ヒリアード・アンサンブルが古楽器の伴奏で歌う「フィリップ・デ・モンテ 宗教的・世俗的歌曲集」 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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モテット 私を見逃してください、主よ

 

また、先日レンタルしたCDの中から、今日はヒリアード・アンサンブルの演奏する「フィリップ・デ・モンテ 宗教的・世俗的歌曲集」を聴きました。

 

前の記事に、書きましたようにフィリップ・デ・モンテという人の名前は知らなかった物ですから、このCDのタイトルと簡単な紹介文を見た時すぐにインターネットで調べてみました。

 

「フィリップ・デ・モンテ(Philippe de Monte, 1521年 – 1603年7月4日)は、フランドル出身の後期ルネサンス音楽の作曲家・声楽家・音楽教師。16世紀後半において最も影響力のあるマドリガーレ作曲家の一人であった。
(中略)
モンテは非常に多作な作曲家であり、宗教音楽と世俗音楽の両方を残した。すべて声楽曲である。40曲のミサ曲と、その他の約260曲の宗教曲(モテット、宗教マドリガーレ含む)がある。マドリガーレは34巻が出版され、曲数は1100曲以上にのぼるが、全部が現存しているわけではない。最初の出版は1554年、33歳のときだったが、1568年に47歳でハプスブルク家に仕えるようになるまで、ほとんど作曲しなかった。このため、大器晩成の感を与える。最後のマドリガーレ集は、1601年になって発表されたが、ルネサンスの巨匠が80代を迎えて送り出した稀有の例となっている。
(中略)
保守的な様式から始めて、後半生に実験的になったモンテヴェルディとは逆に、急進的な初期作品から、統一のとれた単純な後期作品へというように、正反対の曲線を描いている。
当時モンテほどの名声を勝ち得た作曲家はいなかった。モンテの名はヨーロッパ中に広がり、楽譜は出版され、版を重ねて幅広く流通した。「物静かで無口で、少女のように控えめ」と評されたにもかかわらず、人脈は幅広く、ラッススやウィリアム・バードのような作曲家とも親交があった。モンテのマドリガーレは今なお演奏されている。」(Wikipedia フィリップ・デ・モンテ より)

 

生まれたのはパレストリーナやラッススより少し早く亡くなったのは少し後、ほぼ同時代の人ですね。そう言えば少し前に記事を投稿したクロード・ジュネとも近い世代の音楽家です。

 

 

ラッスス、ジュネとともにフランドル楽派最後期の音楽家と言えると思います。似た世代の音楽家ですが、ラッススは最初イタリアにいた後は長くミュンヘンにとどまりましたし、ジュネはフランスの宮廷音楽家でしたが、デ・モンテはハプスブルグ家に仕えウイーンとプラーハが主な仕事場だったようです。(同じ時期パレストリーナはずっとローマで活動していました。)

 

 

マドリガーレ 優しく、愛しいかたよ

 

シャンソン 女神ヴェニュス

 

マドリガーレ 甘やかなまなざしが

 

ヒリアード・アンサンブルの演奏するこの曲集はもちろんルネサンスらしいポリフォニー音楽が中心ではありますがシンプルな旋律が引き立つ曲やちょっとコミカルなリズムの曲などもあり、シンプルながらも器楽の伴奏なとを聴くこともできて少し前の時代のルネサンス音楽とは違うバロック音楽に繋がる時代の匂いのような物も感じられる気がします。

 

 

デ・モンテが最後のマドリガーレ集を出版したという1601年は同じ時期に初めてのオペラが作られた時代でも有ります。ルネサンス音楽の主流だったフランドル楽派のテクニックを受け継ぎながらバロックの香りも感じさせる作風は彼の長い音楽生活を見事に表しているようです。

 

 

フィリップ・デ・モンテ:宗教的・世俗的歌曲集

フィリップ・デ・モンテは、フランドル出身の後期ルネサンス音楽の作曲家・声楽家・音楽教師。16世紀後半において最も影響力のあるマドリガーレ作曲家。多作な作曲家であり、宗教音楽と世俗音楽の両方を残しており、短い動機やホモフォニックなテクスチュアを際立たせた後期様式に至るまで、変化に富んでいる。ヒリヤード・アンサンブルと、ブリュッヘンの弟子であったリコーダー奏者ケース・ブッケ率いるコンソート(ブルース・ディッキーや佐藤豊彦らの名も)によって、デ・モンテの音楽が甦った名演奏。