傍らには、薄茶色のサンドストーンとピンク身を帯びた火山岩からできた塔の群れ。それらは、丁寧に装飾を施された古代神殿の石柱の様に見える。改めて角度を変えてみる。まだら模様の細長い茎に茶色の帽子、野菜と共に鍋に入れられたキノコのようにも見える。古代神殿とキノコでは、ゴッホの絵画とモグラほどの差がある。まぁ、見ようによって何にでも見えるのだろう。
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マウンテンバイクのタイヤが砂地で空回りする。砂深い急勾配は押して上る。岩が散乱する下りはスピードを緩める。自らの足で走った方が格段に速いと愚痴りながら、慎重にルートを見極める。もとりよマウンテンバイクは素人同然だ。しかたない。視界の先にはレッドロックの古代神殿が見えるが、足元ならぬタイヤ元に意識を集中させなければならない。先日、山道で転倒して崖下へ転がり落ちたばかりだ。(実際には背丈ほどの高さしかなかったが、深い谷に落ちたような気がした)幸い、膝と肘、そして頬を少し擦りむいただけで済んだが、骨折でもしたら、暫く走れなくなる。
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 レッドロック・キャニオン州立公園。ロサンゼルスの北、百数十マイル。シエラネバダ山脈の東側へと抜ける州道14号線沿いに広がる、かなりマイナーな州立公園だ。平日の午前中、人影はない。300万年ほど前に形成さられたと言われる赤岩の谷、1993年公開のジュラシックパークの冒頭、恐竜の化石発掘サイトのシーンが撮影された場所として知られている。地層が幾重にも重なり、いかにも化石が出てきそうな場所ではあるが、素人が掘って見つけられるのは、せいぜい干乾びたモグラくらいのものだろう。

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ヘルメットを脱ぎ、帽子をかぶる。お気に入りのそれが強風で飛ばされないように、あご紐を掛け岩場へと向かう。マウンテンバイクのスピード感やスリルは捨て難いが、やはり地に足を付けている方がなんとなく落ち着く。転倒を気にすることなく、周囲に目をやり景色を楽しむこともできる。斜面を流れ落ちる緩い砂も気にならない。
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レッドロックの谷間を吹き抜けていた風、知らぬ間に凪いでいる。足元にはチョロチョロと動き回るトカゲ。砂の上を這い回る小さな爬虫類。その足音が聞こえそうなほどの静寂が辺りを覆っている。上空を舞うタカが見える。ワシかもしれない。どっちだか良く分からないが、風の流れに身を任せ、澄んだ青空を背景に円を描く姿は、とても優雅だ。ふっと、小学校の卒業文集の寄せ書きを思い出した。タイトルは「将来の夢」。

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遡る事40数年、小学校6年生の頃。私は紙飛行機づくりに嵌っていた。紙を折って作るものではなく、少し手間のかかるモノだった。当時、「よく飛ぶ紙飛行機集」なる、紙飛行機用の型紙を集めた本があった。パーツを切り抜き、胴体部分は何枚も重ねて強度を加える。それに主翼と尾翼を取り付けて形作ってゆく。

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出典: 日本の古本屋

「よく飛ぶ紙飛行機集・第二集」では、上下に二段の主翼を持つ複葉機もあった。当時の私にとって安い買い物ではなかったが、新聞配達をして貯めた小遣いで、第一集、第二集、第三集と買い集め、ひたすら作り続けた。本のタイトルに偽りはなく、どれも本当によく飛ぶ飛行機だった。

おそらくその影響だろう。
12歳当時の私は、大空への夢を頂いていた。そこで、必然と言うか、単純と言うか、あまり考えていないというか、卒業文集の「将来の夢」の欄には「ハンググライダーで空を飛ぶ」と書いた。一緒に紙飛行機を作り、大空への夢を語り合った友人のM君。とても賢くハンサムな子だったが、何を思ったか「鳥になって空を飛ぶ」、と書いた。将来の夢で、さすがに「鳥になる」は無いだろう・・・

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40数年の時を経て、カリフォルニアの砂漠の上空を気持ちよさそうに飛ぶタカ(ワシかな?やっぱりわからない・・・)を眺めるうちに、ふっと思い出したのはM 君のことだった。人間の脳(って言うか私の脳)とは本当に面白いものだ。

 

話は逸れるが、その「将来の夢」の寄せ書きには、「プロ野球の選手になる」、「麻薬Gメンになって悪い人を取り締まる」(当時Gメン75という刑事ドラマが流行っていた。それを書いたのは腕っぷしの強そうな女の子だった)といった夢と合わせて、「平凡なサラリーマンになって屋台で焼き鳥を食べる」と言うものがあった。あまり話す機会もなかったK君が書いたものだ。物静かな男の子だった。その時は、つまらない夢を持つ奴がいるものだなぁと思ったが、後にK君は複雑な家庭環境下にあり、平凡な生活を夢みていたのだと知ることになった。

 

小学生の時代の夢、「ハンググライダーで空を飛ぶ」が叶ったのは、その十数年後のブラジルだった。12月のリオデジャネイロ。南半球の真夏の太陽が降り注ぐ小高い丘の上。タンデムで飛び発ち、リオの街を見下ろしながら滑空。降り立ったのはイパネマ・ビーチ。これ以上は望めないような絶好のシチュエーションであったが、「長年の夢がかなって感動!」からは程遠い経験だった。

 

何を隠そう、私は乗り物に弱く、子供の頃からバス酔いは勿論のこと、時には電車や自家用車でも酔った。修学旅行のバスは「超」が付くほど苦手だった。普段はオチャラケ者で、いつもクラスメートをからかっていたので、弱った姿を見せる訳にはいかない。指定席は運転手のすぐ後ろ。はしゃぐクラスメートを横目に、借りてきた猫の様におとなしく過ごした。比較的揺れが少ないと言われる一番前の席でも、ダメなものはダメだ。バスに乗るときに常時携帯していた黒いビニール袋を取り出し、事務的に処理をするのが常だった。熟練の技で誰にも気づかれることは無かった。一度だけ間に合わず、窓からの処理を余儀なくされることがあったが、この時も惨事を知ったのは、高速道路の休憩所で汚れを発見した運転手さんと、引率の先生だけだった。
 

18歳で運転免許を取得し、自分で運転をするようになってからは、さすがに乗用車で酔うことは無くなった。然し、今でも揺ら揺らするものが苦手なのは一切変わっていない。

 

話をブラジルに戻そう。風を切って滑空するハンググライダーは「ゆらゆら系」ではないから大丈夫だろう、と思いきや、その考えが甘かったと気づかされるのに何秒も要さなかった。

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リオデジャネイロの街とその先のビーチを見下ろすの小高い丘。緩い傾斜が付いた離陸用のテラスを助走。体が宙に浮く。すーっと気持ちよく滑空する。ここまでは良かった。暫くすると、改めて高度を上げるため上昇気流を探す。上空へと吹き上げる気流に乗ると、機体は一気に持ち上げられる。この急激アップがことのほか気持ち悪い。高層ビルのエレベーターが上昇する時の、頭がキュ~っとする、あの感覚だ。実は、私はエレベーターも得意ではない。しかも、上昇気流によるキュ~は、恐怖感との相乗効果でエレベーターにターボエンジンを付けたように強力だ。そんなこんなで、彼の地、リオデジャネイロで叶う筈だった幼少からの夢は、「頭がキュ~」の出現で失望へと姿を形を変えた。

 

それから数年、メキシコ生活をエンジョイしていたある日。大空の夢への未練を断ち切れない私。仲間を誘ってパラグライダーに挑むことにした。パラグライダーは山の頂でパラシュートを広げて、上昇気流に乗って一気に上がるものだ。「ゆらゆら系」、「頭がキュ~系」の双方が苦手な者がパラグライダーをエンジョイできると考えるのは、全くもっての身の程知らずであるが、手の届くところにある夢を、見て見ぬ振りをすることはできなかった。

ソロで飛ぶことが最終目的だったが、一通りのトレーニングの後、先ずはタンデムでテイクオフした。そこには恐ろしい世界が待っていた。ゆらゆら・ふらふら浮遊して、高度が下がってきたら上昇気流を見つけてキュ~っと一気に上がる。そしてまた「ゆらゆら」を繰り返す。ひたすらその連続だ。その時に味わった気持ち悪さ、そして着陸した後に私がまず何をしたかは想像に容易いだろう。その後、トレーニングが継続されなかったのは言うまでもない。
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それからさらに数年。性懲りもなく、今度はスカイダイビングに挑んだ。これは全くの別物だった。フリーフォール中の感覚は言葉で言い表せない、生涯で一番濃密な数十秒と思える凄まじい体験だった。然し、ここでもご多分に漏れず、「ゆらゆら系」が待っていた。13千フィートの飛行機からダイブ。60秒ほどのフリーフォールの後、パラシュートが開く。そこからは「ゆらゆら・くるくる」のオンパレードだ。

タンデム・パートナーはサービス精神旺盛で、八の字旋回、キリモミ下降など、様々な技をこれでもかと言うほど実践披露してくれた。やめてくれと言う気力もなく、なすが儘。金魚鉢から飛び出して、口をパクパクするデメキンさながらの、とっておきの時間を過ごした。お陰で、三半規管がいかれたのか、数日間めまいが続いた。三度目にして漸く、空よりも地面を這う方が自分には向いていることを思い知らされた、極めて有意義な体験だった。

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幼い頃の些細な夢。人生をかけて追い求める大きな夢。如何なる夢であろうとも、その夢が現実のものとなった時、それが本当に求めていたものかどうかを知るのだろう。犠牲を払って追い求める価値があるものだったのかを。

叶わなかった数々の夢を思い返す。それらは引き出しの奥で、うっすらと埃を被る古い写真の様なものかもしれない。アルバムに貼られることもなく、居場所が与えられていない思い出のような。


時折、それらをそっと手に取り、懐かしい気分に浸るのも悪くない。未だに追い求めている夢もある。その真価が問われるのは、まだ少し先のことになるだろう。走り続けるのか、見果てぬ夢を追うために・・・

 

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レッドロックの谷を渡る風の音。凪いでいた風がまた吹き始めたようだ。空を見上げる。タカだか、ワシだかわからない鳥。優雅に、羽ばたくことなく、空に円を描き続けている。M君に会いたくなった。鳥になって空を飛ぶことを夢見ていたМ君。優雅にそして自由に生きているだろうか・・・

By Nick