菜畑の色濃ゆきまま昏れにけり

通勤途中に、菜の花畑が見えるところがある。この季節、その一角は花の黄色と葉、茎の緑色に鮮やかに染まり、道行く人の目を楽しませてくれる。用事があって、その菜の花畑の近くを夕方通った。この日は曇り空で、日没後すぐに暗くなったが、その一帯の黄色と緑はまだうすぼんやりと視界に入ってきた。春の生命の鮮やかな色が、こうして夕方にも見えることに感銘を受けて詠んだ句。

今日は漢字についての話。

普段あまり使っていないが、「表現を豊かにするための現代俳句表記辞典」という本がある。久しぶりに開いてみた。気になったのは「くれる」という漢字。確か数種類あったのでは?と思って調べてみたら、「暮れる」と「昏れる」の2種類あった。前者は日が西に傾いて見えなくなる事。後者は日が暮れて暗くなる事を指しているとの事。つまり、太陽をポイントにしているか、空全体をもポイントとしているかという事らしい。私はこの本を開く前に、何となく後者の「昏れる」を使っていたが、詠んだ時間帯は確かに日も見えず暗かったので、こちらの漢字を使うのが正解だったようだ。興味を持って調べてみると、「くらい」だけでも「暗い」「闇い」「冥い・瞑い・黯い」「幽い」「晦い」「昏い」「杳い」「玄い」と8種類もあった。意味合いも微妙に違うので、状況に応じて使い分ければ、確かに表現力は増す。日本語は奥深く、難しいのだと、改めて感じた。そんな難しい言語を、さらに洗練させて削っていく作業を強いられるのが俳句。もっと言葉に敏感にならねば。

 

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