大林宣彦の遺作である『海辺の映画館 -- キネマの玉手箱』に困惑させられるのはまるで千人針のような細切れに綴られるあの語りではなく本作における大林自身の姿勢です。冒頭から<映画を愛するひとはわれらが仲間>のように一見するとほのぼのとした(国境を越え言語や人種を越えるような)共同体が謳われますが、裏を返せばそれ以外のひとは敵というのがこういう安直な線引きについて廻ることです。戦争映画のなかを駆け抜けつつ戦争を体験しようとする本作では三人の青年が近代日本のさまざまな戦場に飛び飛びに放り込まれ命からがら時にはひとを殺めつつも生き延びていきます。この青年たちの苦難に寄り添うように三人の女性が時代を越え名前を変えながら転生して(こういう時間を越えてひとりの女性が生まれ変わる、しかもその女性が性愛の対象でありつつどこか母親であることを重ねられるというのが大林が持っている映画の主題であって)... ただこの映画がおよそ映画から程遠いのは各場面(に主人公たちはその時代の某とされて投げ込まれしかし自分たちが戦争映画を辿る観客であるという意識は有しているためとどのつまり戦争は他人事であるのは致し方ないのですが)解説を買って出る人物、事情を(観客に)語り掛ける人物、それに主人公たちの感慨が必ず付されてその場面の解釈を断定していきます。本来解釈の多様さに開かれるべき映画が描かれているものの見方をその映画自体が決めつけ指導し引っ立てていってるわけでそういう映画を私たちはプロパガンダと呼んでいるわけでしょう。観るひとへの信頼を欠いて作り手が観客の肩を抱くとあれを見ろ、これを見ろと(いうことは他は見るな、考えるなということであって)朗らかに自分の指差すところへ目を釘づけにしておくなんて、それこそ(大林自身)かつての皇国少年が大東亜戦争を見つめていた視線なんでしょうに。

 

 


晩年の発言からしても大林が昨今のこの国の風潮に戦争の記憶の風化を見ていたのは間違いないでしょう、とりわけ隣国との感情が政治と二重螺旋になって縺れていく現状、それに併せるかのような<在日>へのあからさまな反感情の表出、さらにいまやわんぱく盛りといった中国と火花が飛ぶような国境の摩擦、しかもそれを引き受ける国の領袖が岸信介のお孫さんとあってはかくなる状況となったのも国民が戦争の悲惨さを忘れたからだと大林は警鐘を鳴らすわけです。しかしこの国が地域で唯一と言っていい突出した経済力を誇っていたときならいざ知らずいまや韓国、中国、台湾と揉み合うまさに芋洗いの国力、そんななかを軍備拡張、兵器の近代化、電脳、宇宙へと覇権を伸長しようという野心を目の当たりにして国民が中国に率直な不安を抱くのも無理からぬことでしょう。それを解きほぐすのではなく(事態を右傾化と決めつけ)長崎の鐘を突き廻っては戦争の記憶で口を封じることが(国民の心情とますます乖離しその乖離をますます国民の記憶の風化と捉える悪循環にあって)いい結果をもたらすとも思えません。しかも『海辺の映画館』にある教え諭すような口ぶり、私は知っている、皆さんは知らない、だから判断を間違うのだという姿勢(はひとがややすると陥る自らの正義にまず自分のざまを見失うまさにそれ)からしても大林が蘇らせるのは戦争の記憶というより、コミュニケやテーゼ、イデオロギーの公式の正しさが個人の心情を塗り込めていた戦後のあの硬直さであるということです。<戦争が悪いこと>と<戦争が悪いと言うこと>には相応の乖離があってその狭間に政治も社会も経済も私たちも私たちの内なるものもすっぽり入るのであってそれを押し潰してかざせるほど正義は安直ではありますまい。だいたい記憶の風化が戦争という選択にあまり関係がないのは歴史の証すところで人類の未曾有の惨禍と痛哭された第一次大戦の終結からたった20年で第二次大戦が火蓋を切ったときひとびとは戦争の悲惨さを忘れていたとでも?


大林宣彦 海辺の映画館キネマの玉手箱
 

 

戦争の反対が平和、平和の反対が戦争というのはそれこそ平時に浮かぶうたかたの夢であり実際戦争が政治的選択として浮上してくるときは国は喫緊で重大な危機に直面しているのであってこのとき戦争をしないということは(平和でも何でもなく)端に危機が危難となって私たちを呑み込んでくるだけです。野口武彦が言うように(『長州戦争 幕府瓦解への岐路』中央公論新社2006.3)対外的な危機に対して取り得る手段は外交と軍事のふたつだけで、当然相手国はこちらの外交的手段を封じることで自国に優位な結果を目指しますから軍事的手段の背景もなしに外交もないわけです。見廻せば日本海から東シナ海へ吹き流しに向かい合う国々にあって明確な和平に達していない紛争国間がふたつ、展開する米軍も含めれば核保有国は4カ国となってなかなかに舵取りの難しい地域ですが、まあここから先は映画がどうこうすることではなく、傑出した外交手腕で地域に光明をもたらす政治家が(できれば私の国から)出てくるのを夢に待つだけです。ふたたび大林の映画に話を戻しますと軍隊からこぼれ落ちた者たち(浅野忠信や渡辺裕之)がきさくな自由人に描かれるのに対して職業軍人と思しき者たちは(映画を闊歩する憲兵もまた)ひと殺しや職権にサディスティックな嗜虐性を顕にする狂信者でしかありません。日本の戦争映画には軍隊に自ら憑依しそこで掲げられる金科玉条を新兵への体罰としてのべつ幕なし行う兵士は数多現れますがそれはかような人間が巣食う場所、組織を描いてこそで軍隊という人間劇を欠いてそのような人物に軍隊を象徴させることこそ戦争の記憶の風化という気がします。(まるでふた昔前の中国映画、韓国映画に出てくる暴虐なだけの日本軍、人間の皮を被った鬼子のまんまで自国の戦争を描くのに他国からの視線に(無意識にであれ)重ねるしかない政治性はそう反戦の善意だけでは解きほぐせそうもありません。)

 

 

 

大切なのは戦争の記憶以上に戦争の現在を知ることであってアメリカ国防省が宣うように(陸上部隊を展開することなく)無人攻撃機が数千キロ彼方の施設をピンポイントで破壊したりドローン機が(これまた何キロもの砂漠の街を秘密裏に接近して)テロリスト幹部のみを暗殺することを<人道的戦争>と呼ぶとき、戦争に応召されると殺されるぞと触れて廻る大林に誂えて戦争の方がとっくに形を変えています。かつては核搭載の爆撃機が悠長に海と陸を渡って相手国へ核攻撃をしに行って双方に何時間かの再考と確認、反撃の決断に余裕があり(まさにシドニー・ルメット監督『未知への飛行』(1964年)であってたっぷりと会議に費やし(相手国とのホットラインでは人間的な苦渋も分け合って)大統領であるヘンリー・フォンダはその長い長い時間を懊悩し尽して)しかるに原潜からの水中発射で時間はあっという間に短縮され出すと大陸間弾道弾の出現で数分に、いまやロケットの超音速化で補足された飛行物が何か、事故か攻撃か、反撃するか(即ち全面的な核戦争を引き起こすか)否かを決定するのに数秒というありさま、(もはやひとの判断を待たない)AIによる条件反射的な反撃体制に頼らざるを得ない状況に人間の記憶などどうにも呼び起こされそうにありません。敗戦時七歳の子供が世代の使命として戦争や軍隊(の悪)を描こうという大林の思いはわからなくはないですが、寧ろわが国で齢八十二の映画作家にとっても戦争は描くにもう遠い体験であることを直視することの方がはるかに後世に引き継ぐべきものがあったように思います。その難しさこそこの国が戦争から離れていた歳月なのでありそれが今後も続くことを望むのなら尚更に。

 

 

 

 

大林宣彦 海辺の映画館キネマの玉手箱 高橋幸宏

 

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