安倍元総理殺害事件から10日ほど経った。

まだ多くのメディアがこの問題を取り上げている。

 

統一教会の実態の話も、元信者の証言も、1990年代のニュースで聞いたことばかりなので、あまり新しい情報はなかったが、ほとんど終わったと思っていたこの教団の暗躍を再び見るにつれて、虚しい思いでいっぱいになってしまう。

世代差などで統一教会の問題をご存じない方のためにも前回の投稿をしたのだが、自分の無力さを感じざるを得ない。

保守の学者や論客が、もはや分かりきった統一教会や勝共連合の成り立ちなどについて、自民党議員との関係をあいまいにしようとして、間違った情報を流しているのは、あまりにも見苦しい。統一教会と自民党の関係を「ファクト(事実)でなく陰謀論」だというすさまじい弁護をする人もいるほどで、後でどう釈明するのかと心配になってしまう。

 

そういう統一教会擁護派の悪あがきのせいで、誤情報が多量にシンパの間に広がっているようだし、「情報元は左翼だよ」などと、事実を直視しない人も多いので、かつてのようにこの問題が忘れられてしまうかもしれないと思うといたたまれない。

 

                    

キリスト教系のカルト問題が論じられるたび、「聖書」「神」「神のみ旨」「サタン」「原罪」などのキリスト教用語が脱会者の証言などに出てくる。カトリック信徒として、複雑な思いがあるのと同時に、世間に対して申し訳ないような気持ちも起こってくる。

以前、確か日弁連が主催したカルト問題の公開研修会のような催しに参加したことがある。このとき、カルトの被害者の方が「どうしてキリスト教会の皆さんは、この問題に対して何もしないんですか」と、悲痛な訴えをされた。「聖書のことを一般の日本人よりご存じの皆さんが立ち上がらなかったら、誰がやるんでしょうか」。

キリスト教会の中にも積極的に取り組んでいる教派もあるが、わがカトリック教会は、司教団声明を出しただけで、具体的には何もしていないことを心苦しく思っていた。

教会の中枢に近い、ある方に、このことを尋ねたことがある。
彼は、統一教会に問題を感じる司祭は少なくないが、と言いつつ、試みが失敗した例を挙げた。

「M神父が統一教会問題に対して、反対の声を上げ、啓蒙運動を始めた。そうしたら、統一教会側が彼を中傷するビラを配ったり、昼夜問わず何度も何度も無言電話をかけてきたり、様々な攻撃を受けて、それはそれは大変だった。司祭は夜は一人だ。そこを攻撃されたらたまらない。数人からなるチームが必要だ。反統一教会の活動をするにはよほどの覚悟がいる」と。反社勢力に対峙するに等しい対策が必要になるようだ。


▲統一教会側の攻撃のすさまじさを示す一例。


 

噂で聞いたことだが、結局、M神父は精神的に追い詰められボロボロになり、司祭をやめたという(詳細をご存じの方、お知らせください)。

一人立ち上がったM神父の勇気を思い、感謝の気持ちをお伝えしたい。

統一教会は傘下の銃砲店をいくつも持っていることが指摘されていたし、「副島襲撃事件」などのことを考え合わせると、神父様方にそう簡単に「取り組んでください」とは言えないと思った。……

1990年代に沈静化したと思っていた統一教会問題が、30年後に再燃した。
この結末はどうなるのだろうか。

 

 

▲統一教会系の銃砲店に関するツイート

※ちなみに統一教会が全国に銃砲店を持っていることは、すでに1970年代にはこの問題を憂いている人たちによって

指摘されていました。