珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

よーし!挫折するか!って感じの覚書|しないで

書き捨ても始めたことだしこれを機に食ったもの日記続けような

3年前に挫折したやつな

 

そろそろ挫折するのが気持ちよくなってきたゾ

そうだ。食ったもの記録を毎日欠かさずつけよう。そしてまた挫折しよう。ああ。3年の記事の残骸が残っているのがまこと惨めだ。非公開にするのも面倒だからそのままにしておくけど。食ったもの記録でもつけて、挫折して……惨めな自分を皆さまに見ていただくことにしよう。そうやってまた気持ちよくなろう。皆さん!白黒れむがまた挫折しますよ!って……違う違う。挫折する過程を記事にしたいんじゃなくて、記録を記事にしたいんだ。挫折に由来する私の惨めさを記事にしたいんじゃなくて、私の記録を記事にしたいんだ。

 

クーリングオフは生後8日以内ですね

挫折に由来する私の惨めさをまとめた記事なんてどこに需要があるんだ。まあたとえ挫折に由来する私の惨めさをまとめた記事には需要がなくとも、悲しい哉、挫折に由来する誰かの惨めさというものには、常に一定の需要がある。なんで。どうして。Whyなぜに。世の中には、挫折に由来する誰かの惨めさに対して執着している人たちが一定数存在する。こわい。一体何が彼らを駆り立てるんだ。挫折に由来する誰かの惨めさなんて何一つ自分の儲けになりゃしないのに。例えば今この瞬間世界のどこかで誰かが挫折して惨めさがひとつ生まれたとして、彼らの普通預金口座にいくら振り込まれるってんだ。え?普通預金口座じゃない?心の口座?心の口座に振り込まれるの?誰かが挫折したことで?いくらかのまとまった額が?彼らの心の口座に振り込まれるっていうんですか?人類皆契約が義務づけられている心の口座に?それで彼らは億万長者になって愉快な日々を送るんですか?失望しました心の口座解約します。

 

なるほど

ここに2つの惨めさがあるとしよう。マイナスにマイナスをかけるとプラスになるので、惨めさに惨めさをかけるタイプの人は己の惨めさ故に気持ちよくなり、一方マイナスにマイナスを足すとマイナスになるので、惨めさに惨めさを足すタイプの人は己の惨めさ故に気持ち悪くなるのである。

 

惨めさが3つあったらどうなるのさ

知らん

 

読者の中に生まれたばかりの赤ちゃんがいたら連絡ください

自分だけが自分だけに感じられる純度100%の惨めさ、自分という閉鎖空間の中に充満した惨めさ、理由や背景をつらつら説明したところで屁の突っ張りにもならない孤独な惨めさ、これを味わうのはなかなか難しいように思う。そもそも人が惨めさを感じるには自分ではない何かや誰かとの比較が不可欠だろうし。自分ではない何かや誰かとの比較を一切経ることなく、ある日突然、それでいて強烈に、「ああ、自分って惨めだなあ」と思うなんてこと、あるんでしょうかね?赤ちゃんは、あらかじめ惨めさというものを知って生まれてくるのでしょうか?それとも、生まれた時は惨めさというものを全く知らないが、ソクラテスか誰かが言っていたように、かつては持っていた惨めさという知識を徐々に取り戻しながら成長していくのでしょうか?あるいはそのどちらでもなくて、ある日突然、それでいて強烈に、惨めさという概念を外の世界から叩きつけられることによって、そこで初めて惨めさを知るのでしょうか?生まれたばかりの赤ちゃんに訊きたいことが多すぎる。

 

主語が大切な理由

そもそも自分という概念を抱くためには、自分ではない何かや誰かとの比較が絶対に必要なので、この場合においてはよしんば惨めさというものを知っていたとしても、「ああ、自分って惨めだなあ」とはならないですよね。じゃあどうなるのか?「ああ、世界って惨めだなあ」とか「ああ、全ては惨めだなあ」とか、そうなるのかな?もしくはもっとシンプルに、「ああ、惨めだなあ」となりますか?そうなると恐らく、宇宙の外まで際限なく被害が及ぶことになりますね。主語がないんだもの。主語がないんだから、惨めさによる被害はどこまでも広がっていきますね。宇宙外生命体も巻き添えをくらうことになります。神様も、仏様も。なんだ、結局みんな惨めなんですね。じゃあいいや。挫折しよ。