東海道 0:日本橋でブラナマケ

いよいよ始まります。東海道で江戸を感じる旅。
お日柄もよく、暑くもなく、寒くもなく、天気の良い吉日。

東海道歩きは、もちろん、日本橋観光から開始なのだ!


浮世絵を読む:日本橋 朝之景

写生ポイント探し

写生のポイント、これは too easy! 間違いようが無い。
浮世絵の「日本橋 朝之景」は日本橋の南詰を、品川側を背にして描かれています。

何が描かれているかな?

「朝之景」というのは、次の絵である品川宿の「日の出」とセットになっている。
大名行列が、早朝(午前4時頃らしい)に日本橋を出立し、日の出る頃に品川についた、というストーリになっている。


橋の上に描かれているのは、大名行列の先頭がこちらにやってくる状況である。

こちらというのは、大木戸を挟んで品川側。
絵の両側に大木戸が描かれています。この大木戸については後程詳述する。

その他、日本橋南詰にあるのが高札場と晒し場。これも後ほど。
高札場のあたりに魚屋と八百屋が描かれている。なぜ魚屋?も後述。
犬がのぞいているのが晒し場。これも後述しよう。

日本橋

日本橋の見どころは、大きく言って4点。
北詰に魚河岸と街道の起点、南詰に高札場と晒し場である。

北詰から順番に見ていこう。

魚河岸

東京の魚市場が築地から豊洲に移転した出来事は記憶に新しい。
その築地の前に魚市場があったのが、日本橋でい!
大正12年(1923)、関東大震災をきっかけに移転する前、すなわち江戸時代の魚市場はここ日本橋だったのだ。

今は、魚市場発祥の地碑が設置されている。

説明文を拡大。

いまの日本橋川岸はペローンと何もないけどね。

街道の起点

五街道の起点、のちに明治政府が国道の起点とした元標、のレプリカです。

本当の元標は、橋の中央にあるのですが、
車道の中央に立ち入るのは危険なので、広場に設置されたレプリカを拝みましょうという趣旨。

さて、日本橋を渡って南詰へ向かいましょう。

高札場(こうさつば)

高札場には「高札場跡碑」が建てられています。そのまんまやん。
親孝行すべし。犬様を殺すべからず。みたいな?


晒し場(さらしば)

晒し場って、コンセプトがすごいよね。
高札場同様、人通りの多いところに置いて、たくさんの人に見てもらうのが目的。
それゆえに、日本橋に罪人が晒されたわけだ。


えどえどアートらいふ「若旦那はお坊ちゃん」より

顔だけ出ているのは死体のさらし首ではなく、
生きている罪人が、地中の箱に入れられているらしい(穴晒)。

晒刑とはとても野蛮な感じがするけれど、
今でも、不倫とか失言・失態とかが週刊誌やネットで嫌というほど晒され、拡散され、しまいには自死に追い込まれることもある。
多くの人が晒しに加担したり、晒しに対する批判論(週刊誌たたき・晒しの犯人探し)に加担したりして、やんややんやと、なんだかんだ興に入る。
人間の本性はたぶん変わらないんだろうな~。

大木戸

浮世絵に話を戻しましょう。なぜ街道に扉が描かれているのでしょうか?

まず、そもそも江戸は gated city だった。
夜10時になると、各町のゲート(木戸)が閉じられる。
いまでいえば夜間のロックダウンですな。自由に移動してはいけません!ステイホーム!

表長屋と裏長屋の関係」より

宿場の運営と同様、このロックダウン政策も、
幕府が大枠を命じ、実際の運営は各町に課されていたようです。

gated city の延長線で、街道にも大きなゲート、大木戸が設置されていた。誰でも自由に江戸を出入りされては困るのだ。夜間はステイホーム!
こちらの絵では、日本橋の大木戸がどのようなものか、様子が見て取れる。
一立斎広重「日本橋真景并ニ魚市全図」国会図書館

北詰の方、写真の上左側に大きな木戸が描かれている。
南詰の方も、こんな感じに大木戸が設えられており、夜間は閉じられていたのですね。
そして、早朝に木戸が明けられた瞬間に、「しゅったーつ!」と大名行列が東海道を進み始めた、というのが「朝之景」です。

街道の大木戸については、のちにまた高輪の大木戸についてお話しします。

道中

大名行列に続き、わたしも日本橋を出立し、品川宿に向かいま~す。

京橋

京橋というくらいだから、京橋にも川があって橋があったのだ。
現在の京橋には複数の親柱が残っていたよ。
どれが何やら、ちょっとよくわからなかったのだけど…💦
(日本橋でエネルギーを使い果たし、京橋の情報が頭に入らない…)


京橋という名前は、日本橋より京都側にあるから「京」という名称ならしい。
そして、日本橋・京橋・新橋は格式の高い橋で、それら三橋のみ擬宝珠(ぎぼし)で飾られたらしい。擬宝珠とはドラクエのスライムのようなやつ。

京橋の交番が、橋の史跡と同じデザインなのが印象的だった。

京橋には江戸歌舞伎の発祥の地もありました。
1624年、初代中村勘三郎が江戸で初めて興行した場所ならしい。

考えてみると、
初代中村勘三郎は上方の人でしょ、
日本橋から京橋までの街道沿い、日本橋一丁目大通りの大店も、
近江の西川さんや白木屋さんとか、柳屋さんに至っては唐の漢方医。
柳屋ビルディング

あたりまえの ”” なのだけど、
江戸という町は、よそ者が寄り集まって作った、かなり新しい町なんだよね。
反対から見ると、上方の伝統ある商人たちは、新しい、しかも世界的な大都市である江戸に商機をみて、こぞってやってきたんだね。

銀座発祥の地

銀座は、1612年に、
駿府の銀貨鋳造役所がこの地に移されたものらしい。
銀座発祥の地にシルバーのティファニーとはおっしゃれ~。あえて狙ったのか?
ちなみに、金座の場所は現在の日本銀行らしいよ。

日比谷神社

新橋を渡って、もう少し歩くと、

虫歯虫を封じる日比谷神社!
といってもこの神社、江戸時代にはこの場所になかったのだけど、
とりあえず、ありがたく拝んでおいた。虫歯虫が封じられますように!

高輪大木戸

とうとう高輪大木戸!遠かった。
日本橋ではキャッキャキャッキャと大騒ぎ。
銀座あたりまでは楽しい散歩だった。
ところが新橋あたりから、単調な道を黙々と歩く、苦行になった。

江戸の人にとっては、ここが旅人の見送りポイントだったらしい。え~~~。
旅人を見送るのはまだしも、ここからまた日本橋方面に戻るのはつらすぎる。江戸人おそるべし。

甲州街道に設置された四谷大木戸と東海道に設置された高輪大木戸の絵がこちら☟。
朝日新聞デジタル「五街道、出入り口に『大木戸』

石垣に木製の大きなゲート(木戸)が取り付けられていたのね。

高輪大木戸の説明はこちら☟

ところで、この大木戸は江戸時代には海沿いにあります。

今となっては想像しがたいけれど、
東海道本線以東はすべて埋め立て、つまり江戸時代は海の中なのだ。

品川宿までもう一息

やっと高輪までやってきたけどヘロヘロ。
高輪から品川までバスに乗ろうかと思ったのだけど、結局頑張って歩き抜いたよ。
せめて一区間くらいは歩きたいと!

結果的に、品川宿まで歩き、品川宿も散策して、
この日は、日本橋から青物横丁まで踏破しました。
行き帰りや寄り道を含めるとたぶん10kmくらい、全部で27,000歩。達成感あり!!