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桜と絵本と豆乳と

参冊参校参稽(四)

2023年02月03日 | 読書
 大寒に読んだ本。真面目に向き合えば、いずれも何かしらの形で突き刺さってくる。


『神々の食』(池澤夏樹・文 垂見健悟・写真 文春文庫)

 著者は約10年沖縄に住んだ。この文章は、島の空を飛ぶ航空機の機内誌に連載された内容という。正月の沖縄へ旅行したのは20年以上前。食に関しては、海ブドウや豆腐よう、泡盛古酒などそれなりの記憶が残っていて、「食」について少し書き散らしてみたい欲望が湧きあがったりするが、池澤のような深みは表現できない。「人間にとって食べ物は分かつものである」…とそんなふうに著せるのは、向き合い方の「真剣さ」によるものだろう。食物を取り上げることは、結局人間を描くことにほかならない。




『老いる意味』(森村誠一  中公新書ラクレ)

 若い頃新幹線車内でその細身の姿を見かけたことがあった。著作を読んでいたわけではないが顔は覚えていた。CMに出ていたからか。米寿を過ぎても「いまはまだ旅の途中に過ぎない」と書く著者が、80代になって「老人性うつ病」を発症しその顛末を記すことから、「老い」とどう闘い、どう寄り添うかを、体験をもとに訥々と語っている。読者全員が納得する意味や処方箋ではないかもしれない。しかし、何より自分の気持ちに正直で、そしてあきらめない姿は晴れ晴れとしている。副題「うつ、勇気、夢」はその道程であったか。


『おんなのことば』(茨木のり子  童話屋)

 名詩「自分の感受性くらい」も「倚りかからず」も、面と向かって言われたら情けないが泣いてしまうかもしれない…そんな想像をしてしまう。強い詩人だ。「戦後詩の長女」とはまさに言い得ている。このアンソロジーでは「問い」と題された作品を一つ引いてみよう。「ゆっくりと考えてみなければ/いったい何をしているのだろう わたくしは」と始まる詩は、深く内省する姿をこう括る。「青春の問いは昔日のまま/更に研ぎ出されて 青く光る」…精神を磨き続けなければ、こんな詩句は出て来ようもない。



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