伝統・文化

リトアニアの宗教まとめ ローマ・カトリック、ユダヤ教、多神教など複数の宗教が存在する国

こんにちは。ヨウヘイ(プロフィール)です。

今回はリトアニアの宗教についてまとめてみました。

日本の方からすると、ヨーロッパの国々は基本的にキリスト教を信仰しているんではないかというイメージしか沸かない方も多いと思いますが、実際には現在も様々な宗教を信仰する人が存在しています。

普段なかなか触れることのない東欧(国連的には北欧に分類)リトアニアの宗教を知ることで、かつての歴史なども見えてくる部分があるので、海外の歴史や宗教事情に興味のある方はぜひ一度読んでいただければと思います。

ヨウヘイ
ヨウヘイ
なかなか日本人には宗教の話って馴染みがないけど、海外では宗教の行事などは生活の一部として溶け込んでいることが多いよ

目次

はじめに(リトアニアの宗教について)

世界各国では複数の宗教を信仰する国はそれほど珍しくはありませんが、同様にリトアニア国内でも複数の宗教が存在しています。しかし、そのほとんどが「ローマ・カトリック教徒」で全人口に占める割合は79.0%となっています。

とは言っても、リトアニアにはローマ・カトリック以外にも10以上もの宗教寺院が存在しており、19世紀頃まではローマ・カトリックではない宗教を信仰する人が多数派だった時代があったことも分かっています。

リトアニアは、東洋と西洋の交差する場所という地理的特性とドイツやソビエトからの侵略された歴史的背景があるためか、少数派とはなったものの2019年現在でも様々な宗教を信仰する人々が生活する国です。

また、現在のリトアニア国内ではローマ・カトリックが国民宗教として認識されていますが、それ以外に以下の4つを伝統的宗教であると記載されています

  1. スンニ派イスラム教
  2. ユダヤ教
  3. カライ派
  4. 正教会

ローマ・カトリック(約270万人、79%)

リトアニアでは12世紀頃まで、独自の多神教信仰を持つ人が多数派となっていました。しかしその後、国内に次第にキリスト教徒が入ってくるようになり、15世期以降はリトアニアではローマ・カトリック信仰が多数派を占めるようになっていきます。

19世期に入ると、ソビエトによる支配を受けたリトアニアは、ローマ・カトリックをはじめとする全ての宗教の信仰を禁止され、リトアニアの主要な宗教であったローマ・カトリックは反宗教的な存在として標的の中心となっていきます。

当時はソビエトにより、国内に存在する多くの教会や修道院が閉鎖されることになりますが、20世紀初頭の独立を機に多くのローマ・カトリック教会が建設されはじめ、18世紀〜19世紀に建てられた歴史的な木造建築の礼拝堂なども次第に活動を再開していきます。

しかし、独立後も全ての建物が再開されたわけではなく、お金が足りず貴重な芸術作品などが破壊されたまま存在する教会も多く現存しているようです。

首都のビリニュス以外の都市では、大きな十字架や小さな礼拝堂を道路脇で見ることができますが、これらもローマ・カトリックを信仰する人々のもので、ユネスコ無形文化遺産にも指定されている十字架の丘(シャウレイ)は観光者の方にも有名な観光スポットとなっています。

ただし、地方には首都ビリニュスほど歴史的な教会は多く存在せず、「夜明けの門」や「マリアの壁画」など信仰者にとって重要な建造物を見るために地方から旧市街地へ訪れる教徒は現在も多く存在します。ローマ・カトリック教徒にとって重要な奇跡の壁画は、ビリニュス以外ではシルバにも現存しています。

現在リトアニアは、世界で最も北に存在するヨーロッパで最も東のカトリック多数派の国となっています。

ロシア正教会(約14万人、4.0%)

リトアニア内で正教会を信仰する人々は主にロシア人で、同じバルト三国でもあるラトビアやエストニアとは状況が全く異なります(両国はロシア人以外の信仰者も多数いる)。

さらに、リトアニアでは独立した正教会は存在しておらず、国内にある43の正教会は全てモスクワに本拠地を置くロシア正教会に直接従属しています。

これについては、明確な理由としては不明とされていますが、ソビエト侵略時代の国民感情が少なからず影響しているのではないかという意見が散見されます。

ロシア正教会は、現在のリトアニア国内でローマ・カトリック信仰に次いで2番目に多い、4.0%の人々が信仰している宗教となっています。

正教会は頭頂部が球体になっているのが特徴的な造り

ロシア正教会 – 古儀式派(約2.7万人、0.8%)

リトアニアで、最も秘密主義で伝統的な宗教であると言われるロシア正教古儀式派は、17世紀後半にロシアからの難民によって伝わったとされています。

特徴としては、当時の難民が主要な町から外れた場所に定住したため、現在でも未舗装の小さな道路でしか到達できない場所に教会が存在しています。

現存する教会としては、森に覆われたペレロザイ(ジョナバ地区自治体)の教会や、ユルギリシュク(シュヴェンチオニス地区自治体)の教会などが木造建築の真の傑作と呼ばれています。

現在のリトアニアには43の古儀式派の教会があり、そのほとんどがアウクシュタイティヤ(一部はジュキヤ)に存在し、全人口の0.8%が信仰する宗教となっています。

プロテスタント – ルター派(約1.9万人、0.6%)

かつてプロセインの一部であったリトアニアには、多くのルター派プロテスタントが存在していた時代があります。

そして、リトアニアを含む東プロセインがソビエトとポーランドに併合された後に、現在のクライペダにルター派プロテスタント信仰者が避難・居住するようになったとされ、現在でもクライペダでは約5%(1925年の91.7%から大幅に減少)がルター派の信仰をしています

ソビエト侵略時代にはローマ・カトリックと同様に、数多くのルーテル教会が取り壊されましたが、いくつかはまだクライペダに現存し、伝統的な赤いドイツ式のルーテル教会を見ることができます。

1925年にはリトアニア国内でも20万人以上(人口の9%)のルター派が存在していましたが、2001年の国勢調査では19,637人(人口の0.6%)まで減少しています。

プロテスタント – 改宗派カルヴァン主義 (約7千人、0.2%)

ジョン・カルバンによって伝えられた改宗派プロテスタントは、16世紀にリトアニアへ伝わってきました。当時移住した地域は、リトアニア北東部ビルジャイの町とその周辺の田園地帯で、改宗派カルヴァン主義を信仰する人々は、現在もこの地区の10%の人口が生活しています。

しかし、他の宗教と同様にソビエト占領によって大きな打撃を受けた1940〜1990年の間に、多くの改宗派プロテスタントがローマ・カトリックに改宗し、全人口の割合を0.5%から0.2%と減少しました。

イスラム教スンニ派(約2.8千人、0.1%)

14世紀頃のリトアニアには少数民族タタール人が居住していて、その起源はシャーマニズム信仰を保持するために非キリスト教徒のリトアニアへ避難してきたとされています。

中世のリトアニア大公国ではイスラム教の信仰が認められており、南部に住むクリミア・タタール人はリトアニア大公ヴィタウタスの招聘を受けたことで、さらに多くのタタール人がリトアニアやってきたと言われています。

タタール人の多くはイスラム教スンニ派を信仰していますが、長くリトアニアで生活していることで、多くのキリスト教的要素を受け入れているようです。しかし一方、モンゴル帝国に属する遊牧民だった時代の習慣と迷信も残っていて、他国のイスラム教スンニ派とは少し異なった信仰をしています。

イスラム教スンニ派独自の正方形木造モスクは、現在リトアニア国内に3つ現存していて、国内には約2,800人(人口の約0.1%)の信仰者がいます。

ユダヤ教(約1.3千人、0.05%)

リトアニアとユダヤ教は歴史上非常に密接な関係があり、日本でもリトアニア駐在員としてユダヤ人迫害を救った杉原千畝は有名です。

19世紀半ばから次第にユダヤ系移民によるリトアニア国外への大移動が始まりますが、ナチスのホロコースト(1941〜1944)、ソビエトの無神論者政策(1945〜1990)によって多くのシナゴーグも失い、ソビエト侵略時代にはユダヤ人の墓地とビリニュス大シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)など多くの宗教的建造物をソビエトによって破壊されます

現在、リトアニア国内にはビリニュスとカウナスの2箇所のみでシナゴーグが機能していますが、その他の建物は別の用途として利用されています。利用されていないシナゴーグを含めると約80ヶ所が残っており、そのうち13箇所が木製の歴史的建造物とされています。

13世紀にリトアニアに誕生したユダヤ人コミュニティは、1900年頃にはビリニュスの人口の4割を占める約16万人まで増加していきましたが、2005年のリトアニア統計局の調べでは現存するユダヤ教信仰者は、1,272人と大幅な減少が確認されています。

ウジュピスはかつてのユダヤ人コミュニティとして栄えていた街

ユダヤ教 – カライ派(約250人、0.01%)

リトアニアで定められている伝統的宗教の中で最小の人数であるカライ派はユダヤ人によってユダヤ教の一種であると考えられています

カライ派は、8世紀にイラクで始まり東ヨーロッパで広まっていき、クリミア半島に住んでいたいカライ派の人々が、タタール人同様にヴィータウタス大公の時代にリトアニアへ入ってきました。

当時のリトアニアのトラカイには、カライ人コミュニティが形成されていて、現在でもトラカイとビリニュスに「ケネサ」と呼ばれる礼拝堂が2箇所残っています

現在、観光客にも人気でよく知られているリトアニアの伝統的料理「キビナイ」は元々カライ派の料理として知られています。

多神教信仰ロムバ (約5.1千人、0.2%)

ロムバとはリトアニアを含むバルト人地域でかつて信仰されていた多神教を復活させようとする動きから生まれた信仰です。

リトアニアはかつて「ヨーロッパ最後の異教国」として知られていましたが、ドイツ騎士団の十字軍は異教撲滅を目論み、度々リトアニアに侵食をしていました。

当時のミンダウガス大公は騎士団の攻撃からリトアニアを守るため、多神教からカトリックへの改宗を受容しましたが、この時は改宗を義務付けたわけではなく自由信仰であったため、国民の多くはそのまま多神教を信仰維持したと言われています。

その後、次第にリトアニア国内にローマ・カトリックが広まっていくものの、若い世代の間ではこういった動きが他国から押し付けられた宗教であるという意見がでるようになり、近年ではリトアニア元来の多神教を信仰する人も出てきているようです。

現在、多神教信仰者はリトアニア内でも急速に成長している宗教団体で2001年から2011年の国勢調査の間に1270人から5100人へと増加し、国内人口の0.2%を占め、現在は6番目に大きな宗教となっています。