 

京から江戸に送られる

茶壷道中がもとになっているといいますが、

愛宕山の18町目には
壷割坂があり、茶壷が割れた場所
なのだそうです。

 



明治時代になって、
新仏分離政策がとられると

白雲寺は廃寺となって
愛宕神社となったようですね。

 

本尊の勝軍地蔵も

月輪寺に遷されたのち
金蔵寺(大原野)に遷ったといいます。


とはいえ、修験の地でもあり
神仏習合の根深い地ですから
祭神にも痕跡があるようです。

 



本殿には、記紀で

カグツチを産んだききとされる

 

伊弉冉尊(いざなみ)

が祀られるようです。

 

埴山姫神(はにやまひめ)

稚産霊神(わくむすひ)

豊受姫命(とようけめ)は

 

イナサミの遺物から

生まれたされるかたですね。

 

 

天熊人命(あめのくまひと)は、

月読尊が保食神を斬ったあとの

事後処理係として登場するの神ですから

 

本社の祭神のなかでは

異質な存在です。

 

ですが、この地はかつて

葛野郡(かどのぐん)といい

 

ホツマツタヱによると

保食神の末裔である

カダの治めた地でもあり、

 

天熊人命=カダマロ

とするならば、

 

地主神として

祀られているのかもしれませんね。

 

 

本殿のわきから、

廊下をたどってゆくと

若宮へつづきます。

 

若宮では、

雷神(いかづちかみ)
迦遇槌命(かぐつち)
破无神(はむしのかみ)

 

を祀るといいます。

 

 

雷神も、

イサナミの死から生まれた神

のようですね。

 

カグツチは、

イサナミの死の原因となったかた

といわれるようです。

 

 

気になるのは

破无神(はむしのかみ)です。

 

まったく謎の神さまのようです。

 

「破无く(はむく)」

「破无し(わりなし・無理)」

という古語から、

 

道理にはずれたこと

わきまえを失っている

などの意味があるようですが、

 

だとすればこれは

ホツマツタヱでいるところの

ホヲムシ・イナムシ」のこと

ではないでしょうか?

 

ワカヒメさま

和歌によって払われたという

イナゴのことかもしれません。

 

 

さらに、

若宮社の裏へまわると

奥宮へとつづきます。

 

 

こちらには、おおくの方が

祀られていらっしゃいました。

 

 

護王社というのが、

和気清麻呂のことで

 

太郎子社というのが

太郎坊天狗のこと

のようですね。

 

司箭社とは、

天狗の術を操ったという

戦国時代の武将・

司箭院興仙(しせんいんこうせん)が

愛宕山に暮らしたことによるようです。

 

蛭子社とは

ワカヒメさまのことでしょうか。

 

 

ほかにも、いくつか社がありますが

なかでも気になるのは

 

鉄製の両部鳥居のそばにあった

この磐座です。

 

 

表参道の

第一鳥居にある磐座を

「上り亀石」といい

 

両部鳥居にある磐座を

「下り亀石」というようです。

 

どちらも、役行者が祀った

といわれるようですね。

 

 

また、

両部鳥居の手前あたりから

白髭(しらひげ)社にそれる

山道があります。

 

 

白髭神こと、

猿田彦大神(さるたひこ)

祀っているようですが

 

 

社をよくみれば、

 

 

修羅髭(しゅらひげ)社

白髭(しらひげ)社

白波(しらなみ)社

 

の3社がありました。

 

猿田彦と天狗は

姿も似ていることから

同一視されることもありますが、

 

「修羅髭」というのは、

とても面白い表現ですね。

 

外界との境界を守るという

塞ノ神(さいのかみ)としての

神徳もあることから、

この地に祀られるようです。

 

 

山背国の愛宕山めぐり③ へ つづく

 

 

 

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☆愛宕山めぐり全記事リスト☆

山背国の愛宕山めぐり① ~表参道~
山背国の愛宕山めぐり② ~愛宕神社~
山背国の愛宕山めぐり③ ~カグツチの磐座~
山背国の愛宕山めぐり④ ~空也の滝~