真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「女子学生 危険な遊戯“あそび”」(昭和54/製作:幻児プロダクション作品 昭54.10/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:吉本昌弘/企画:才賀忍/撮影:久我剛/照明:森久保雪一/助監督:岡孝通/編集:酒井正次/音楽:山崎憲男/記録:平侑子/撮影助手:渡辺秀一・倉本和人/照明助手:宮沢学/録音:ニューメグロスタジオ/効果:ムービーエイジ/現像:ハイラボセンター/出演:日野繭子・朝霧友香・坂下めぐみ・外波山文明・矢野健一・杉崎宏・尾形秋夫・加倉井和也・市村譲)。出演者中、矢野健一から三人は本篇クレジットのみ。企画の才賀忍は、中村幻児の変名。
 東西大に通ふ女子大生のマキ(日野)と、同棲相手で未だ予備校生のタカオ(加倉井)が駅前にて軽目の痴話喧嘩。二人で同じ電車に乗る、駅のホームに憂歌団起動。タカオが代ゼミに向かふ、往来にタイトル・イン。とはいへ、もしくはモラトリアム。予備校をバッくれたタカオが、青電話をかける画でクレジットは俳優部に突入、一方マキはキャンパスに。鏡に映つた、女の下半身に中幻クレ。尻に手を伸ばす指が矢鱈細く白く、予想外の百合かと面喰らひかけたところ、単に加倉井和也の指が馬鹿に綺麗なだけだつた。
 配役残り、濡れ場の火蓋を切る坂下めぐみは、タカオが自宅に連れ込む浮気相手のタエコ。マキとも旧知の、少なくともタカオとは高校の同級生。この人は、あるいはこの人も浪人した末、結局短大に進んだ口、マキも現役生ではない模様。翌年監督デビューする、市村譲はマキの浮気相手、教授としか呼称されない、多分英文科。互ひの生活に対する不干渉を宗に、マキとタカオはある程度融通無碍な関係。更にマキが教授から得た要は愛人料で、二人暮らしを賄ふ生計、月々幾らふんだくつてるのよ。バンダナに長髪、のち市村教授(仮名)からはインディアン扱ひされるフラワーな外波山文明は、マキとタカオに加へタエコも常連のバー「ひげ」のマスター・キンちやん。アホみたいに若い、アホとは何だ。公開年が、最早四十五年前ともなる冷酷な現実にクラクラ来る。昭和さへ遠く、なりにけり。「君みたいな娘には、滅多にお目にかゝれないよ」。朝霧友香は助教授ならぬ譲教授(だから仮名)が、常套の口説き文句で劇中マキ以外に手をつける、女学生B。尤も名前の重さは兎も角、マキは知らなかつた噂される<パイプカット>を繋ぎこそすれ、所詮一戦交へると御役御免の朝霧友香が要は絡み要員に過ぎず、実質三番手のきらひは否み難い。その他「ひげ」の客で、女二人含め若干名投入される。その中本クレのみ隊は、マキを雑に口説きがてら、服の上からオッパイも突く坊主頭と、クライマックスの遊戯“ゲーム”に、タカオと教授にキンちやん以外で参加するもう二人か。マキが一貫して口にする用語が“ゲーム”である以上、公開題も読み仮名は“ゲーム”とふるべきであつたとしか思へない。
 ちぐはぐなビリングの火に油を注ぎ、ポスターも日野繭子より更に大きく朝霧友香が飾る。何時の時代の、何処の会社。御多分に漏れずミリオンも大らかかへべれけな、中村幻児昭和54年最終第十三作。
 タカオとの仲いゝ小競り合ひの最中、マキが覚えた嘔吐の発作は悪阻で、妊娠二ヶ月だつた。その旨告げられると、切札たる事実を何故かか意地悪く秘しつつ、“処理”の用語も平然と口にする教授に対し、タカオは父親すら問はず手放しに喜んだ。胎児込みでマキを間に挟んだタカオと教授に、今度は逆にタカオを巡るマキとタエコ。二つの三角関係が六芒星を成す構図を、下手にカットを割らず、台詞にも頼らず。フレームの端で日野繭子に顔色を静かに変へさせる、キレッキレの演出で加速しながらも。かといつて、ドラマを物語るのにうつゝを抜かし、ピンクの本義を疎かにするでなく。酔ふと戯れに「ひげ」で脱ぎ始め、偶さかにキンちやんとも寝る。マキの奔放な造形の下駄も履き、案外従順な裸映画といふ印象がひとまづ強い。それでゐ、て。正しく全てを引つ繰り返す、衝撃の告白でタカオ―と観客ないし視聴者―の度肝を抜くや、ビクワイエットの仕草で微笑む日野繭子の、画期的にスマートなショットを叩き込んだ上で、鏡の中カラカラ回る、ベッドメリー挿んで暗転終。一瞬の隙を突き丸め込む、クラッチ技にも似た鮮烈な結末が出色。サクッと快い余韻は、小屋で観てゐたならなほ格別であつたらう。


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 「巨乳令嬢 何度もイカされたい」(2023/制作:鯨屋商店/提供:オーピー映画/企画・監督:小関裕次郎/脚本:小栗はるひ/撮影監督:創優和/録音・整音:大塚学/特殊メイク:土肥良成/音楽:與語一平/編集:鷹野朋子/助監督:可児正光/監督助手:高木翔/撮影助手:岡村浩代/スチール:本田あきら/車両:別府スナッチ/協力:ナベシネマ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:白峰ミウ・森羅万象・安藤ヒロキオ・西本竜樹・石川雄也・卯水咲流・橘聖人・市川洋・ほたる・ケイチャン・きみと歩実)。
 「愛しきあの人よ、あまげのみやげ?今日もまた」。開巻第一声からヒロインが何をいつてゐるのか釈然としない、覚束ない口跡は早速の御愛嬌、もしくは致命傷。オリカ(白峰)は森の中の洋館、といふほどでもなく、ペンションみたいな一応お屋敷に暮らす。同居人は心臓病で再起不能の父親(森羅)と、メイド服常用の家政婦(きみと)。恋多きオリカを、近隣の人間はみな口を揃へて“可愛い女”と言祝いだ。
 配役残り、石川雄也は後々オリカと再々々婚、しはしない医者、最初は親爺の往診で登場。誰に何をするのか事前に見当のつかなかつた土肥良成は、顔の腫瘍を森羅万象に施す。道の駅的な販売所の店員が、その人と識別可能な角度から抜かれはしないものの、役名併記のクレジットによると市川洋のゼロ役目。ほたるとケイチャンは、「クリーニング屋」だなどとプリミティブな屋号の洗濯屋夫妻。二十年―では効かない―前には想像もつかなかつたらうが、今はex.葉月螢とex.けーすけの夫婦役が思ひのほかしつくり来る。そして安藤ヒロキオが、オリカにとつて最初の夫となるマジシャン。ドンキで道具が揃ひさうな、セコい手品はどうにかならないものか。端から二兎を追ひ、一般公開もするんだらう。市川洋はマジシャンの同業者と、世界大会に出場した夫の客死をオリカに伝へる、官憲の電話が二役目。湖畔で悲嘆に暮れる喪服のオリカに、「誰か死んだのか?」。西本竜樹は想像を絶するぞんざいな出会ひを果たす、ほどなく二人目の夫・材木屋。卯水咲流は、医者の別居中の妻。市川洋の三役目が、台風百号の接近を告げるラジオ音声。百号て、また随分とキリか威勢のいゝ異常気象ではある。最後に橘聖人は、医者の大分大きくなつてゐる息子、医学生。
 自身が愛読するチェーホフの『可愛い女』から着想を得たとかいふ、小関裕次郎第六作。尤も、ならばと青空に目を通してみたところ。最初の夫で小屋主のクーキンに相当する、マジシャンが左官屋的な恨み節を垂れる辺りから結構そのまゝ。原案どころか、実質原作の様相は否み難い。そもそも誤魔化す素振りも覗かせないのが、三月半フェス先行したR15+題が「かはいゝオリカ」といふどストレートさ、それともオネスト。『可愛い女』に於けるヒロインの名前を、片仮名表記するとオーレンカとなるのがオリカの所以。
 多情かつ、一度惚れるや忽ち相手に染まる。それでゐて固有のアイデンティティには甚だ希薄な、寧ろ一種の器としての資質にこそ、個性を見出すべきなのかも知れない女の物語。チェーホフの原作では不器量な女とされる医者の妻に、卯水咲流を宛がふのは許されるのを超え、望ましい裸映画の嘘と通り過ぎると、きみと歩実扮する、炊事女ならぬ家政婦が狂言回しを担ふのは今作完全新規。マジシャンと材木屋に続く、医者篇の再起動を大家と店子の関係でなく、倒れた家政婦の往診で処理。当然の如く、寝てゐた家政婦が目を覚ますと、オリカと医者は歌留多に戯れてゐたりする。世間の声を一手に引き受ける形で、再三再四オリカを愛でるクリニング屋夫婦の、ほたるが何気に大きくなつたお腹を摩つてゐるのに、何事かと目を疑つてゐるとオリカが滔々と開陳する受け売りで医者との深い仲を、クリニング屋夫婦を通し観客にも諒解させるのは優れた娯楽映画必須の、さりげなく秀逸な論理性。尤も、渾身のポリアニズムで探し当て得る「よかつた」も、あとは卯水咲流が持ち前のエッジを効かせ叩き込む、家が古い×田舎臭い×道が悪い×学校まで遠い。そして「この子―橘聖人を指す―にはこゝは合はない」の、ソリッドな悪態五連撃くらゐ。
 強靭な二三番手と比べた場合なほさら脆弱さが際立つ、映画初出演―舞台経験はある模様―にして主演。綺麗なエクセスライクを体現する白峰ミウの心許なさは、旧い口語体準拠の大仰な台詞ないし口上を逆の意味で見事に持て余す、ついでで安藤ヒロキオも。煽情性のみならず映画的なエモーションにも正直遠い、プレーンな濡れ場をビリング頭が手数だけならひとまづ稼ぎつつ、ともに一発限りの二番手と三番手は―殊に後者が大概―唐突に、無理から木に往時とイマジンをそれぞれ接ぐ始末。亡父の服喪期間なんて何処吹く風、オリカとマジシャンの祝言を、途轍もなくそこいらの適当な土手で事済ます。小関裕次郎にとつては大師匠、ないし伊豆映画の巨匠で知られる今上御大。小川欽也にも匹敵する底の抜けた無頓着、もしくは安普請。何れにせよな、イズイズムには畏れ入つた。量産型裸映画の、どちらかといはずとも宜しくない部分まで、律儀に継承することも別にあるまい。マジシャン出演のテレビ番組にときめくオリカの胸を過(よぎ)る、良人が誰かに似てゐる疑問。よもやまさか、大輪の百合を狂ひ咲かせるつもりかと―いゝ意味で―慌てさせた、きみと歩実(ex.きみの歩美)が藪蛇な決定力で撃ち抜く「私が一緒にゐます」。広げるだけ広げ散らかした、畳まない風呂敷もちらほら目立つ。プラスでは畳むでも畳まない、なんて知るかボケ。何より衝撃的であつたのが、一欠片の精神性も見当たらない、たゞ単に粗野なばかりのガッハッハ。挙句上げ底ばりに底の浅い、他愛ないマチズモまで振り回させるに及んでは。デビュー作「ツンデレ娘 奥手な初体験」(2019/脚本:井上淳一/主演:あべみかこ)ぶりで純粋ピンクに飛び込んで来た西本竜樹の、クソ以下に酷い造形には度肝を抜かれた。こんな役に、この人連れて来る必要全然ない。本当に誰でもいゝのだけれど、強ひて名前を挙げるなら重松隆志で十分、斯くも全方位的に毒を吐くのが楽しいか。主演女優に苦労してゐる気配も窺へなくないとはいへ、初陣さへ確かに気を吐きながら、早くも二作目から地を這ふかの如く底値安定。竹洞曲線を上回るだか下回る、小関裕次郎の低調が激しく気懸りな限り。五十音順に荒木太郎と池島ゆたかは不在、旦々舎も。当たればデカい加藤義一は、何時当たるか判らない。国沢実は座付きに大穴が開き、清水大敬はダイウッドの我が道。だから竹洞哲也も相変らず竹洞哲也で、森山茂雄の超復活作が、関門海峡以西に着弾するのはまだまだ当分先、随分先。吉行由実は一昨日に安定気味で、ナベも今一つ元気がないと来た日には。本隊ローテ中最新の意で最後のサラブレットたる、小関裕次郎にもう少し―でなく―しつかりして貰はぬでは終つてしまふとはいひたくないゆゑ、話が始まらない手詰り感。


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 「新未亡人下宿 奥の間貸します」(昭和50/製作:ワタナベ・プロダクション/提供:日活株式会社/監督:山本晋也/脚本:高橋文造/制作:真湖道代/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/編集:中島照雄/音楽:多摩住人/助監督:高橋松広/効果:秋山サウンド・プロ/美術:日本芸能美術/小道具:高津映画/衣裳:京都衣裳/タイトル:長谷川・プロ/記録:前田侑子/製作主任:城英夫/現像:東洋現像所/録音:大久保スタジオ/協力:ホテル 目黒エンペラー TEL 03(494)1211・銀座 ラブショップ アラジン TEL 03(567)3623/出演:青葉純、南ゆき、峰瀬里加、花房里香、千月のり子、久保新二、鯉のぼる、堺勝朗、松浦康、鏡勘平、たこ八郎、滝沢秋弘、土羅吉良、三篠敏雄、ミス・モンロー⦅特別出演⦆)。出演者中、たこ八郎がポスターには多胡八郎。同じく鯉のぼると鏡勘平に三篠敏雄、ミス・モンローは本篇クレジットのみ。チョイ役の鏡勘平と、最速で退場する三篠敏雄。カメオのミス・モンローはまだしも、鯉のぼるなんて久保新二に次ぐ、男優部で重要な役所なのに。代りといつては何だが、ポスターに谷良子とかいふjmdbにもnfajにも何も入つてゐない、謎の名前が載る正体不明のフリーダム。企画の渡辺忠はa.k.a.代々木忠で、提供に関しては実質エクセス。
 卒業を言祝ぐ汚い手書の半紙と、祝席の御馳走から下にティルトした先で、女と男が致してゐる。下宿の大家・池田久子(青葉)が、日大を卒業する小田中(三條)に身を任せる卒業祝ひ正しく本番、黙れ。「花の精鋭」の起動とともにタイトル・イン、クレジットの途中で、荷物をまとめた小田中が「お世話になりました」と下宿を辞す。となると一部屋空くゆゑ、久子が玄関に貼り出す「奥の間貸します」に、山本晋也の監督クレジットを被せる何気に完成されたタイトルバック。
 明けて馬鹿デカい高級車が、おそるおそる狭い路地に入つて来る。左三つ巴の家紋を一目見るなり緊張で強張つた制服警察官(たこ)が、あたかも脊髄で折り返して敬礼するレベルの名家・裏小路家。侍従の袋十太夫(堺)を文字通り従へ、御曹司の綾麿(鯉)が空いた奥の間に越す未亡人下宿に到着。「爺、こゝか?」、「むさいところぢやなう」と綾麿が綺麗な紋切型を切り出す、鯉のぼる第一声に対しての返答が「御意」。十太夫の所作口上が、ほとんど時代劇の領域に突入。それを堺勝朗が卒なくこなしてのける辺り、俳優部の分厚さがレガシー感を漂はせる。下宿の店子の、登場順に写真大―劇中用語ママ―五年の杉本(滝沢)と、東京農大の青木(土羅)。そして牢ならぬ下宿名主ぶる、国士舘八年!の尾崎(久保)は学習院政治学科三年の綾麿を、温かくか荒つぽく迎へる。後述するトルコの待合室に於いてすらマスをかく筋金入りの尾崎が、正しく息を吐くやうに常時チンコを触つてゐる造形が最高。カッコいゝとまでいふと言葉も過ぎるが、絶妙に画になるのが久保チンならではの天下御免。久子の風呂を覗き、オナニーをオッ始めた際「何時もこればつかりだもんなあ」と流石に自戒した尾崎が、続けて「偶には字も書かなきやなあ」と嘆息するのはダメ人間の格が違ふ、普通に声が出た。
 配役残り、花房里香は綾麿を連れ尾崎と青木が下宿屋から直行する、パチンコ屋「毎日ホール」の看板娘・玉子。千月のり子が母親の菊江、青木とデフォルトでデキてゐる。松浦康は、久子を狙ひ度々池田家に出入りする肉屋の市川。今やググッてみたところでドーナツ盤くらゐしか出て来ない、多分本職のミス・モンローは杉本も揃つた三馬鹿が綾麿を「新宿ミカサ劇場」に連れて行く、ストリッパーのメリー青葉。「女の人と体験したい」といふ綾麿を、尾崎が今度は屋号不詳のトルコ風呂に。峰瀬里加が、綾麿を担当するみどり。待合室にて尾崎と驚きの対面を果たす、顔面の美しさが他と一線を画す南ゆきも嬢、源氏名はカンコ。未見ながら未亡人下宿前作に登場する近藤質店の娘・幸子で、親爺が博打で店を潰したため、泡風呂に沈んだ由。涙の顛末を乳も放り出し語り、オッパイは軽く触られこそすれ、結局プレイには至らず絡みはしない。ストリップ小屋での卒倒に続き、騎乗位で筆を下して貰つた久子の股の下、遂に綾麿が重篤な状態に、鏡勘平が下宿を訪れる往診医。その他見切れる頭数のうち、目立つのはエンディングの往来ロング。たこ巡査が更なる新たな店子を連れて来る、広島太郎の如く―全国区で通用するのか?―所持品の過剰な、尾崎曰くに“イージーライダーみてえ”な新参者は不明、といふか識別し得よう筈がない。そもそも遠く、煩瑣に飾り立てられた上、止(とゞ)めのグラサンまでかけてるし。
 久保新二の代表作「未亡人下宿」シリーズ、買取系全十六作中(昭和49~59/久保新二は第十三作で降板)第四作にあたる山本晋也昭和50年第十四作。たゞし、nfajもプリントを持つてゐない以上、今後時空でも超えない限り触れること能ふまいが、五年先に立つ新東宝の元祖作が矢張り山本晋也の監督で存在する、現存しないだけで。山本晋也的には、当年驚く勿れ全十八作といふのが兎にも角にも凄まじい。こちらも記念すべき無印「痴漢電車」(主演:城山美紀)を八本目に撮つてゐるのと、「未亡人下宿」はこの年二本目といふ判り易いトピックに隠れ特徴的なのが、公開題に“ドキュメント”の文言を含む縛りでさへ、今でいふモキュメンタリーが半数の九作を占める愉快な底の抜け具合。往時“ドキュメント”の冠が斯くも集客力を有してゐたのか、それとも。詰まるところ多少大雑把な構成でもザクザク接いで行ける、方便的な特性が撮り散らかす、もとい量産型娯楽映画を実際量産するのに好都合であつたのか。
 基本設定のイントロを主演女優と介錯するや、男優部睦事要員が潔く御役御免と捌けて行く。前述した堅実なアバンとタイトルバックまでの好調を、以降全篇を通して維持。まづ裸映画的には、シコシコマンたる尾崎のキャラクターで下駄を履き、ビリング頭第二戦を賄ふのと四番手唯一戦を妄想で処理する、ある意味臆面もない戦法が案外的確。五番手も、土羅吉良が問答無用で場数を稼ぐ。一方、高位に関らず共々一幕限りの二三番手に関しては、直截にいふと物足りなさも地味に否み難い反面、話を花房里香に戻すと、デリュージョンの中でもマスをかいてゐる尾崎の、体の上で裸の玉子がじたばたするカットは、超絶のイマジン具現化に吃驚した。これまでいふほど高く評価してゐた訳でも別にないけれど、山晋矢張り天才かも。
 常習的に店子を喰ふ大家まで実は含め、猥雑な下宿屋に何かの間違ひかものの弾みか、やんごとなき血筋の若様が加はる。劇映画的にも、ど定番の下町騒動記を、終始小気味よく弾ける尾崎のワイルドビートで適宜加速。肉体関係は一切伴はないまゝに、綾麿と玉子が何時の間にか深い仲になつてゐたりする。藪から棒な悲恋物語の如何せん飛躍の高さは、矢継ぎ早に一幕一幕を連ね倒す、高速展開の勢ひに任せ捩じ伏せる。そして、尾崎を一旦奔走させたのち、「冗談ですよ」と床に臥せた綾麿が零す一筋の涙で、点火するエモーショナルなクライマックス。「卒業」のダスティン・ホフマンばりに、尾崎が上演中の小屋からメリー青葉をカッ浚ひ、杉本が大学の備品で照明を当て、青木はテレコで音楽担当。正真正銘余命幾許もない綾麿に、三馬鹿が奥の間でメリーさんの舞台を見させようと一肌二肌脱ぐ、今際の間際のマナ板は滂沱必至、涙腺を一撃で決壊させるエクストリーム名場面。豊潤な本篇をタイトルバックまでと要は挟み込む、未亡人下宿の変らない日常を次作に繋ぐ新人エンドが睛を入れ、画の竜は天に上る。勃たせ笑かせ、最後に泣かせ、改めて賑々しく締め括る、一旦。莫大な本数の十分の一も観るなり見てゐない癖に恐縮ではあれ、何処まで本気で撮つてゐるのか正直よく判らなかつた山本晋也の、裸と映画の二兎を見事仕留めてみせた当サイト選目下最高傑作。と、前のめつてはみた、ものの。山本晋也自体の評価とも微妙にリンクするのか、「未亡人下宿」が思ひのほか配信されてゐないのね。


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 「ブルーフィルムの女 ちつそく」(昭和53/企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:才賀忍/撮影:久我剛/照明:出雲誠二/助監督:平川弘喜/編集:竹村編集室/音楽:阿木政治/記録:前田侑子/演出助手:岡孝通/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/効果:中野忍/制作:三好良一/出演:日野繭子、楠正通、草間二郎、中野リエ、藤ひろ子、武藤樹一郎、水瀬勇、井上弘美、原田英子、新町明、ビル・ドロシー、小川恵)。出演者中、ビル・ドロシーがポスターにはビル・ドロシィ。同じく、井上弘美から三人は本篇クレジットのみ。脚本の才賀忍は中村幻児の変名で、照明の出雲誠二はa.k.a.秋山和夫。今回、静二でなく誠二なのは本クレまゝ。
 スタッフも三人見切れる、ブルーフィルム撮影現場、スタートがかゝつてタイトル・イン。本職は美容師のマスダヒロミ(小川)と、情夫でヤクザのジロー(草間)が早速オッ始める。調べるまでもなく、一目瞭然なのが草間二郎といふのは草薙良一の変名、ロマポには普通に草薙良一で出てゐやがるのに。ピンク用の別名らしいが、脊髄反射で釣られてみせると一段低く見たやうな、小癪な態度が憎たらしい。
 要はジローに誑し込まれるまゝ、手に職も持ちながらアンダーグラウンドどころか、イリーガルな裸仕事を続ける生活にヒロミは難色を示す、当然。片や、劇中8/8mmも勉学に励んでゐる気配の窺へぬ、一応大学生のカキヌマユージ(楠)が、交錯した弾みで盗品を落として行つた、職業不詳のナオミ(日野)を追跡。「ピンク映画だつたらさあ」云々、ユージが小賢しくもない無駄口を叩きがてら、適当な屋上で軽くナオミに手をつけかける。その場を逃げたナオミが―アウトラインの―愚痴をヒロミにこぼすのは、二人が妹と姉の関係。
 配役残り、井上弘美と原田英子はユージ・、ミーツ・ナオミの直前、ナンパする二人組だとすると頭数が合ふ。反面、終盤、ヒロミ勤務先の「英美容室」。正面からも抜かれる客の女は何処の何方よ、といふ謎は新たに発生する。何れにせよ、この人等は不脱。カット跨ぎで連れ込みに飛び込んで来る、聖らかな清々しさを大発揮してのける藤ひろ子は、一回の逢瀬二万円でユージを買ふ、鋳物工場社長夫人・ミナコ。水瀬勇は車を欲しがるユージを、ミナコが連れて行く中古車屋、結局その店では買はんけど。センター分けストレートの長髪が、爆発的に可笑しい武藤樹一郎はユージの親友・ヨウヘイ。ヨウヘイがユージに恋の架け橋を乞ふ、ユキちやんは中野リエ、好きなタイプはジュリー。尤も、ヨウヘイなんて眼中にないユキの興味は、専らユージ所蔵のブルーフィルム、部屋には映写機もある。そしてウォーリーより捜し辛いビル・ドロシーが、ただでさへ薄くでなく暗い8mm映像の中、ヒロミを抱く黒人。正直、結構闇夜の黒牛状態。消去法で新町明は、ヨウヘイとミナコがホテル「本陣」の敷居を跨ぐ写真をネタに、ユージが恐喝を試みる鋳物工場社長。全体、楠正通が―友人も破滅する―軽挙妄動を働く映画を、中村幻児は何本撮つてゐるのだらう。その他、ヒロミを逃がしたジローに指を詰めさせる兄貴分や、金の受け渡しに行かされた、ヨウヘイを現行犯逮捕する官憲部等々が見切れる。
 和泉聖治の、ピンク込みで量産型裸映画ラスト三本の買取系ロマポ(昭和59~60)に、牧村耕治(a.k.a.牧村耕次)と唯二人全作出演してゐる、黒人俳優部で片仮名表記の終ぞ安定しないビル・サムワン。埒が明かんから、何処かアルファベット転がつてないかな。閑話、休題。兎に角ビルはビルなビル何某がビル・ドイシー名義で、既に中村幻児の昭和52年作に出演してゐた事実に小躍りしたのも束の間。十二作後、バンク臭さもそこはかとなく漂はせつつ、黒い彗星のビルが又しても飛来する昭和53年第十一作。返す刀であちこち探してみたところ、「バカヤロー」第四話(昭和63)のビル・ドーシィなんてどうでもいゝにしても、「のぞきのテクニック」(昭和46/監督:梅沢薫/脚本:池田正一=高竜也/主演:真湖道代)のビルト・ドロシィーが、翻刻も満足に出来ないnfaj仕事含めどうにも怪しい。と、いふか。仮にビルト・ドロシィーとビル・ドーシィが同一人物であつた場合、その時点で四捨五入すれば二十年選手ともなる、馬鹿に出来ない息の長さ。
 ミナコに買つて貰つた矢張り中古車で、ナオミとカーセックロスしかけるまで―なら―距離を近づけたユージは、帰りを送らされた往来、上手いこと勝手に歩いて来たヒロミとも出会ふ。その時点でジャスタモメンしたユージが、帰宅後改めてブルーフィルムを回した上で、女がヒロミである旨確認する一方、ジローから獣姦ものの出演を提示されたヒロミは、流石に態度を根本的に硬化。ユージとジロー、二人のクズ男の間で、ヒロミの周囲にキナ臭い暗雲が立ち込めて来る。具体的に何をどうしてゐるのかまるで判らない、小川恵と楠正通の絡みに、ボクシングの試合を映写する。荒木太郎でもあるまいし、意匠を優先させた結果カッピカピに乾いた濡れ場の、煮ても焼いても食へない頓珍漢さは強ひてさて措き。対ジローの鉾として、ヒロミがユージの篭絡を試みる。起承転結の大転換に相応しい、大胆にして有効―さう―なカウンター展開が、ユージの不甲斐なさにも遮られ、以降全く機能するでなく。カッコ悪くも憎めない、ヨウヘイ―といふかクソ若き武藤樹一郎―のコミックリリーフぶりは灯る程度に輝きつつ、所詮端から枝葉。ナオミをジローに手籠めにされたヒロミが、姿を消すのが驚く勿れ五十分前。ビリング頭二人が、完全に捌けてしまつた十分強。順に四番手と三番手が精一杯気を吐きこそすれ、一本のピンクを締めるには些かならず如何せん厳しく、最終的には共々甚だ無様なジローとユージが、せめて最期はカッコよくくたばりさへしない、グッダグダのラストで逆の意味で見事に尻窄み。窒息ならぬ失速するが如き、一作とはいへ。名前の序列も物語本体すら何処吹く風とケシ飛ばし、全てをカッ攫つて行くのがa.k.a北洋子の中野リエ。結構造形が被る点に関しては、積極的に等閑視。何気に小川恵より似合ふメガネと、エクストリームな肩の細さ。結構木に竹を接ぎ気味のザーマス口跡が何故か気にも苦にもならないのは、もしかしてこの人、案外芸達者なのかも。何せ数をこなしてゐないこなせてゐないゆゑ、そこいら辺りの評価が心許ないのは御容赦願ひたい。とまれ自らザクザク乗り込んだ、ユージの部屋。ブルーフィルムを、回させてみたはいゝけれど。羞恥と性的興奮に目を逸らし見悶えるユキを、ユージが手繰り寄せあれよあれよと事に及ぶ。エロく且つエモい、エローショナルな神々しいシークエンスの一点突破で、今作は易々と時空を超え得よう。少なくとも、当サイトの中では。


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 「女まみれ 本番はいります」(2023/制作:《有》大敬オフィス/提供:オーピー映画/音楽・脚本・監督:清水大敬/撮影:大久保礼司/照明:ジョニー行方/録音:江原拓也/撮影助手:今野ソフィアン/ポスター:北村純一/助監督:郡司博史/アクション指導:中野剣友会/ガン・エフェクト:木村政人/録音:西山秀明 ㈲スノビッシュ/編集:高円寺・編集スタジオ/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:伊東紅蘭・岩沢香代・白鳥すわん・佐々木咲和・長谷川千紗・中村京子・弘前綾香・末田スエ子・紅子・森羅万象・野間清史・市川洋・郡司博史・永井裕久・安藤ヒロキオ・フランキー岡村・なめ茸鶴生・マサトキムラ・松本モト松・銀次郎・橘秀樹・内田もん吉・川上貴史・土門丈・星野周平)。出演者中末田スエ子と紅子、郡司博史と永井裕久、なめ茸鶴生から松本モト松に、内田もん吉以降は本篇クレジットのみ。しかし何といふか、男優部は何でこんなランダムなビリングなんだ。
 回転式を撃つ安藤ヒロキオで上の句、ポンプアクションの伊東紅蘭で下の句。手ぶらの森羅万象も加はつて、全部入れるタイトル開巻。プリミティブな屋号の、便利屋「何でも屋」。映画学校の脚本家コースに通ふ、岡野弘美(白鳥)が執筆中のノートに夢中で出もしない、営業用のスマホを姉の裕子(伊東)が取る。自宅兼事務所なら仕方ないのか、「何でも屋」は裕子が一人で切り盛り。とはいへ妹よ、電話くらゐ出ても別に罰は当たらないだろ。とまれ今回受けた仕事は、鮫島邸の水詰り修理。仕事を終へた裕子が辞すや、夫人の明美(佐々木)は連れ込んでゐた夫の会社の社員で、名札のぞんざいな肩書が“現場主任”の間男・山下治(フランキー)と早速オッ始める。それ、名刺にもさう書いてあるのかな。兎も角事後、明美の皮算用を違へ、鮫島(森羅)がゴルフから予想外に早く帰宅する修羅場の危機を、クスリとも面白くないドタバタでどさくさ切り抜けるのは、大敬オフィス作の通常運行、茶を濁すともいふ。
 一方制作会社の、映画工房「岡野プロジェクト」。配役残り、登場順に銀次郎と野間清史、岩沢香代は、姉妹の父親で映画監督の武男と、大赤字を叩き出した前作に絡んだ未払ひ金を取り立てに来た山川に、岡野プロ経理担当の緋紗子。国沢実2020年第一作「ピンク・ゾーン3 ダッチワイフ慕情」(脚本:切通理作/主演:佐倉絆)以来、久々に飛び込んで来た橘秀樹は、オスカル的なコスプレで飲み放題の看板を持つ裕子と、繁華街にて再会する元カレのショージ、現職はクラブのボーイ。この二人、裕子は今も所属する同じ劇団の俳優部同士といふ仲。安藤ヒロキオは居酒屋以外にレストラン「La Vie」も経営する、飲食系クライアントの中間管理職・大山。も、本来は映画畑の俳優部なんだなこれが。小関組から初外征―その後竹洞哲也や、加藤義一の薔薇族が続く―の市川洋は、弘美の彼氏・健二、この人は演出部。大山から気に入られたのか、裕子がその日はメイド服で「La Vie」駐車場の看板持ち。長谷川千紗はスマホをヒッたくつた暴漢(判らん)を裕子が追跡、格闘の末奪還してあげる映画プロデューサーの高見、下の名前は多分アリサ。大山とは旧知、また狭い世間だな。忘れてた、緋紗子は鮫島のダブル不倫相手で、俳優部廃業後酒に浸つてゐたホステス時代、鮫島との出会ひで救はれた縁。話を戻して、裕子が高見に自分の素性を語る際、格闘技の稽古相手はもしかして清水大敬?弘前綾香は鮫島邸の家政婦、AV部ながら脱ぎこそしないものの、ミニスカの股間を里中智のアンダースローばりの低さから狙はれる。大久保礼司―と宮原かおり―の地を這ふカメラに、何となく安らぎも覚えるのは量産型娯楽映画のさゝやかな醍醐味。手放さない煙管が妖怪感を加速する、中村京子は山川の妻・サユリ。中村京子を介錯するさせられる、野間清史が何気に男―優部としての格―を上げる。撮影初日前夜、武男が語りかける亡妻の遺影は、もう一度もしかしてマサちやん?トンチキな名義の目立つ本クレのみ隊は、主に岡野組のその他皆さん。その中でタイトルバックが教へて呉れるのが、末田スエ子が多分制作部辺りで、紅子が俳優部。何れかは、裕子の撒くチラシを受け取つて呉れる、往来の女も兼ねてゐる筈。あと富野系の、飲食社長は誰なんだろ。
 前回編み出した素敵な造語を、大蔵が早速使つてゐないダイウッド新作。現時点で、誰も継戦してゐない女優部頭四人が全員映画初出演。エクセスも魂消る果敢な布陣―伊東紅蘭と岩沢香代にはVシネ出演歴あり―に畏れ入りつつ、清水大敬の場合大して関係ないやうに思へなくもない。
 本クレのみ隊も含めるとなほさら、登場人口の大半が映画のスタッフか俳優部といふ歪んだ、もとい偏つた世界観の中。「映画は俺の命なんだ」、とか臆面もなく豪語してのける香ばしい親爺に新作を撮らせようと、健気な孝行娘を中心に一同が奮闘する。挙句ホセ・メンドーサと15Rを戦ひでもしたかの如く、撮了と同時に岡野が情死ならぬジョー死を遂げると、来た日には。まるで清水大敬が己を鼓舞か慰撫するために、書いたやうな物語ではある。となると良くて苦笑混りに微笑ましい、悪くすると憤懣やるかたなく、なりかねないところが。如何なる途轍もない横紙であらうと、兎に角破り抜いてみせる箍の外れた圧と熱量が、この御仁の持味、とはいへ。封切当時、清大御齢七十四歳。流石に、もしくは直截に年波が寄つて来たのか。自らのオルター・エゴともいふべき武男役を、銀次郎に譲り演出に専念する。遮二無二な猪突猛進を以て宗とする、平素のドラマツルギーといふよりも寧ろファイト・スタイルからは全くらしからぬ、引き技が逆の意味で見事に諸刃の剣。精々声とガタイがデカい程度で、痛快を痛快たらしめ損なふ銀次郎の役不足にも足を引かれるか火に油を注がれ、無理を通しきれてゐない印象が最も強い。脚本は次女で、主演が長女。その他のキャストも純然たる素人の鮫島を筆頭に、何故か山川まで紛れ込む身内と身近で固め。家内制手工業の様相をも呈する岡野組新作が、クランク・インするのが四十五分前、そもそも早すぎる。そして岡野が稚拙、もとい壮絶な戦死を遂げるのも大体十分後。以降の十五分、睦事をそれなりに畳み込みこそすれ、各々の他愛ない行く末を類型的に描く、冗長なエピローグが割と画期的にダレてしまふのが致命傷。捧げたつもりが確かに一定以上は実際捧げてゐるのであらう、清水大敬が自身の映画愛を豪快に叫ばうとしてみせた、にしては。声が掠れて満足に叫べてゐないやうな、些か心寂しい一作。暫しドンパチと大立回りに尺を割く、撮影現場風景。無防備極まりない銃撃戦なり、ホールドオープンした銃を安藤ヒロキオに平然と構へさせる、凡そ現代映画とは思ひ難いノスタルジックな底の抜け具合は、矢張り清水大敬ならではであるけれど。女の裸的にも、劇中現在時制で固定されたパートナーに必ずしも恵まれなかつた、主演女優に実は弱さも否めないのが如何せん苦しい。三番手の、絵に描いたみたいに弾むプッリプリの美尻で琴線を最も激弾きしつつ、ガチの絡みは2019年第三作「おねだり、たちまち、どスケベ三昧」(主演:愛原れの/犠牲者:折笠慎也)ぶりで、二作前の「未亡人下宿?その4 今昔タマタマ数へ歌」(2020/主演:愛原れの)でも乳は無駄に放り出してゐる。それでも、あるいはまだしも。爆乳は未だ保たれてゐると尊ぶのが正解なのか、こちらは封切当時御齢六十一歳の、中村京子の凄惨な濡れ場を二度に亘り放り込んでのけるに至つては、ピンク云々の領域を超えた、一種の挑戦の趣すら漂ひ始める。チャレンジて、何に。シークエンスの醜悪さか、それとも観客の忍耐力か。


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 「白薔薇学園 そして全員犯された」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:小原宏裕/脚本:伴一彦/プロデューサー:林功⦅日本トップアート⦆/企画:成田尚哉/撮影:杉本一海/照明:木村誠作/録音:佐藤富士男/美術:後藤修孝/編集:山田真司/選曲:小野寺修/助監督:釜田千秋/色彩計測:福澤正典/現像:東洋現像所/製作進行:香西靖仁/出演:三崎奈美・太田あや子・山地美貴・織田倭歌・美野真琴・宮本麻代・港雄一・田浦智之・上野淳・吉原正皓・片岡五郎・明石勤・溝口拳・水木京一)。
 現在ではスバルビルも解体され、大分様相の変つた在りし日の新宿駅西口。臆面もなく名門を自負する、「白薔薇学園」の教師・栗田亜矢子(三崎)が総勢三十五名の女生徒を、二泊三日の研修旅行に発つ観光バスに迎へ入れる、そこ集合かよ。見るからシリアスな問題を抱へ、左手首には包帯も撒いた中村葉子(太田)が陰鬱な面持ちで車に乗り込み、最初のカットで画面左から、三原よしえ(美野)と広瀬絵里(織田)に荒木理花(山地)、森田尚美(宮本)の四人は普通にキャッキャ現れる。往時の用語を引つ張り出すと、ツッパリ気味の尚美が亜矢子に服装の緩みを咎められつつ、ひとまづ出発進行。行程の記載された、プリントに生徒が目を落とす画にタイトル・イン。そのまゝ、皆で「丘を越えて」を合唱してみたりするタイトルバック、男優部のクレジットが四人づつ括られる吉原正皓と片岡五郎の間が、三十秒強も空く謎の間隙は全体何なのか。
 その他一行のうち、若干名は乳尻を披露しながらも一絡げにクレジットレス、本当に三十人ゐるのかは数へてない。便意を訴へる尚美の姦計で、バスは予定外のサービスエリアに急遽停車。配役残り、大きな荷物を抱へ焦れた様子の上野淳が、実は葉子の兄・研二。研二が表で待つ電話ボックスから出て来る田浦智之は仲間の、尚美的にはディスコで知り合ひ、当地で落ち合ふつもりであつた辰夫。何処で手に入れたのかショットガンを得物に、研修旅行バスを乗つ取る物騒か大概な計画を立ててゐた研二と辰夫は、もう一人のジュン(名前が口頭に上るのみ)が来なくなつたため一旦途方に暮れる。一方、行き交ふ女に手当り次第声をかけては、当然怖がられる港雄一がSAの無頼通り越して無秩序な掃除夫・剛三。女子手洗に忍び込んだ剛三が、持参するエロ写真と汚物入れの使用済みタンポンを肴に、まるでシャブでも喰つてゐるどうかした勢ひで凄惨な自慰行為に狂ふ。人間性を彼岸の彼方に捨てて来た、壮絶な一幕は二分を跨ぐ相当な長尺も割かれ、この御仁が主役かと軽く見紛ふ序盤のハイライト。グラサンだと不愛想な高木ブーくらゐに映る吉原正皓は、バスの寡黙な運転手・村田。木に回想を接ぐ、純粋な男優部絡み要員の明石勤は、渡米について行かない形で亜矢子が別れた恋人・武田、地味に職業不詳。前半と後半のちやうど境目辺り、ブスを理由にバスを降ろされた―中に美野真琴がゐるのが今作最大の不条理―約半数の女子を、通りがかつた4tトラックが拾ふ。そら、最低その大きさの車でないと全員乗せられない。片岡五郎が助手席の芹沢で、溝口拳はハンドルを握る渡辺。この二人、どう見ても堅気の運送業といふよりも、完全に右翼の造形。新たにバスから降ろされる毎に拾つて行く、徐々に増えるのが可笑しい女子高生以外の、元々の積荷に関しては語られない。各種資料では管理人とされる水木京一が実際には、研二らが籠城するラブホテル「シャンティ石和」の支配人。もう一人縛り上げられる従業員は、何となく内トラ臭い。
 剛三がマスをかく―だから女子手洗―個室を、研二と辰夫が襲撃。最も無防備な状況、且つ二対一。幾ら天下無双の港雄一とはいへ、流石に狼狽へる剛三に対し、研二が晴れやかな笑顔と上野淳一流の弾ける発声で「オッサーン、元気いゝね」。パンクス・ミート・ア・パンクのビート感が絶品な、小原宏裕昭和57年第三作。当年全五作といふのは、この人にとつては別に多くない。
 カッたるい研修旅行をバッくれて、彼氏とフケる。理花らに尚美が得意気に吹聴してゐたアバンチュール―の算段―も、男達にとつては所詮手筈のひとつに過ぎなかつた。怖気づいたジュンの代りに、剛三を新たな仲間に引き入れた研二と辰夫が、女教師一人と三十五人の女子高生を乗せたバスをジャックする。ザクの抜けた戦力不足を、ビグザムで埋めるが如きパワーバランスの出鱈目さが清々しい。いよいよ三人組が車を占拠、剛三が絵里を手篭めにしかけるまで。実に序盤を丸々ノー濡れ場で通過してのける、女の裸の疎かと紙一重のワイルドな活劇を、上野淳の粗削りなエモーションと港雄一の箍のトッ外れた変態性欲者ぶり、あと田浦智之のトッポいリーゼントで加速。思ひのほか色気の欠如も感じさせず、痛快に見させる。放逐された少女を回収、バスを追ふトラックを転がすのは素頓狂な義憤に駆られた、妙に戦闘力の高い矢張り強面二人。毒を以て毒を制す超展開はやがて、港雄一と溝口拳のタイマンとかいふ、正しく竜虎相搏つ怒涛の見せ場に結実する。無軌道にブッ放す上野淳もカッコいゝけれど、溝口拳がショットガンを構へた姿の、完璧にキマッた様になり具合は尋常でない。ちなみに激突の雌雄は、木刀を携へた渡辺の圧勝。剛三がノサれてなほ、「ウゴォ」、港雄一らしい口跡の呻き声で地味に気を吐くのが、フレームの片隅に輝く一粒の宝玉。
 雌伏した序盤を取り返すべく、中盤以降はノンクレ隊込みで二十人近い女優部をひたすら剥いては犯し剥いては犯す、品性下劣なエクストリームに徹する。何故か難を逃れた美野真琴が、事件の発端、の口火たるシャワー室まで脱がない、シャワー室でしか脱がない結構な温存あるいは横紙破りまで含め、量産型裸映画的にも十二分に申し分ない。亜矢子と葉子が、何某か共有する秘密。辰夫は嬉々と、剛三は鬼気と。人外の体力で亜矢子以下―車内の―全員を犯し倒す剛三と辰夫に対し、誰にも手を出さうとしない研二。強姦魔の走らせるバスを右翼のトラックが追ふ、アナーキーな追跡劇。亜矢子が銃の強奪に成功する、緊迫した脱出サスペンス。掌を返した村田のみならず、シャン石に辿り着いた芹沢と渡辺も研二らを制圧するや矢張り、全員犯し始める実も蓋もない低俗ポルノ。そして、終に明かされる悲愴な真実。強靭に充実した一篇を、果たして如何に畳むものかと、思ひきや。ウーヤーター!もとい、よーもーやー!のまーさーか!正真正銘全部放り投げ、目的地のレイプならぬレイクホテルに十五時間遅れで到着して目出度し目出度し、にならうとはなつてしまはうとは。正しくお釈迦様でもといふか、こんなもの見通せる訳がないオシャカな作劇には度肝を抜かれた。元脚本がどうなつてゐたのかは知らないが、ダブルエックス御大・珠瑠美にすら劣るとも勝らない、稀に見るレベルの盛大な木端微塵作。ベクトルの正負はこの際兎も角、受ける衝撃の絶対値は兎に角デカい。つかタマルミの場合は爆散するも何も、ケシ飛ぶだけの物語が初めから成立してゐないだろ。

 村田が肌身離さぬフェイバリットの緊縛写真に似た女を見繕ひ、理花に白羽の矢を立てるのは些かならず判り辛い、盛り過ぎたきらひも否み難い藪蛇な機軸。
 備忘録< 研二の子を中絶した葉子が、周囲の噂も苦に自殺未遂


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 「モア・セクシー 獣のやうにもう一度」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:加藤彰/脚本:中野顕彰/プロデューサー:八巻晶彦⦅N·C·P⦆/企画:山田耕大/撮影:米田実/照明:田島武志/録音:酒匂芳郎/美術:渡辺平八郎/編集:山田真司/音楽:甲斐八郎/挿入歌:『ガラスのジェネレーション』⦅EPICソニー⦆ 唄:佐野元春/助監督:上垣保朗/色彩計測:青柳勝義/現像:東洋現像所/車輛協力:富士映画車輛㈱/製作進行:鶴英次/出演:畑中葉子・横山エミー・太田あや子・マリア茉莉・香川留美・青山恭子・市川好朗・河西健司・内藤剛志・高瀬将嗣・片岡五郎・高橋明・関悦子・織田俊彦・今井久・麿のぼる・森洋二・谷口芳昭・新井真一・黒田光秀・栗原哲也・衣笠健二・白井達始・井本昌臣・高原真由美・扇ひろ子⦅特別出演⦆・片桐竜次/技斗:高瀬将嗣)。出演者中、関悦子から高原真由美までは本篇クレジットのみ。あと技斗の正確な位置は、高原真由美と片桐竜次の間。
 大型船のカットを適当に連ね、俯角の港湾ロングに無機質なタイトル・イン。舞台は横須賀、美人局コンビのヨーコ(畑中)と次郎(河西)が、ステレオタイプな伊達男を捕まへた、と思つたのも束の間。ヨーコと伊達男が致す連れ込みに次郎と矢継ぎ早に、伊達男と仲間の恐いお兄さんが更に二人カチ込んで来る。要は、まんまと釣られた格好。ヨーコと次郎はどうにか逃げ果せると、今度は十日町―は新潟なんだけど―市会議員・桑原多聞(高橋)の車を奪ふ。盗んだセダンで走り出し、たのも再び束の間。前を行く安浦運送のトラックが落とした、ナショナル扇風機の箱を避け損なひ車は中破。ゲーム感覚で次から次にトラブルの発生する、大概な横須賀の治安はさて措き、次郎が箱を蹴散らかすと何故か、中からパンダさんの縫ひ包みが出て来た。
 辿り着ける限りの、配役残り。このくらゐの頭数ともなれば、要はビリング下位に手も足も出ないのはある程度想定の範囲内ともいへ、見れば判る―筈の―新井真一を見つけられなかつたのは正直軽く情けない。気を取り直して、バイカーと事故現場に現れる太田あや子は、ヨーコの地元・横浜での後輩・チビ。チビに連れられ、ヨーコ―と次郎―はパイセンであるオバン(横山)の店に、内藤剛志がバーテンダーのケン。市川好朗は手下を引き連れ、何某か探し物の風情でオバンの店を襲撃する、新興勢力「信成会」の最低でも幹部・堺。結果店も大破、物騒とか最早さういふ話ですらなく、法が機能してゐないのか。片桐竜次は刑事を偽り、修羅場をとりあへず収める謎の男・ジョー、ジョーて。マリア茉莉は当たり屋を仕掛けたヨーコと再会する、同輩と思しきお嬢。刃傷沙汰のみならず、矢鱈とリユニオンも頻発する街だな。この辺り、世間の狭さを問ふべきか、手数の乏しい作劇を難ずるべきか。織田俊彦は、ツッパッてゐた過去を隠し、お嬢が玉の輿に乗つた青年医師。名義が青山涼子と愛染恭子を足して二で割つたやうな、青山恭子は堺の情婦・まゆみ。高瀬将嗣は、信成会の泡沫構成員・北見。パンダの中にヤクが隠してあつたと踏んだヨーコらに、偽パンダで誘き寄せられた上サクッと監禁、あれこれ口を割るお茶目さん。中盤、木に復活劇を接ぐ片岡五郎が、オダトシ医師と結婚したお嬢を恐喝する、昔の男・大和田。流石に強面かつオッサンすぎて、旦那はたとへば影山英俊、大和田が織田俊彦でよかつたのではあるまいか。なんて、そこはかとない疑問を覚えなくもない。実は関東麻薬取締官である、ジョーが接触する部長の弘子は扇ひろ子、懐刀的なもう一人は、まづ間違ひなく高原真由美。痛飲した挙句「いゝ娘ゐねえか!?」と荒れる次郎に、「あたしでどう?」と凄惨か壮絶に囁くスナックのママさんは関悦子。当人いはく、テクニック抜群らしい。知るかボケ、黙れ。香川留美は、「よし!オバサンと寝る」と腹を括つた、男の中の男の次郎を「あたしとどう?」とカッ浚ひ、観客なり視聴者を安堵させる店の女ないし映画の天使・ルミ。その他何やかや、五十人を優に跨ぐ膨大な人員が、湯水か雲霞の如く投入される。
 恐らく一般含め今作でフィルモグラフィの打ち止めと思しき、マリア茉莉出演ロマンポルノを―追へるだけ―追つて行くフィナーレは、往時フィーバーしてゐた畑中葉子のロマポ三本目でもある、加藤彰昭和56年第二作。来し方を振り返るばかりが、能ぢやない。今年が畑中葉子のソロデビュー四十五周年とやらで、「後から前から」ジャケのプリントTを発売。脊髄で折り返し一瞬ポチりかけたものの、「着られるのか?それ」とお乳首が透けてゐるTシャツを一旦思ひ留まつたのは、残りの人生生きてるだけ無駄な当サイトの、他愛なくさへない日々。
 ハマからスカにヒモと流れて来たズベ公が、昔のダチと再会。ライカローリングストーンなものの弾みで、ヤバくてデカい白いお薬の取引に首を突つ込む。と、来た日には。前年に池田敏春第一回監督作品「スケバンマフィア ―肉《リンチ》刑―」(昭和55/脚本:熊谷緑朗)で復興を図りたての、日活でいふと「野良猫ロック」シリーズに代表される、反体制的なヒロインが薄くでなく汚れた大人―社会―に牙を剥く。伝統的か類型的なひとつの系譜を成す、ソリッドでアナーキーな活劇かと思ひきや。畑中葉子がコケティッシュに微笑むティザービジュアルから、さういふ線を狙つてゐる訳でも土台なかつたやうな気もしつつ、梶芽衣子や倉吉朝子と比べた場合、如何せん畑中葉子のエッジ不足は明白で、尺から長い徒な大所帯も諸刃の剣。主演女優が始終を掌握しきれない、全般的に漫然とした印象は否み難い。ほとんど唯一、畑中葉子のよくいへば80年代的な軽やかさ―端的に軽い薄さともいふ―が正方向に作用するのが、「俺は冗談では女を抱かない」と嘯くジョーに対し、ヨーコが返して「アタシは冗談でも抱かれるよ」。途轍もないダサさを上手く呑み込み綺麗に流す、スマートさが偶さか灯る名台詞ではある。最終的には主人公―と物語の本筋―が心許ない反面、形を成すのが半ば自発的ないし自縄自縛気味にしても、旧交を温めるヨーコらからハブられる形で、次郎が元々の無力感に加へ疎外感まで拗らせる、ルサンチマンと紙一重の煤けたエモーション。一歩間違ふと青さも感じさせかねない風貌から、思ひのほかドスの利いた発声を響かせる。河西健司が精一杯弾けて、呆気なく消える。「ヨーコ俺矢張り、お前とクッついてねえと、ダメだ」。一人の役者の、一世一代をも思はせる無様でなほ見事な次郎の死に様が、最後に映画が輝くハイライト。プロの反社会的勢力と菊の御紋相手に、不良崩れがローラスケートと単車に、チャチい得物で立ち向かふ。別に使ひこなすでなく、畑中葉子がヌンチャクを振り回してゐたりするのは悪い冗談。そもそも加藤彰の資質から疑はしいのか、セコい大立回りが完全に空回る、クライマックスにしてはお粗末な大乱闘で完全に失速、どころか失笑も萎む始末。幾ら昭和の紋切型とはいへ、戯画的以前に牧歌的な、間の抜けた銃撃戦には尻子玉を抜かれるかと思つた。チャリンコの操作云々も兎も角、ポジショニングからへべれけな体に合はないドロハンのシングルスピードを、ヨーコが与太与太もといよたよた見るから危なかしく駆る、満足に駆れてないけど。狙ふ時点でどうかしてゐるとしか思へない、疾走感の欠片もない頓馬なタイトルバックがある意味象徴的。一昨日か明後日から飛び込んで来る、片岡五郎と関悦子の側面的なポイントゲッターぶりは突発的に爆ぜこそすれ、掘立の本丸を雑多か無闇な意匠で飾りたてた、藪の蛇を突く如き一作。に、してもだな。生温かく見過ごせもしないのが、何時の間にかシレッとくすねてゐたパンダ一匹で、オバンとの新生活を設計するジョーの腐り倒した職業倫理、果たして正義とは。激おこの弘子部長に差し向けられた、高原真由美に射殺されてしまへ。バキューンとか、陳腐な音効鳴らして。

 改めてマリア茉莉の、三年に満たない実働期間を振り返ると。林功の透明人間もので初土俵、西村昭五郎のウノコー案件を間に挿み、伊藤秀裕にデビューから二作続けて。伊藤秀裕の次は、藤浦敦。海女ポ第二作・第三作含む、地味に驚愕の三作連続出演を果たしたのち、今回の加藤彰で畑中葉子の脇を飾れてゐるのか、ゐないのか。錚々といふほどでもないにせよ、なかなか特徴的な戦歴にも思へる。それなりに日活の期待を受けてゐた、風情が窺へるのではなからうか。尤も、隣に並んだ女優部を容赦なく爆殺する、正しく圧倒的な足の長さとタッパ。たぷんたぷんの悩ましいオッパイに、止め画より動いてゐる方が映える、案外正調の美人顔。以外には、本当に一欠片たりとて何ひとつ恵まれなかつた。マリア茉莉が案の定とでもいふか何といふか、終ぞマリア茉莉のまゝ。規格外の素材を女優として花咲かせることなく、さりとて気を抜いてゐると画面の中で遠近法を狂はせる。アメイジングかワン・アンド・オンリーな確かに離れ業は、辛うじてこの人ならでは。


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 「女犯魔」(昭和52/企画・製作:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:今野覚/撮影:久我剛/照明:磯貝一/編集:中田治/音楽:山崎良平/効果:秋山サウンド/助監督:旦雄二/監督助手:平川弘喜/撮影助手:伊達英樹/照明助手:磯村一路/制作進行:木村信樹/スチール:田中欣一/現像:ハイラボ センター/録音:東音スタジオ/出演:小川恵、石野みどり、立川チヨ、蜂瀬里加、藤ひろ子、泉夕子、森美樹、岡田良、藤田敏六、滝沢秋弘、杉並二郎、尾形勝義、ビル・ドイシー、竜谷誠、和雅?、矢野口健、元町太郎、木乃伊鉄平)。出演者中、和雅?のはてなは日偏に点四つ履いた重、といふ謎の漢字がどうしても出て来ない。脚本の今野覚は、金子裕の変名。
 空港のロングに小気味よくタイトル開巻、福生駅駅前、クレジットに続きモノローグが起動する。「家出したまゝ行方の知れなかつた姉さんから、手紙が届いた」。「真夏の盛り、僕は姉さんの住んでる街を訪ねた」。姉・ミユキ(小川)が可愛がつてゐた犬・ミミの遺骨を携へ、高校生の上田トオル(岡田)が手紙の住所の、同じ平屋が並ぶ集落を訪れる。
 大胆か大雑把なビリング推定で、案外攻められさうな配役残り。最初にTシャツとおパンティでトオルを出迎へるヨーコと、その家にもう一人住む女は、多分石野みどりと立川チヨ。二番手の石野みどりが、ヨーコなら凄くしつくり来る。男衆三人のヒロシとミノルにユージのうち、ヒロシは滝沢秋弘、ミノルとユージは恐らく杉並二郎と尾形勝義。以前は確かにそこで暮らしてゐたミユキが、一緒に出て行つた城南大の高村は小水一男(a.k.a.ガイラetc.)なのだけれど、藤田敏六がこの人を指すのかな。全体、全部で幾つの別名義を使つてゐたのか、野球チームが組めさうな藪蛇ぶり。高村が双眼鏡で情事を覗く、男は竜谷誠。女は泉夕子か森美樹、だと思ふ。そして、ミユキの美人局もしてゐた高村が、トオルを売るマダムが藤ひろ子、輝かしい適役。たゞし、トオルは高村いはくの“童貞ボーイ”では必ずしもない。最初はヨーコらの生活態度に苦言を呈しに来る蜂瀬里加は、裏のタキタ夫人。テレビに出てゐる―か出たことのある―マウンティング一点突破の、ほとんど狂女。旦那は旦雄二、もう少し場数を踏まないと確信は持てないが、矢野口健臭い。場数を踏め、られるのか否かは運ないし、日頃の行ひ次第。致してゐる最中のこのこトオルが来てしまふ、ミユキの元カレ・ヨシダが最大の難問。ビリング推定に消去法を加味して、和雅?のやうな気がする。それか、矢野口健と和雅?が逆かも。ヨシダの今カノ・サチコは森美樹か泉夕子、だと思ふ。ビル・ドイシーは、ミユキ今カレの大体ヒムセルフ。軍人か軍属かは不明ながら、基地の人。実家に住んでゐた時分のミユキを犯す、覆面女犯魔二人は元町太郎と木乃伊鉄平だらう、ミイラだし。といふか劇中現在時制に於いては、坊犯魔の藤ひろ子とタキタ夫人しか実は出て来ない、百歩譲つて変則的な羊頭狗肉。それは、それとして。ミニマムの六人前後ならまだしも、この頭数で男女問はず全員脱いで絡むのは、さうさうない攻撃的な布陣にも思へる。たゞし、本職演出部の俳優部出稼ぎは除く。
 後年、プロ鷹作で何気にレギュラー格を務めるビル・サムワンが相変らず、もしくは終ぞ安定しない名義で飛び込んで来る中村幻児昭和52年第六作。尤も、よくよく掘り進めてみれば、別にこの頃から継続的に活動してゐたのかも知れない。掘り進め、られるのか否かは知らん。
 出奔した姉を捜し、福生の街を弟があちらこちら彷徨する。要は二年前大ヒットを飛ばした、D.T.B.W.Bの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」に近似した趣向の一夏系青春映画。と、一言で片づけて、しまへられればどれほど楽か。なかなかどうして、一筋縄では行かない。ヨーコが提案した五人の協力を断り、一人でミユキを捜す旨トオルは言明する。カット跨いだ次の一幕で、トオルが特に骨を折るでも足を棒にするでもなく、サクッと高村のヤサを訪ねてゐたりなんかする。凡そ物語的な紆余曲折を放棄しかねない勢ひの、インスタントな展開にも畏れ入つたが、そこで尻子玉を抜かれるのは些か早い。まだまだ序の口、全然二合目三合目。トオルは不参加のまゝ、ヨーコとヒロシ以下五人―だけ―で海水浴に繰り出す件。ヨーコはヒロシと、もう一人の女優部はミノル・コージと巴戦。波打際の青姦が並走する濡れ場以外に全体何の意味があるのだか、軽く途方に暮れかけるくらゐ何がしたいのか清々しく判らない。のも、それでも幕下なんだな、これが。前衛性の領域に突入しかねない、不条理な因縁をつけタキタ夫人―あるいはテレビ夫人―が、藤ひろ子に続きトオルを喰はんとするところに、大登場を果たす旦雄二が完全にブッ壊れた造形で火にニトログリセリンを焚べるに至り、映画は言葉を選んで木端微塵。中村幻児がこの時乱心でもして呉れてゐた方が、寧ろ頷けよう大概な惨状を呈する。
 ヨシダの乾いた突き放しぶりで、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」みが再起動したのも束の間、結局トオルがミユキを捜し出すでも辿り着くでもなく、往来で出くはす偶さかな再会には改めて軽く度肝を抜かれた。御都合主義といふか場当たり的といふか、兎に角へべれけな作劇でいよいよチェックメイト。かと、思ひきや。木に悲愴な真実を接ぐ、衝撃の力業が爆裂。愛犬のお骨を届けるもへつたくれもない、そもそもトオル自身が一件の発端、ないし諸悪の根源。劇的な無表情は指導といふ形で演出の成果か、それとも単なる俳優部の限界か。兎も角ヨーコが全てを赦しトオルを受け容れようとしてはみせる「もう済んだことよ」の、脆弱か怠惰な魂を生温かく慰撫する、上手く運べば一撃必殺のエモーションも結局不発のまゝに、トオルは手ぶらで帰郷。ヨーコはヨーコで、ビルとの体液交換を邪気もなく満喫。実や蓋どころか心もない無体なラストが、所詮は右往左往に明け暮れた概ね漫然としかしてゐない一篇を、ほとんど投げやりに締め括る。少しセンシティブかマシな珠瑠美、とでもぞんざいに評すれば、今作の難渋な破壊力が少しは御理解頂けようか。
 木に接がれた悲愴な真実< 覆面二人に手引きされゆ形で、トオユは姉を犯してゐた


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 「美乳探訪 不埒な旅路」(2023/制作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/撮影監督:坂元啓二/録音:加唐学/編集:三田たけし/音楽:與語一平/整音:吉方淳二/助監督:赤羽一真・津田篤/制作応援:別府啓太/撮影助手:原伸也・戸羽正憲/スチール:須藤未悠/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:通野未帆・黒川晴美・福田もも・津田篤・伊神忠聡・那波隆史)。
 スマホでFMラジオを聴く、「FOREST FM」の画面にタイトル開巻。正しく全篇通して結構喋繰り倒す、女DJの声の主には辿り着けず。軽くCM感覚の、伊神忠聡が自分で支度するところから茶漬けを完食するのは、泊りの予定を違へられ、遅くに帰宅したハイヤー運転手・星名寛治(伊神)の手軽ないし侘しい夕食。起こされ起きて来た、一週間早番とかいふ妻・明海(通野)に寛治が無理気味に迫りつつ、案外明海も応へて呉れる夫婦生活が初戦。演者を真上から抜く、完俯瞰をさりげなく披露する。そんなこんなな最中、寛治は担当する役員の山本志郎(那波)から日曜日に、目的地も用件の詳細も五里霧中。挙句社用車ですらなく寛治のアクアを出せなどといふ、最早仕事らしい仕事なのかすら怪しい、謎のタスクに駆り出されるか付き合はされる。
 配役残り、津田篤を伴ひ飛び込んで来る黒川晴美が、業者の屋号と本人の源氏名、双方不詳のデリヘル嬢・浜田美和。仕事終り、にも関らず迎へが来ない。伝書鳩扱ひに美和が往来でキレてゐるところに、上手いこと歩いて来る福田ももは、この人も嬢で美和の後輩にあたる森脇瀬奈。のち美和の誘ひを勤務中につき瀬奈が断る際の、主観視点の本体は太腿の傷も見切れないゆゑ完全に不明。こゝで三本柱のフィルモグラフィを整理しておくと、矢張り竹洞哲也の2016年第一作「純情濡らし、愛情暮らし」(脚本:当方ボーカル=小松公典/主演)と、2017年第二作「熟女ヴァージン 揉まれて港町」(脚本:深澤浩子/三番手)以来六年ぶり三本目となる、主演女優の印象は正直残つてゐない。二番手と三番手はともども初陣、現時点に於いて、最初で最後と思しき黒川晴美に対し、福田ももは竹洞哲也以外に髙原秀和や堂ノ本敬太第二作、外様作まで計四本継戦してゐる。組を選ばない機動性は、量産型娯楽映画のフィールドにあつてひとつの資質といへるのではなからうか。
 ピンクは加藤義一2021年第一作「誘惑妻物語 濡れた人差し指」(脚本:深澤浩子/主演:神咲詩織)を最後に、翌年四月で役者稼業ごと引退してゐる津田篤がよもやまさかの電撃復帰を果たした、割には。凄まじい、もとい清々しい一幕・アンド・アウェイを敢行、純然たる男優部版濡れ場要員で駆け抜けて行く竹洞哲也2023年第一作。重ねて尤も、2023年第一作とはいへプラスの方で前年暮れにフェス先行。なほかつといつていゝのか撮影時期は、釜無川周辺(多分山梨県)に桜が咲いてゐる頃であつたりもする。となるとブランク自体実は然程空いてゐる訳でもなく、要は寝かせてゐただけの話か。
 山本の余勢を借りる形で、寛治も来し方のリグレットを取り返す。陳腐な主題が例によつて、非力な俳優部が脆弱な台詞を捏ね繰り回すに終始する。竹洞調なのか小松型なのだか知らないが、相も変らずか性懲りもなければ他愛ない、平板な会話劇の中で特に結実する訳でも別にない。ついでに竹洞哲也が今年でデビュー二十年、全体何がしたいのか何をしたくて映画を撮つてゐるのか粗忽自慢の当サイトは未だに測りかね、ラストまで徒にフィーチャされるラジオ愛も、精々木に蛇の足を生やす程度。こんなものかの枠内を、半歩たりとて出でないザマかと、思ひきや。
 三番手第二戦を、寛治が膨らませる妄想で賄ふ関根和美ばりの力技が火を噴く辺りから、終盤が何気に加速。アグレッシブなお胸の谷間と、ホントに楽しさうな軽やかさが素晴らしい黒川晴美は、観客の惰弱を優しく温かく包み込んで呉れ、さうな柔らかみがエモくてエロいエローショナル。よしんば仄かにせよ、確かに煌めく二番手が生煮えさへし損なひかけた、空疎な映画を柔肌一枚救ふ。

 瀬奈のトレーナーと、結婚前の明海と寛治が宅飲みする缶ビール。カセットコンロと鍋を持ち出し外で作つて外で食べる袋ラーメン、の袋に、帰途道路脇の看板的なサムシング。都合四箇所、局部以外の理由でボカシが施される。単に節穴が気づかず見過ごしてゐるだけなのかも知れないが、体感的には百本に一本も観ないか見ない気がするこの手の案件。果たして如何なる、いはゆる大人の事情が具体的に絡んでゐるのか。あと、一作で四箇所といふのは、流石に多い気もする。


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 「セックスドック 淫らな治療」(昭和60/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:大工原正泰/プロデューサー:岡田裕/撮影:水野尾信正/照明:田島武志/録音:福島信雅/美術:川船夏夫/編集:鍋島惇/音楽:甲斐八郎/助監督:川崎善広/色彩計測:田村輝行/現像:東洋現像所/製作進行:桜井潤一/協力:沼津秘宝館/出演:志麻いづみ、渡辺とく子、安西エリ、マリア茉莉、江崎和代、花上晃、藤ひろ子、立川談十郎、鈴木秋夫、橘家二三蔵、ダンディ立川、デニーズ・ヘラー、広瀬優、石塚忠吉、高橋朋子、山地美貴、砂塚英夫、鈴々舎馬風)。出演者中、高橋朋子と山地美貴は本篇クレジットのみ。
 「今の世の中セックスに関して何が異常で何が正常なのか、全く頭の悪い奴には判らんやうになつて来とりますなあ」。立て板に水の第一声で、見るから胡散臭い砂塚英夫が大登場を果たすのは、ABC局の生放送番組「もうお昼でショー」の一幕。複数の患者を合宿形式で一緒くたに面倒見る、集団治療の独自メソッドで人口に膾炙するセックスドックの紫貴夫(砂塚)と、保守的な主婦代表(藤)の討論がその日の企画、広瀬優が司会者の局アナ・渡辺。レスに伴ふ欲求不満を紫から豪快に揶揄された、藤ひろ子が暴れだしてタイトル・イン。後述する赤木一郎の、お母さん役で主婦代表を回収してのける大技の余地も脊髄で折り返しかけたものの、藤ひろ子は不脱のまゝ一幕・アンド・アウェイで駆け抜ける。
 配役残り、花上晃は妻に関する相談で紫のクリニックを訪ねる、銀行の支店長・白山多分薫、読みはカオル。志麻いづみが看護婦の桃谷カオルで、渡辺とく子が十字を見ると前後不覚に発情する、薫の妻でこの人も薫、読みはカオリ。紫がカオリの方の薫を、“典型的なドラキュラー症状”と診断するのは、何か話が根本的に違ふ気も。弱りも死にもせず、点火されてゐるだけである。安西エリと鈴木秋夫はABCの玄関口で出待ちした紫を、最終的には駐車場にて直撃する青木夫妻・ハナ子と竜。キスで子供が出来るだなどと、非現実的に性の知識を欠く。マリア茉莉と、橘家二三蔵は美容院「ビューティーサロンみどり」を営む、緑川ルミと夫の透、二人仲良くオナニー狂。石塚忠吉はカオルが自宅で自慰に耽つてゐると、何時の間にか家の中にゐる新聞の集金・赤木一郎、この子は母親と関係を持つ。一旦軽く診察を受けた赤木と、カオルがクリニックの表に出たところで、助けを求める婦人警官は高橋朋子、婦警に「助けて下さい」いはれても。立川談十郎も制服警察官、高橋朋子と江崎和代の台詞で、巡査と巡査長にブレる黒木弥三郎。江崎和代が弥三郎の妻・はるか、こちらは警部補。ちなみで整理すると、巡査は警官の階級中最下位の第九位。警察法に定めのない、巡査長は大体8.5位。八位の巡査部長挿んで、警部補が第七位。閑話休題、カオリ同様、制服に見境を失くすのが、はるかと弥三郎の致命的な悩み、端から仕事にならんぢやろ。新宿駅西口に集合する、集団治療当日。有難味のない爆乳のデニーズ・ヘラーと、ダンディ立川は都合五組目のカップル参加者。山地美貴も赤木クンと同じく、一人で参加する謎の女子。提携研究調査機関とか称して、一行を乗せたバスは沼津秘宝館に盛大な道草。朗らかな大人物ぶりが堪らない、鈴々舎馬風が浣腸、もとい館長、生命維持の仕方忘れてしまへ。マッチポンプな与太はさて措き、ダンディ立川とデニーズ・ヘラー、山地美貴の三人が皆で風呂には浸かる以外、集団治療の過程に於いて何をしてゐたのかは知らん。
 途方もなく恵まれた肉体的資質と、綺麗もしくはものの見事に反比例した芸才。量産型裸映画史上最大級の終ぞ未完の大器・マリア茉莉出演作を、兎に角見られるだけ追つて行く密やかな映画祭。いよいよ残り弾が尽きて来たのは兎も角、今後発見でもされない限り、どうやら素材が現存しないぽい幻の海女ポ第二作「若後家海女 うづく」(脚本:池田正一/主演:佐々木美子)の、次作にあたる藤浦敦昭和60年第二作。圓朝の名跡を藤浦家で預かり、三遊派宗家を名乗つてゐた藤浦敦の顔を利かせ例によつて、現在落語協会最高顧問の五代目鈴々舎馬風以下、落語立川流代表・十代目土橋亭里う馬の、二つ目時代の高座名である立川談十郎。昨年死去した橘家二三蔵が演芸と映画の小屋間を往き来するほか、ダンディ立川といふのも、藤浦敦監督作にも音楽を提供してゐるカントリー歌手・ジミー時田が、七代目立川談志から貰つた名跡。尤も、ダンディ立川に関してはフレームの中にとりあへずゐるだけで、ほとんど何する訳でもないけれど。と、ころで。落語と芝居とで根本的に勝手が異なるのか、橘家二三蔵の口跡が甚だ心許ないのは御愛嬌。
 性的に様々な問題を抱へる夫婦―単身者も一部含む―を謎施設に放り込んだ上で、集団治療と称して要はスワッピングさせる。もう如何にも商業ポルノらしい、女の裸を見せる目的にのみ従ひ一本の劇映画を捏ち上げたかのやうな、清々しい底の抜け具合ながら。泣かせはしなくとも大人の娯楽映画を、大人しく笑つて勃たせるかといふと、さうも問屋が卸さないのが難しいところ。何処からでもビリング頭を狙へさうな五番手までを主に、噺家と外人部もビリングを賑やかす豪華な俳優部と、堅実な撮影部を尻目に明後日か一昨日を向いた、演出部は漫然とのんびりしてゐる体たらく。基本コメディのテンポが絶望的か壊滅的にトロい火に油を注ぎ、いざ腰を据ゑ濡れ場をオーソドックスに攻めてみせたら攻めてみせたで、土台画期的に中途半端な距離から、梃子でも動かないフィックスが途端にダレて来る映画と裸の共倒れ。紫先生自身が実は性的不能といふ衝撃の告白を起爆剤に、全員救はれる逆転大団円を力任せにカッ飛ばさうと思へば、飛ばせなくも決してなかつたものを。騒々しく走るバスの車中、ネームドの四組八名が各々の元鞘に目出度くか艶やかに納まり、赤木クンまで山地美貴と仲良くなる中、涙目で消沈した紫が唯一人最後尾に取り残される。抜けよ尻子玉とでもいはんばかりに、しみつたれたラストは大抵の感興を全否定。帰京するバスが、画面奥に走り去るラストカット。凡そロケーションを狙つた風情の素粒子ほども窺へぬ、凄まじく変哲か頓着のない最早無常観すら漂はせる画に、そもそもこの御仁、何を思ふて映画を撮つてゐたのだらう。なんて、雲を掴む如き根源的な疑問が胸に去来してみたり。


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 「異常性ハンター 制服狙ひ」(昭和53/製作:プロダクション鷹/配給:日活株式会社/監督:和泉聖治/企画・脚本:木俣堯喬/撮影:久我剛/照明:西田光月/音楽:新映像音楽/美術:衣京介/効果:秋山実/編集:竹村編集室/助監督:麻屋明・大部誠/タイトル:ハセガワプロ/スチール:木村昌治/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:言問季里子・章文栄・与那城ライラ・高木マヤ・木村和子・村川由美・今泉洋・神山征二・城浩・仲台ひろし・竜谷誠・矢田健・吾桐芳雄)。出演者中、木村和子がポスターでは菅野和子。同じく村川由美、城浩から竜谷誠までは本篇クレジットのみ。代りなのか、広沢二郎とかいふ謎の名前と、木村昌治がポスターには載る自由気儘な世界。美術の衣京介は木俣堯喬の変名、恭しくないのは初めて見た。照明の西田光月も、矢竹正知の変名。たゞし、西田光月、だけでなく。一旦さて措き、配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 雑踏感弾ける70年代の渋谷駅前、劇中実は素性の全く語られない、猪俣三男(吾桐)が仮病で仕事を休まうとして、多分見破られる。綺麗に逆上した猪俣が、さりとて大人しく出勤する風でもなく。サラリーマンの河上正一(今泉)が覘き込む、往時の用語を蘇らせると“大人のおもちや屋”「トップポルノ」に大書タイトル・イン。猪俣も敷居を跨ぐ、店内がタイトルバック、ビニ本『リボンの少女 1』に監督クレジット。カプリコン・1的なタイトルなのかも知れないけれど、2以降『リボンの少女』のナンバリングされた続巻が存在するのか、グーグル先生に訊いてみたものの手も足も出なかつた。
 配役残り、河上が散財する本篇冒頭、顔も見せないトップポルノの女店員が村川由美でなければ、ほかにそれらしき人影は見当たらない。神山征二と章文栄は、正一の息子で高校生の正雄と、臨月を思はせるお腹の大きな後妻・笑子。女優部のビリングに然程意味はなささうな、兎も角一番手の言問季里子は正雄が電車痴漢を仕掛ける、猪俣の当寸法で化粧品のセールス・森美沙。美沙が正雄を車内で捕獲、そのまゝ拉致か連れ込む自宅。正雄が美沙に弄ばれる場に、後を尾けた猪俣が介入か突入するのが、猪俣と正雄のミーツ。そんなこんなな勢ひで、一緒に女を犯す一種の師弟関係が成立、どがな勢ひなら。木村和子は正雄が写真展用の撮影―モデルの高額バイト―を方便に誘き出し、大概開けた河原で手籠めにする同級生の植木洋子。美沙と洋子相手には中折れた正雄が、三度目の正直で強盗を装ひ笑子を凌辱する、正直もクソもねえ。城浩は、その結果笑子が流産した旨正一に告げる、北里研究所附属病院の医師。木俣堯喬の辞書に、血なり涙といつた項目はないらしい。与那城ライラは洋子に続く形で猪俣と正雄が二人で狩る、正雄の中学の同級生で、写真の現像所的な勤め先に就職したと思しき大木雪子。この人の登場辺り―全体的には佳境―から、改めて後述する焚かない照明部の本領発揮。しかも商業作であるにも関らず、映画が照明といふ概念を暫し喪失する。三番手を追走する形の高木マヤは、泥酔した正一が落としたガスライターを拾つてあげようとして、正一から手籠めにされるマサコ、矢張り女子高生。チラチラ白い足が辛うじて映り込みはする、引きの画が本格的な闇夜の黒牛状態。今まで知らなかつた黒を見せて呉れた、ドルビーシネマならもう少しは見えるのかしら。端から撮れてゐない映像が、見える訳がない。閑話休題、あと慎ましやかに脇を固める竜谷誠が教頭で、凄まじいもみあげの、仲台ひろしは熊か山男みたいな風貌のワイルド先生。あれ、誰か一人残してないか。
 当サイト得意の寡聞にして知らなかつたのが、当時ミリオンと買取系ロマポ以外に、大蔵でも戦つてゐた和泉聖治の昭和53年第四作。当年、和泉聖治名義でjmdbに記載のあるものだけで、ミリオンと買取系が三本づつに、大蔵二本。更に江夏純なる変名も大蔵限定で使用してゐたらしく、さうなると大蔵が三本増えて全十一作。結構な、量産ぶりである。尤も、江夏純なんて時空でも超えない限り、どうやつたら見られるのよと匙を投げかけたところ、翻刻も満足に出来ないnfajが、プリントを一本所蔵してゐる模様。
 幾ら昭和の所業とはいへこの時代、何をトチ狂つて強姦が斯くもカジュアルなのか。所詮はタイム・ゴーズ・バイの渦に呑まれたとて特に誰も困らない、寧ろ藻屑に消えるに如くはない気も否めない、実も蓋もない無体な一篇ながら。非道は非道なりの成就を、なほ妨げるのは。もうこの男、まるで間違へてこの世に生を受けて来たかのやうな、徹底的なレス・ザン・ヒューマニティの清々しさがなくもなく。あくまでエピゴーネンであるにせよ、なりきり原田芳雄ぶりもグルッと一周して紙一重、芸にならなくもない猪俣に対し。惰弱な小倅から一皮どころか、皮の半分も剥けやしない正雄の真性包茎的な役不足が、展開の深化を阻む一番大きな穴。猪俣がキメたティアドロップとベルボトムとで、ビートを暴発もとい散発的に加速。劇映画的には決して面白くはなくとも、退屈するほど詰まらなくもない反面、乳尻に真面目に拘泥する気配ないし情熱の薄い、裸映画としては別に大してエロくもない。既に完成した猪俣はさて措き、正雄に変化の兆しすら窺へず、攻め手を欠いた始終が、尺が満ちるのと同時に力尽きるものかと思ひきや。映画の神が土壇場も土壇場、ラストで素敵な気紛れを起こしやがるんだな、これが。
 事後―猪俣家から―雪子を往来に逃がした結果、恐らく猪俣ともども、正雄が現行犯逮捕。正一が教頭に呼び出された、応接室か職員室の一角。配役本当に最後の残り、片や加害者生徒の保護者、片や被害者生徒と保護者。娘のマサコを伴つた、父親の矢竹―確かにさう名乗る―役で西田光月が飛び込んで来る、あるいは矢竹正知=西田光月=矢田健といふ等式が麗しく成立する。それまで覚束ない断片に過ぎなかつた固有名詞が、量産型娯楽映画の織り成し積み重ねた線と面の中で遂に繋がる瞬間の興奮こそ、超弩級のエウレカにして、空前絶後のエモーション。映画単体の中身だとか評価なんて最早どうでもいゝ、どうでもいゝのかよ。加害者生徒の保護者が別の被害者と対面して、別件の加害者に転ずる。手際よく畳んでみせれば衝撃の再会がドラマチックに成立したところを、何故かわざわざ数十秒完全にテンポを失し、木端微塵にモタついてみせるのは正体不明の御愛嬌。

 主人公が義母を犯す点について和泉聖治と、義理の母である珠瑠美の関係を絡め取沙汰する巷説も散見されるやうではあれ、さういふ―判り易いのは判り易い―脊髄で折り返し気味の感興が、適正なパースペクティブであるとは必ずしも認め難い。木俣堯喬は生涯四度結婚、和泉聖治(本名:木俣堯美)は二度目の妻との間に生まれた長男で、珠瑠美は四度目。即ち、和泉聖治にとつて義母といふ存在が何も珠瑠美一人ではない、以前に。そもそも、木俣堯喬が和泉聖治より三つ若い珠瑠美と再々々婚したのは、今作三年後の昭和56年である。


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 「恍惚アパート 悶々時代」(昭和52/製作・企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:才賀忍/撮影:フランク倉田/照明:磯貝一/編集:中山治/音楽:山崎箱夫/助監督:今村一平/監督助手:旦雄二/制作進行:平川弘喜/効果:秋山サウンドプロ/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボ・センター/出演:小川恵・楠正通・橘雪子・北斗レミカ・谷口ちひろ・館山夏代・笹川由加利・吉岡一郎・大島祐二・丸山恵介・岩手弘二・山口音也・団十郎・矢野健二・大久保良三)。脚本の才賀忍は、中村幻児の変名。
 何処ぞの駅前、女とぶつかつた浪人生の大神研一(楠)が手荷物を落とす。この、研一が何かと物を落とす所作が、以後も都合三度蒸し返される。よもや、今年も研一が受験に落ちる工夫がなければ潤ひも欠いた、無体なオチに落とし込む布石かと、思ひきや。布石もクソもない、中盤以降、その造形は綺麗に忘れ去られる。ついでで、アバンを通り過ぎるアウトレンジから抜かれるだけの女も、クレジットされてゐないと女優部の名前が一人分余る。閑話休題、代ゼミ外景に劇伴起動。一転、赤々とした画面。二人の女が合はせたお乳首に、煽情的に叩き込むタイトル・イン。北斗レミカと、後述する山田夫人と大森の妹、便宜上の。三人の裸女に群がられ、研一が悶々通り越して悶絶するタイトルバック。画面一杯のオッパイ―多分コンビニ妹―に刻む、監督クレジットが清々しい。あるいは、クレジットが流れてゐる間さへ、女の裸を疎かにしはしない。観客の劣情と真摯に向き合ふその貪欲な姿勢は、量産型裸映画の本義に跪いた、真(まこと)の至誠にさうゐない。
 研一が風呂なしアパート「清風荘」に帰宅すると、隣室のホステス(北斗)が共用の洗面所にて、ほゞ半裸で歯を磨いてゐる。そこに血相を変へ飛び込んで来た、未亡人大家(橘)が破廉恥な店子を罵つて曰く“淫売ホステス”。昭和よ、竹を割るにも限度があるぞ。研一は五号室で、北斗レミカは六号室。清風荘が忌避しない、四号室の住人は山田夫妻(谷口ちひろ?と旦那は判らん)。淫売ホステスがヒモの大森シンペイ(吉岡)と、それ以外にも連れ込む男達。仲睦まじい山田さん家も、連夜お盛んな夫婦生活。薄い壁越しに受験勉強を妨げる、要は挟撃して来る形の嬌声に研一は日々悩まされてゐた。
 配役残り、最初は往来で研一と偶さか交錯するに止(とゞ)まる小川恵は、山田夫婦が越したのち、四号室に新しく入つて来るアラキあやこ。親の跡を継ぐ流れの、獣医学クラスタ。あやこに一目惚れした研一が呆然とするのが、劇中最後に物を落とすタイミング。こゝからが問題なんだな、あやこを妊娠させておいて、堕胎費用を無理からトレンチのポケットに捻じ込む腐れ彼氏。ヒモのゐぬ間に北斗レミカが自分の部屋に入れる、大森にとつては弟分でもあるパンチ。研一の友人で、一足先に大学合格してゐる角帽。大森と普通に脱いで絡む、見咎める大家に口から出任せた便宜上の妹は、山田夫人のアケミが谷口ちひろなら館山夏代かなあ。純然たる端役を除いても登場人物が結構盛沢山出て来る割に、この時代の俳優部がまあ難攻不落。jmdbとnfajはおろか、切札の別館検索にもまるで引つかゝらないと来た日には、大人しくシャッポを脱ぐほかない。あと、極めて重要な点が、研一にへべれけな色目を使ひこそすれ、橘雪子がビリング二番手の位置に座りながら不脱。果たして、ポスターでは如何に扱はれてゐたのか。
 サブスクリプションでしか映画を売らない、逆からいふとバラ売りしやがらない動画配信が、当サイトは憎々しくて憎々しくて仕方がない。当該サービスでないと見られない一本から数本を拾ふために、一々登録して用が済んだら解約するのも、月額の元が取れる本数見るのも面倒臭いんぢや、ボケ。そこで一本づつ好きな時に好きなやうに見られる、素晴らしい楽天TVで中村幻児昭和52年第一作。これで支払にデビットカードも通すか、Edy決済を復活させて呉れたら最高なんだけど。
 乳尻に特化したありがちな浪人生残酷物語が、途中までは軽快に走らなくもない、途中までなら。所詮はモラトリアムな寂寥に燻る研一に対し、何をトチ狂ふたか半裸の淫売ホステスに性的興奮―と満たされない欲求不満―を覚えたのかと、家賃の催促に現れた大家こと橘雪子が素頓狂に曲解。要はスッキリ抜いて勉学に励めるやう、「あたし協力する」だなどと脱ぎ始めるやギョッと身の危険を感じた研一が、冗談ぢやねえとでもいふ風情で後退りするのが爆発的に可笑しい。2020伊豆映画を最後に、沙汰のとんと聞こえて来ないのが本格的に気懸りな、今上御大・小川欽也が得意とする、熟―しすぎた―女が若い色男を前に、「あゝ、暑いはあ」とか宣ひながら胸元を緩めるどころか、ガンッガン裸になつて行く。神々しいほど馬鹿馬鹿しいシークエンスに、勝るとも劣らない破壊力。底を抜くなら抜くで、そのくらゐ派手にブチ抜いてみせればグルッと一周した、一種の興も生まれて来ようといふもの。話を真面目な方向に戻すと、あやこと研一が初めてコンタクトする並木道の、凄まじく映画的なロングは今や世界中の誰一人、この画を撮り得ないのではなからうかとさへ思へる超絶のクオリティ。小屋の35mm主砲で映写したそのエクストリームを、暗がりの中浴びられた時代を渾身の力を込めて偲ぶ。大森と便宜上妹が致してゐる風情にアテられた研一が、TENGA(2005年発売)なんて未だ遥か遠く存在しなかつた時代。用に供した蒟蒻で、田楽を作りあやこに振る舞ふ。下らなく且つ類型的でなほ、微笑ましい一幕は琴線を生温かく撫でる。
 と、ころが。角帽が絡みの恩恵に与る間もなく、無造作に非業の死を遂げる辺りから、映画が錯綜し始める。研一を苛む呵責、一応のコンテクストもなくはないにせよ、挙句化けて出て来る角帽は藪蛇の火に油を注ぎ、二つ目の死が木に入水を接ぐラストは、あやこと研一が何となく波に揉まれる漫然と間延びしたカットで完全に失速する。締めの濡れ場がどうにも盛り上がらない要因は、主に男優部の下手糞にあると見た。勝手に拝借してゐる筈の、その癖堂々とフルコーラス使用してのける、いはずと知れた森田公一とトップギャランの「青春時代」(昭和51)がある意味象徴的。“道にまよつてゐるばかり”、まるで青春時代特有の迷走が、映画にも伝染つてしまつたかのやうな一作ではある。
 そんな中、それでも一際輝くのは、実は童貞である旨吐露した研一に対し、あやこが「あたしを好きなやうにしていゝは」。フィクションに於いてのみ許された、美しい大嘘がやさぐれたか薄汚れた魂を慰撫する、薄くでなく汚れてるだろ。

 隙あらば俯瞰で撮りたがる、馬鹿と煙より高いところが好きなフランク倉田の正体に辿り着けはせぬかと、試みたものの。倉田姓の撮影部が思ひのほか大勢ゐて、てんで手も足も出なかつた。


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 「若妻官能クラブ 絶頂遊戯」(昭和55/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:伊藤秀裕/脚本:那須真知子/プロデューサー:林功/撮影:森勝/照明:直井勝正/録音:伊藤晴康/美術:柳生一夫/編集:鍋島惇/音楽:本多信介/助監督:中原俊弘/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:沖野晴久/出演:日向明子・マリア茉莉・林理恵・鶴岡修・今井久・宇南山宏・八代康二・大川まり・秋山百絵・野末直裕・北川レミ・小見山玉樹)。出演者中マリア茉莉に、ポスターがしのざき・さとみ的な要らん中点を入れる。
 カメラマンの朝倉浩一郎(鶴岡)と、朝倉の婚約者の姉で、偶さか東京に来てゐたみどり(林)のロング、上京の目的は等閑視。朝倉の結婚が、次で三回目。一回目は十六歳の処女と結婚したところ、北海道でのハネムーン中トラピスト修道院に逃げられる。話は続き、二人は大正義イースタンの車を拾ふ。二回目は四十一の女盛りと結婚してみると、箍の外れた多淫に今度は朝倉が死にかける。さうかう話してゐるうちに、多分女子大の表でタクシーは停車。一人目で落胆、二人目で払拭しきれぬ不満を抱へ、三人目で男を悟る。朝倉があれこれ考へ抜いた結果達した、男を三人体験してゐる女が、最もよき妻になれるとかいふ適当な結論まで開陳した流れで、テニスの練習場に到着。バッセン的な機械が、テニスボールを吐いてタイトル・イン。こゝまで五分を跨ぐアバン、朝倉の婚約者にしてみどりの妹・小夜子(日向)が、タイトルバックで満を持しての大登場。翻つたスコートの下に覗く、おパンティのストップモーションでクレジットが俳優部に入る、勘所の突き具合が麗しい。
 名なしモデル(大川)と、アシスタントの広瀬(今井)。スタイリスト(北川)に、もう一人カメアシ(野末)まで俳優部がほゞ出揃ふ撮影風景を経て。婚約指輪―と花束―を携へ小夜子のマンションを訪ねた朝倉は、いはゆる社会の窓も開けたまゝ、小夜子の部屋からそゝくさ出て来た小見山玉樹と交錯する。
 配役が、残らないのが問題。医者役とされる八代康二と、少女役とされる秋山百絵が何処にも見当たらない。もしも仮に、万が一。テニスコートのロングにでも紛れ込まれたとて、秋山百絵は兎も角、八代康二ならば見つけられさうな気がしなくもない。
 出演作を順にぼちぼち見進める、マリア茉莉映画祭。デビュー作から二本連続してゐた、伊藤秀裕第二作。マリア茉莉自身の初陣を撮つた林功にとつては、初のプロデュース作にあたる。小夜子・朝倉のペアと、みどりと夫の水原(宇南山)が対戦。審判を広瀬が務める、夫婦混合ダブルスの試合、小夜子と朝倉には(予)がつくけれど。コートの傍ら、テニス審判台の隣にマリア茉莉が立つてゐる画の、遠近法をも軽く狂はせるタッパがヤベえ。
 みどりは東京から“帰る”と称してゐるゆゑ、別荘の類でなく、其処に常住してゐると思しき山の中に、小夜子と朝倉が招かれる。デルモを大川まりからルナ(マリア)に変更した撮影も兼ね、スタイリストと野末直裕まで引き連れ総勢六人で、馬鹿デカい左ハンドルのオープンカーと、広瀬が駆るサイドカーで景勝地に繰り出す中盤が今作の本丸。外車は野末直裕が運転し、側車には小夜子が乗る。北川レミはまだしも、マリア茉莉の場合足が長すぎて入らなかつたのかも知れない。女優としての資質と反比例するかのやうな、途方もない股下に関してはさて措き。北川レミと野末直裕は大人しく蚊帳の外、あと要は小夜子と朝倉以外全ての組み合はせを摸索する勢ひの、ひたすらに濡れ場を連ねる遮二無二連ね倒す、腰の据わつた裸映画ぶりが清々しい。とりわけ、パーティーを離脱した小夜子を水原が追ひ、開戦するサシテニス。劣勢の小夜子が、動き辛い方便でドレスを脱ぎ―端からヒールは脱いでゐる―下着だけの半裸に。そこまでは、まだ千歩譲つて徳俵一杯蓋然性の範疇にせよ。なほも攻撃の手を緩めない、水原のスマッシュで小夜子のブラが弾け飛ぶ。グルッと一周した馬鹿馬鹿しさが、一種のスペクタクルに昇華するカットが一撃必殺。観るなり見るなり、兎に角触れた者の心に鮮烈な記憶を焼きつけるにさうゐない、伊藤秀裕一世一代のシークエンスが素晴らしい、ピークそこ?そのまゝ、物語ないし主題なんぞシネフィルにでも喰わせてしまへと、女の裸の一点突破で走り抜いてみせたとて。にしては六十八分は些か長いかなあ、程度の生温かい不満で納まつたものを。帰京後、小夜子に焦がれ朝倉が半ば以上に錯乱する件で明確に失速、しつつ。真実の愛に辿り着いた朝倉と小夜子の二人は、目出度く結ばれました、的な。適当な導入で締めの婚前交渉に突入、流石にそのまゝ駆け抜ける心ないラストで、それなりに持ち直す。
 散発的に火を噴く側面的な見所が、朝倉が軽口を舌先三寸で結構な長尺転がし続ける、何気な長回し。如何にもらしい鮮やかな一幕・アンド・アウェイで、こゝにありぶりを叩き込む小見山玉樹共々、高いスキルを事もなげに披露してのける、鶴岡修クラスタも必見の一作。などと明後日か一昨日なレコメンドをしてみせて、別に罰もあたらぬのではなからうか。


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  「箱の中の女2」(昭和63/製作:にっかつ撮影所/提供:にっかつ/監督:小沼勝/脚本:ガイラ・清水喜美子/プロデューサー:半沢浩/企画:塩浦茂/撮影:福沢正典/照明:内田勝成/録音:福島信雅/美術:渡辺平八郎/編集:鍋島惇/選曲:林大輔/助監督:金沢克次/色彩計測::佐藤徹・栗山修司/製作担当:江島進/現像:IMAGICA/協力:渋峠ホテル・横手山リフト/出演:長坂しほり・中西良太・河村みゆき・小川真実・浅井夏巳・小原孝士・大場政則・皆川衆)。共同脚本のガイラは、小水一男の変名。提供に関しては、事実上エクセス。
 裸電球から下にティルトした地下室、市川崑式に、矩手のタイトル・イン。視点が無造作に寄る鎖の先では、繋がれた裸の女が、与へられた食事を食べてゐる。囚はれの人妻・石井洋子(淺井)がおまるで用を足してゐると、足音が。女が逃げ隠れた、大人が入る大きさの箱に小沼勝のクレジット。現れた男が箱に入れた爪先を洋子は従順に舐め、男はそんな女の陰部を、口から離した足で弄ぶ。一転、スッコーンと晴れた志賀高原の観光地、ごつた返すスキー客に適当もしくは勝手にカメラを向ける。ペンション「白峰館」を一人で切り盛りする小西邦彦(中西)が、到着する客を待つ四駆の窓ガラスに、義妹の大谷かずみ(河村)が雪玉を投げる。邦彦の妻でかずみの姉(固有名詞すら口頭に上らず)は、男を作り出奔してゐた。こゝで改名後に田原政人となる大場政則が、かずみと三河屋的な職場で働いてゐるらしき工藤修。各種資料には工藤修介とあるものの、オサムちやんとかずみからは呼ばれてゐる。後述する坂口夫妻が白峰館を辞したのち、小西は嬲り飽きた洋子を薬で昏倒させると、段ボールに入れ緩衝材をどばどば振る丸きり荷物感覚の梱包。ドライバーらが車を離れた、ヤマトの配送車(実名大登場)に放り込む乱暴極まりない形で、元ゐた住所に送り返す。も、もしかして着払ひなのか。幾ら昭和の所業とはいへ、流石に大雑把すぎる。
 配役残り、ビリング順に小川真実と皆川衆が、件の小西が待つてゐた良枝と幸司の坂口夫妻。酔ひ潰した幸司の傍ら、小西が良枝を手篭めにするのが小川真実の濡れ場。大会に出るレベルで剣道に打ち込むかずみの、師範役は防具をつけてゐて手も足も出ない。坂口夫妻の帰りを小西は送らない、タクシーの運転手はヒムセルフかな。長坂しほりと小原孝士が、白峰館の次なる客にして多分最後の犠牲者、博子と純の山岸夫妻。洋子を放逐しての帰途、雪の中で遊ぶ博子の姿に目を留めた小西が純の車をナイフでパンクさせ、助ける素振りで白峰館まで連れて来る。展開の大らかさも実に昭和、寧ろ、このくらゐ無頓着な方が、何事も楽になるのかも知れない。再起不能の重傷を負ひ、ミイラ男状態でプラグドの山岸に付き添ふ、看護婦は引きの距離以前に背後からしか抜かれず当然不明。
 死に体のロマポがビデオ撮り×本番撮影とかいふ、みすみす相手―アダルトビデオ―の土俵に乗り目出度くなく傷口を致命傷にまで広げた、徒花あるいは断末魔企画「ロマンX」。の、同じく小沼勝と小水一男による第一弾「箱の中の女 処女いけにへ」(昭和60/主演:木築沙絵子)と、女を箱に入れて甚振る以外、何もかも全然関係ないナンバリング第二作。小沼勝的には、昭和63年第二作にあたる。日活での最後の仕事かと思ひきや、のちにVシネがもう一本あるのね。不思議なのが、日活公式サイトが今作をロマンXシリーズとしてゐる反面、いざ蓋を開けてみると綺麗なフィルム撮りで、ポスターにもロマンXのロゴは見当たらない。本番云々に関しては、元々往時の粗いモザイク越しに、当サイトの節穴では凡そ判別不能。他方、ロマンXとしてゐないロマポ単独の公式サイトも窺ふに、恐らく日活公式が仕出かしたのだらう。仕出かさないで、混乱するから。
 博子から気違ひと詰られた小西が、狂つちやゐないと抗弁して曰く、「俺は人妻の本当の貞淑が見たいだけだ」。小西が妻に逃げられてゐる、一応最低限の方便も設けられてゐなくはない、箱の中に女を入れる男の物語。劇中に限定するとデフォルトの洋子しか出て来ない、常習者かと博子を絶望の淵に叩き落す、小西いふところの“今までの奥さん”。監禁され凌辱の限りを尽された被害者が、何時の間にか被虐の快楽を覚え加害者の強ひる邪淫に溺れる。所詮は大概か出鱈目な絵空事に立脚した、到底元号を超え得ない底の抜けた基本設定である、のみならず。助からないだ最後だと、終盤藪から棒に小西が匂はせる重病?フラグも、ものの見事に一切回収せず事済ます、へべれけな作劇が火に油を注ぐ。イントロダクションを担当する四番手と、三番手も繋ぎ役に徹するのはまだしも、木に竹刀を接ぐ二番手すら、甚だぞんざいな扱ひに無駄遣ひ感ばかりバーストさせる始末。とかく素面の劇映画としては、全く以て覚束ない、ながらに。博子に対する最初の強姦を浴室にて行つた小西が、一発事済ますや晴れ晴れと風呂に浸かる、大笑必至の盛大な開放感。博子を入れた木箱をチェーンソーで切り刻み、四角く開けた穴から尻を引つ張り出し、箱を抱へ後背位で捻じ込む。即ち、箱ごと責めて犯す、これぞ文字通り箱の中の女なエクストリーム。そして雪山で燦然と輝く、些末なコンテクストを易々と超越、最早博子の感情を推し量り難いほどの、次元の異なる領域に突入した長坂しほりの壮絶な美しさ。明後日にせよ一昨日にせよ、ベクトルが何処を向いてゐようとこの際どうでもいゝ。絶対値の無闇に馬鹿デカい、しかも手数に富んだ一撃必殺を随所で果敢ないし苛烈に撃ち込んで来る。平板な面白い詰まらないはさて措き無類の見応へ煌めく、三ヶ月後完全に力尽きるロマポが偶さか狂ひ咲かせた、正に灯滅せんとして光増す一作。一旦解放後、どうやら山岸に止めを刺した上で小西の下に戻つて来た博子が、「私をまたスキーに連れてつて」。本家「私をスキーに連れてつて」(昭和62/監督:馬場康夫/脚本:一色伸幸/主演:原田知世)の翌年どころか、封切りの間隔でいふと実は僅か三ヶ月しか矢張り空いてゐない、如何にも量産型娯楽映画的な臆面、もとい節操のなさも清々しい。

 一点激しく気になつたのが、山岸夫妻の白峰館逗留初日、純は翌日から病院に固定されるんだけど。小西が振舞つた本格的なディナーの、丸ごとのメロンを刳り抜き中に何か詰めるデザート。明確な好意を小西に寄せ、白峰館に入り浸るかずみが手伝ふつもりで中身を入れようか、としたところ。「いゝよ!これはいゝよ」と小西が何故か声を荒げるのは、てつきり具材の中に何か仕込んであるのかと思ひきや、別にさういふ訳でもなく。そこで小西がキレる理由が最終的に見当たらない、何気にちぐはぐな一幕。


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 「⦅超⦆淫力絶頂女」(昭和54/製作:幻児プロダクション作品 昭54.7/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:水越啓二/撮影:久我剛/照明:森久保雪一/助監督:岡孝通/編集:竹村編集室/音楽:山崎憲男/記録:平侑子/演出助手:広木隆一/撮影助手:倉本和一/照明助手:西池彰/効果:ムービー・エイジ/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:日野繭子・笹木ルミ・青山涼子・野上正義・吉田純・竜谷誠・水瀬勇・土屋信二・山口正・楠正通)。
 御馬様の発走で開巻、双眼鏡を覗くa.k.a.喜多川拓郎を一拍挿む。同棲相手でスーパー店員のサチコ(日野)を伴ひ、今日も今日とて競馬に負けた工員の長尾ヒロシ(楠)は、さりとて性懲りもなく、あるいは臆面もなく。最終レースを前に、サチコを女子手洗に連れ込んだヒロシが、「これでツキが呼べるんだ」とか無理矢理及ぶ後背立位にタイトル・イン、往時の便所が汚い。そのまゝタイトルバックを賄つての佳境、サチコは競走風景のカットバックに、劇伴もキラキラ鳴らす正体不明の予兆に囚はれる。結局12レースも外したヒロシに対し、「何となく1-5がいゝと思つたのよね」、漠然と馬券を買つてゐたサチコが的中。後日、5レースに2-8が入るとのサチコが再び得た予兆に従ひ、ヒロシは一万突つ込む可処分所得的には十分大博打。幸か不幸か、諸経費サッ引いて二十万四千四百円の純利益を得たヒロシは、忽ち調子に乗る。
 配役残り、組んづほぐれつのキャットファイトで飛び込んで来る笹木ルミと青山涼子(ex.青山涼子で愛染恭子)は、亭主を寝取られたスナック(屋号不詳)のママ・ユミと、寝取つたホステス・ミドリ。野上正義が、劇中仕事をしてゐる風の一切窺へない、よしんば籍を入れてゐたにせよユミの多分ヒモ。後述する、役柄の全く読めなかつた読める訳がない、吉田純からは一度だけタケ?と呼ばれる。こゝからが、登場する頭数と、クレジット俳優部の人数が五つも合はない壮絶な藪の中。ヒロシの同僚・木村と、嬉しさうな顔をするのは無理な、薄い給料袋を手渡す社長。ユミの店に興味を示した、サチコの願望を叶へようと秘かに物件を探すヒロシに、居抜きを紹介する和田不動産の男がまづ不明。売店舗代四百万を狙ふ、軍資金にヒロシが三十万借りる―正確には借りさせられる―サラ金の、若い衆は水瀬勇で竜谷誠が社長、そこはどうにかなる。スナックカウンター席のベレー帽と、サチコの同僚とスーパーの客はノンクレで別に事済むとして、改めて吉田純が、棹に埋め込んだタケ(仮名)の真珠に惹かれたヒロシに零式鉄球、し損ねる真珠師。これで腕はよかつたらしい、ものの、今や完全に酒浸りのへべれけ、妙にリアルに映るのは気の所為かいな。どの映画が最終作となるのかは知らないが、吉田純にとつてこの頃がキャリアの最後期。閑話休題、紹介したタケも呆れる元名人から派手に仕出かされたヒロシに、苦言を呈しながらも手術して呉れる泌尿器科の中山先生と、ヒロシが何処からか連れて来る、謎の買春紳士の二人がまた判らん。整理すると辿り着けないのが順に木村と社長に和田(仮名)、中山先生と謎紳士の―三人無視してなほ―計五名。ところが特定不能のクレジット俳優部が、土屋信二と山口正の二人分しか残らないんだな、これが。この中で、jmdb検索してみたところ土屋信二には美術部の項目が出て来る、昭和43年に、何の参考にもならぬ。かたや五名中、女優部の恩恵に与るのは謎紳士たゞ一人、その他台詞の多さで比較的大きな役だと中山先生。土台この辺り、別作で邂逅するラックに頼るほかない出たとこ勝負の運任せ。
 封切られたのが九月初頭ゆゑ、七月撮影といふのは末と思しき、中村幻児昭和54年第十作。以前に軽く首を傾げた、山崎箱夫なる人を喰つた名義に関しては、単に山崎憲男の他愛ない戯れであるまいかといふ気もしなくはない。
 ガミさん―と堺勝朗―が力の主となる「セミドキュメント オカルトSEX」(昭和49/監督・脚本:山本晋也)の“ポルノパシー”同様、今回は“超淫力”と銘打つた、要は腰から下で司る超能力を題材とした一作。ESP乃至PKの発動条件に、濡れ場を必須とする点が実に裸映画的で麗しい。尤も、所詮自堕落なギャンブル狂である上に、ユミから膳を据ゑられるやホイホイ浮気しようとする。端的にクソ男でしかないヒロシに、エクストリームに可憐なサチコが健気に添ひ遂げる。感情移入に甚だ難い類型的な物語に、匙を投げるのも億劫になりかね、なかつたところが。パチンコ屋の表にて、タケに―ユミと寝かけた―ヒロシが捕獲。すは痛い目に遭ふのかと、小躍りしてゐたら。ユミとタケが致すのを、タケの希望でヒロシが見させられる。木に竹を接ぐのも大概にせえよ、かと思はせた素頓狂な一幕を起点に。一旦失効した超淫力、真珠、見られての情事。そして、そもそも端からキナ臭かつた、ドラゴンバレー金融(仮称)から貸しつけられた三十万。気づくと重層的に張り巡らされてゐた、布石の数々が見事に収斂。絶体絶命の危機を豪快に蹴散らかす、鮮やかな一発大逆転劇への道筋は整つた整へてみせた!これは結構な名作にお目にかゝつたのかと、思ひきやー。娯楽映画に殉ずるもとい準ずる気さへあれば幾らでも力技で捻じ込めた、にも関らず大団円を事もなげに放棄。虚無と紙一重のストイシズム吹き荒ぶ、全てを打ち捨てる途轍もなく乾いた結末を、最早アナーキーなほどの、昭和の大雑把さよ。令和の目には治安の崩壊した騒乱状態とすら映る、レース後の競馬場に底の抜けた量ゴミの舞ふ、盛大な紙吹雪のラスト・カットが徹底的な突き放しぶりで締め括る。
 備忘録<スケコマすばかりの、ヒロシの「地獄だなあ」から間髪入れず紙吹雪エンド


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