【長野県】城下町を歩く「松本」(松本市)202105
城下町松本は明治期の大火で、中町通りを中心とした町人街は蔵造りの町並みに変貌する。
一方でモダンな洋風建築も多く、戦災に遭わなかったことから和洋バラエティに富んだ建築遺構が多い。
さて、いよいよ真打に登場願おう。
旧開智学校(1876 立石清重 国宝)。
おのぼりさんが松本を訪れた際、必ず松本城とセットで立ち寄る程、有名な建物だ。
松本駅からタウンスニーカーバス北コースに乗り、「旧開智学校」バス停で降りる。
設計は地元の宮大工の棟梁、立石清重。
明治9年、文明開化の掛け声のもと、地元の期待を背負った立石は、疑洋風建築が普及していた東京や横浜へ視察までして図面を書き上げた。
外観はコーナーストーンと石積を模した漆喰塗で、中央に八角の塔屋が聳え立つ。
洋風ながら、唐派風の屋根に流水の龍の彫刻をしつらえた車寄せのようなものなど和のテイストも取り入れられており、"疑洋風建築"と呼ばれるゆえんである。
雲の上には校名を書いた看板をキューピットが持って飛んでいる。
初めて訪れる人はこの中心部分に思わず感嘆するだろう。
中央の塔屋には風見鶏風の避雷針が立っており、東西南北の方位が示されている。
旧開智学校の傍には、旧松本カトリック教会司祭館が建っており、同じレトロ建築という訳でいい塩梅で比較対象になっている。
開智学校より10年後の1899年にフランス人神父クレマンが設計、地元の大工によって施工された。
左右対称2階建て、下見板張りアメリカンスタイルの木造建築で、土台は煉瓦がイギリス積み。