創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

節分会へ参詣しました。

昨日は菩提寺の『節分会』へ参詣してきました。『節分会』は初めてです。実は私は法華講になって毎月の御講や御大会は当然参詣していますが、それ以外のお寺で奉修される行事にはほとんど参詣した事なのです。今年はいままで参詣しなかった行事に出来る限り参詣しようと思いその第一弾として『節分会』へ行ってきた次第です。節分とは季節の変わり目という意味で大きく分けると立春立夏立秋立冬の前日を指しますが、立春は旧暦の新年にあたり2月の節分は旧暦の大晦日で年越しの意味もあります。古来、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていて「魔の目に豆をぶつけて魔を滅する」ということで「豆まき」が始まったという説もあります。この「豆まき」は江戸時代には定着していたようです。大豆を使うのは他の豆より大きくてより多くの精霊が宿るからとか。さて『節分会』では御住職と勤行(ゆっくりめの一遍通し)・唱題を申し上げ唱題後に御宝前に供えられていた豆を御住職が「福は内~。福はうち~」といいながら豆を撒きました。日蓮正宗の豆まきには「鬼は外!」がないんですね。というのは、

◆此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる(日女御前御返事)

と御妙判にあるように正宗寺院や当宗信徒の自宅、更には妙法受持の人の場所や心には悪鬼がやってくことはなく鬼子母神十羅刹女のような善鬼しか周りにいないので「鬼は外」じゃなくていいのです。善鬼を追い出したらダメですからね。

 

御住職がまいた豆(左)を拾い帰りには封筒に入った煎り豆をお供物として頂きました。

豆の他に羊羹も戴きました。この羊羹が美味しいのです。

さて、初めて参詣した『節分会』は楽しかったのですがそれ以上に心が洗われるような清々しい気持ちになりました。創価時代にはこうした行事は皆無でしたから。創価は寺院で執り行われる伝統的な行事をやれ「仏法に無関係だ」「僧侶の金儲けだ」と言っては否定し拒否する団体です。裏を返せば自分達の教団には何一人伝統行事がないという新興宗教故の哀しさでしょう。自分達が手に入れることができない歴史や伝統を持っている正宗が羨ましてしかたない。自分達はそうした行事がないから否定する以外にないとは哀れな話です。節分という行事は世間的には徐々に廃れてきていますが、そうした古来からの行事に参加できるのはとてもありがたい事です。子供さんなどもこうした昔からの日本の行事を体験できることは私はとてもいいことだと思います。伝統行事というのはやはり気持ちが引き締まり清々しいものです。そうした行事を「僧侶の金儲け」などと穿った見方しかできない池田創価の人々は本当に可哀そうな人達だと思うし、そのような残念な人が増えれば残念な国になってしまうと危惧しています。さて、御書に

◆一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり。(大豆御書)

との御妙判がありますが、自宅で市販の豆を買って豆まきをする時はその豆を一度御本尊にお供えし勤行唱題を申し上げた後に豆まきをすることが大切なんだなぁと今回の『節分会』に参詣し気づかせてもらいました。そこに気づくことができたのが一番の私の中での収穫です。今度は『興師会』への初参詣が当面の目標です。意識してみてみると2月は行事が多いです。(笑)

 

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