森の空想ブログ

災害復旧の現場から/長野良市氏のフェィスブックから転載[人吉・球磨川流域災害復旧ドキュメント]

私(高見乾司)と長野良市氏は30年来の交流のある盟友。写真家であり一般社団法人「九州学び舎/阿蘇トラベルデスク」を運営する同氏は、自身が4年前の熊本・阿蘇大地震の被災者でありながら、地域の復興活動を牽引し、現在は近接地である人吉・球磨川流域の復興支援に通い続けています。私どもは隣県を越えることさえできない状況。せめて情報を共有し、発信することが支援の一端になると考え、氏のフェィスブック記事を転載します。今後、折にふれて発信してゆく予定です。





[8月17日]•

お盆明けの人吉球磨に入りました。
ひまわり亭の本田節さん益城の吉村静代さん、大きく変化してきました。
炊き出しが球磨村に初めて入ってきました。併せて今までいただいた支援物資を片づけつつあります。被災地の仮設住宅ができていく中で、日常生活用品の必要性が出てくると思います。
10月4日発行の「婦人の友」に4ページ本田節さんを私が紹介します。発行されたら紹介します。 
今日は球磨村に支援物資を届けました。7月4日早朝のドキュメントを聞きつつあります。
夜は人吉の商工会議所で現在人吉球磨で活動するボランティア団体の全体会議があり、出席しました。




[8月20日]
昨日のエピソードから2つ。
南阿蘇から2人美里町から1人、私が活動する人吉球磨の現場を見てもらいました。
本田節さんの炊き出し弁当配布は、確実なしえんが続いています。そそぎ地区で渡した昼食をもらったのは、節さんの友だちでした。被災後の再会は感動的でした。




神瀬地区のガソリンスタンドでガソリンを入れました。店で働く女性に支援物資について聞きました。もちろんこの地区にはまだ完全な支援の手がとどいているとは思いません、車に乗っていた物資を渡せるだけ渡しました。女性が言いました。
「いただいても良いのですか?」あたりまえでしよう、私たちはあなたのように支援物資が届いていない被災者に支援物資を届けています。






[8月22日]
・南阿蘇の九州学び舎の支援物資の拠点が引っ越ししました。50メートル移動して、しゃえんば食堂をしていた私の旧宅です。
現地は仮設住宅建設が進み、被災者の移転が始まると思います。しかし、支援が行き届かない人が多数いることを現場で見ています。
私たちの支援物資の箱詰めはきめ細かく、無駄がないよう、必ずいきとどくよう、準備しています。
・友だち3人を人吉球磨の視察してもらいました。朝7時南阿蘇出発夕方6時過ぎに戻ってきました。農業に詳しい吉村孫徳さん、後藤征正さんとテレビディレクター出身の大木まみさん。吉村さんは農業に詳しく、後藤さんは議員の立場から、大木さんは私の大学の後輩、私が取材して支援物資を届けできた人にあい、現場を知ってもらうためでした。
人とのつながり、今後の人吉球磨の復旧復興のためには必要な人たちです。内容が濃い視察でした。
災害地区への視察旅を企画していきます。

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