40代サラリーマンの優美なる株投資ブログ

40代サラリーマンがブログを始めたら何が見えてくるか

 
 

性欲がなくなると、人は心身ともに衰え、不健康になり、早々に老け込んでしまう

 

 

株損益概算(前日比)

積水ハウスは−2.6万。

 

ベステラは大きく変わらず。

 

新規で、積水ハウスを寄りで2000株追加買い。

 

株式相場

強い、まだまだ上を目指しそう。

  

雑談

世の中には知らなくていい情報って山ほどあるけども、これは40代以上のサラリーマンであれば知っておいて損がない情報。

 

しかも、あんまり表には出てこない情報。

 

まあ、内容的に、そりゃー出てこないわなって話だけども・・・。

 

1954年生まれの女性、つまり、今年69歳の女性が書かれた本から抜粋。

 

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恋愛初期の感情の高まり(のぼせ上がり)は、必ず数年で終わります。

 

結婚して子どもができれば日常の面倒に追われ、数年後には、相手にときめくことすらなくなってしまいます。

 

恋をして一時はのぼせ上がっても、長く付き合っていれば、飽きたり、気に食わない面が見えてきたりすることも避けられません。

 

これはおそらく、多くの人が経験していることでしょう。

 

実際問題、これが恋愛や結婚の現実なのです。

 

理想の恋愛や結婚はあきらめるとしても、欲望は、私たち人間の本質です。

 

美味しいものが食べたい、旅行がしたい、きれいなものを見たい、もっと元気になりたい、もっとお金が欲しい、もっと有名になりたい、もっと愛されたい……。

 

私たちは、つねに快楽を求めて生きています。

 

欲望の塊です。

 

なぜなら、なにかにあこがれ、手を伸ばし、それを摑もうとする欲望こそが、私たちの生きるエネルギーであり、生きる力の源泉だからです。

 

欲望のなかで最もやっかいなのが、人に対する欲望なのかもしれません。

 

コントロールするのは至難の業だし、自分一人では、どうしても満たすことができない欲望だからです。

 

性欲に限って言えば、射精やオーガズムという神経反射的な快楽なら、風俗に行ったりマスターベーションをしたりすれば比較的簡単に得られるでしょう。

 

けれども、それだけで私たちの「人を欲する気持ち」が満たされることはありません。

 

なぜなら私たちは、人を欲するとき、人から欲されることを同時に欲しているからです。

 

そうだとすると、性欲がなくなったとき、セックスなんてもうしなくていいと思ったとき、私たちはいったいなにを失い、なにを手放しているのでしょう。

 

たとえば、次のようなことを私が知ったのは、つい最近のことです。

 

恋をすると、脳のなかにある古いニューロン(神経伝達物資)が、どんどん新しいニューロンに置き換わっていく。つまり、恋は脳のアンチエイジングだということ。

 

性欲をつかさどる男性ホルモン(テストステロン)の分泌が減ると、男性も女性も元気がなくなり、女性も男性も性機能障害に陥りやすくなり、うつ病になる可能性も高まってしまうということ。

 

つまり、性欲がなくなると、人は心身ともに衰え、不健康になる可能性が高まってしまうのです。

 

早々に老け込んでしまうと言ってもいいでしょう。

 

健康でいるためには、実際にセックスをするかどうかは別として、性欲を維持する必要があります。

 

動物である私たちにとって、性欲は、食欲や睡眠欲と同じように、生きるうえで必要な欲望なのです。

 

それなのに私は、「年をとれば性欲がなくなるのは当たり前。それが枯れるということ。そうなれば世俗的な欲から離れ、悟りの境地に近づいたかのような、落ち着いた清々しい老後を過ごせるはず」と、まるで、性欲がなくなることがよいことのように思っていました。

 

恋愛やセックスをあきらめても、人生がつまらないものになるわけではありません。

 

私も、50歳を過ぎてから登山を始め、北アルプスに登ったり、ダンスを習ったり、女友だちと温泉に行ったり、娘と一緒に旅行したり、仕事仲間とお酒を飲んだり、仕事に精を出したりして、忙しく人生を謳歌していたのです。

 

それでも、仲のよさそうな夫婦を見かけたり、年老いた男女が恋をする外国映画を観たりすると、ふいに、疎外感と敗北感が入り混じったような悲しみがこみ上げてくることがありました。

 

私がそんな気持ちになったのは、「生涯をともにする伴侶を得られなかったから」ではありません。

 

性愛の喜びを享受することも、あこがれが満たされることも、もうないと思うと、しみじみ寂しい気持ちになったのです。

 

そんなとき私は、「いつまで子どもじみたことを言っているんだ。愛なんて幻想にすぎない。そんなことは、もう十分わかっているだろう。一人でいても十分、幸せ。ほどほどでいい。多くを求めるな。一人ほど気楽なものはない。つまらないことを考えていないで、前向きに生きろ!」と言って、いつも自分を叱り飛ばしていました。

 

それが、潔く現実を受け入ること。それが大人としての正しい振る舞いと信じ、自分は恥ずかしくない人生を生きていると思っていたのです。

 

けれども考えてみたら、その当時、私は「新しい自分」と出会うことを拒否して、「停滞」を良しとする人生を選んでいたのではないでしょうか。

 

停滞は退屈とあきらめを生み、人生から輝きを奪っていきます。そのままでいたら、私はきっと、訳知り顔でつまらない説教を垂れる、嫌味な老婆になっていたでしょう。