こんにちは。

 

心理カウンセラーの縣(あがた) 真弓です。

 

読んで頂き、いいねやコメントありがとうございます。
 
嬉しいです。おねがい
 
 
リクエスト頂きました。
 
 
今、私はペットロスです。
 
一か月ほど前に体調を崩しその症状は落ち着いたのですが
 
そこから心配で家をあけることが出来なくなりました。
 
通院、買い物など必要最低限で大急ぎで行って帰ってくる、
 
帰ってペットの姿を見て安心する日々でした。
 
数日前から具合が悪くなりつききっきりでした。
 
以前パートに出かけている間に息を引き取った仔がいたので
 
そのトラウマもあるかもしれません。
 
今は働いていないのでつきっきりになれる環境がありました。
 
普段は別の部屋で寝ているのですがこの数日はそばで寝て、
 
家をあけることもせずずっと見ていました。
 
高齢なので老衰かと思われます。
 
悲しいですが、楽しい思い出もたくさんあり感謝の気持ちもあります。

つきっきりで介護していて私自身とても疲れていました。
 
先月からの心配に加えて寝不足や
 
布団で寝ないので肩こりや頭痛などもあったのですが、
 
片時も離れることができませんでした。
 
もちろん心配が大きいのですが
 
自分自身の中で「後悔したくない」という思いがありました。
 
その中で「早くこの状態から解放されたい」という思いもありました。
 
老衰のペットの介護で”解放されたい”って...
 
それって答えは一つしかありませんよね。
 
実際ペットが息を引き取って悲しみと共に解放感のようなものを感じました。
 
これで心配せずに出かけられる...
 
私ってなんてひどい人間なんでしょう
 
解放感を感じる自分に罪悪感を感じます。
 
「後悔したくない」というのも自分のためです。
 
(実際は「あの時...この時...」と後悔がいっぱいありますが)こんな自分に嫌悪感があります。

そして思ったことは
 
ペットではなくこの後大切な人に対しても
 
介護をする、心配をすることがあれば
 
私はこんな風に思ってしまうのだろうか。
 
私って自分のことしか考えないひどい人間なんだと。

思い入れが強すぎるのでしょうか?
 
私は生命に敏感に反応してしまいます。
 
ペットではない虫や鳥、魚などにも感情移入してしまうので
 
テレビなどでそういうものを扱っている番組を見るのも辛くなるので苦手です。
 
死にたくないと思う気持ちを生物みんな感じているだろうに...
 
その瞬間の無念さのようなものを想像すると辛いです。
 
夫は割と淡々と見ています。
 
ペットが亡くなったことも悲しいだろうけど表には出しません。
 
「きっと楽しかったって、うちの仔になれて嬉しかったって言ってるよ」と言っています。
 
ある意味私にとってそれが救いでもあります。
 
私が『死』というものに過剰に反応しすぎなのでしょうか?

なのに「解放されたい」と思ってしまう自分がとても嫌です。

こんな愚痴のようなメッセージですみません。
 
なにか考え方のヒントになるようなものがあればご教示ください_(_^_)_
 
(一部省略 Iさん)
 
 
今の私にとてもタイムリーなお話をありがとうございます。
 
前回の記事にも少し書きましたが、
 
私は今、10歳の慢性腎不全の猫を介護しています。
 
慢性腎不全を治す薬は無く、
 
・腎臓に負担を掛けないように作られた療法食を与える
 
・脱水、尿毒症予防に皮下点滴をする
 
というのが、進行を遅らせたり、
 
猫の体の負担を減らす方法です。
 
 
 
 
 
点滴は、毎日だいたい同じくらいの時間にしなくてはいけないし、
 
上手く針を刺せなかったり、
 
猫が動いて途中で針が抜けるなど、
 
失敗した時は病院に連れて行ってしてもらうので、
 
出掛けていても、その時間までには家に帰り、
 
病院が診察してる時間内に終わらせなければいけません。
 
休診日に点滴する時は、
 
「失敗したらどうしよう」とドキドキ、ハラハラです。
 
 
 
 
 
そして、うちの猫はご飯を食べてくれません。
 
ドライフードを砕いたり、ふやかしたり、
 
ウエットタイプを乗せたり混ぜたり、
 
あらゆる療法食、あらゆる方法を試しましたが、
 
どれもプイと横を向きます。
 
 
 
 
 
何でもいいから、全然食べないよりはマシ…
 
ということで、
 
療法食でない一般的な総合栄養食を与えても、
 
元々好みが激しく、飽きっぽいコで、
 
食べてくれないか、食べてもほんの少し…。
 
 
 
 
 
お腹が減ったら食べるでしょ?
 
と思う方もいるかも知れませんが、
 
気に入らないフードは頑として食べず、
 
水をガブガブ飲んで飢えをしのぐ感じです。
 
 
 
 
 
猫は絶食すると脂肪肝になるリスクが高いので、
 
無理にでも食べさせることが必要になります。
 
シリンジを使い、強制給仕しているのですが、
 
一度にたくさん与えると吐いてしまいますし、
 
空腹過ぎても吐いてしまうので、
 
3~4時間置きに与えています。
 
(腎不全に吐き気はつきものだそうです。)
 
 
 
 
 
私は現状フリーのカウンセラーなので、
 
ご予約を受付けなければ、
 
つきっきりで介護出来る状況です。
 
そういう状況で、後悔したくないので、
 
猫最優先の介護生活をしています。
 
 
 
 
 
でも、たくさんの種類のごはんを用意してもそっぽ向かれて、
 
『食べないと死んじゃうんだよ!』と悲しくなったり、
 
『一体何だったら食べてくれるの!』と苛立ったり。
 
生きているのに、
 
『死んじゃったらどうしよう』と死ぬことばかり考えたり。
 
 
 
 
 
『こんな状態じゃなかったら、
 
GO TO利用して温泉旅行ってるのにな…』とか、
 
『あー…、朝までぐっすり寝たいな…』とか、
 
『いつまでこの生活が続くんだろう…』とか…。
 
この生活が終わる、イコール…
 
その答えはひとつになりますよね?
 
 
 
 
 
そんなことを考える私のことを
 
Iさんはどう思いますか?
 
「自分のことしか考えない、なんてひどい人だ!」と思いますか?
 
 
 
 
 
相手が動物であろうと、人であろうと、
 
介護はしんどいです。
 
一人で抱えると尚更です。
 
 
 
 
 
肉体的にも精神的にも、
 
疲れたり、しんどい時に、
 
『解放されたい』と思うのは罪なことなのでしょうか?
 
解放されたいと思うのは、
 
イコール相手の死を望んでいる、ということでしょうか?
 
違いますよね?
 
 
 
 
 
自分以外の誰かが同じ状況だったら、
 
「そう思っちゃうよね、
 
そう思っても仕方がないよね、
 
だって介護はしんどいもん。
 
大変だもんね。」
 
と言ってあげるのではないですか?
 
自分に言ってあげないのはどうしてでしょう?
 
 
 
 
 
>ペットが息を引き取って悲しみと共に解放感のようなものを感じました。
 
解放感のようなものを感じたのは、
 
Iさんが“やれることはやった”からだと思います。
 
ご主人の言葉がそれを証明しているじゃないですか?
 
出来る限りのことは全てしていた、
 
献身的なIさんを傍で見ていたからこそ、
 
ご主人はそうおっしゃったのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
どれほど手を尽くしても、
 
ああすれば、こうすれば…
 
と後悔することは誰でもあると思います。
 
でも、その時その時は、それで精一杯。
 
それを認めてあげてもいいのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
>ペットではなくこの後大切な人に対しても
 
>介護をする、心配をすることがあれば
 
>私はこんな風に思ってしまうのだろうか。
 
ペットと人との最大の違いは、
 
言葉でお互いの思いを伝え合うことが出来る、
 
ということです。
 
 
 
 
 
ペット介護で辛いのは、
 
自分のしていることをペットは望んでいるのか?
 
ひとりよがりの自己満足なんじゃないか?
 
と相手の希望や気持ち、考えを
 
聞くことが出来ない、
 
ということが大きいと思うんです。
 
 
 
 
 
ペットの介護でIさんが感じた色々なことを
 
大切な人とは話し合うことが出来ますよね?
 
それに、人の介護には、色んなサポートもあります。
 
今回の経験を次の機会に活かしたり、
 
誰かの助けになることもあると思います。
 
 
 
 
 
光と影は表裏一体です。
 
今はまだ辛いかも知れません。
 
悲しみが大きいのは、
 
それだけたくさんの喜びをもらったからです。
 
ペットが与えてくれたもの、
 
もう一度、一つ一つ受け取ったら、
 
後悔の気持ちも感謝の気持ちに変わっていくと思います。
 
 
 
 
 
そしてIさん、
 
>解放感を感じる自分に罪悪感を感じます。
 
これこそペットが亡くなることによって教えてくれた、
 
Iさんの課題だと思うのですが、どうでしょう?
 
 
 
 
 
私は自由になってはいけない。
 
私は楽になってはいけない。
 
自分に罰を与えなければいけないと思っているとしたら、
 
どうしてなのでしょう?
 
解放感を得ることに、恐れがあるとしたら、
 
何を恐れているのでしょう?
 
 
 
 
 
「手放すべきは解放感ではなく、罪悪感のほうだよ」
 
Iさんのペットが、天国からそう言っているように感じるのですが、
 
Iさんはどう思われますか?
 
 
 
 
 
“死”について考えると、
 
必然的に“生”について考えることになります。
 
誰かの死は、見送った人に、
 
自分の生き方と向き合う時間を与えてくれる、
 
そうして、気付きと成長を見守ってくれている、
 
と私は思っています。
 
肉体は無くなっても、繋がりを感じる…
 
愛って本当に偉大で、素晴らしいですね。
 
 
 
 
 
愛と笑顔に包まれた一日でありますように。
 
 
 
 
 
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