『刻のエンピツと木の精ポチカ7』第七話を公開いたします☆ | 札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

札幌の家庭教師・物語作家が運営するブログ
心の深い部分に根ざした勉強法や、発想法などを提案しています
(現在は何気ない日常をアップしています)

こんにちは爆  笑

本日もお越しくださってありがとうございます!

 

連載中の物語『刻のエンピツと木の精ポチカ』

第七話を公開いたします。

 

(これまでのお話はコチラからニコニコ↓)

第一話

第二話

第三話

第四話

第五話

第六話

 

はるか遠くまで飛んでいったフリスビー。

真琴とポチカは追いかけた先で何に出会ったのでしょう。

お父さんとお母さんはちょっとケンカをするみたいですが……

 

それでは、どうぞ~てへぺろ

 

↓ ↓ ↓

 
 
 
 

刻のエンピツと木の精ポチカ7

 

 野原のふちまで来ると、遠くから見るよりもキャンプ場を囲む木々は背が高くて、天辺は首をかなり上に向けなければ見えなかった。しっとりとした樹木のにおいも強く、一歩踏み込むと深い森につながっているような奥行きも感じられる。

 振り返ると、お父さんが大きく腕を動かして「もう少し右」と教えてくれていた。

「行けるかな、ここ」

 真琴はちょっと不安になった。足下は落ち葉や枝や下草が絡んで、すき間が見当たらないくらい茂っている。ウーンという虫の羽音も耳元に近づいたり遠ざかったりする。

「こっちはどう」

 左のほうにいたポチカが目の前を指さした。行ってみると、比較的木と木の間隔が空いている場所があって、中へ入れそうだった。

 落ちていた長めの枝を拾って、葉をよけ、クモの巣をかき分けながら二人は奥へと進んでいった。それまでは川の音も聞こえていたけれど、林に入ると一気に静かになって、頭上で鳥がひと鳴きするのにもドキッとした。

「ポチカ、大丈夫?」

「――うん。なんか探検みたい」

 真琴が先で進んでいたので、ポチカの顔は見えない。

 上にも前にも足元にも注意しなければならなくて、無言で歩く時間が続いた。フリスビーが木に引っかかっているなら、おそらく見つかる可能性はすごく低い。幸い地面に落ちてきていても、少しでも探す範囲がずれれば気が付かないだろう。

 さっきの飛び方だと、ある程度奥まで行ってしまったはずだ。ブルーシートの位置との関係で予想した辺りを探しながら進むけれど、それらしいものは見当たらない。

「まことくん、フリスビー上手だね。こんなに飛ぶと思わなかった」

「僕も僕も。けど上手っていうか、これはどうなんだろ。飛びすぎじゃない? フリスビーでホームランしたらダメな気がする」

 真琴は笑った。もし学校でやっていたら、校舎の屋上とか校庭の外まで行ってしまっていたかもしれない。

「これは見つからないかもなぁ」

「見つからなくて大丈夫なの」

「まあ、昔から持ってるやつだし、そのときはそのとき」

 それからもう少し進んだところで、草木の密集が解けてぽっかりと穴が開いたようになっている場所があった。葉の間から指す陽射しも他より多めだ。
 
 土が見える地面に、白いものが落ちている。真琴たちと同じように、誰かが投げ込んでしまったおもちゃかと思ったけれど、近づいてよく見てみると、

「――これ、骨?」

 表面に土が付着して、黒ずんだ部分もある。かけてボロボロになったところもある。以前、真琴は犬の糞を見つけて友だちに投げて叱られたことがあるけれど、これをすぐ手に取る気分にはならなかった。

 ポチカも真琴の隣に来てしゃがむと、まじまじと見つめて、

「うん、何か動物の骨じゃないかな。けっこう前からここにあるみたい」

「なんの動物だろ? 分かる?」

「んー、ポチカ、あんまり違いが分かんないけど、まあまあ大きいのだと思う」

「大きいの? クマとかそういう?」

 怖くなって、真琴は早口になった。ポチカは深く首をかしげただけで、

「クマってどんな動物?」

「ええ――と、すごい身体が大きくて、爪が鋭くて、木にも登れて、すごい強いやつ。出会ったら死んだふりしないと」

「死んだふり?」

 目を丸くしてポチカがいった。少し考えてから、くすくす笑い始めた。

「死んだふりして、いつ起き上がるか、相当考えないとだね」

「確かに」

 真琴も一緒になって笑うと、風が枝葉を揺らす音と混ざり合って、笑い声が林に吸い込まれていった。ポチカはそっと骨に触れると、優しく持ち上げた。

「たぶん、さっきの動物じゃないかな、あの」

「鹿?」

「そう、さっきの。――小さいころ、足をけがしたみたい」

 木の間からさす陽射しの加減かもしれないけれど、真琴には、ポチカの手元で骨がほんのり輝いているようにみえた。ポチカは目を閉じて、何かを感じ取っているみたいだった。

「分かるの?」

「うん、思い出。……もう少し高くて涼しいところで生まれて、最初は土に横たわっていて。ぼんやりしてて、かすんだ感じ。はっきりとはものが見えなかったのかな。それから、立ち上がれるようになって、仲間と一緒にご飯も食べられるようになって」

 自分の記憶のように語るポチカの髪が風になびいた。この場所の和らいだ光と影の具合いと風の涼しさが心地よくて、真琴も知らず知らずポチカの話に聞き入った。

「力いっぱい走れるようになって、友達とかけっこした。身体の脇が木の幹にこすれて痛いこともあったし、低い枝が目に入りそうなこともあったけど、すごく楽しかった。お父さんとお母さんよりも速く走れるようになったみたい」

 真琴は考えた。お父さんと腕相撲をすると、いつも真琴がお父さんの腕をテーブルすれすれまで倒して、勝ちそうなギリギリのところで、一気に逆転負けをしてしまう。

「夜、ご飯を食べている途中で、足が滑って転んじゃった。お父さんとお母さんも、仲間も心配して傷口をなめてくれたけど、痛みが取れなくて、力が入らなくて、休むしかなかったんだ。みんなが入れ替わりでそばにいてくれて、食べものを持ってきてくれたりした。――うん」

 少しの間、ポチカは口を閉じた。真琴も次の言葉を待ちながらよく耳を澄ますと、わずかに川のせせらぎの音が届いている。木の葉や風、虫が動く音、鳥が鳴く声、いろいろが混ざり合って、林や山そのものの音が聞こえる気がした。

「でも、だめだったのかな」

 真琴は、自分がいった言葉にしんみりした。ポチカの話がこの白い骨の歴史かどうかは分からないけれど、いまこうして骨だけであるのは確かなのだ。

「――近くで取れる食べものがなくなってきたから、みんなは移動するしかなかった。もちろん一緒に行きたかったけど、足が治らなくてできなかったんだ。お父さん、お母さん、一番の仲良しが最後までそばに残ってくれたけど、どうしようもなくて去っていった。……うん、月が大きい。みんなの声が聞こえるね」

 骨と話すようにポチカはうなずいた。若い鹿が脚をたたんで座り、ひとりで月を眺めて座っている様子を思い浮かべて、真琴はなんともいえない気もちになった。

「それからずっとひとりだったの」

「ときどき鳥たちもそばに来てくれたし、いろんな虫も身体の上を通っていったり、ツノに停まって休んでいったりした。胴が長くて、透明な羽根が四枚。強い動物が来ないかどうか心配にもなったけど、お腹がすいて、眠くなってきて、目を閉じた」

 反対にポチカは目を開いて、真琴にほほえみかけた。話の内容と違ってやわらかな表情だったので、真琴もほっとして骨を見つめながら、

「どうしてこうなっちゃったの」 

「なんだろう……、それは、そうなるからかな」

 ポチカは持ち上げたときと同じ手つきで、そっと骨を地面に戻した。元の場所に、土のついた部分を下に向けて。骨は誰も触れなかったかのように、林の一部だった。

「僕も、骨になっちゃうのかな。お父さんとお母さんも」

 鹿の話を聞いて、真琴は自分が死んでしまって、骨になっていくことを考えた。

「たぶん。――けど、いまのまことくんはまことくんでしょ」

「僕が僕?」

 真琴はポチカが何をいっているのかよく分からず、鹿のことも合わさって、急に悲しいような、さみしいような気がしてきた。目と鼻の奥がチリチリする。

「まことくんが骨になったとき、ポチカが一緒に遊べるかどうか分からないけど、いまポチカは一緒に遊べて楽しいよ」

「もちろん――」

 骨になるとか、死ぬとか、重たい話をしているはずなのに、ポチカの声はずいぶん明るい。真琴がどうするかを待っているのか、頭上の木の葉っぱを見上げながら唇を動かして息を吹き出している。

「こうするの」

 真琴が口笛を吹いていたのを真似しているのが分かって、お手本をみせてあげた。何度かチャレンジしてポチカもすぐ音を出せるようになって、二人がピー、ピューとそれぞれの音色で吹く口笛が、しばらくの間林の音に加わった。

「おもしろい、いい音出るー」

「たぶん見つからないし、もう戻ろっか。お腹空いた」

 鼻をすすって、真琴は笑った。ポチカはピューピューと口笛を吹いたままでうなずいた。

「ポチカはバーベキュー初めてだよね? さっきお母さんがコンロ用意してたでしょ、あれに網を乗っけて、刺したお肉とか焼くんだ。お家で食べるのと違って、美味しいよー」

 二人は来た道を引き返した。帰りは自分たちが踏んできた道筋ができていたので、歩みも速い。口笛を気に入ったのか、ポチカはピューと音を出し続けたまま、真琴のあとをついてきてくれた。
 

 林から出ると、顔に当たる光と風が温かかった。さっきよりも景色が白くなって、やっぱり広々としていて気もちいい。真琴たちが出てきたのを見つけて、お父さんとお母さんはブルーシートのところから「おーい」と手招きした。

 もうお昼ごろだろうか。それでもまだ他のお客さんは来ていなくて、野原でご飯の準備をしているのは真琴たちの家族だけだった。遠くからでも香ばしいにおいがする。

「おうー、大丈夫だったか」

 真琴とポチカが来ると、お父さんは赤い顔でいった。イベントごとのときにありがちだ。おもしろいときもあるけれど、うるさくなるときもあるので、真琴は心配な気もした。

「無理だった」

「やっぱりねー、砂場で砂を探す感じ。――ポチカちゃん疲れなかった?」

 串に刺した肉や野菜をお父さんがグリルの上でひっくり返している。汁が垂れてじゅーという音がした。お母さんはポチカに手を拭くための濡れナフキンを渡した。

「だいじょぶでした」

 お母さんの前では、ポチカは少し子どもっぽくなるみたいだ。ペタペタと手を拭いて、真琴より先にブルーシートにちゃんと座った。真琴も靴をぬいで、ナフキンを受け取る。

「もう焼けてるのあるぞー」

 真琴が座るのと同時に、お父さんが汗を肩でぬぐっていった。

「本当? 早くない? 火が強すぎて表面だけじゃないの?」

 お母さんは立ち上がると、軍手をして串を一本一本確認する。

「まだお肉赤いじゃんー。子どもたちも食べるんだから、ちゃんとなかまで焼かないと」

「分かってるよ、まだ途中途中」

 ちょっとふざけるようにお父さんは答えて、ビールを飲んだ。ジャグリングのように左右の手を入れ替えて、連続で何度も串を裏返してみせる。

「何やってんの、そんなんじゃ焼けないよ。ちょっと貸して」

「いや、できるって」

 お父さんが拒むのに構わず、お母さんはそれぞれの串をきれいに並べ直して、真琴とポチカを振り返って軍手のままケースを指さした。

「おにぎり握ってきてあるから、食べてていいよ。それ」

「ほーい」

 蓋を開けると、海苔で顔や柄を描いたおにぎりがたくさん入っていた。真琴は特別に好きなキャラクターがいるわけでもないので、顔が描いてあるのはお母さん自作の誰かだ。ポチカも興味津々で見つめている。

「どれがいい、ポチカ」

 手を伸ばしかけていたポチカだったけれど、真琴にいわれて一度両手を合わせて揉んで、考えてから黄色い頭のおにぎりを選んだ。玉子ふりかけで髪の毛が金色の人を表している。

 その黄色い部分から口に入れると、ポチカは満面の笑顔をみせた。続いて二口目、その次とほおばる様子を見て、真琴もどれにするか選ぼうとした。見たことのあるキャラもいるから、それを先に食べてあげたいような、残しておいてあげたいような。

「――だから、だめだっていったじゃん!」

 お母さんが大きな声を出したので、真琴はびくっとしてしまった。ポチカもほっぺたを膨らませたまま、目だけお母さんたちに向けている。

「何回いったら分かるの? しかも食べもの蹴るとかありえない!」

「いや、適当じゃない、適当ではない」

 どうやらお父さんが串を芝生の上に落としてしまったらしい。その串を足で脇へ移動させたのだろうか。お母さんは激しい口調だった。

「食べもの粗末にしないって、教わらなかったの? いっつもそんなんだから、まこちゃんも真似するでしょ」

「真琴は普通にいい子に育ってるだろ~、なぁ」

 にやにやしながらお父さんが真琴にいうので、真琴も口を結んで大きくうなずいておいた。グリルの近くにいるからかもしれないけれど、お父さんの顔がさっきよりも赤い。

「そういう態度を真似しちゃうっていってんの、いい加減な」

「それはおまえがそう思うんだろう、勝手に」

 お母さんの雰囲気が変わらないのを見て、お父さんもむっとして、軍手を外しながらいった。

「今日だって普通にいろいろおれが準備したし、車だって運転してきたじゃん。ただ家でごろごろするお父さんもいっぱいいるのに」

「それを誰かと比べる意味ある? イヤだったの?」

「いや、イヤではないけど――でもおればっかそんなこといわれる筋合いない」

 お父さんはぷいっと顔をそむけると、網の端に寄せておいた串をひとつ掴んで、先っちょの肉にかじりついた。「あつ」と歯のすき間からいいながら口を動かしている。

「だから、なんで子どもたちより先に食べるの」

 あきれたという顔でお母さんがため息をつくと、お父さんは当てこするような声で答えた。

「焼いたのおれー」

「サイアク。――まこちゃん、ポチカちゃん、こっちも焼けてるからどうぞ、食べて食べて」

 というお母さんの声にもトゲが残っていて、いいにおいに惹かれるのは確かだけれど、真琴もポチカも躊躇した。それを見て、お母さんは串を二本取って、真琴たちに渡してくれた。真琴はそのもうひとつ左の串が本当は欲しかった。

 でも、外で食べるバーベキューはやっぱり美味しくて、真琴はすぐに一本お腹に収めてしまったし、ポチカも黙々とおにぎりと串を行き来している。

 太陽が高く昇って、雲を払ってくれていた。フリスビーを遠く運んだ風も穏やかになって、暑く感じるくらいだ。串が焼ける音と小さな虫が鳴く声、渓流の流れる音だけが聞こえていて、ゆったりとした時間だった。

 この場所はずっと昔からこうだったんだろうか、キャンプ場になる前から。真琴たちがいなくても、何度も朝日が出て、風が吹いて、雨が降り、草木が伸びて、鹿が駆けまわっていたんだろうか。

「あれ、持ってきてないの? 入れろっていったじゃんー」

「自分でしなよ、そんないうなら! 私だって家でやることあるの分かるでしょ、――あーやだ、何でせっかく出かけてきてこんなんなの」

 お父さんとお母さんがどんどんヒートアップして、紙皿やコップなど道具を扱う動きも手荒くなっている。これも出かけるときによくある感じだけれど、真琴はいまいるこの場所がこういうケンカも包み込んでくれているような気がした。

 それからけっこう長い間、誰も何もいわなかった。ポチカはマイペースでおにぎりと串焼きを交互に食べ続けているし、真琴もなんとなく口に運んでは、お茶で流し込んだ。

「もういいって、そんなんなら、やめよう。帰ろう、文句ばっかで楽しくないでしょ? いっつもこうだもん」

 お母さんが皿を置いて、いきなりいい出した。

「おれ何もいってないじゃん」
 
「でもそんなムスッとして、楽しくなさそうだし。どうしたいのか、分かんない」

「別にどうもしたくないよ、別に」

 真琴とポチカは顔を見合わせた。来たばかりなのに帰るなんて嫌だった。このやりとりも以前どこかで見たけれど、そのときは真琴がどうしたらいいか分からずハラハラして、泣いてしまったこともあった。

 今日はポチカも一緒だからか、お父さんとお母さんのことを落ち着いて見ていることができた。二人とも肩や背中がとがって硬く、重そうになって、辛そうになる。

「もう帰るんですかー?」

 やめておけばいいのに、ポチカがふんわりした声でいった。お父さんはちらりとポチカのことを見て、何もいわなかった。お母さんは慌てて、

「違うよ、ポチカちゃん、――ポチカちゃん、楽しい?」

「そういう訊き方なくない?」

 ポチカが口を開く前に、お父さんが背中を向けたまま投げ捨てるようにいった。苦い顔をして立ち上がると、じゃらりと車の鍵を持って、駐車場のほうへ歩いていった。

「え、ホントに帰るの?」

「まこちゃんは? 帰りたい?」

 真琴は首を振った。

「じゃあ、――もうお腹いっぱい? ポチカちゃんとまた遊んできたら? 川行ってみたら?」

 立て続けにお母さんがいうので、真琴はうなずくしかなかった。お茶を飲み干して、真琴は立ち上がって帽子をかぶった。

「ポチカ、行こう」

 ポチカもどういうことか分からない様子で、手に持っていたおにぎりを口に放り込むと、先に歩き始めていた真琴を追いかけてきた。

 ブルーシートを離れただけで、急に渓流の音が大きく聞こえてきた。川の水の湿気が流れてきていて、ちょっと甘いような、青い香りがする。振り返るとお母さんがひとりで残った料理を食べながら、片付けもしているみたいだった。

「お父さんとお母さん、だいじょうぶかな」

 一緒に振り返って、心配そうな顔でポチカがいった。口の脇にご飯粒がくっ付いている。真琴の目線に気付いて、ポチカはぺろりとご飯粒を舌で取った。

「よく分かんないけど、たぶん大丈夫じゃない? 意外とケンカするよ。――川、入れるかなー」

 真琴とポチカは渓流へ続く坂を下った。川べりまでくると、角が取れて丸くなった石のなかにごつごつした岩もあって、透き通った水の流れにうねりのリズムを作っていた。

 岩陰の水がゆったりしたところに、何匹も魚が上流を向いて泳いでいる。
 
 最初は小石を投げて水の表面を跳ねさせて、反対の斜面まで飛ばす遊びをしたり、足だけ川に入ってみたり、流れに沿って歩いて何かないか探してみたりした。

 でも、真琴はお父さんとお母さんのことが気になって、熱中できなかった。ポチカは石をひっくり返して虫を見つけたり、小さなカニを踏みそうになって驚いたり、楽しんでいるみたいだった。

 川遊び用の道具も家から持ってきていたので、いったんテントまで取りに戻ると、お父さんとお母さんが話をするわけでもなく、ただそこにいた。

 お父さんは眠そうに「おう」とだけいって椅子に座って、お母さんはがんばっている笑顔で「暑くない? お茶持っていけば」と声をかけてくれたけれど、お互いは存在しないかのような態度だった。

 遊び道具を持って川に戻ったものの、やっぱりあまりおもしろくなくて、真琴は川の流れに突き出した大きな岩に腰かけてぼんやりした。

「お父さんとお母さんがケンカしてるとき、まことくんはどうしてるの」

 ポチカも真琴の隣に腰かけて、かかとを岩にコンコンと当てながらいった。そのたびに苔の表面が水面に落ちて浮かぶ。

「どうするってこともないけど、……待ってるかな、仲直りするの」

「仲直りしてほしい?」

「うんー、まあ、もちろん?」

 真琴はちょっと目を上へ向けてほほえんだ。斜面から流れに張り出した木の葉っぱが白い陽を反射している。ポチカは少し間を置いて、

「二人とも、どうしてケンカするのかな」

「でも僕だって、別にケンカしてるのがヤなわけじゃないよ。それぐらい仲いいってことだし」

「仲良しでもケンカするんだね。動物もケンカするから」

「動物の話っていうか――」

 誰に対してでもなく、真琴は自分がいらいらしているのに気付いた。足の下ではきれいな冷たい水が流れ続け、しぶきが素足にときどき当たる。身体の芯まで響くようなせせらぎの音が二人を包んでいる。 

 真琴はうなずいた。

「まあ、でも時間経ったら元に戻るし」

「まことくん、昨日の日記帳、用意しておいて。あとでお父さんとお母さんに見せよう」

 ポチカは真琴を見つめてにっこりした。真琴は一瞬、何のことか分からなかったけれど、

「え、あれ? 見せてどうするの、あんま何も書いてないよ」

「いいから」

「分かったよ、タイミングよさそうなときにね」

 答えながら、真琴はこのキャンプのことを手始めに書いて、改めてあの日記帳を使ってみるのもいいかもしれないな、と思った。

 二人の目の前をビーという羽音をさせながら、大きな細長いトンボが上流に向かって飛んでいった。胴体が陽射しで輝いていて、光の線が川の上を滑っているみたいだった。

「おお、でかい」

 目で追いかけたけれどすぐに見えなくなって、また川の流れる音が目立って耳に響いた。

「他にも誰か来たんだね」

 ポチカが指さす方向を見ると、別の家族連れが荷物を持って川辺に降りてきたところだった。真琴たちより少し年上の兄弟がいて、みんなで手際よく遊ぶ準備をするみたいだ。

「あれ何してるの?」

「たぶん、――釣りじゃないかな。さっきたまったところに魚がいっぱいいたじゃん? あれ釣るの」

「へえ、まことくんは釣りしたことある?」

 真琴は首を振った。同級生が海へ釣りをしに行った話を聞いて、おもしろそうとは思ったけれど、これまで出かける機会がなかったのだ。お父さんも経験者ではないのに、たまに釣りの話をする。

「学校の池でおたまじゃくしとか取ったりするくらい」

「一緒にやらせてもらえないかな」

 釣竿を組み立てている家族連れを眺めながら、ポチカがいった。

「どうかなー、あの人たちと一緒に?」

「うん」

 ポチカは短く返事をすると、岩から飛び降りて家族連れのほうへ歩いていった。真琴はちょっと心の準備をしながら、ゆっくりと岩から降りた。小石が足の裏を押してくる感覚がする。

「まことくん」

 手招きするポチカに追いついて歩いていくと、兄弟のおそらくお兄さんのほうが二人に気付いて、じっと見つめた後軽く会釈した。「こんにちはー」

 お兄さんの声で真琴とポチカに気が付いて、釣りの準備をしていた他の人たちもあいさつをしてくれた。

「何を釣るんですか?」

 たずねてから、真琴はテレビで観るレポーターのような気もちになった。取っ手のついた透明なケースに、カラフルないろんなものが入っている。真琴も浮きだけは分かる。

「何ってこともないんだけど、こういうところに来たら釣りかなって」

 兄弟の父親が笑って答えた。日焼けしてあごひげを生やしていて、真琴のお父さんよりけっこう年上のようだ。半ズボンで膝から下も毛がもじゃもじゃだ。

 長く伸ばした釣竿を一度戻して、父親さんは先端に糸を結んだ。それから巻いてある糸を引っ張り出すと、用意していた釣り針を糸の先っちょにすばやく付けた。

「おれもうできた」

 弟のほうが少し離れた場所で同じ作業をしていて、こちらへ向けて釣竿を見せつけた。竿の先は水際まで届きそうなくらい長い。父親さんは全体をぱっと見て確認すると、

「糸が出てるぞ、目立って魚逃げる。――でもよくできたな」

「誰? 知り合い?」

 真琴とポチカを見て、弟は釣り針をいじりながらいった。父親さんが首を振って、弟に手のひらを向けた。

「はいはい、まずお前の名前は? それからだ」

「優(すぐる)です、よろしくお願いします」

 と弟はぺこりと頭を下げた。坊主刈りでやはり日焼けしていて、少年野球の雰囲気を真琴は感じた。少し上の学年のようだ。

 やり取りを聞いて、お兄さんのほうも「渉(わたる)っていいます」と手を動かしたまま静かな声で自己紹介をした。弟の優よりもほっそりしていて、背が高い。きっと中学生だろう。

「ワタル、まだやってんの」

 優が自分の竿を石の上に置いて、渉のところへ近寄ってきた。糸を結んであげようとして、横から手を伸ばすので、渉は肘でそれを制しながらそっけなくいった。

「いいって、自分でやる」

「できんの?」

 笑いながら優はいったん離れようとしたけれど、そのフリをして渉の背後に回って、わき腹をこちょこちょした。

「やめろ、やめろって」

 渉も胴をくねらせて笑った。すばやく持っていた釣り糸を置くと「おらおら」と反対に優をくすぐりにかかる。優はぴょんとジャンプしてかわして、その拍子に石を踏んでバランスを崩したものの、

「おそっ!」

 といって、にやっとした顔で自分の竿のところへ戻っていった。

「僕、真琴っていいます。こっちはポチカっていって、外国の学校からいま遊びに来てます」

 今度は真琴が自己紹介をした。渉と父親さんがもう一度会釈をしてくれて、これまでみんなの様子を見ているだけだった母親さんがにっこりしていった。

「あら、きちんと挨拶できてえらい。すごい、外国に行ってるの? どこの国?」

「えーと、どこだっけ」

 具体的な国の名前はまったく考えていなかった。助けを求めてポチカに目をやると、

「ヨーロッパ、です。ポチカもまだ小さいので、あんまりはっきり分かりません。――でも、ポチカのいるところがポチカの国です!」

 ポチカがいやに元気な声で答えてくれた。返事をしながら、目は釣竿や周りの釣り道具にくぎ付けになったままだ。母親さんはうんうん、と感心するようにほほえんだ。

「君らもやるか? 他に遊んでるか?」

「やります」

 父親さんが誘ってくれると、ポチカはすぐうなずいた。真琴もお父さんとお母さんのことが頭をよぎったけれど、ポチカがもう父親さんの横で竿を触り始めているので、流れで一緒にやることになった。
 
 いくつか予備の釣竿を持ってきているようで、真琴とポチカは一本ずつ貸してもらった。父親さんが渉と優に準備の仕方や釣り方を教えるようにいって、二人も真琴たちに事細かく作業を説明してくれた。

 真琴は初め上手に釣り糸が結べるのかとか、針が危なそうだとか心配していたけれど、案外簡単に作業が進められて自分でも驚いた。ある部分はイメージ通りだったり、他の部分は想像と違うやり方をする必要があったりというのもおもしろかった。

「難しい……」

 ポチカには優が教えてあげている。優は「そこをねじって、そっちに入れて、グッと引っ張る」など自分の感覚で伝えているので、ポチカも真似をしようとしつつ苦戦していた。

 手を使う作業に真琴は自然と熱中して、ずっと聞こえている川の音とひとつになったような気がした。

 これから何が釣れるだろうか、ということも少し考えたけれど、いつの間にか手元の動きに集中している。お父さんとお母さんのことも、あまり気にならなくなった。

「真琴君、上手上手。もう少し」

 渉は真琴が苦労している箇所を確認してサポートしてくれる。こうしている間に、父親さんと母親さんは真剣な口調で話をしていた。天気のことや料理のことのようだ。

 様子を見て父親さんが真琴たちのところへ戻ってきて、

「どう、できたか? それじゃ虫付けて」

 と発泡スチロールの箱を開けると、小分けされて黒や茶色の虫が何匹も入っていた。虫が過ごしやすいようにするためか、おがくずや何か湿ったつぶつぶが一緒に入れられている。

「ほら、この子たちに付け方教えてあげな。最初慣れないかもしれない」

「ワタル頼んだ」

 優はそういうと、茶色い虫を一匹つまんで、自分の竿のところへ行ってしまった。針に虫を付けて、もう川へ糸を投げ込んだ。父親さんがその横で「そーっとやれ、そーっと」と声をかける。

「どれがいい? ――でも分かんないか。とりあえず同じのにしとく?」

 黒い虫はよく動いて、茶色いのはくねくねとゆっくり身体を曲げている。渉はいくつか手に取って見せてから、優が持っていったものと同じ種類の虫を選んでくれた。

「頭から背中に向けて針通して。変に刺すとエサだけ食べられちゃう」

 実演してくれながら渉はいうけれど、真琴は動いている虫に針を刺すことにとまどった。針の先で茶色い虫はバタバタと動いている。この虫は死んじゃうんじゃないだろうか。でも、釣りのエサにするんだったら仕方ないというか、当たり前のことだろうか。

 ポチカは少しの間虫を見つめてから、自分の針に付けようと試みていた。指先でよく動くので、なかなか針が刺さらずにいる。

「頭を両側から押さえるといいよ」

 渉がポチカに手を添えて、針の先をどこに合わせるとよいか教える。ポチカは表情を変えずうなずいて、ゆっくりと虫に針を通していった。真琴はポチカが鹿の骨の歴史を語ってくれたことを思い出した。

「上手だね、いい感じ。真琴君はどう?」

「うん――」

 虫は苦手ではないのに、何だか手が伸びないでいると、渉が黒いほうの虫を持ち上げて、声をかけてくれた。

「こっちにする? こっちのほうが活きがいいから魚も食うかもしれない」

「どうした? 大丈夫か」

 川のどこに魚がいそうか、優と一緒に岩の陰や水のたまっているところを指さしてしゃべっていた父親さんが、また真琴たちのほうへ戻ってきた。

 真琴は渉から黒い虫を受け取った。せわしなく手のひらで動くので、もう一方の手で尻尾を押さえつけないと落としてしまう。真琴はたずねた。

「これも同じ感じですか? こっちの頭から?」

「そう、グッと行きな。そのほうがいい」

 父親さんの声に押されて、真琴はぎゅっと握った虫の頭から針を刺した。刺した瞬間に尻尾が強く動く。そのまま虫は針が刺さった身体を動かし続けた。

「よし、いい。じゃあよさそうなとこ狙って投げな。魚が見えてるとこは意外とダメだ。あと、なるべくみんな散ったほうがいい」

 そういうと、父親さんは自分の釣竿と網のバケツのようなものを持って、目を付けていたらしい場所へ向かった。渉もガッツポーズをして笑うと、別なポイントを探しにいった。

 真琴とポチカはどこを狙えばよいのか分からなかったので、さっきまでいた大きな岩の近くでやってみることにした。

 魚が見えているところに糸を垂らしてみると、パッと逃げた。流れが緩んでいるとはいえ、やはり針はどんどん流されて、すぐ引き上げなければならない。

 そのたびに針の虫を見ると、水につかった後なのに、まだ脚を動かしていた。でも、さらに何回か投げるうちに虫は動かなくなった。

「あ――! 釣れた」

 ポチカの針に魚がかかったらしい。水面がバシャバシャと乱れて、右左に釣り糸が引っ張られる。さほど大きい魚ではないだろうに、竿は強くしなっている。

「どうするの、これ、まことくん!」

 ポチカは興奮していうけれど、真琴もどうしたらよいかは分からなかった。とりあえず引き上げるジェスチャーをしてみせると、ポチカは一気に竿を立てた。

 川の流れから抜き出されるように水柱が立って、きらきらした魚の身体が空中を飛んだ。たわんだ釣り糸と一緒に、魚は真琴たちへ向かってくる。真琴は一瞬「トビウオ」という名前を思いついたけれど、これは違う。

 魚は二人の頭の上を越えて、後ろの砂利に落ちた。地面を叩くように跳ねている。近づいて手に持とうとしても、跳ねる勢いが強くて掴んでいることができない。

「すげえなー」

 二人の様子に気付いて、そばまで来ていた優が歓声を上げた。「釣れたわー!」とエサを付け直すために道具のところにいた父親さんに知らせると、

「おおー、けっこう飛ばしてたな。――ダメージあっただろうから、戻さないで食べてやりな――。イワナだろー?」

 父親さんが大きな声で答えた。優も「おー」と返事をして親指を上げて、真琴とポチカに早口でいった。

「この魚食べれるよ。焼いて食べると美味しい。お家の人いるんでしょ?」

「うん、いる。けどよく知ってるね、よく釣りしてるの?」

「お父さんがアウトドア好きだから。おれもだけど」

 にやっと笑うと、優は「よし、おれも釣るぞー」といいながら違うポイントを探しに川べりを歩いていった。両脇で腕をがっしりと構えて、気合が入っている。

 ポチカの釣ったイワナは陽射しに照らされて輝いていた。でも動く力が弱まってきて、もはや跳ねるというより震えていた。

「お母さん料理できるかな」

 真琴はイワナを見下ろしたままつぶやいた。ポチカはイワナを手に取って流れのふちまで行くと、イワナの身体を水につけた。

「戻しちゃダメっていってたじゃん」

「洗ってあげるの。ちょっと砂が付いちゃったし」

 ポチカはイワナを手のひらに載せて、頭が上流へ向くようにしてしばらく泳がせてあげた。逃げればいいのに、イワナはポチカの手の上で尾ひれを動かすだけだった。

 イワナの身体をゆすぐように、ポチカは手を揺さぶった。水面が波立つのと一緒に、葉っぱのかけらや砂が取れていって、つやつやした身体の表面が現れてくる。