宍戸錠 Jo_Shishido
 

二年前に逝去した宍戸錠をいまに追悼しようというのは端的にこちらの事情に依りまして、ここで取り上げる映画は(こんな機会でもなければしみじみ見返すこともあまりありませんから)なるべく再見しておりますのに宍戸の一本と思う映画は当時渋谷にVHSがあるきり。こんなこともあろうかといまだ取り置いてあるビデオデッキの配線をして一旦は借りる気になりますがいまや円盤や配信にとっぷり浸かった身としてはあのひらひらのビデオテープというもの、しかも30年は経っている薄氷と覚しきそれをデッキで行ったり来たりさせてさて返却まで無事辿り着けるかどうか。思い迷ううちに追悼のはかない日数を取り逃がしてしまいますが、このたび精力的に(というかいまさら新規世代の集客はないと割り切って竈の下の灰まで掻き集める具合に)ネット配信に陸続と上がってくる日活映画にいよいよ本作も加わっていとも容易く再見が叶ったわけです。ただこう手軽に宿望の映画を見てしまって(本作のみならずいまではそんな毎日だけに)思わないでもないのは、あのまま渋谷に行ってVHSを借りていたらということでして(そんな気が気でない思いをしつつ映画を見るというのもいまではなかなかないことですし切れたら切れたでビデオ店に事情を説明してまさか発売当時の1本1万円を越えた価格で弁償でもないでしょうし)そういう失われた一切合切の出来事が思えば映画を見ることが見るということの外延を含んだ体験だったことを思い出させます。宣伝が不十分で来たのは私を含めふたりのみという上映会とか、封切りなのにやたらフィルムが切れて到頭場内が明るくなると(誰も目を合わせないまま)人いきれにざわつくあの感じとか、中盤に飛び込んで(筋も適当に)見たときの面白さと続けて通しで見たときのつまらなさとか、あまりに意気込んで上映スケジュールをひと月上滑りしたまま時間通りに辿り着いたフィルムセンターが休館で真っ暗なのを呆然と見上げるやり場のない感情とか、誰もが映画を見ることにくるんでいるありふれた記憶です。便利はありがたい限りですが抗し難い便利さに生活がいつの間にか見霽かす遠浅の凪となって立ち尽くすとき、ふと過るのは福田恆存の言葉、<昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今はあるものは便利である。昔はあつたのに今無くなつたものは幸福であり、昔は無かつたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落ち着きが失はれる>。そんな時代の切ない(まるでふやけた折り紙の)折り目に際どく立っているスターこそ宍戸錠であるような気が彼を失って尚思うこの頃です。

小林信彦『日本の喜劇人』(新潮社 2008.4)に当時『ゲバゲバ90分!』に出演していた宍戸錠が近々タップを習うことを井原高忠に明かす話が出てきます。宍戸の動機は軽いもので(差し迫って役に必要というのではないけれど)いつか何かの役に立つかもというんですが、聞いている井原にすれば映画の大スターでありながらテレビのバラエティショーでコントをする宍戸の軽快さに心服しておりますのに将来を見据えてコントや司会での瞬間的な手わざを増やしておこうという宍戸の態度に本物のエンターテイナーを感じます。宍戸が後年に書く三人称体の自伝『シシド』(新潮社 2001.03)には日活の第一期ながら鳴かず飛ばずの現状に(おそらくこれがこのひとの芯なんでしょうがどこか冷笑的な優男を振り払って)美容整形で豊頬する経緯が描かれています。手術は実は二回、一度目はごく自然な仕上がりで顔立ちが明るくなったと撮影所でも好評だったのが程なく顔が崩れ始め、やむなく二度目の手術となったとき本人曰く抑えがたい破壊衝動から注入材を上増しして私たちの知る宍戸錠となるわけです。一度は理想的に(裏を返せば自分の臆病さをなだめるような上首尾に)終わってしかしそういう心の怯懦をあざ笑うようにみるみる崩れていく自分の顔を似ても似つかぬ過剰さへと蹴り出してみせる... 以降映画、テレビと宍戸が無類の明るさを発揮したのも怜悧な内面の上にこの新しい顔がもたらした性格の冒険だったように思います。おそらくこの二度目の手術のとき(引き返せば引き返せるのを過去も現在も引き千切って先の先へ押し出したことで)宍戸に芽生えたのは自分の身体、延いては自らの存在そのものを<素材>と捉える視点ではないかと思います。役者の身体の奥に<私>があるのではなく、<私>は身体の外にあって人形のように自在な始まりとして身体はそこにあるという感覚、そういう突き放した理知があればこそキザに構えて何ら借り物の衒いのないエースのジョーになれるのだしそもそも作りごとでしかない映画に宍戸の作りものの過剰さが却って(裕次郎にも旭にも二谷英明にもない強いて挙げれば赤木圭一郎の痛々しさと並ぶ)存在と肉体がぴたりと重なった不思議な生々しさを生んでいます。

 

 

 


例えば武田一成監督『極楽坊主』(1971年)は日活がいよいよ崖っぷちという時期の作品で(あとに控える一般映画は何と三作... )四ヶ月後にはロマンポルノが始まります。経営難が表面化する1969年から日活を改めて見廻すとき、仮にポルノ映画に活路を求めずに従来の日活を生き延び得たとしてどれほど私たちが思う日活的な映画でいられたか覚束ないところです。当時日活が路線の後追いをしていたのは明らかに東映で任侠映画や実録まがいの暴力団抗争は言うに及ばず、本家にどれほど肉薄したかはともあれ『野良猫ロック』(1970年)は『不良番長』、夏純子を主演にした女子学園(1970年)も東映のズベ公物を引き写して、本作ではいよいよ東映ポルノに擦り寄って主演は何と宍戸錠。題名のまま酒にギャンブルに女犯というとんだ破戒坊主で(さすがに東映ほどあけすけなハレンチには開かれませんが)岡崎二朗、芦屋雁之助、深江章喜、藤岡重慶、由利徹、安部徹というまったく一般映画の布陣のうち情交場面に挑むのは宍戸のみ。当時映倫がうるさかった男女を問わずお尻の割れ目はここでもご法度で女性に伸し掛かる宍戸は僧衣の襦袢を腰までずり下ろしてはいますが兎にも角にも裸で交わる意気込みには明確な日活のスターがここまで踏み込むのを呆然と見送るばかり。(丹波哲郎にも石井輝男監督『ポルノ時代劇 忘八武士道』(1973年)があって堂々たるさまでしたし、『博徒外人部隊』(1971年)になると鶴田浩二にしても従来の新派のような濡れ場では済まされず男女が肌に疲れを浮かべる世知辛い交わりに裸の上半身を横たえます。石井輝男監督『異常性愛』1969年)では(まあ奮闘するのは若杉英二と橘ますみですがそれにしても)キザな二枚目の吉田輝雄に情事は当たり前、裸こそありませんが浜田光夫が『一度は行きたい女風呂』(1970年)に主演とは... 裸映画で弱視のあのサングラスをしていてこちらの方がうるうる来ます。とまれ男女ともに裸がなければ映画が成り立たなくなっている70年代です。)

 

 

武田一成 『極楽坊主』 岡崎二郎 宍戸錠

 

さて遅ればせの弔い花に私が宍戸錠の一本に具えるのは舛田利雄監督『河内ぞろ どけち虫』(1964年)です。後年東映で三兄弟を小林旭、田中邦衛、渡瀬恒彦に替えて作られますがそれぞれ陰に含んだ役者が三すくみになって陽性に晴れ晴れとした本作に及ぶものではありません。宍戸錠、川地民夫、山内賢... 宍戸の晴れがましい姿なら他にいくらも映画はありますが本作の魅力は宍戸が自分を<素材>と割り切るのと同様に川地は当時には珍しく役(の人間性ではなく浮ついた<キャラ>)に変化できる役者ですし、山内賢は日活どころか日本映画をひと渡り見廻してもそうはいない芝居巧者となればこの三人がまさに軍鶏の如く身をくねらせ互いを啄んではとさかを逆立てて芝居を押していきます。口を開けば喧嘩腰に畳み掛けて程なく広間を押し除けて取っ組み合いになるのが愉しみに近所の衆生は法事に押しかけるありさま。やがて南田洋子を恋女房に宍戸は一円の顔にのし上がっていきますが、いまやそう苦労もなく見られる本作を語って気を持たせるのも大概でしょうから、まずはこれにて合掌。

 

 

 

舛田利雄『河内ぞろ どけち虫』 川地民夫・宍戸錠・山内賢

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 川地民夫 宍戸錠 山内賢

 

 
 

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舛田利雄『河内ぞろ どけち虫』 宍戸錠・南田洋子

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 宍戸錠 南田洋子

川地民夫

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 川地民夫

山内 賢

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 山内賢

 

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 南田洋子 宍戸錠 川地民夫 笠置シヅ子 殿山泰司

 

 

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武田一成 『極楽坊主』

武田一成 『極楽坊主』 宍戸錠

 

武田一成 『極楽坊主』 宍戸錠

 

 

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