みなさま、こんにちはーっ♪
  
「もし、昭和の時代、
 ウルトラセブンの、最終回のあと、
  ゾフィのTVシリーズが、始まっていたら?」

の、
妄想ストーリー 偽・ゾフィです♪

ですがー…
  

本編は恒例の?、新年お休み中~と言う事で、

1月のフリートーク、今回のお題は、
 
【ウルトラマン・ウルトラセブンは、

 画期的で、すごいよね!
です♪

 

なんだ、そりゃ!?

ウルトラマン、ウルトラセブンなんて、
それこそ、語りつくされてるじゃん!
と、

思われるでしょうが…
私も、それはそうと思いますがー…
 
今回も改めまして、私なりに思った事!で。

 

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ウルトラマン~もちろん、初代ウルトラマンは、
あらゆる意味で、画期的だったと思うんですよね。
 
私の生まれる前となると、資料を見るしかないですが、
もちろん、ウルトラマン以前にも、
正義のヒーローが、悪者を倒す番組はありました。
そりゃもう、うんとこさ。
 
ほんでマリンコングや、月光仮面のマンモスコング、
ナショナルキッドの、ギャプラなど、
巨大怪獣・怪物が、出て来る番組はあったようです。
 
が、ウルトラマン以前の番組って、
ウルトラQを含めて、怪獣・怪物を倒すのが、
等身大の人間や、ヒーローなんですよね。
 
何かこう… 巨大なのは悪!と言うか、
巨大な悪が攻めて来ても、
正義のヒーローは等身大で!とか、
等身大が正々堂々!とか、、、
 
基本的には、そんな価値観だった気がします。

 

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時系列が逆ですが、
少し後の、戦隊もので例えるなら、
正義の味方側に、黒の色はいない。
みたいな感じと言うか。
 
それが、
ゴーグルファイブで、一度黒が登場すると、
「別に黒でも、いけるじゃない?」
みたいな。
 
今では巨大ヒーロー、珍しくも無いですが、
当時は、
「ヒーローが怪獣と同じ大きさ~巨大」って、
「なんだ!この番組は!?」

「え?こんなの良いの?」
みたいな衝撃、あったんじゃないかと思います。
 
んが!
巨大ヒーローも、一度ウルトラマンが現れると、
「正義の味方が、巨大でも、
 同じ巨大同士でも、別に良いじゃない?」
と。

 

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また、ウルトラマンは、本来、
光の国の人間(生命体?)であって、
地球滞在中は、合体しているわけで、
いざと言う時には、変身します。
 
仮面ライダーの変身とは、違いますが、
ウルトラマンも、まさに変身ですよね。
変身して、さらに大きさまで変わる。
ものすごく、画期的と思います。
 
そしてスペシウム光線。
これも「必殺技が可視光線」って、
それ以前は、ちょっとなかった?
と思います。
 
でね、これらは、ひとつだけでも、
エポック・メーキングでしょうに、
ウルトラマンのすごいところは、
そう言う画期的を、いくつも盛り込んだ事。
 
まあ、怪獣が毎回出る~対決ってだけでも、
充分に、画期的ですよね。
ウルトラQが、露払いにはなってますが、
怪獣の出て来ない、お話もありますし。

  


 
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そして何より、すごいと思うのは、
新スタートした、一つの作品中に、
これだけいくつも、新要素を盛り込んだら、
軌道に乗り出した、あとの毎回~一作分くらいは、
もうそれで、行けるように思うんです。
 
初期設定が、これだけ異色なのですから、
毎回の通常回まで、凝った物にしなくても、
出て来る怪獣や、お話しのパターンを、
色々見せる・変化させるだけで。
 
正義の巨大ヒーローが、悪の巨大怪獣を倒す!
と言う路線の、範囲内でね。

 

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ところがこれだけ、最初の設定だけで、
画期的要素を、盛り込みまくった、
新企画の、ウルトラマンは、
既に一作目の、放送中・本編中で、
その設定や本質自体を、問うお話しを、
次々に、投げかけて来ます。
 
怪獣倒しちゃって良かったの?
の、
最初の顕著なお話は、
12話の『ミイラの叫び』でしょう。
 
で、15話『ガヴァドン』
21話『ヒドラ』、22話『ジャミラ』、
30話『ウー』、35話『シーボーズ』と来て、
37話『ジェロニモン』
 

 

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「怪獣は本当に悪なのか?」
「悪なら倒して良いのか?」
から、
「ウルトラマンがいれば人間側~
 防衛チームはいらないんじゃないか?」
まで。
 
画期的・斬新な設定や、世界観、ストーリー
を立ち上げ、スタートしながら、
今度は、ジェットコースターのように、
「~なら~なんじゃないの?」と問いかけ、
 
その設定、世界観、ストーリー自体、
TVのこちら側で、メタに思うような疑問を、
作中でほとんど、自らやってるんですよね。
既に、一作目のウルトラマンで。

 

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もちろんこの時はまだ、ウルトラがシリーズで、
どこまで続くかとか、未知だったでしょうが、
だからこそ、これだけ設定が画期的なら、
一作目の、ウルトラマンくらいは、
怪獣退治の、王道パターン、
その範囲内の変化でも、行けたように思います。
が、
それすら通さず、崩してるのがスゴイと思いました。

 


 
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で、これだけ画期的要素、てんこ盛りな上、
一作中目で、さらに、
パターン破りのような事を、していたのに、
『ウルトラセブン』で、再び、
そのウルトラマンの、パターンを破ります。

 

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『ウルトラセブン』は、スタート時は、
一見ウルトラマンと、同じパターンに見えます。
 
実は、防衛チームの中の一人が、
正体を隠した、宇宙から来たヒーローで、
ピンチの時に変身して、
人間を助けてくれる~と。
 
第2話での、アンヌの、
「ウルトラセブン、がんばってー!」
は、
『ウルトラマン・最終回』で、
フジ隊員が、
「ウルトラマーン、死んじゃダメ!
 立つのよ!
 あなたが死んだら、地球はどうなるの?」

と言って、応援していたのと、

同じ性質の物と思います。
 
想像ですが、この時点では作る側も、
ウルトラマンとの差異を、
それほど意識していたわけでは、
無いのではなかろうか?
 
そんな感じもします。
 
『ウルトラセブン』は、もちろん、
ウルトラマンに比べて、新要素盛りだくさんですが、
それでも、
『ウルトラQ』→『ウルトラマン』や、
『従来の各特撮作品』→『ウルトラマン』に比べると、
比較的路線は、踏襲しているように思えます。

 

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が、この声援・声かけが、
最終回には、逆になります。
 
「ダン、離れるんだ!
 怪獣は、俺に任せろ!」
「体の具合が悪ければ悪いと、
 なぜはっきり言ってくれなかったんだ?」
「モロボシ、許してくれ!」

です。
 
「ウルトラマン」(1作通じて)
「ウルトラセブン」(2話時点)が、
「ダン」、「モロボシ」、になり、
 
「立つのよ!
 あなたが死んだら、地球はどうなるの?」
「がんばってー!」

が、
「離れるんだ!
 怪獣は、俺に任せろ!」

です。

 

 

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当初セブンは、ウルトラマンと同じ、
謎の超人だった、ウルトラセブンが、
最終回に、旧知の仲間~人間になるドラマ。
 
もちろん、
ウルトラマンが最後まで謎の超人、
ウルトラマンだった『ウルトラマン』も、
それはそれで、完結していて見事です。
 
ウルトラマンと言うテーマ~
外から来たウルトラマンと、
人間~科特隊の関りと言う、
一貫したテーマを、ブレずに駆け抜け、
描き切ったようなイメージです。
 
また、それを通して、
ウルトラマンでも、最終回ではキャップが、
「地球の平和は、我々科学特捜隊の手で、
守り抜いて行こう!」

と、言ってはいます。

 

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一方の『ウルトラセブン』では、
外から来たはずの、ウルトラセブンが、
ある種、いつの間にか、中の存在になる
~なっていたと言う、物語に思え…
 
こちらは、
「ウルトラマンと言う存在からスタート」
しつつ、
一作通すうちに、そこをまた超越した…
 
『ウルトラセブン』は、
「最初同じと見せて、同じ事はしない。」
「ウルトラマンと言う存在からの、ある種に卒業」
そして、
超人ヒーローから、人間へのバトンタッチを、
より具体的に描いたように思え…
 
画期的な設定・要素・描写目白押しの、
前作『ウルトラマン』を、
さらにまた二作目にして、一つ越えた気がして、
すごいなー!なんて、思いました♪

 

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