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連載中の『刻のエンピツと木の精ポチカ』第五話を公開いたします☆
(これまでのお話はコチラから↓)
ポチカと出会った山田は、お母さんへの気もちを日記に書きます。
刻のエンピツで書いた文字は美しく輝き出して……。
真琴とポチカは学校からの帰り道に何を感じるのでしょうか。
それでは、どうぞ!
刻のエンピツと木の精ポチカ5
『お母さん。
わたしはお母さんのことを忘れません。お母さんといっしょにいっぱい遊びました。公園で遊んだし、アサガオを育てたし、お父さんもいっしょにつりにも行きました。
学校で目玉焼きの作り方を習ってから、お家でもやってみたとき、お母さんが家庭科の先生より上手でびっくりしました。わたしもきちんと卵をわれました。お母さんはキミが固いほうが好きだったけど、わたしはやわらかいほうが好きです。
ねる前に本を読んでくれるのも大好きでした。お母さんの声を聞いていると、お話の先をもっと知りたいのに、ねむたくなってしまいます。いまは自分でも読めるようになったから、前にいっしょに読んだ本をまた読んでいます。
お父さんが読んでくれることもあるけど、お父さんは「たまにこういうのもどうだ」とかいって新聞を読んだりするのでダメです。
わたしがけがをしたときも、お母さんは薬をつけてくれたり、バンソコをはってくれたりしました。そのとき、お母さんはおもしろい話をしてくれるので、わたしはいつのまにかいたいのを忘れていました。
ところで、お父さんは最近お母さんの話をしなくなりました。わたしはお母さんのことがどうでもよくなっちゃったのかと思って、お父さんとケンカしました。
お父さんはちょっとだまっていたけど「お母さん、もういないじゃん」といいました。お父さんがそういったのが、わたしはすごくいやでした。
お母さん、わたしはお母さんのこと、ぜったい忘れないよ。お母さんみたいにじょうずにごはんを作れるようになるし、きれいにもなるし、しかたないからお父さんの世話もできるようになります。
他にもまたいっぱい書くね、お母さん』
真琴もポチカも、山田が書き進めるのをただ見守っていた。刻のエンピツで書かれた文字は強く輝いて、文章になっていくうちに山田の顔を明るく照らすほどだった。
書きながら、山田は笑顔になったり涙を流したりした。文字から出る光を含んで、涙はグラデーションに色がついたようにも見えた。
「このくらいかな」
いろんな顔を繰り返したあと、晴れ晴れした表情で山田がいった。裏紙は上から数枚使われて、びっしりと輝く文字が記されている。山田は真琴たちにちょっと見せるようにして、
「ほんとにすごい」
「いっぱい書けたね。どんな気分?」
ポチカがにっこりしてたずねた。
「ほんと、すごいよ。あんま覚えてなかったことも思い出せた気がするし、ほんとにそうだったんだ、って分かるみたい」
「おれも読んでもいい?」
「いいよ」
山田は真琴に裏紙を渡して、ふうと息を吐くと、もう一度大きく息を吸った。午後になって湿気が出てきたせいか、茂みのなかは草木の薫りと土のにおいが混ざり始めている。
だんだんと文字の光も収まってきた。真琴は全体をざっと読ませてもらって、ポチカにも渡そうとしたけれど、ポチカは小さく首を振って遠慮した。
「どういうこと、これウソなの?」
「全然、むしろ逆」
真琴が訊くと、山田は笑って両腕を上へ伸ばして、首や肩をほぐした。
「書いてみたら、思い出した。というか、もともとあったのを忘れてたのかな。――だから、忘れても忘れないって分かった気がしてうれしい。てか、これほんとにすごいじゃん」
山田は刻のエンピツをまじまじと見つめた。端にくっついている葉は生き生きと緑色で、刻のエンピツ自体もピカピカと光っているみたいだった。
「やまだちゃん、すごいすごい」
ポチカは山田に向けて拍手をした。ぱちぱちという音が茂みのなかに軽く響いた。
「お! そこか?」
突然よく知っている声がした。がさがさと枝葉と服がこすれる音がして、三人の後ろに誰かが来た。リンちゃんだった。
「ミユちゃんー! いました、ここにいたー!」
耳をつんざくような大声で、リンちゃんはたぶん校庭にいるミユ先生に報告した。真琴は急に現実に引き戻されたような気分がして、
「リンちゃん、何だよー」
「みんなで探してたんだぞ、ヤマダンもまこちんもいないから。何してたん? あれ、誰?」
ほっぺたを赤くして、リンちゃんは弾んだ声でいった。二人だけのはずがポチカもいて、驚いている。
「ポチカっていいます」
山田にしたように、ポチカはにっこりとあいさつした。
「ポチカー?」
リンちゃんはにやっとしてポチカを眺めると、握手するためか、手をまっすぐ伸ばした。ポチカも何のことか分からなかったようだけれど、リンちゃんをまねて手を伸ばしたら、ぎゅっと握られて身体まで揺さぶられていた。
真琴も山田も、ポチカとリンちゃんの様子を見て笑った。
「わたしのことはリンちゃんって呼んで。で、ほら立って」
「うん」
ポチカもリンちゃんも一緒になって笑った。三人がうながされて立ち上がったのと同時に、
「何してたんですかー、心配したんですよー」
ミユ先生がすぐ向こうのところから声をかけてきた。茂みのなかまでは入ってこようとせず、真琴達が出てくるのを待っている。前髪が少し額にくっついていた。
リンちゃんを先頭に三人が出ていくと、ミユ先生はリンちゃんに発見のお礼をいって、真琴と山田の前に姿勢正しく立った。わざと表情を硬くしているのが真琴にも分かった。校舎の時計が目に入って、もう五時間目が終わりそうな時間だった。
「二人とも、まずは無事でよかったです。先生も心配だったし、クラスのみんなも、いまは係の人以外はプリントをやってもらってるけど、すごく心配してたんですよ」
「『捜索係』初の仕事だったぞ、これ。ヤマダンとまこちん探すとは思ってなかった」
満足げな顔でリンちゃんが横からいった。そういえば新学期が始まるとき、クラスの係で新しいものを考えたのだった。
「仕事がないのが一番いい、ということもあるものですね。――でも、二人とも本当にどうしたの? 後ろの子は?」
「ポチカっていう名前で、いま外国の学校に通ってるから夏休みなんです」
「外国の? ふうん、けど、無断でここに来ちゃダメじゃないの? 真琴くんが誘ったの?」
「誘ったっていえばそうなんですけど、いまこっちで友達がいないから寂しいだろうと思ってです。先生にもちゃんといわなきゃって、家でも話してました」
真琴は実際にしたことや考えたことも混ぜて、ポチカの外国設定をミユ先生に説明した。自分でも上手だと思った。
「ポチカさん、私はあまり聞いたことがない名前だけど、ポチカさん自身はどう思ってるの」
ミユ先生はいつも生徒たちに接しているからか、ポチカに対しても先生のような態度で話しかけた。ポチカは恥ずかしそうに、でもうれしそうにミユ先生を見上げる。
「ポチカも、勝手に入ってきてごめんなさい」
「勝手に入っちゃダメっていう認識はあったのね。あちらの学校でも同じでしょう? 違う?」
「はい、そうです」
「じゃあ、もうしないのね?」
「はい」
素直に謝るポチカを見て、ミユ先生は拍子抜けしたような、ひと仕事したような様子だった。真琴は、ポチカがやけに話を合わせるのがうまいな、と思った。
授業時間まるまる茂みのなかにいたからか、校庭で陽射しに当たるとまだまだ暑かった。鉄棒の先の裏門では用務員さんが竹ぼうきで道をはいていて、ざっざっという音が聞こえてくる。真琴も汗をかいていて、自分の服から柔軟剤の香りがするのを感じた。
ミユ先生はいったん話が途切れた後、腕時計に目をやって「そろそろ時間ですね。真琴くん、山田さん、教室に戻ろうか」といってから、ポチカのことをどうしようかと考えたようで、
「ポチカさん、ポチカさんはどうするの? お家に帰る?」
「そうします。ひとりで帰れるので大丈夫です」
ポチカはそう答えながら、真琴を見た。真琴も目でうなずいた。
「分かりました。大丈夫だとは思うけど、気をつけてね。たぶんあちらとではいろいろ違うところもあるでしょうし」
「先生、わたしも、ごめんなさい」
黙っていた山田がいった。言葉とは裏腹にすっきりした顔をしている。
「はい、真琴くんと山田さんは、また後でしっかりお話を聴かせてもらいます。――あ、でもね、ポチカさんもだけど、別に誰が見ても絶対に悪いっていうことをしたわけじゃないもんね。だから、謝らなくてもいいから、しっかり自分で考えてみてね」
ミユ先生は他の先生よりも生徒を叱るタイプだといううわさもある。声を荒げるわけではないけれど、生徒に対してミユ先生なりに「お叱りの場」を設けることがあって、確かに真琴もよく怒られている気がする。
そういう場面でも、ふと先生っぽくない表現が出てきたりするところが、真琴は気に入っていた。
五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。ミユ先生はクラスの生徒たちのことが気になっているみたいだ。
「んじゃ、行こう!」
捜索係のリンちゃんが号令をかけた。それに合わせて、ミユ先生が一番に校舎へ向かう。山田と真琴も後について行こうとしたけれど、少しだけポチカと一緒に三人で集まって、
「ポチカ、ありがとう。これ」
山田がにこっとしながら、刻のエンピツをポチカに渡した。ポチカは受け取ると、丁寧に鞄にしまって、にっこりをお返しする。
「やまだちゃん、またね」
「うん、今度は一緒に遊ぼう! 真琴、行こう」
元気が戻ってきたようで、山田は真琴の服の端を引っ張ってせかした。
「あぁ。ポチカ、じゃあ後で」
ポチカは「うん」とうなずいて、二人に小さく手を振った。山田と真琴も手を挙げてから、もうすぐ校舎に隠れそうなリンちゃんとミユ先生を急いで追いかけた。
校庭に雲の形のきれいな影ができていて、山田と真琴はわざとその影を踏むように進路を取って走った。
わたしはお母さんのことを忘れません。お母さんといっしょにいっぱい遊びました。公園で遊んだし、アサガオを育てたし、お父さんもいっしょにつりにも行きました。
学校で目玉焼きの作り方を習ってから、お家でもやってみたとき、お母さんが家庭科の先生より上手でびっくりしました。わたしもきちんと卵をわれました。お母さんはキミが固いほうが好きだったけど、わたしはやわらかいほうが好きです。
ねる前に本を読んでくれるのも大好きでした。お母さんの声を聞いていると、お話の先をもっと知りたいのに、ねむたくなってしまいます。いまは自分でも読めるようになったから、前にいっしょに読んだ本をまた読んでいます。
お父さんが読んでくれることもあるけど、お父さんは「たまにこういうのもどうだ」とかいって新聞を読んだりするのでダメです。
わたしがけがをしたときも、お母さんは薬をつけてくれたり、バンソコをはってくれたりしました。そのとき、お母さんはおもしろい話をしてくれるので、わたしはいつのまにかいたいのを忘れていました。
ところで、お父さんは最近お母さんの話をしなくなりました。わたしはお母さんのことがどうでもよくなっちゃったのかと思って、お父さんとケンカしました。
お父さんはちょっとだまっていたけど「お母さん、もういないじゃん」といいました。お父さんがそういったのが、わたしはすごくいやでした。
お母さん、わたしはお母さんのこと、ぜったい忘れないよ。お母さんみたいにじょうずにごはんを作れるようになるし、きれいにもなるし、しかたないからお父さんの世話もできるようになります。
他にもまたいっぱい書くね、お母さん』
真琴もポチカも、山田が書き進めるのをただ見守っていた。刻のエンピツで書かれた文字は強く輝いて、文章になっていくうちに山田の顔を明るく照らすほどだった。
書きながら、山田は笑顔になったり涙を流したりした。文字から出る光を含んで、涙はグラデーションに色がついたようにも見えた。
「このくらいかな」
いろんな顔を繰り返したあと、晴れ晴れした表情で山田がいった。裏紙は上から数枚使われて、びっしりと輝く文字が記されている。山田は真琴たちにちょっと見せるようにして、
「ほんとにすごい」
「いっぱい書けたね。どんな気分?」
ポチカがにっこりしてたずねた。
「ほんと、すごいよ。あんま覚えてなかったことも思い出せた気がするし、ほんとにそうだったんだ、って分かるみたい」
「おれも読んでもいい?」
「いいよ」
山田は真琴に裏紙を渡して、ふうと息を吐くと、もう一度大きく息を吸った。午後になって湿気が出てきたせいか、茂みのなかは草木の薫りと土のにおいが混ざり始めている。
だんだんと文字の光も収まってきた。真琴は全体をざっと読ませてもらって、ポチカにも渡そうとしたけれど、ポチカは小さく首を振って遠慮した。
「どういうこと、これウソなの?」
「全然、むしろ逆」
真琴が訊くと、山田は笑って両腕を上へ伸ばして、首や肩をほぐした。
「書いてみたら、思い出した。というか、もともとあったのを忘れてたのかな。――だから、忘れても忘れないって分かった気がしてうれしい。てか、これほんとにすごいじゃん」
山田は刻のエンピツをまじまじと見つめた。端にくっついている葉は生き生きと緑色で、刻のエンピツ自体もピカピカと光っているみたいだった。
「やまだちゃん、すごいすごい」
ポチカは山田に向けて拍手をした。ぱちぱちという音が茂みのなかに軽く響いた。
「お! そこか?」
突然よく知っている声がした。がさがさと枝葉と服がこすれる音がして、三人の後ろに誰かが来た。リンちゃんだった。
「ミユちゃんー! いました、ここにいたー!」
耳をつんざくような大声で、リンちゃんはたぶん校庭にいるミユ先生に報告した。真琴は急に現実に引き戻されたような気分がして、
「リンちゃん、何だよー」
「みんなで探してたんだぞ、ヤマダンもまこちんもいないから。何してたん? あれ、誰?」
ほっぺたを赤くして、リンちゃんは弾んだ声でいった。二人だけのはずがポチカもいて、驚いている。
「ポチカっていいます」
山田にしたように、ポチカはにっこりとあいさつした。
「ポチカー?」
リンちゃんはにやっとしてポチカを眺めると、握手するためか、手をまっすぐ伸ばした。ポチカも何のことか分からなかったようだけれど、リンちゃんをまねて手を伸ばしたら、ぎゅっと握られて身体まで揺さぶられていた。
真琴も山田も、ポチカとリンちゃんの様子を見て笑った。
「わたしのことはリンちゃんって呼んで。で、ほら立って」
「うん」
ポチカもリンちゃんも一緒になって笑った。三人がうながされて立ち上がったのと同時に、
「何してたんですかー、心配したんですよー」
ミユ先生がすぐ向こうのところから声をかけてきた。茂みのなかまでは入ってこようとせず、真琴達が出てくるのを待っている。前髪が少し額にくっついていた。
リンちゃんを先頭に三人が出ていくと、ミユ先生はリンちゃんに発見のお礼をいって、真琴と山田の前に姿勢正しく立った。わざと表情を硬くしているのが真琴にも分かった。校舎の時計が目に入って、もう五時間目が終わりそうな時間だった。
「二人とも、まずは無事でよかったです。先生も心配だったし、クラスのみんなも、いまは係の人以外はプリントをやってもらってるけど、すごく心配してたんですよ」
「『捜索係』初の仕事だったぞ、これ。ヤマダンとまこちん探すとは思ってなかった」
満足げな顔でリンちゃんが横からいった。そういえば新学期が始まるとき、クラスの係で新しいものを考えたのだった。
「仕事がないのが一番いい、ということもあるものですね。――でも、二人とも本当にどうしたの? 後ろの子は?」
「ポチカっていう名前で、いま外国の学校に通ってるから夏休みなんです」
「外国の? ふうん、けど、無断でここに来ちゃダメじゃないの? 真琴くんが誘ったの?」
「誘ったっていえばそうなんですけど、いまこっちで友達がいないから寂しいだろうと思ってです。先生にもちゃんといわなきゃって、家でも話してました」
真琴は実際にしたことや考えたことも混ぜて、ポチカの外国設定をミユ先生に説明した。自分でも上手だと思った。
「ポチカさん、私はあまり聞いたことがない名前だけど、ポチカさん自身はどう思ってるの」
ミユ先生はいつも生徒たちに接しているからか、ポチカに対しても先生のような態度で話しかけた。ポチカは恥ずかしそうに、でもうれしそうにミユ先生を見上げる。
「ポチカも、勝手に入ってきてごめんなさい」
「勝手に入っちゃダメっていう認識はあったのね。あちらの学校でも同じでしょう? 違う?」
「はい、そうです」
「じゃあ、もうしないのね?」
「はい」
素直に謝るポチカを見て、ミユ先生は拍子抜けしたような、ひと仕事したような様子だった。真琴は、ポチカがやけに話を合わせるのがうまいな、と思った。
授業時間まるまる茂みのなかにいたからか、校庭で陽射しに当たるとまだまだ暑かった。鉄棒の先の裏門では用務員さんが竹ぼうきで道をはいていて、ざっざっという音が聞こえてくる。真琴も汗をかいていて、自分の服から柔軟剤の香りがするのを感じた。
ミユ先生はいったん話が途切れた後、腕時計に目をやって「そろそろ時間ですね。真琴くん、山田さん、教室に戻ろうか」といってから、ポチカのことをどうしようかと考えたようで、
「ポチカさん、ポチカさんはどうするの? お家に帰る?」
「そうします。ひとりで帰れるので大丈夫です」
ポチカはそう答えながら、真琴を見た。真琴も目でうなずいた。
「分かりました。大丈夫だとは思うけど、気をつけてね。たぶんあちらとではいろいろ違うところもあるでしょうし」
「先生、わたしも、ごめんなさい」
黙っていた山田がいった。言葉とは裏腹にすっきりした顔をしている。
「はい、真琴くんと山田さんは、また後でしっかりお話を聴かせてもらいます。――あ、でもね、ポチカさんもだけど、別に誰が見ても絶対に悪いっていうことをしたわけじゃないもんね。だから、謝らなくてもいいから、しっかり自分で考えてみてね」
ミユ先生は他の先生よりも生徒を叱るタイプだといううわさもある。声を荒げるわけではないけれど、生徒に対してミユ先生なりに「お叱りの場」を設けることがあって、確かに真琴もよく怒られている気がする。
そういう場面でも、ふと先生っぽくない表現が出てきたりするところが、真琴は気に入っていた。
五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。ミユ先生はクラスの生徒たちのことが気になっているみたいだ。
「んじゃ、行こう!」
捜索係のリンちゃんが号令をかけた。それに合わせて、ミユ先生が一番に校舎へ向かう。山田と真琴も後について行こうとしたけれど、少しだけポチカと一緒に三人で集まって、
「ポチカ、ありがとう。これ」
山田がにこっとしながら、刻のエンピツをポチカに渡した。ポチカは受け取ると、丁寧に鞄にしまって、にっこりをお返しする。
「やまだちゃん、またね」
「うん、今度は一緒に遊ぼう! 真琴、行こう」
元気が戻ってきたようで、山田は真琴の服の端を引っ張ってせかした。
「あぁ。ポチカ、じゃあ後で」
ポチカは「うん」とうなずいて、二人に小さく手を振った。山田と真琴も手を挙げてから、もうすぐ校舎に隠れそうなリンちゃんとミユ先生を急いで追いかけた。
校庭に雲の形のきれいな影ができていて、山田と真琴はわざとその影を踏むように進路を取って走った。
真琴が教室へ到着したときには、五時間目の授業が終わっても先生が戻ってこなかったせいで、同級生達は何をするでもなくにぎわっていた。廊下からでもなかの雰囲気が感じられて、真琴はちょっと恥ずかしいような気がした。
ミユ先生とともにリンちゃん、山田、真琴の順番で現れると、教室は一気に音量が下がって、特に山田と真琴を見つめる視線が強くなった。
「はい、帰りの会やるよー。プリントは終わったかなー」
先生はみんなが興味津々なのを放っておくみたいに、さっさと教卓の上を片づけて、日直の生徒に目で合図をした。
帰りの会は滞りなく進んだ。途中で、今日の出来事や意見を話したい人が話す時間のとき、ごみの捨て方について誰かが提案をしたあと、リンちゃんが捜索係の仕事を報告した。
「初仕事を無事に終えることができてよかったです! みなさんも、授業にはきちんと出て、どこかに行かないようにするといいと思います」
クラスがひととき笑いに包まれて「ナイスリンちゃん」という声もかけられた。リンちゃんの報告のおかげか、真琴と山田が授業に参加しなかったことは、おもしろい出来事のひとつとして扱われるだけで済みそうだった。
「はい、いいかなー。じゃあ後は帰りの清掃して、明日から連休だけど、みんな元気に過ごして下さいね。給食当番だった人は、給食袋持って帰って洗って、忘れず来週また持ってきてねー」
ミユ先生も一週間が終わるのでほっとしているみたいだ。普段通り終わりがはっきりしないので、みんなも近くの生徒や友達と話をしたりダラダラしたりしながら、少しずつ自分の割り当てられている掃除場所へと向かった。
掃除の音楽が校内放送で流れ始めたくらいのとき、
「山田さん、真琴くん。今日は掃除はいいから、職員室に来て」
とミユ先生が名前を呼んだ。二人とも教室の掃除だから残っていたのだけれど、おそらくミユ先生に呼ばれると思ってちょっと緊張していた。形だけ手にしていたほうきやちり取りを用具入れに片づけて、二人はミユ先生と一緒に職員室へ向かった。
「まず真琴くん、昨日も話したけど、どうしたの? 何かあった?」
職員室で自分の席に座るなり、ミユ先生は息を吐きながらいった。
「別に、特に何もないですけど――」
真琴が授業に出なかった理由は、主に山田によるものだけれど、それをここで説明する必要はないと思った。ポチカのことも関係してきて、いろいろ複雑になりそうだ。
ミユ先生は真琴の返事を聴いても何もいわず、授業で使っていたものの整理をしていた。デスクの目の前に並べてある本やファイルの間に、教科書や書類を押し込んで、ペットボトルからひと口お茶を飲んだ。
職員室も掃除の時間で、音量を縮めたスピーカーから掃除の音楽が流れている。先生たちも窓を開け放って、簡単に床を掃いたりゴミ出しをしたりしていた。何かを質問しに来た生徒の対応をしている先生もいて、周りは静かにがやがやした感じだった。
しばらく沈黙が続いてから、ミユ先生が口を開いた。
「どんなことでも先生に相談してね、なんていわないけど、話したいことがあったらいつでも大丈夫だからね。山田さんも」
「わたしもだいじょぶです。ちょっとお父さんとケンカしちゃって、それで、真琴くんが慰めてくれてました」
山田はあっさりと答えた。慰めたという覚えはないけれど、真琴も悪い気はしなかった。
「それは先生にも話しておくとよさそうなこと?」
「いまのところ、まだいいです。だいじょぶです」
ミユ先生は山田が話そうとしないのを見て取って、一度「お叱り」モードのスイッチを入れた。
「分かりました。そのことについては、山田さん自身も考えるところがあるでしょうし、置いておきましょう。だけれど、何もいわずに授業を休むというのはよくないことじゃないかな?」
真琴も山田もうつむきがちでミユ先生の言葉を聞いた。横を通った別の先生がちらりと真琴たちの様子を見て行った。
「二人のいまの仕事は勉強することだし、もちろん勉強ばかりである必要はないけれど、お家の人も授業をさぼってもいいなんていわないでしょう?」
返事をしようとした真琴をさえぎって、ミユ先生は続けた。
「分かる、真琴くんや山田さんがさぼろうとしたとは先生も思っていません。だから、何かわけがあったのかなと思ったんです。――無理には聞かないけどね」
「ごめんなさい」
真琴が反射的に謝ると、ミユ先生はゆっくりと首を振って笑顔になった。
「謝らなくてもいいんですよ。私もまあまあやんちゃだったからね、真琴くんたちの気もちも分かる気がする。でも、だからこそ、どこかの部分をないがしろにしないで、全体としてうまくというか、楽しくやってほしいと思ってるんだ。気がかりなことがあると、気になるでしょう?」
「はい、気になります。なんか集中できなかったりして」
空気がほぐれた感じがして、真琴は少しミユ先生に合わせてしまったような気もしたけれど、落ち着いて返事をした。
「家でもあの友だちのこととかで、いろいろあって」
「さっきの、珍しい名前、ポチカさんのこと? 私にも話してくれるつもりだったっていってたね」
昨日と今日だけなのに、本当にいろいろなことが起きている。先生にも説明しようとは思ったものの、ポチカの外国設定以外はあまり練っていなかった。
「なんか、ポチカくんのお家の人も忙しいらしくて、なかなか一緒にいられないとかいってて」
「そうなんだ」
山田がちょっとびっくりしたように反応した。ミユ先生は真琴を見つめたままだ。
「それで、昨日とか家に泊まってもらって、遊んだりしてたんです」
「それなら、ポチカさんもきっと楽しかったね。こっちではお友達も少ないかもしれないし、よかったじゃない。でも、それと今日のことが何か関係あるの?」
「今日のは――」
「先生、今日のはわたしです。わたしが悪いんです」
「うん、そういう感じなのね、分かった。山田さんも、別に悪いってことはないよ。また必要になったら、先生に話を聴かせてくれる? あとやっぱり授業は普通に出よう」
ミユ先生はまた笑った。もう「お叱り」モードは終了したみたいだ。真琴と山田も「はい」と返事をしながら大きくうなずいた。
気づかないうちに掃除の音楽も終わっていて、職員室も放課後の雰囲気に変わってきた。先生たちも戻ってきてパソコンや資料の準備などそれぞれ作業をしている。
「はいじゃあ、忘れ物ないかな? これどうぞ。気をつけて帰ってね」
デスクの透明な瓶から、ミユ先生はレモン味とみかん味のあめ玉を取り出して、二人に渡した。真琴はレモン味を受け取ったけれど、そういえば、給食のみかんの皮をどこへやったか分からなくなってしまった。
「ありがとうございます」
といって、山田は早速封を切ってみかん飴を口に放り込んだ。「ゴミ箱、そこ」とミユ先生が指さす近くのカゴに包み紙を捨てて、口の中であめ玉を転がしながらあいさつする。
「さようなら。真琴行こう」
「さようならー」
真琴も山田に続いてあいさつをして、早足で職員室を出た。怒られるため以外にも何度も来ている場所とはいえ、なかなか慣れない場所だ。
清掃が終わって時間が経っているからか、残っている生徒の数も少なくて、校内はがらんとしていた。廊下を歩いているとき、山田は何も話さなかった。刻のエンピツやポチカのことがきっと気になっているはずだけれど、あめ玉で片方の頬をぽこりと膨らませたまま考えごとをしているようだった。
下駄箱のところまで来ると、山田が立ち止まった。
「また、刻のエンピツ貸してくれる?」
いつもの山田らしい、小さめの声だった。でもうれしそうだ。
「おう。ポチカにもいっとく」
「ポチカってなんか、かわいいよね。砂遊びとか似合いそう」
真琴はポチカが木に登っていたことを思い出して、おもしろくなった。
「なに笑ってんの」
山田も理由が分からないままつられておもしろくなってきたみたいで、二人は自分たちの靴箱の前で立ってしばらく笑った。見かけたことしかない男の先生が通りかかって「さようなら、気をつけてなー」と声をかけてくれた。
靴を履いて玄関から外へ出ると、車が一台校門へ向けて走っていった。金曜日だし、先生もちょっと早めに家へ帰るのかもしれない。まだまだ陽は高いけれど、気温はさっきより下がっているみたいで、さっぱりとした風が吹いている。
「じゃあね、また来週」
風を浴びて心地よさそうに山田がいった。もうあめ玉も小さいらしい。
「今度またポチカ連れてきて、絶対。いつまでこっちにいるの?」
「ちゃんと聞いてないけど、まだいるんじゃない」
「じゃあやっぱ絶対ね!」
山田一明るい声が出た。もともと身軽な山田だけれど、ポチカと会ってからは内側からエネルギーが弾ける感じで、いつでもジャンプしたいような様子だった。元気そうな山田を見て、別に山田のことが好きなわけじゃないとはいえ、真琴もうれしかった。
「分かった。それじゃあなー」
帰る方向が違うので、校門のところで真琴は山田と別れた。山田が手を振ったから、真琴もいちおう手を振り返しておいた。
ひとりになると、ふと週末でいろいろ持ち帰るランドセルの重さが肩に感じられた。裏紙の半分も入っている。ポチカが山田に渡した分は、山田が持っていったと思うけれど、この裏紙だから書いた文字が光るのだろうか。
下校時間より遅くなったからか、帰り道に同じ学校の生徒はあまり見かけなかった。農作業のおじさんやおばさんが、今日の仕事を終えて畑の端のほうに腰かけてお茶を飲んでいて、たぶん一緒に連れてきた犬にも水をあげていた。
空は水色に薄く白を混ぜたやわらかな色で、くっきりした影を作るような雲はどこかへ行ってしまったようだった。
家まで道路ひとつ渡れば着くところで信号を待ちながら、真琴はまた“刻のエンピツ”のことを考えた。ただの木の枝ではないことは間違いなくて、どうやら何かを書くためのものらしい。ポチカと関わりがあることも確かだけれど、
「そういえば、ポチカ」
真琴ははっとしてひとりごとをいった。最初は学校が終わったら鉄棒のところで合流しようとしていたから、もしかしたらそこで待っているかもしれない。さっきポチカと別れたときに確認しておかなかった。
大きな通りなので信号の待ち時間が長くて、たくさんの車が右左に走っている。いったん学校へ戻ろうか悩んでいると、どこかから「まことくんー」と呼ぶ声が聞こえた気がした。
車の音にかき消されがちだけれど、何回か同じ声が聞こえる。声の元を探しながら反対側の歩道をよく見てみると、行き交う車の陰に隠れたり現れたりするポチカの姿が遠くに見えた。
真琴が気づいたことを知って、ポチカは両手を上げて手を振った。真琴は口に手を添えて大声で訊いた。
「一回帰ったのー?」
ポチカがうんうん、と大げさにうなずくのが見える。
「ちょっと待っててー」
横方向の歩行者信号が点滅したので、もうすぐこちらの信号が変わる。真琴は横断歩道に踏み出しそうな位置で、タイミングを待った。
信号が青になった。真琴はそれと同時にダッシュして、ちょうど反対側の歩道まで来ていたポチカのそばまで走り寄った。隣で信号待ちをしていた自転車よりも速く渡り切った。
「一回帰ったの?」
「そう、まことくんももうすぐ帰る時間かなと思って」
真琴とポチカは一緒に家へ向かって歩き始めて、
「ポチカ、よくあんなとこ登れるね。木登り得意なの」
「あそこのほうがみんなのことよく見えたから」
ポチカはにっこりした。真琴と手をつなごうとしたので、真琴も今回は自然と手を出した。
やっぱりポチカと手をつないでいると、いろいろなものが見えたり聞こえたり、たくさん入り込んでくるみたいだった。すぐそこの家の塀のすき間にスズメが隠れている。車の音はするけれど、チュチュ、という鳴き声もはっきりと耳に届いて、ぴょんぴょんと跳ねる姿が見える。
歩道と車道のアスファルトの間に、ほっそりと咲いている小さな花がある。いつもなら踏みつけてしまいそうだ。アリさんがいっぱい集まって、何かのかけらのようなものを運んでいる。タバコの吸い殻も落ちていて、これにはアリさんも近寄らない。
車の往来が一瞬途切れると、向こう側でおしゃべりしている人の声も聞こえてきて、かなり遠くから中学か高校の部活動の声もする。どこかで建築作業をする音もするし、そうかと思えばバイクが真琴たちの横を走り抜けていく。
「いいにおい」
ポチカがいうので真琴も鼻に意識を集中させると、お肉を焼いているにおいが風に乗ってきていた。これは普通の家というよりはお店かもしれない。雲の流れが速くなっているから、上空はもっと風があるのだろう。
角を曲がると、大きな通りの音もしなくなって、辺りは一気に静かになった。もうすぐ家に着くけれど、真琴はまだ歩いていたいような気がした。
「こんにちは」
近くに住んでいる人が真琴を見つけてあいさつしてくれた。真琴とポチカは同じタイミングで頭を下げ、
「こんにちはー」
と返事をした。手をつないだままだから、何だかテレビで観た演劇の人みたいだなと思った。あいさつしてくれた人もほほえんで歩いていった。
自宅の前まで来ると、台所に電気がついていた。今日は昨日より早く帰る約束もしておいたから、お母さんがご飯の準備をしているのだ。お母さんのことだから、ポチカのために腕を振るっていそうだ。
そのポチカのことをどう説明するか、難題が残っていた。お父さんやお母さんに嘘をつきたくはないけれど、ポチカのことをいろんな人に広めてしまってよいものか、真琴は分からなかった。
「まことくん」
真琴が家の前で立ち止まったので、ポチカは不思議そうに名前を呼んだ。
「ポチカって、どうして木のなかから来たの?」
「どうしてって」
「何かをしに来たの? 探しに来たとか」
実際に現れる瞬間は見ていないけれど、木のなかから出てきたという話を昨日ポチカがしてくれた。ポチカは少し考える風をして、
「ポチカもあんまり分からないかも。なんでだろう。まことくんたちと一緒にいるのはすごく楽しい。まことくんは?」
「僕も楽しいよ」
ちょっと照れながら真琴がいうと、ポチカはにっこりしてから首を振った。
「ううん、――まことくんは、どうして生まれてきたの?」
「どうして?」
真琴もポチカと同じ反応をしてしまった。どうして生まれてきたのかなんて、しっかり考えたことはない。お母さんに訊いたら分かるだろうか。昔、お母さんは「鳥が運んできてくれたんだよ」といっていたけれど、さすがにそんなはずはないと真琴も思う。
「でも僕もいま楽しいな」
学校での出来事、山田との関わりや、ポチカと出会ったこと、商店街のおじさんのことなどを思い出してみて、真琴はいった。ミユ先生のことも忘れちゃいけない。
「うん。ポチカも」
ポチカはにっこりしたまま、何か深くものを見るような目で真琴を見つめた。真琴はくすぐったいような感じがしたけれど、安心したような気もした。
手をつないだままで、真琴とポチカは玄関の呼び鈴を押した。なかからパタパタと足音が聞こえてきて、ガチャンとドアが開くと、
「お帰りー。あ、やっぱりポチカちゃんも一緒だったんだ」
お母さんはエプロンをつけて、袖をまくっていた。普段はエプロンをすることはほとんどないから、ポチカのために気合いを入れて料理をしているらしい。
玄関に迎え入れると、お母さんは二人の頭をなでた。
「今日も元気で帰ってきて、よかったよかった。ポチカちゃんも何か怖いことなかった?」
「だいじょうぶです」
ポチカは気もちよさそうな顔で返事をした。帽子を取った髪の毛がくしゃくしゃしている。お母さんの手はまだ水が少し残って湿っていた。リビングはエアコンがついているのか、奥から涼しい空気が流れてくる。
「じゃ、お父さん帰ってきたらご飯ね。手洗いうがいー」
真琴とポチカの頭をぽんぽんと優しくたたいて、お母さんは台所へ戻っていった。二人は手洗いなどをして、学校の荷物を片づけて、真琴の部屋で夕ご飯を待つことにした。
少しだけ気にかかったのが、台所からカレーのにおいがしていることだった。
下校時間より遅くなったからか、帰り道に同じ学校の生徒はあまり見かけなかった。農作業のおじさんやおばさんが、今日の仕事を終えて畑の端のほうに腰かけてお茶を飲んでいて、たぶん一緒に連れてきた犬にも水をあげていた。
空は水色に薄く白を混ぜたやわらかな色で、くっきりした影を作るような雲はどこかへ行ってしまったようだった。
家まで道路ひとつ渡れば着くところで信号を待ちながら、真琴はまた“刻のエンピツ”のことを考えた。ただの木の枝ではないことは間違いなくて、どうやら何かを書くためのものらしい。ポチカと関わりがあることも確かだけれど、
「そういえば、ポチカ」
真琴ははっとしてひとりごとをいった。最初は学校が終わったら鉄棒のところで合流しようとしていたから、もしかしたらそこで待っているかもしれない。さっきポチカと別れたときに確認しておかなかった。
大きな通りなので信号の待ち時間が長くて、たくさんの車が右左に走っている。いったん学校へ戻ろうか悩んでいると、どこかから「まことくんー」と呼ぶ声が聞こえた気がした。
車の音にかき消されがちだけれど、何回か同じ声が聞こえる。声の元を探しながら反対側の歩道をよく見てみると、行き交う車の陰に隠れたり現れたりするポチカの姿が遠くに見えた。
真琴が気づいたことを知って、ポチカは両手を上げて手を振った。真琴は口に手を添えて大声で訊いた。
「一回帰ったのー?」
ポチカがうんうん、と大げさにうなずくのが見える。
「ちょっと待っててー」
横方向の歩行者信号が点滅したので、もうすぐこちらの信号が変わる。真琴は横断歩道に踏み出しそうな位置で、タイミングを待った。
信号が青になった。真琴はそれと同時にダッシュして、ちょうど反対側の歩道まで来ていたポチカのそばまで走り寄った。隣で信号待ちをしていた自転車よりも速く渡り切った。
「一回帰ったの?」
「そう、まことくんももうすぐ帰る時間かなと思って」
真琴とポチカは一緒に家へ向かって歩き始めて、
「ポチカ、よくあんなとこ登れるね。木登り得意なの」
「あそこのほうがみんなのことよく見えたから」
ポチカはにっこりした。真琴と手をつなごうとしたので、真琴も今回は自然と手を出した。
やっぱりポチカと手をつないでいると、いろいろなものが見えたり聞こえたり、たくさん入り込んでくるみたいだった。すぐそこの家の塀のすき間にスズメが隠れている。車の音はするけれど、チュチュ、という鳴き声もはっきりと耳に届いて、ぴょんぴょんと跳ねる姿が見える。
歩道と車道のアスファルトの間に、ほっそりと咲いている小さな花がある。いつもなら踏みつけてしまいそうだ。アリさんがいっぱい集まって、何かのかけらのようなものを運んでいる。タバコの吸い殻も落ちていて、これにはアリさんも近寄らない。
車の往来が一瞬途切れると、向こう側でおしゃべりしている人の声も聞こえてきて、かなり遠くから中学か高校の部活動の声もする。どこかで建築作業をする音もするし、そうかと思えばバイクが真琴たちの横を走り抜けていく。
「いいにおい」
ポチカがいうので真琴も鼻に意識を集中させると、お肉を焼いているにおいが風に乗ってきていた。これは普通の家というよりはお店かもしれない。雲の流れが速くなっているから、上空はもっと風があるのだろう。
角を曲がると、大きな通りの音もしなくなって、辺りは一気に静かになった。もうすぐ家に着くけれど、真琴はまだ歩いていたいような気がした。
「こんにちは」
近くに住んでいる人が真琴を見つけてあいさつしてくれた。真琴とポチカは同じタイミングで頭を下げ、
「こんにちはー」
と返事をした。手をつないだままだから、何だかテレビで観た演劇の人みたいだなと思った。あいさつしてくれた人もほほえんで歩いていった。
自宅の前まで来ると、台所に電気がついていた。今日は昨日より早く帰る約束もしておいたから、お母さんがご飯の準備をしているのだ。お母さんのことだから、ポチカのために腕を振るっていそうだ。
そのポチカのことをどう説明するか、難題が残っていた。お父さんやお母さんに嘘をつきたくはないけれど、ポチカのことをいろんな人に広めてしまってよいものか、真琴は分からなかった。
「まことくん」
真琴が家の前で立ち止まったので、ポチカは不思議そうに名前を呼んだ。
「ポチカって、どうして木のなかから来たの?」
「どうしてって」
「何かをしに来たの? 探しに来たとか」
実際に現れる瞬間は見ていないけれど、木のなかから出てきたという話を昨日ポチカがしてくれた。ポチカは少し考える風をして、
「ポチカもあんまり分からないかも。なんでだろう。まことくんたちと一緒にいるのはすごく楽しい。まことくんは?」
「僕も楽しいよ」
ちょっと照れながら真琴がいうと、ポチカはにっこりしてから首を振った。
「ううん、――まことくんは、どうして生まれてきたの?」
「どうして?」
真琴もポチカと同じ反応をしてしまった。どうして生まれてきたのかなんて、しっかり考えたことはない。お母さんに訊いたら分かるだろうか。昔、お母さんは「鳥が運んできてくれたんだよ」といっていたけれど、さすがにそんなはずはないと真琴も思う。
「でも僕もいま楽しいな」
学校での出来事、山田との関わりや、ポチカと出会ったこと、商店街のおじさんのことなどを思い出してみて、真琴はいった。ミユ先生のことも忘れちゃいけない。
「うん。ポチカも」
ポチカはにっこりしたまま、何か深くものを見るような目で真琴を見つめた。真琴はくすぐったいような感じがしたけれど、安心したような気もした。
手をつないだままで、真琴とポチカは玄関の呼び鈴を押した。なかからパタパタと足音が聞こえてきて、ガチャンとドアが開くと、
「お帰りー。あ、やっぱりポチカちゃんも一緒だったんだ」
お母さんはエプロンをつけて、袖をまくっていた。普段はエプロンをすることはほとんどないから、ポチカのために気合いを入れて料理をしているらしい。
玄関に迎え入れると、お母さんは二人の頭をなでた。
「今日も元気で帰ってきて、よかったよかった。ポチカちゃんも何か怖いことなかった?」
「だいじょうぶです」
ポチカは気もちよさそうな顔で返事をした。帽子を取った髪の毛がくしゃくしゃしている。お母さんの手はまだ水が少し残って湿っていた。リビングはエアコンがついているのか、奥から涼しい空気が流れてくる。
「じゃ、お父さん帰ってきたらご飯ね。手洗いうがいー」
真琴とポチカの頭をぽんぽんと優しくたたいて、お母さんは台所へ戻っていった。二人は手洗いなどをして、学校の荷物を片づけて、真琴の部屋で夕ご飯を待つことにした。
少しだけ気にかかったのが、台所からカレーのにおいがしていることだった。